盲目のバイオリニスト、穴澤雄介の世界
(2011.11.01) 兼六園の唐崎松に雪吊りがつくられはじめた快晴の金沢を久しぶりに訪れた。定年までの20年間を過ごした金沢だが、兼六園、香林坊界隈といったまちなかは、一段と美しくなっていた。
金沢を離れた三年前にはなかった黒御影石の瀟洒な高層ビルには
JOURNAL STANDARD
と大きく書かれたビル。中にはケーブルテレビのスタジオが設けられており、誰でも放送の様子が見れるように開放されていた。
夜の金沢もますます美しくなっていた。誰もが一度は訪れてみたいと思うような夜の優雅できらびやかな街に変貌しつつある。
そんな夜、盲目のバイオリニスト、穴澤雄介
ディナー・ライブコンサート
に旧友たちと出かけた。運良く、穴澤さんと同じテーブルだったので、いろいろ話をうかがうことができた。心臓に障害があることから途中失明したとのことだったが、ピアノとの見事な呼吸は少しもハンディを感じさせなかった。
最後は、バイオリンの弦が切れるほどの熱演だった。
ハンディを持つが故の利点とは何か
と意地悪く聞くと、すかさず
あれこれ迷わず、好きな、性に合ったバイオリン演奏に集中できること
だという。今は、目の前に与えられた仕事をとにかくこなすことに徹しているという。
CDアルバムにもある
未知なる世界へ飛び立とう
という曲を聴いて、心が洗われるとともに、あきらめるにはまだ早いと勇気付けられた。
そうかと思うと、小泉八雲の『怪談』に出てくる
十六桜
の曲も聞かせてくれた。雪の降る真冬の旧暦正月十六日に花開く桜の話だ。その話に魅かれて、曲をつけたのだろう。凝然として死地に向かうひとりの古武士の威厳が、ピアノとバイオリンによる哀愁の調べでもって表現されていた。襟を正したくなるようなひと時だった。
コンサートが終わって、ふと夜空を見上げると、街中なのに、木星の輝きが見えたのには驚いた。そんなしじまの金沢の木倉町通りの
やきとり横丁
に一人出かけた。20年来のいきつけの店で、同年輩のマスターと二人でカウンター越しに語りあった。この店で出会った人々は、この店で交差して、また、新しい旅に出かけていることがわかった。マスターはその交差点に立つ、いわば人生の達人のような気がした。
人生とはなんだろう
そんな話になって気づいた。
人生とは、旅に招かれた客
なのだと。招かれた先に
未知なる世界がある。そんな気持ちにさせてくれた夜の金沢だった。
これからも、十六桜にも似た曲想を胸に未知の旅を続ける客となりたい。
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