(2016.05.29) 利用上の注意-
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ぶろぐ= http://lowell.cocolog-nifty.com/gizen/
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(2016.04.23) 昔ながらの商店街の雰囲気が残っている文教地区の蜆塚中学校正門前に、
地域の居場所「ジミーセンター」
が22日オープンした(= 写真上の手前2棟。愛称ジミセン=浜松市中区蜆塚3丁目)。長屋風の続き空き家2棟の壁を取り払い一続きに改装した。
経営にあたる介護福祉士の増田力也さんは、その狙いについて、イベントや新しい出会いなどの地域情報が集まったり、食事やおしゃべりなど地域の人たちの気軽なたまり場になったりする運営に心がけたいと語す。そのため、季節食材の販売コーナーやワークショップもできるスペースも設けた。
● 将来、夜はオシャレな語らい「赤提灯」にも
具体的なしつらえとして、コーヒーの飲めるカウンターや情報コーナーだけでなく、児童生徒たちが宿題や学習ができる、たたみのいわゆる「小上がり」も設けるなど、文教地区らしい工夫もほどこされている。
増田さんは、将来は夜にはちょっとしたオシャレな「赤提灯」としても活用できないか検討していると話す。
ちょうど1年前の本紙(2015年5月1日号)で紹介したように、不定期開店の「ワンデイカフェ」を軌道に乗せるため、昨夏から居場所づくりに本腰を入れ、その準備がこれまで進められていた。
● 記者ノート 駄菓子屋
住民自身が自ら知恵と資金を出したこうした民主導の取り組みは、地域住民からはかつての商店街の賑わいを取り戻す新たな試みとして、また地方消滅の危機感のある行政側からも支援事業のひとつとして、今、注目されている。
たとえば、地域通貨の発行や考え方も地域を元気にするには有効だろう。
ただ、市立蜆塚中学正門前にあるジミーセンターの近くには、広沢小学校、海の星幼稚園、さらにはセンター裏手には昔ながらのそろばん塾もある。この文教特性とそれに伴うニーズをどう取り込んでいくかが、賑わいを取り戻す今後の大きな課題だろう。
この日の開店で訪れ人たちの中には、
現代風な駄菓子屋コーナー
があれば必ず子どもたちは立ち寄っていくのではと話す女性がいた。ひとつのアイデアだと思う。思うのだが、現代風でなくても、むしろ昔風のほうがいいのではないか。今の子どもたちの目からみれば、大人にとって懐かしい駄菓子屋コーナーは十分「現代風」に映ると思う。このように地域の特性を考えると、大人のまじめな視点だけではなく、ちょっとした遊び心のある子どもたちの視点もほしい。
成功の早道として、よく言うではないか。将を射んとせば、まず馬を射よと。
● スナップ写真 ダブルクリックで拡大
(2016.03.22) 環境ボランティア団体のサンクチュアリージャパンの馬塚丈司代表に、その取り組み30年の歩みや今後の活動について、佐鳴台協働センターで開かれた学習会でうかがった。同氏は浜松市の馬込川の下流や河口の豊かな自然を開発から守ろうと市民組織を立ち上げ、遠州地域を中心に運動を長年展開してきたことで知られている。
サンクチュアリージャパン(浜松市中区幸2丁目)を運営面で支えるのがNPO法人「サンクチュアリーN.P.O.」。馬塚代表(=写真下。まづか たけじ)は、こちらの法人格の理事長でもあり、最近では子どもたちの感動する心を育てるプログラムに力を入れていると話した。
そのための中心となるのがNPO法人だが、具体的にはボランティア団体の運営およびボランティアの活動拠点となっているネイチャーセンター(中区中田島町)の運営を常勤スタッフが中心になって担っている。
● ネイチャーセンター周辺の遠州灘
--- 同センター提供イラスト(ダブルクリックで拡大)
● 活動記事の紹介
(2016.03.22) 今はあまり劇場映画を見ることはなくなかったが、かつては団塊世代のブログ子は、映画をよく見に出かけた。そんななかに、図書館や司書(ライブラリアン)を巧みに登場させた映画が今も記憶に残っている。たとえば、学生時代に見たニューヨーク公共図書館が出てくる
有名な「ティファニーで朝食を」(1961)
がある。主演のオードリー・ヘップバーンが、図書館の利用の仕方を紹介しているシーンが印象に残っている。司書の堂々として専門家としての見識もそれとなく紹介されていて、アメリカでのライブラリアンの権威や社会的地位の高さに感心したものである。
● 米映画の中の図書館
また、キャサリン・ロスとダスティン・ホフマン主演の
「卒業」(1967)
も忘れられない。実話を基にした「大統領の陰謀」(1976)や最近では
「フィールド・オブ・ドリームス」(1989)
にも、アメリカの市民生活に図書館や司書が根付いており、尊敬されていることがわかるシーンが登場してくる。ある意味、医師、弁護士と同様の専門職として、その社会的地位は高い。だからこそ、医師や弁護士同様、主人公とまではいかないが、そこそこ重要な役割を映画の中で演じられるのだろう。
これに対して、日本では、映画で司書が、職業独占の弁護士や医師のように、主役やそれに準ずる重要な役を演ずることはまあ、ない。せいぜいあったとしてもちょい役、端役だろう。それも地味なイメージで描かれているように思う。
● 司書、司書教諭、学校司書の3職種
司書には、日本では三種類ある。つまり、
図書館法にいう司書(司書の資格をもって公共図書館に専門的な業務などを行う職員。法的には図書館に必置義務はない)、
あるいは学校図書館法が規定する司書教諭(教員免許を持ち、かつ司書資格も取得し、学校図書館でもっぱら選書や企画など専門的な業務を行う教諭。学校側に必置の義務が伴う常勤職)、日本独自の職種。
さらに同学校図書館法に基づく学校司書(教諭の資格はなくとも、司書資格をもっているなど、受付業務のほかに専門的職員として設けることが、学校側の努力義務とされている職員。非常勤職も可)
である。それがなぜ、専門職として社会的になかなか認知されていないか、あるいは定着していないか。こうした点について、実践経験も交えて問題点などを、こじんまりとした学習会で先日、話をうかがう機会があった(浜松市、佐鳴台協働センター= 冒頭写真)。
講師は司書教諭として長年、静岡県内のいくつかの高校で指導してきた北原和代さん(=写真左)。
比較的に恵まれている必置義務のある司書教諭の場合もそうだが、司書のいちばんの問題点は
短期的な人事異動があり、長期的な視野からの企画や読書指導、一貫した選定基準にそった本の選定がなかなか困難
という点である。簡単に言えば、専門職なのに専門職とは無関係ないろいろな職場に異動させられることが多い。学校の司書教諭はこの点ではまだいいほうなのだが、司書や学校司書の場合はこの点が仕事をまっとうするという点で大きな問題なのだそうだ。
というのは、これではせっかく身につけた専門性が生かせない。計画的、継続的な指導や図書整備に携われない。このことが司書あるいは学校司書に専門職としての自信をもてなくさせている。
また、かつては、北原さんの場合のように、大変な努力をして専門家としてのライブラリアンになったのが、今では、
司書資格取得の要件は以前に比べて必要単位数も増え厳格にはなったものの、専門職としての力量を身につける点で諸外国に比べまだまだ十分とはいえない
という根本的な養成問題もある。現場の実態に詳しい北原さんによると、
まったく不十分
ということらしい。このこともまた司書の専門職としての自覚の希薄さや自信のなさを生んでいるという。
それと同時に、そもそも明治以降の日本では、西欧に追いつき追い越せの経済中心主義であり、司書に高い社会的な地位を認める文化的な風土、というか余裕がなかったこともあるだろう。その結果、司書に対する尊敬の念がいつしか欠落してしまった。
● 博物館学芸員の専門性並みに
最近の歴史テレビ番組では、専門が厳格に決められている大学教授にも引けを取らないくらい、専門的な能力や知識、あるいは見識を持った博物館学芸員がよく登場する。このことは学芸員というものの専門性とそれに伴う社会的な地位の高さを如実に示している。
裏を返せば、文学関係の番組に司書がとんと登場しないのは、その専門性がたとえあったとしても、そのことを十分社会が認識していないことの証明でもあろう。アメリカやロシア、フランスなどのライブラリアンのような高い地位にあれば、もう少し司書の登場する映画や番組が日本でもつくられるはずだと思う。
こうした司書養成の今の中途半端さを打開するにはどうすればいいか。
博物館学芸員並みの地位と見識をもった司書の育成、そしてそれに伴う社会的な認知の向上には、今のような短期の講習制度では不十分ではないか。たとえば、プロとしての専門論文が書けるなど、きちんとした大学院修了クラスの専門性と教育訓練が司書に求められているのかもしれない。
● 図書館の民営化の中で
同時に、北原さんの話を聞いて、その長年の経験を生かす取り組みが、まずは教育関係者の間にもっとあってもいいようにも思う。北原さんの情熱を受け継ぐ人材が少ないのは、やはりさびしい。
図書館の民営化のなかで、今、司書は試練の時、岐路の時にたたされている。図書館とはどうあるべきなのか、そこで果たすべき司書の役割とは何か、そんなことを、県立高校国語教員だった北原さんは情熱を込めて私たちや後輩に訴えていた。
この訴えに一つ付け加えるとすれば、
専門職として司書は著者と読者をきちんと育てているか
と自問自答し、民営化を漫然と傍観しない真摯な行動が必要だということ。専門性を持つ専門職には、それゆえの社会的な責任が伴う。このことの自覚とその責任を果たす社会的な努力なくして、専門職としての司書の社会的な自律や認知はあり得ない。
そんな厳しさを教えてくれた学習会だったように思う。
(2015.12.07) このところ毎年、ブログ子が参加している研究会に
浜名湖をめぐる研究者の会(通称「浜めぐ」)
というのがある。23年も続いている伝統のある研究会で、東大大学院の弁天島水産実験所(浜松市)が主催する。大学院生だけでなく、毎年地元の高校生も発表したりしている。
おもしろいのは地元の漁師も発表したり、参加して大学院生と議論したりしている点。それどころか東大大学院生と地元中学生とが展示パネルの前で教えたり、教えられたりの議論をしている(写真上)。
これには、ブログ子も最初はずいぶんと戸惑ったりした。が、もはやおどろいたりはしなくなった。ここでは普通の光景なのだ。
そんなわけで、ブログ子は、先月行われた地域学習会の話、
佐鳴湖の最新お魚事情
というのをパネルにして展示させてもらった。「浜松水辺を愛する会」の今年6月と9月2回行われた佐鳴湖の魚類調査の結果を含めたこの40年くらいの魚相の変遷をまとめたリストである(前回のブログ参照)。
会場に行ってびっくりしたのは、なんと水産実験所でも、
浜名湖の魚類調査を40年ぶりに行い、その最新の結果をパネルにして展示していたこと。
浜名湖の袋網で捕獲された魚類
というタイトル。規模の大きい調査だが、このときの発表者は水産実験所の水野直樹さんだった。パネルが互いに隣同士であったことから、いろいろと情報を交換させてもらった。
興味のある読者のためにそのパネルを以下に、生のデータを除いて一部を紹介しておきたい。
このデータは研究会のほんの10日くらい前にようやくまとまったもので、この40年で浜名湖の魚類の構成がどのように変化したのかということなど、詳しい解析はこれからだという。
(写真上=参加して発表もした浜松大平台高校の女子生徒たち)
● 漁獲のベストテン
ただ、魚種などの概要については、鷲津調査地点では77種。雄踏地点では92種。重複を除くと
総計 116種
となった。
個体数の第一位はヒイラギ、第二位カタクチイワシ、第三位スズキ、第四位マアジ、第五位メバル。
以下順に。
コモンフグ、へダイ、サッパ、ホタテウミヘビ、クサフグ
と続く。(写真右=パネルを説明する水野さん)
● 浜名湖の魚類パネル
(2015.11.18) 佐鳴湖とそこにつながる周辺河川の魚たちの最近事情や、その生息状況(魚相)の経年変化について、「浜松水辺を愛する会」の中村芳正会長に直接、お話を聞く学習会が先日、湖東岸の協働センターであった。中村さんは、この湖の西岸、浜松市西区に在住。
● 「水辺を愛する会」の調査から
お話会は、その日に会長自身によって採取された魚たちを目の前の水槽に入れてすすめられた。同時に、この25年近い会としての調査活動や実施した観察会で得たデータも紹介された。さらに活動体験で感じたことも加え、それをわかりやすく解説していただくなど大変に有益な会合となった(写真右)。
この日の結論の意味で、
この30年間、湖にどんな魚が生息していたのかというそのときどきの調査結果とその変遷のまとめ
については下欄の一覧表を最新のものとして挙げておく(水辺を愛する会作成)。
この表では川(東神田川、段子川、新川)上流に棲む「淡水魚」の仲間と、そのほかの「汽水系・海水魚」の二つに分類。それぞれについて、上流から河口に向かう順序で、おおむね表上から下に向かって表示されているなど、とてもわかりやすく便利に作成されている。
中村さんたちが直接かかわった調査によると、
これまでの30年間で見つかった淡水魚は39種。汽水系・海水魚は38種。合計77種。
これを在来種/外来種で分けてみると、
在来種70種、外来種7種
だった。
静岡大工学部の戸田三津夫さんによる最新まとめも参考にするとおもしろい(「補遺」に最新の一覧表)。戸田さんによると、過去すべての調査で92種の魚類がこれまでに確認されている(テナガエビなどの甲殻類などは除く)。
( 写真や資料をダブルクリックすると拡大できる )
● 多いコイ、ハゼの仲間
箇条書き風に、講演内容の要点をまとめると、次の通り(写真右=採取された魚を観察する参加者)。
一覧表をみるとすぐわかるのは、
コイやハゼの仲間が比較的に多い
ということ。今年6月には、眼の退化したエイリアンのような珍しいハゼの仲間、
チワラスボ
が初めて採取された。
カワアナゴ(写真左)
もいた。表を見ればわかるが、どの時期の調査でもほぼ確実に捕獲されている。
コイ、ハゼの仲間とは対照的に、汽水の佐鳴湖には、塩分をきらうせいか外来種のブルーギルやブラックバスはどの調査でも採取されていない
こともわかる。これは淡水湖のびわ湖にはたくさんいるのとは対照的。
ほかの外来種、たとえば、3年前までの調査では、毎回採取されていた外来種で、
コイの仲間、ハクレン
が、今回の6月調査でも9月の調査でも捕獲されなかった。
この魚は中国産淡水魚で、成魚は1メートルを超す。アオコの除去を主目的として組織的に放流したが、佐鳴湖では繁殖せず現在に至っている。
中村さんによると、
「放流してから40年以上たっており、今年の2度の調査でも捕獲されなかった。9月の調査時に80センチほどの死がいを1匹、目視するにとどまった。このことから完全に姿を消す日も近いのではないか」
とのことであった(下欄「補遺」文献では、1958年、1973年に放流)。
中村さんたちの「水辺を愛する会」発足のきっかけとなったコイの仲間
アブラボテ
も、30年近く前に、当時の佐鳴湖環境調査会が調査で採取して以来、捕獲されていない。同様に、同じコイの仲間のハスも30年前のこの調査会の採取以来、とれていない。
● 魚相変化の可能性も
同じコイの仲間、タモロコ
も同様だ。さらに同じコイの仲間、
タイリクバラタナゴ
も、この7、8年、まったく調査採取ではとれていない。それ以前の調査では毎回確実に網にかかったのとは大違い。
こう考えてくると、コイの仲間が比較的に多い点には変わりはないものの、この30年間で湖の環境の変化(たとえば湖が浜名湖と新放水路でつながるなど)で
魚相の時代変化
があるのかもしれない。魚相とは、ある環境での魚の種類の構成のこと。
かつてあんなにいたギンブナは今もいるにはいるが、量的にずいぶん減った。モツゴ(コイの仲間)も減った。このことからも、感覚的には魚相の変化の可能性はあるとしてもおかしくない。もっとわかりやすい例で言えば、第一、(ニホン)ウナギ自身が最近、湖ではめっきり釣れなくなったという感覚的な事実とも、この結論は整合性がとれているといえるかもしれない。
● 姿見せない日本の絶滅危惧種、ホトケドジョウ
湧き水の多い、しかもほかの魚の少ないところを好む
ホトケドジョウ
も今回のいずれの調査でも採取されなかった。
中村さんたちの調査では、湖とつながっている東神田川の一部にはいるようだが、全国的には危惧種。とはいえ、遠州地域にはまだ比較的多く生息していると言われているものの、今回、湖での生息は確認できなかった。
写真右は、6月調査で採取されたチワラスボ。目がほとんど退化していて〝エイリアン〟のような姿になっている。
● 創造性ある佐鳴湖学のために
中村さんの話によると、佐鳴湖の魚の最大の天敵は、愛知県あたりから環境変化にあおられて湖に〝移住〟してきた
カワウ
だという。なにしろ、隊列を組んだ集団で、前の列のカワウたちが魚を食べると後方に下がり、次の列が前に出てきて魚をとる整然とした行動を見たことがあるという。しかも湖にはそんなカワウが群れている。これでは、魚はたまったものではないというわけだ。このこともさまざまな魚の量が減ってきた原因の一つかもしれないという。
こうした最近の魚事情を通じて、佐鳴湖はいま、私たちに何を伝えようとしているのだろうか。中村さんの解説を聞いて、そして実物の魚たちを目の前にして、ブログ子は、魚たちが訴えようとしていることを具体的につかみ、効果的に将来に生かすためには、湖を総合的に探る
行動する実践的な佐鳴湖学
が必要な気がした。
静岡県が戦略研究課題として
快適空間、佐鳴湖の創造
という湖の総合調査(2005年)を3年かけて行い、その結果を大冊の報告書にまとめてから7年。もう一度この報告書を、10年ぶりにじっくり読み返してみる必要があると感じた。
浜松市も今年度から新しい
佐鳴湖水環境向上5カ年行動計画
をスタートさせている。
科学的な調査に基づく成果の活用と、地域住民などの社会的な合意形成に基づく統一的な行動。有効な佐鳴湖学の確立は、この二つが車の両輪のようにかみ合ってこそ実現する。
今年は、魚たちの声に耳を傾け、創造性ある佐鳴湖学に向けスタートを切るよいチャンスであると思う。
雨の中、佐鳴湖の市民水質調査(秋)
- 2015年11月14日、漕艇場で
・ 以下は、講演会場に展示された近畿地方の河川に生息する魚たち。
一般に、西日本のほうが魚の種類は多い傾向がある。
・ びわ湖と川の魚(琵琶湖博物館)
・ 以下は、中村さんたちが実際に採集した魚たち(甲殻類も)
● 注記
以下は戸田三津夫(静大工学部)さん作成(2015年11月現在)
● 補遺
上記報告書の放流魚介類調査(入野漁協)
注 養殖放流については、ワカサギ(の卵)は、戦前から比較的に長期にわたって放流されており、1975年まで続けられていた。最近の採取調査ではほとんど見かけない。注目したいのは、嫌われ者の外来種、ブルーギル。1964年に2000匹放流されている。当時、食用魚として注目されていたことがわかる。1968年にはシジミも68kg放流されている。このことは、それ以前のような自然繁殖だけに頼るのではなく枯渇に備えて養殖も視野に入れていたことをうかがわせ、興味深い。
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