書籍・雑誌

二兎を追うコウモリのスゴ技 でもこれは-

(2016.06.08)  異分野融合で新産業という特集を取り上げている

 「JSTnews」(科学技術振興機構、2016年6月号)

を読んでいて、ちょっとびっくりした。

 Image2358 異分野融合というからには、何かと、それとは違う別の分野の成果とを結びつける研究という意味だが、これがなんと、

 夏の夕方によく見かけるコウモリの獲物の動きを効率的に先読みする食虫行動と、自律的に空中を移動できる次世代高機能ドローン技術

との組み合わせなのだ。ドローンは、コウモリ同様、自らは目がないので、今のところ地上からの人間の目を頼りに移動する。次世代のドローンは、超音波を発信、その反響音をキャッチすることで目的物を、人間の目に頼らずとも、確実に追跡できるようになるというわけだ。

 一言で言えば、生物模倣技術

の例である。

 ● 自律型ドローンへの応用

 記事によると、同志社大学の研究グループは、

 コウモリが2匹の昆虫の飛行位置を同時に探知して、双方を確実に捕らえる(効率的な)飛行ルートを設定している

ことを発見した。これにより、一晩に数百匹の昆虫などを捕食するという。

 よく、二兎を追うものは一兎をも得ずという。しかし目は退化してしまったものの、コウモリはその進化の過程で身につけた空中に飛んでいる昆虫などの食虫行動を自ら放つ超音波の反射音で的確にとらえ、獲物を確実に、かつ効率よく空中キャッチする。

 目は退化しているものの、音波でとらえた目の前の昆虫にやみくもに突進するようでは、遠くに飛行する2匹目の姿を、〝見失う〟危険がある。キャッチした時、目の前の獲物が超音波妨害をする可能性が高いからだ。そこで、コウモリは遠くのもう一匹の動きも計算に入れ、出した音波が妨害されないような飛行ルートを瞬時に選ぶ。その上で目の前の獲物に襲いかかり、次いで二匹目も効率よくゲットする。このことを、研究グループはシュミレーションによるモデル計算で明らかにした。

 いやはや、ブログ子は小さい頃、夏休みの夕方、竹ざおでコウモリ獲りを楽しんでいたが、

 コウモリのスゴ技

には、今のドローンよりはるかにすごい。

 進化の見事さに、いまさらながら、驚く。

   それとは別に、ふと思った。

 これは、軍事技術におおいに役に立つだろう

という恐い予想が頭に浮かんだ。そうなのだ。これは明確に軍事技術にもってこいなのだ。防衛省は注目するだろう。

 ● 余談/異聞 コウモリの進化を想像する

  では、なぜ、コウモリは人間の子どもが振り回す竹ざおぐらいで容易に叩き落されてしまうのか。不思議だが、おそらく、進化の過程では

 06_08_1 こうした子どもの大胆な行動

には一度も出合ったことがなかったからだろう。これでは進化のしようがない。竹の棒からもわかるが、コウモリと同じくらいか、それ以上の大きさの(目の見える)生き物が昼間飛んでいたら、コウモリも、今のままではひとたまりもなく捕獲されただろう。

 だから、目で光を受けて獲物を探す必要のないコウモリは夜に行動するものだけが生き残った。また、逃げ惑う小さな獲物ののみを食べるコウモリだけが生き残った。その場合、小さな獲物で命をつなぐコウモリが餓死しないためには、たくさんの獲物を素早くキャッチすることが必要となる。だから、効率的な飛行が進化の過程で必然的に磨かれた。

 逆に言えば、種の間のわずかな構造の違いから、技を磨くことのできなかったコウモリもかつてはいたはず。だが、それらは環境に適応できず、適応種に比べ繁殖率が低くなり自然淘汰で絶滅。目が見えない分、スゴ技が生き残るには必要なのだ。こうして数十種のコウモリだけが、今日まで現生種として残った(のだろう)。

 一言で言えば、コウモリにたとえて恐縮だが、

 目の見えない座頭市が渡世できたのは、多くの周りの目明きの動きを鋭く察知、どうすれば囲まれた多数の襲撃者を、仕込み杖のスゴ技で身を守るため瞬時に切り捨てることができるのか、十分に体得していたからだろう。

 としても、その座頭市といえども、拳銃を持った襲撃者には、そのスゴ技もからきし通じなかったにちがいない(ただ、注意しなければならないのは、コウモリの話は種の進化の問題であり、座頭市の例は種の中の一個体だけの話だということ。これはあくまで、たとえであり、説明に限界がある。正しくは種の進化話では、座頭市的な形質が種内に高い繁殖率から種内に広がっていくというプロセスの説明が必要)。

 そうはいえ、子どもが物干し竿を夕方の空に向かって振りかざすだけで、コウモリがバッタ、バッタと打ち落されてしまったことの理解には役立つといえまいか。

 コウモリに教えを乞うのは謙虚でいい。しかし、ただの真似事だけでは、つまり模倣だけでは有用な自律型ドローンの開発は難しいだろう。自律的で効率的な探知能力とともに、自律的な防御面で人間の知恵や工夫も組み込むことが必要だと思う。

 これこそが、不都合な面も含めてコウモリから謙虚に学ぶということを意味する。

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科学者の社会的責任、日本はどうだったか - 湯川、朝永著作集を読む

Imgp9549_2 (2016.04.17)  久しぶりに、このブログの読者から、辛口のコメントをいただいた。

 先日来、1940年代の原爆開発のオッペンハイマー博士のこと、あるいは1950代の原発開発のダイソン博士という科学者を取り上げ、

 科学者の社会的責任

について論じた。読者のコメントというのは、米科学者を責めるだけでは無責任であり、片手落ちではないかという酷評だった。

 論ずべきは、日本の科学者たちの責任についてただすべきなのだ

と指摘された。指摘もっともで、あらためて、日本の著名な核科学者がその当時どのように行動し、世の中に訴えようとしていたのか、調べてみた。

 ● 自覚的な行動はまれ

 取り合えず、湯川秀樹著作集と朝永振一郎著作集を広げて、見た。湯川博士には、

 湯川著作集第五巻「平和への希求」

があり、朝永博士には

 朝永著作集第五巻「科学者の社会的責任」

というのがある(写真)。 

 アメリカの科学者たちは原爆、水爆、原発の開発者であったことから、社会とのあつれきの中で悪戦苦闘していた。これに対し、日本の科学者については、比較的にのんびりした他人事として、あるいは言葉遊びのような会合を開いているのが、これらの著作集を読むとはっきりする。

 ● 大衆運動に結びつかず

 アメリカの水爆実験で被ばくした第五福竜丸事件では、日本国内で有権者の半数が

 核実験禁止

に署名するなど運動は盛り上がった。しかしその段階になっても、また1950年代後半以降になっても、科学者たちがそれらと結びつくことはなかった(注記)。

 あくまで国内的にも海外的にも科学者だけの間のサロン的な情報交換、あるいはせいぜい哲学者や文学者の間の高等遊民的な会議に終始した。科学者は体制側にたった意見を述べるにとどまり、明確な大衆とともに歩む方針を打ち出すことはなかった。この点では、オッペンハイマー博士の骨身を削った対応とは極端に異なる。

 さらに、言えば、核兵器に関する解決策についてもユートピア的な世界連邦政府づくりにはなかなか熱心だったが、当時焦眉の急だった原発については、ダイソン博士が忸怩たる思いで闘ったのとは異なり、ほとんど有効で批判的な論点を打ち出すことはなかった。

 総括として、1950年代、1960年代を通じて、日本の科学者が本当の意味で市民の側に立ってその社会的責任を果そうとしたといえるような具体的な行動や言論はなかったと言ったら、言いすぎであろうか。

 ● 例外は気骨の猿橋勝子博士

 その例外としては、福竜丸の死の灰について、これが放射性の核物質であることをアメリカの科学者と対峙する形で、そしてまた職(気象庁気象研究所)を賭して明確にした放射化学者、猿橋勝子博士ぐらいだ。もう一つ、当時の例外を挙げるとしたら、あるいは福竜丸被ばく直後、死の灰の正体を調べるためビギニ環礁の現地に若い科学者たちを乗せた水産庁調査船をいち早く派遣した例がある。

 主流の原子核研究者、あるいは当時の学術会議メンバーの中においてはこうした社会的責任を自覚した勇気ある行動をとった人はごくまれであったように思う。

 メンバーではないが、ごくまれな人物をあえて挙げるとするならば、1980年代以来、一貫して市民側に立って科学や技術のあり方を考え、実践し続けた放射科学者の高木仁三郎氏だろう。

 ● 注記 原水協と原水禁に分裂

  福竜丸事件で当初3000万人以上の核廃絶署名を集めるなど当初、超党派だった原水協(原水爆禁止日本協議会)は、東西冷戦の中、組織内部路線論争/対立が原因となり、後に原水協のなかの旧社会党系・旧総評系が分離。分裂後の1965年には、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)が原水協とは別組織として設立される。

 新たにできた原水禁(旧社会党系・旧総評系)はいかなる国の核兵器も廃絶すべきであると訴えているのに対し、もともとの草の根運動とは大きく変質した1960年代の共産党系の原水協は「ソ連の核兵器は善であり廃絶する必要はない。しかしアメリカの核兵器は悪であり、廃絶すべきだ」としている。こうした路線論争による日本国内の反核運動の混乱は、その後の日本の原爆被爆国としての国際的立場を大きく損なう結果を生み出した。今もこの影響は小さくない。 

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自動運転車、そのプログラムは〝運転手〟か -- 電脳建築家、坂村健の目

(2016.02.19)

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生物論争史、今も重要な何かが欠けている

(2016.02.03)  お正月というまとまった時間を利用して、この1か月間、上下2巻からなる浩瀚な

 『社会生物学論争史』

を読んだ。中間報告はこの欄1月10日付に書いておいたが、最終的な結論は以下の通りである。

 C.P.スノーが問題を提起してから55年以上、火付け役のE.O.ウイルソンが論争末期に自分の考えを論争を踏まえて整理した『コンシリエンス』(1998)=日本語訳『知の挑戦』を出版してからでも20年近く経過した。しかし、現在でも、理系、文系という

 「二つの文化」の統合を目指そうという挑戦には、今も重要な何かが欠けている

というものであった。

 念のため、先ほどのウイルソンの

 Image2275 『知の挑戦 科学的知性と文化的知性の統合』(2002)

も読んでみた。

人間の本性の生物学的な基盤は遺伝子と、そこから生み出される文化との共進化の結果

というのが主な内容だった

どういうことか、少し引用してみる。

 「今日、生物学者や社会科学者が理解している遺伝子=文化共進化においては、因果的事象が遺伝子から細胞や組織へ、ひいては脳や行動へと波及する。これらの事象が物理的な環境や先在する文化と相互作用をし、文化進化を偏向させる。しかし、この連続事象-遺伝子が後生を通して文化におよぼす影響-は、共進化の環の半分にすぎない。残りの半分から提起されるのは、人間の本性の根底にある遺伝子の変異や組み換えの選択に対して、文化がどう関与しているのかという問題だ」(同書p202)

 「このつながりの最後の段階は、もっとも重要で、異論のあるところでもある。それは遺伝子の拘束の問題で具体化される。先史時代を通して、とくに現代型ホモ・サピエンスの脳ができあがった10万年前までは、遺伝子進化と文化進化は緊密に結びついていた。新石器時代の社会が出現し、文明が発生すると、文化進化は全速力で疾走し、それに比べればとまっているも同然の遺伝子進化は取り残された。では、この最後の指数関数的な局面で、後生則は、異なる文化がどのくらいまでわかれてへだたっていくのを許したのであろうか? 遺伝子の拘束はどのくらい強かったのだろうか? これが鍵となる質問だが、答えは部分的にしか出せない。」(同書p193)

「後生則から文化の多様性への移行については、まだきわめて不完全な知識しかないので、実際の例をあげて説明するのがいちばんいいのではないかと思う」(同書p193)

として、その単純な例として言語によるコミュニケーションを挙げている。共進化の二つ目の例として、複雑だが、今のところ詳しく調べられている

 色の語彙

を取り上げている。

 その上で、

 「人間の条件を把握するには遺伝子と文化の両方を(その共進化の観点から)理解しなくてはならない(同書p200)

と語っている。

また、「遺伝子と文化の結びつきは、感覚器官や脳のプログラムに見られるはずだ。この過程がもっと知られ、考慮されるようになるまでは、遺伝子進化と文化進化の数理モデルは非常に限られた価値しかもたないだろう」(p185)とも語っている。ものの、そして、その自信に満ちた語り口にもかかわらず、

 文化も遺伝子の影響を受けるとする(自然科学的)人類学、(狩猟採集)文化は遺伝子とは無関係とする(人文科学的)人類学、現代の人間行動を社会的、政治的システムから解明しようとする(社会科学的)人類学=社会学

の間においてすら、現在までのところ統合の兆しは見当たらない。いずれも科学を標榜するのなら、少なくとも共通の基盤の上にいずれとも両立しなければならないのに、それが今に至るもない。 

 四半世紀にわたる論争当時はもちろん、今もって、重要な何かが欠けている状態であるといえるだろう。

 さらにあえて言えば、この統合の実現には、進化論とか、人類学とかという小さな枠の中ではとうてい解決できない。要素還元論、全体論の枠外に、つまりそこから帰納するところから解決の道が見出されるような気がする。

 ● 勝者はなかった

 結局、論争はいずれの陣営に対しても、道徳的な面、政治的な面でより慎重な姿勢を求めただけといえるのではないか。どちらの陣営も何がしかの利益は得たものの、一方的な勝者はいない。

 より具体的には、双方ともに、真理を主張した。ものの、その前提となる方法論に共通の基盤がない。あるいは共通の基盤づくりに取り組む姿勢が双方ともにない。そのため、主張の正しさを相手に説得力をもって提示できていない。その結果、論争当初からの要素還元主義と全体論主義の対立がそのまま残った。

 こうなると、二つの文化を共通の基盤の上に統合しようという

 人間社会の進化生物学的な体系確立

は、そもそも可能なのだろうかというそもそもの思いにかられる。

 ● 遺伝子と文化と

 人間の本性に迫るため必要な統合が仮に原理的に可能だとして、ではどうすれば、統合の道筋がつくのか。

 べき論とは逆の帰納法的なやり方はどうか。

 人間の本性の実例としては、さまざまな研究から

 見返りを期待しない家族愛ルールとギブアンドテイクの社会性ルールの両立

 今だけではなく過去や未来を想像できる能力

 想像のできる能力から出てくる相手に共感する能力

 利己的な行動と利他的な行動の使い分け能力

 言語習得の優れた能力

などが思いつく( 蛇足的なコメント2 )。いずれもほかの動物では見当たらない人間の本性であろう。もはや二足歩行や道具の使用は、ほかの動物にもみられることから、人間独自の本性とは考えにくい。

 体系的な理論構築には、こうした事実を当然ふまえる必要性はあるものの、これだけでは十分ではないのではないか。現在の枠組みだけで構築できるという前提は果たして正しいのだろうか。統合は単なる寄せ集めではないからだ。

 人間社会の進化生物学的な考察

には、既存学問の枠組みをこえた新しい概念が必要な気がする。そんな印象を持ったことをここに正直に書いておきたい。

 そんな思いもあり、論争史以前の名著、たとえばオーストリアのK.ローレンツの

 『攻撃 悪の自然史』(上下巻、みすず書房、1970年。原著=1963年)

をあらためて読んでみたい。比較動物行動学から人間の社会行動に考察を加えているからだ。にもかかわらず、論争史のようなイデオロギー論争に終始してはいない。そのくせ、この本自体が発行当時の冷戦構造に彩られているようにブログ子には感じられるからだ。

 ● 補遺 『生命とは何か』

 Image2282 もう少しはっきり言うならば、

 遺伝子と文化との共進化を規定するまったく新しい上位概念が必要ではないか

ということである。ブログ子の考えでは、人間の本性とは何かという問題に切り込むには、かつて、物理学者、E.シュレーディンガーが

 『生命とは何か 物理的にみた生細胞』(岩波新書)

で論じたように、生命の根本をえぐるような考察が必要な気がする。シュレーディンガーはこの本の元となった講演のなかで、エントロピーの重要性を指摘しているのが参考になるかもしれない。

 人間の本性とは何か

の議論は、なにも社会生物学者や集団遺伝学者、進化生物学者だけの専売特許ではない。繰り返すようだが、

 四半世紀にわたる論争にもかかわらず、依然として重要な何かが欠けている。それは、エントロピーと情報とを統合する新しい関数概念の創出ではないか。

 より具体的に言えば、新概念を示す関数のヒントは、統合の対象となっている遺伝子も文化もともにエントロピーや情報と強く結びついているという点である。

 このように論争に中途半端さを強く感じたのは、なにも論争史を書いたのが社会科学者だったからだけではない。感情的なわだかまりに双方が埋没しているうちに、論争の内実に迫るもっと本質的で革新的な事柄の抽出作業がおろそかになった。そして、ついに論争では見出されずに終わってしまったような気がする。

 ● 蛇足的なコメント

 最近の文化の成果の中には、

 ダーウィン医学(進化から見た病気学)、ダーウィン工学(生物模倣技術)、進化心理学(=人間社会の進化生物学としての社会生物学の重要な一分野)というのも登場しているのは興味深い。

  ● 蛇足的なコメント2

  Image2283 進化心理学、あるいは認知科学の分野では、人間の本性について古くから議論されている。最新の成果についてわかりやすく書かれたものとしては、社会生物学を支持するS.ピンカー教授(ハーバード大心理学教室)の

 『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か』(NHKBooks、日本放送出版協会、2002年)

が好著である。

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「二つの文化」統合のむずかしさ  ------- 『社会生物学論争史』を読む

(2016.01.09)  日本語に翻訳された直後の10年前、かなり高いのに買った上下巻本を、このお正月の10日あまりで、ついに上巻だけを読み終えた。いつか暇になったら読もうと思っていた

 『社会生物学論争史 誰もが真理を擁護していた』(みすず書房、2005)

であるが、著者はウリカ・セーゲルストローレというフィンランド生まれの社会科学者(ハーバード大教授)。

Imgp9159 上下巻で約800ページ近くもあるものの、まあ10日もあれば当然読破できると思った。のだが、どうしてどうして、メモを取り、考えながら読み進んでいったこともあり、三部構成のうち最初の

 社会生物学論争で何があったのか (上巻)

だけだった(残り二部からなる考察は下巻)。人間の行動の基盤は遺伝子が決めるのか、それとも生まれた後の環境が決めるのかというそもそものテーマ自身が入り組んでいるということもあるが、フィンランド人の英語を日本語に翻訳するのだから、ベテラン名翻訳家の垂水雄二さんもさすがに苦悶したことだろう。それでもなお、意味がとりにくいところが多数存在し、読み違えそうになったことが幾度とあったことをここに記しておきたい。

 これが第一の感想である。第二の感想は、この大作は国際的に見ても第一級の科学社会学の成果といえるというものだった。日本における科学社会学の水準をはるかに抜く。

● 100年前のポアンカレ以来

 その上で、読後感の結論を先に言えば、20世紀半ば、C.P.スノーがいみじくも指摘したこと、つまり、

 文学的人種(文系)と純粋な科学者と応用科学者(理系)という「二つの文化」を統合することが、20世紀後半も終わりに近づいてもなお、いかにむずかしいかということを、四半世紀も延々とつづいた論争はまざまざと見せ付けてくれている

というものだった。20世紀初頭、大数学者で物理学者のアンリ・ポアンカレが、その畢生の著作『科学と方法』(1908年)のなかでロシアの文豪、レフ・トルストイの

 「科学的な真理よりも、道徳的な価値を優先するべきだ」

との趣旨に厳しく批判している論争をほうふつさせるものがあった。

 上巻を読んで思うのは、自然科学の成果と人文・社会科学との成果とがともに「科学」と呼べるものであるならば、

 必ずそれらは両立しなければならない

というものである。その意味から言えば、どちらが勝者となったのかということよりも、道徳的/政治的な価値に対して、科学の価値とは何かということも考えさせる論争だった。ポアンカレもトルストイとのやりとりから『科学の価値』(1905)において深く考察している。

 この意味で、E.O.ウイルソンやR.C.ルウォンティンなどの当事者たちの消耗戦もあり、論争は生産的であったとまではいえないだろう。しかし、第三者からみると、論争は双方ともに有益であったと判定できるのではないか。つまり、双方ともに社会との関係で何が根本的に問題なのかということについて、あらかじめ慎重に見極めることが大事であるということが具体的に理解できたからである。

 別の角度からの感想をあえて述べれば、吉川英治の長大な大長編

 『新・平家物語』(全8巻、講談社)

を読み終えたときのような感慨、

 雨降って地固まる

というものだった。論争というと、どちらが勝ったか負けたかということにとかく関心が集まりそうだが、むしろともに武士として公家に代わる武家政権の確立に貢献した。今の場合でも論争における「二つの文化」統合は、ともに科学者であるとの共通認識のもとに真摯な研究をすすめれば、困難はあるが可能だと思う。つまり、強姦、ないし反目ではなく、互いに尊敬しあえる結婚は、科学論争である限りはできる。 

 以上は中間報告だが、以下、下巻読了後の総括に向けた備忘録をメモ風に書き留めておく。

 (なお、この著作の章ごとの詳しい書評については、分子生物学的系統分類学者の三中信宏氏(みなかのぶひろ)がネット上に公開している。これまた長大だが、必読の批評である。2005年4月4日閲覧)

 ● 備忘録メモ

 ・ ノーベル医学・生理学賞(1973年)を受賞したN.ティンバーゲンは、名著『本能の研究』で、

 動物の行動の科学的研究(エソロジー)においては、次の4つの「なぜ」に同時にこたえることが重要である

と語っている。

 まず、行動の直接的な要因。

 ①(行動の仕組み)

  ある動機(解発刺激)がきっかけとなってある行動が引き起こされるその生理的、心理的、社会的なメカニズムとは具体的にどのようなものか。これは生物種ごとの脳の構造とその機能の解明を意味する。

 ②(行動の発達)

  その行動は、個体の一生において、どのように習得され、発達するか。

 次に、行動の進化的な要因。

 ③(行動の価値)

  その行動は、環境との関係において、どのように適応的か。つまり、その行動の進化的な機能は何か。

 ④(行動の進化)

  その行動は、系統的進化の過程において、どのように祖先型の行動から出現したか。

 ティンバーゲンは1950年代、動物行動学の切り口をこの4つに整理した。昆虫の本能の観察に没頭したファーブルは①と②に関心があり、進化論にたどり着いたダーウィンは③と④の要因研究に生涯を捧げた。

 ティンバーゲンは、動物行動学の目標は、この4つの要因に同時にこたえることだと主張したのである。

  なお、集団遺伝学の泰斗、マイヤー(1961)は、国際会議でネオダーウィニズムの学問を

 機能生物学(物理・化学的な因果性を追究。①と②)

 進化生物学(集団遺伝学など自然選択理論に基づく適応の因果性の追及。③と④)

とに二分することを提案し、ほぼ広く受け入れられた(生態学の伝統が長い日本では、ナチュラリストを中心に後者は進化生態学と呼ばれている)。

 ・ そして、1970年代のアメリカ。

 1975年に『社会生物学 新しい(知の)統合』を世に問い、人間の本性とは何かという挑戦的なテーマに還元主義の下に挑んだ。人間の文化や行動の生物学的な基盤は遺伝的な変異(遺伝子)であるという仮説の提示である。遺伝子が文化の引き綱になっているという数学モデルも提示している。その遺伝子は利己主義的な振る舞いではなく、利他的な適応主義を掲げ、包括適応度という数学モデル(ハミルトン論文、1965年)を援用しているなど、きわめて数学的な、定量的な仮説になっている。

 しかし、この生物学的な仮説(遺伝子決定論)の考え方は、素人である大衆には現在の世界は考えうる中で最善のものであり、不平等、人種差別、性差別は当然であり、自然であり、結局、解釈次第では不可避的に人間のなかに組み込まれている遺伝子のせいであると簡単に結び付けられる、あるいはそう映る。だから、生まれた後の環境要因決定主義者から「われわれは遺伝子の中にはいない」として猛反発を招く。仕掛けられた大論争の始まりである。

 科学の真理と道徳的/政治的な価値の関係をめぐって

 遺伝子が人間の文化や行動の引き綱になっている

            Vs

  われわれは遺伝子の中にはいない

の対決が、70年代は比較的に科学論争を基調に、80年代は道徳的/政治的な論争を基調に、そして、90年代には、サイエンス・ウォーズなど、拡散含みの様相に変化しながら、アメリカ、続いてイギリスで激突した。

 ・ 1970年代のアメリカでこうした論争が起きた原因として、一つは1953年のDNA構造の発見によってその後1960年代アメリカで、遺伝子の構造や機能の理解が分子レベルで急速に高まったこと、およびアメリカで当時も今も根強い人種差別に対する批判、たとえば黒人公民権運動など社会的/政治的な高まりが挙げられるだろう。

 ・ 残念なのは、こうした論争に日本の進化生物学界、科学社会学界がほとんど関与しなかったこと。日本の学問は明治期以来、完成整備されたものを輸入する方式で成り立っており、学問の根本を論争するという基盤ないし気風がそもそも根付いていなかったことが大きいだろう。

 さらに、その学問内部における背景についても、いずれ、たとえば

 講座進化第二巻 進化思想と社会(岸由二)

などで検討してみたい(東京大学出版会、1991年)。同時代に生きた生物学者、今西錦司氏の独自進化論との関係も興味深い。

 ● 1980年代前半、突然〝開国〟

  ・ なぜ、日本にはこうした学問論争がなかったのかについて、進化生態学者の岸由二氏は、上記論考、

 現代日本の生態学における進化理解の転換史

で次のように〝断罪〟している。

 「戦後の日本の生態学界およびその周辺には、(ソ連の生物学界を断続的な大論争に巻き込んだルイセンコの遺伝・進化理論の強い影響を受けたこと以外に)もうひとつの、きわめて顕著な反ダーウィニズムの動向があった。いわゆる今西進化論と呼ばれる論説で、これもまた、日本の生態学界をネオダーウィニズムにそう進化生態学の動向から厳しく隔絶させるうえで、大きな影響力を示したものである」

と書いている。具体的には、今西錦司氏が定年直前に本格的に反ダーウィニズムを宣言した論文

 「進化の理論について- 正統的進化論に対する疑義」(京都大学「人文学報」第20巻(1964))

を挙げ、停滞させた主犯の今西氏をはじめ、弟子たち京都学派を批判している。おもしろいのは、岸氏は

 「しかし、日本の生態学界はなぜこの時点(1980年代前半)で、しかも京都大学を拠点として、進化生態学に、そしてネオダーウィニズムに開国する方向を選んだのだろうか」

と鋭く切り込んでいることだ。開国の具体的な動きとして、国の予算的な主導の下で、しかも京都学派中心の大型プロジェクト

 特定研究「生物の適応戦略と社会構造」(1982-85年)である。

 この突然の開国について、当時活発に進行中の社会生物学論争など進化生態学(の世界的な)流行のインパクト、国内研究者の世代交替の開始、今西進化論という対抗的進化理解の無力の自覚、ルイセンコ学説など「脱イデオロギー化」の四つを、岸氏は開国要因として挙げている。

 わかりやすく言えば、日本生態学界のそれまでの主導権と権威が失墜するという危機感が京都学派を、国主導の特定研究という開国に走らせたというわけだ。岸氏は、幕末から明治維新において、イデオロギーにとらわれて黒船打ち払いを叫んでいた尊皇攘夷派が、明治維新とともに一気に(現実に目覚め)開国に走ったのと同じ現象であると京都学派を痛烈に揶揄している。

 さらに、岸氏は、この時点で日本ではなんら論争がなかったことについては、(ネオ・ダーウィニズムを混乱なく早急に日本に輸入するという点では)むしろ喜ばしいことだったと回想している。京都学派への痛棒であり、同時代を苦々しい思いで歩んできた同業人ならではの見方として真実味があっておもしろい。

 ・ 日本に、日本動物行動学会が京都学派を中心に設立されるのは、特定研究がスタートする同じ年、1982年であることも注目される。さらに、

 「不幸」にしてこれまで「広い視野で進化を論じる学会」がなかったとした上で、「生物科学全体の正常な発展を望み、」「生物の進化と多様性の解明」に向け

 日本進化学会

が設立されたのは、今西錦司氏がなくなって7年後のようやく1999年10月だった(カッコ内は設立趣旨からの引用)。今西氏が本格的に反ダーウィニズム宣言をしてから35年後であり、戦後間もないころいち早くできた日本生態学会(1953年)からでは46年、半世紀近くも後だったことは忘れるべきではないだろう。

 なお言えば、正統な進化の総合説として「ネオ・ダーウィニズム宣言」が国際的に行われたのは、1947年のプリンストン大での国際会議だった。日本進化学会が設立されたのはそれからまさに50年以上たってからであり、この半世紀の出遅れは今も解消していないと言えるだろう。

 なお、現在では日本進化学会の関連学会として、このほか、

 日本遺伝学会、日本分子生物学会、日本人間行動進化学会

などがある。

 これに関し、ブログ子の意見を述べると、日本人の学問観には、明治以来

 学問の大枠は海外から完成した形で輸入するものである

という考え方が根強い。基礎よりも経済活動につながる成果を手っ取り早く手に入れる方法論である。しかし、これに対し今西氏の独自進化論はこれに大いに異論を唱えたものであり、その点については正しく評価しなければならないと思う。

 今西に誤りがあったとすれば、それは自らの学説に自信を持つあまり、謙虚に海外研究に正当に耳を傾けなかった意固地さにあったといえよう。文化勲章受章者として、また生態学の日本の指導者として器量に欠けた晩年だったと言ったら言いすぎだろうか。

  ・ 岸氏の論考と並んでおもしろいのは、

 正統的な進化論について、日本語で読める唯一の現代進化論入門書(研究者用あるいは大学院生用)としては、

 D.J.フツイマ『進化生物学 原書第2版 』(岸由二ほか訳、蒼樹書房、1991年)

が初めてだという事実。原書の初版(1979年)、第2版(1986年)は、1980年代、世界の標準的な進化生物学の教科書として定着していた。それが1990年代に入って、原著だけでなく、ようやく日本語でも読めるようになったことは、正統派の現代進化生物学の日本における受容が1990年代に入って堰を切ったように加速度的に、そして広く一般にも浸透し始めたことを意味する象徴的な出来事といえる。日本進化学会の設立(1999年)もこうした動きを背景にしたものと理解できる。

 ● 自然哲学者として

  ・ 最近、弟子として、あるいはジャーナリストとして身近で今西学問を見つめてきた斎藤清明氏による評伝

 『今西錦司伝 「すみわけ」から自然学へ』(ミネルウ゛ァ書房、2014)

が出版された。斎藤氏は、評伝を締めくくって、

 「今西の進化論は、自然学という自然観に昇華していったのだとおもう。進化の要因を考えないという今西だが、それでは(科学的な)セオリー・メーカーとして、十分に応えたことにはならないのだが、(部分ではなく全体自然を理解しようとする哲学的な)自然観ということになれば、それはそれでいいのではないだろうか」

と書いている(かっこ内はブログ子の補い)。斎藤氏は「まるごとの生きた自然を相手にせよ、と」今西氏は訴えているとも解説している。

 要するに、晩年の今西氏は

 もはや科学者でも生態学者でもなくなっていた

ということである。あえて言えば、

 分析的な自然科学のあり方の根底を問う全体論的な自然哲学者

となっていた。今西氏の戒名の最初が「自然院」となっているのは、その証拠だろう。とすれば、ブログ子が、科学者として晩年の意固地さを指摘したのは筋違いということになる。

 最後に、ブログ子の手元にあるそんな今西氏の一般書を年代順に掲載しておく。

 『生物の世界』(1941年)

  『私の進化論』(1970年)

  『ダーウィン論』(1977年)

  『主体性の進化論』(1980年)

  『進化論も進化する』(1984年)

  『自然学の提唱』(1984年)

 最初の『生物の世界』の解説を後に書いた上山春平氏(京大名誉教授)は、独自の思索と体験をふまえ、この本によって

 「今西さんは、哲学から生物学への道をつけた」

と述べている。この本を著してから50年。最後は生物学者から再び、哲学者に戻っていった生涯、それが今西氏の歩んだ道だったといえそうだ。

 今西氏は科学者ではなく、終始、山登りの好きな哲学者であり続けたということが、日本の生物進化の理解において、あるいは不幸だったかもしれない。

  ・ 適応主義のネオ・ダーウィニズムVs適応主義は要らないとする今西進化論の対決は、

 ネオ・ダーウィニズムのドーキンスVs多元主義のグールドの構図であるともいえる。社会生物学論争の一変形、あるいは日本版なのだ。

 ドーキンスが擁護する適応主義は観察を実地に数学モデルで厳格に検証するための適応仮説なのだ。この仮説でどうしても説明できないような、あるいはどんなモデルでも説明できない観察があれば、その時はそれも包含するような新たな仮説を設けるというヒューリスティックな科学方法論のひとつである。これ以外にどんな科学的な方法があるのかというわけだ。これに対し、グールドは、現状こそ最適だというパングロス主義的な適応主義は検証不能な、トートロジーに陥る「なぜなぜ物語」になってしまう方法論だと、その非科学性を批判する。

 全体論的な今西進化論は仮説検証型ではないので、検証が不可能なのだ。哲学論争ならばともかく、これでは研究が前にはすすまない。「種は変わるべくして変わる」というのでは科学ではない。ここに多元主義のグールド同様の科学方法論としては致命的な欠陥があった。

 社会生物学論争では、もうひとつ、

 自然界はどうなっているかということを突き止めるための仮説をめぐる議論

と 

 その仮説が道徳的/政治的に許されるかどうかという価値をめぐる議論

とが、互いに錯綜し、かつ誤解したまま激突した。この二つの議論は別の話であり、一つにまとまることはない。日本には人種差別の問題がほとんど社会問題にならないこともあり、今西批判では科学論争だけに限定され、このややこしい誤解論争がなかったことは、幸運だったろう。別の言い方をすれば輸入学問であることが幸いしたともいえる。

  ● 下巻へのメモ

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広い宇宙で今後も人類は生き残っているか ---- その生物学的考察

(2016.01.08) 図書館に行ったついでに、おもしろそうな

 『広い宇宙で人類が生き残っていないかもしれない物理学の理由』

という長いタイトルの本を借りて、読んでみた(C.アドラーの近著。青土社、2014)。タイトルが長いので読んでみたというだけなのだが、

 「人類がこれから100年生き延びる保証はない」、氷河期が約15000年前に後退し

 「安定した人類社会が成り立ったのは農業が発明されたことによる」、さらに

 「人類が数千年後までには確実にやってくる次の氷河期を生き延びられるかどうか、そこにははかりしれないものがあり、まったくわからない」

と書いていて感心した。その通りだろう。そこで、物理学者の著者は、物理学の知識を駆使して、どのくらい生き延びられるのかということをあれこれ計算している。

 しかし、ブログ子も物理学を専門的に学んだのだが、今ひとつピンと来なかった。その計算には過去の生物学的な事実に基づいたリアリティ感がなく、説得力に欠けていた。過去の歴史とは無関係なただの計算なのだ。

 そこで、もう少し、なるほどと思われるような生物学的な考察に立脚した計算をしてみた。

 結果はこうだった。

 おめでたいお正月に言うのも何だが、結論を先に言えば、

 まもなく、早ければ30年後には人類はもう生き残っていないかもしれない

という意外なものだった。温暖化の進行がなくても、核戦争がなくても、である。もちろん、北朝鮮の水爆実験がなくてもである。30年後といえば、ブログ子がまだぎりぎり生きている可能性があるのだが、どういうことか、こうだ。

 ● ホモ属の寿命は尽きかけている

 それには、まず計算の前提となる、考えている人類の定義を確認する必要がある。何をもって人類としているのかという問題である。

 広い意味で人類というのは、人類学では

 ヒト(科)

をさす。つまり、尾っぽのない類人猿(チンパンジーなど)から800万年から800万年前に分かれた

 アルディピテクス(属)、そこから400万年前に枝分かれしたアウストラロピテクス(属)の猿人と、それら猿人から約250万年前に枝分かれした大きな脳と二足歩行の

 私たちホモ(属)

である。人類とは、広い意味では猿人も含めてこの合計3属なのだが、通常は、猿人を除いた狭い意味のホモ属のみをさす。これまでこのホモ属は枝分かれして250万年たつのだが、この間におよそ15の「種」を枝分かれしながら生みだした。このうち現在の生き残っているのは

 わたしたち現生人類、つまりホモ・サピエンス種のたった1種のみ

である。あとはすべて絶滅した化石人類。たとえばこの中には、北京原人などのホモ・ハビリス種、ネアンデルタール人などのホモ・エレクトス種が含まれる。

 ここからわかるのは、

 800万年から600万年の間に、(広い意味の)人類3属を生みだした。狭い意味の人類ホモ属は、分岐から250万年で15種の種を生みだした

ということである。

 ここで忘れてならないのは、広い意味の人類のうち猿人の2属はすでに絶滅しており、狭い意味の人類である残ったホモ属もわたしたちホモ・サピエンス種という1種類以外はすべて絶滅しているという事実である。

 要約すると、広い意味の人類であろうが、狭い意味の人類であろうが、そのいずれであっても、人類というヒト(科)のなかで生き残っているのは

 ホモ・サピエンスという1種類の種しかいない

という事実である。わたしたち現生人類のホモ・サピエンスが絶滅するとき、それは単なる1種が絶滅するときではなく、まさに人類という800万年から600万年の連綿とした歴史を持つヒト(科)全体が絶滅するときなのである。ヒト(上科)で残るのは類人猿という科しか残らない。それはチンパンジーの天下を意味する。

 ところがで、ある。

 大雑把で単純計算すれば、人類の出現前後の進化段階では

 属の寿命は、平均約250万年

 種の寿命は、平均約17万年

である。この属の平均寿命は、さまざまな人類考古学的な発掘調査から

 ホモ属が登場した200万年前

と、誤差の範囲内でほぼ一致する。この一致はホモ属の寿命は終わりを迎えていることを示唆する。

 しかも、そのホモ属の最後にあたるホモサピエンスが登場したのは、人類考古学の調査からアフリカ東部で、時期は約20万年前と推定されている。

 ということは、ある程度の誤差を考えると、ホモ・サピエンスの種としての寿命も過去の生物学的な考察からはそろそろ寿命を迎えていることになる。

 これまでホモ・サピエンスは親から子へ約6000世代をへているが、

 そろそろ新しいポスト・ヒューマン=新人類誕生に向けて分岐する

段階にあるといえるかもしれない。

 ただ、ここで注意すべきことは、この段階移行は単なるホモ属の中の新種誕生ではないという点である。なぜなら、人類の枠、ホモ属も同時に寿命を迎えているからである。ホモ属にはもはや新種を生み出す生物的な力はない、行き止まりの状況にあるのかもしれないからだ。

 つまり、ポスト人類があるとすれば、それは生物学的な進化ではないということを意味する。

 それはどういうことか。遺伝子を伴う生物学的な進化は、人類絶滅後、類人猿(科)が引き続き、担っていく。しかし、人間(ホモサピエンス種)を含めた人類は、これまでのような遺伝子の進化とは別の特異な進化を遂げていかざるを得ないことになる。

 それは何か。それは技術という文化による進化である。

 そして、それはいつか、そしてそれはどのような形でかということになる。

 ● ポスト・ヒューマンという新種の登場 

 これについては、このブログでも紹介したが、『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版、2007年。原著2005年)のレイ・カーツワイルによると

 2040年代に人類は特異点に到達し、これまでのようなゆっくりとした遺伝子変異を伴わないで、

 生物的人間という種が、非生物学的に急速に進化

し、脱人間化するというもの。これは人類が遺伝子工学、知能ロボット工学、バイオ技術という文化を爆発的に発展させた結果だというのが彼の結論。わかりやすく言えば、シュワルツネッガー主演の最新映画

 「ターミネーター 再起動」

である。「人間でもない。(高度な人工知能の)機械でもない。それ以上だ」の世界を垣間見せてくれる。 

 それはともかく、これが起きるとすれば、ブログ子や同い年のカーツワイル氏が生きているかもしれない時の出来事である。果たしてそうなるのかどうか、この目で確かめたい気もする。

 なお、このほか、最近の話題の書として

 この論考の再論という性格のある

 『人工知能 人類最悪にして最後の発明』(J.バラット、ダイヤモンド社、2015年)

というのも面白い。テレビ番組のフリー・プロデューサーの著作だが、こちらも地球の未来は明るくないと結論付けている。

 もうひとつ、未来は明るくない説の本として、

 2093年、世界は終わるというキャッチコピーの

 『こうして世界は終わる』(ナオミ・オレスケス/E.コンウェイ、ダイヤモンド社、2015年)

というのがある。カーツワイル書とは対照的に、感染症の爆発的な広がり、熱波、海面上昇、人口大移動、資本の集中、市場の失敗など人為的な原因で、

 人類は「崩壊」する

というもの。社会学的な考察というわけだが、300年後の未来からの警告という視点ではあるものの、内容的にはごく平凡な仮説。それとても崩壊は今から80年後。つまり、著者たち二人ともが死亡した後間もないころにやってくるとしている点で無責任というか、おちゃらけでケッサク。こんな本に1400円も出して読もうという人がいるとはとても思えない。

 ● 余談的な補遺

 話がだいぶ横道にそれたが、元に戻して、これまでの生物学の研究によると、地球誕生以来、この地球に登場した

  生物「種」の99.9%

は絶滅している。今生き残っている種、ホモ・サピエンスも含めておおよそ1000万種だが、それは地球上にかつて存在した種の0.1%にすぎない。その幸運のホモサピエンスもついに、生物学的には行き止まりの絶滅の状況にあるということかもしれない。あとは生物進化に頼らない技術という文化に頼る、そして地球上で初めてのまったく新しい急速な進化かもしれない。

 進化のメカニズムが違うとは言え、そうして生まれた新種を人類と定義するのかどうか、そもそも生物と認めるのかどうか、それはまた別の話だろう。こう考えると、カーツワイル氏の話をまったくの荒唐無稽だとは言えない。生物か非生物かは別にしてむしろ進化論的にはもっともらしいリアリティがある。

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風が吹けば桶屋が儲かる「温暖化」の怪

Image2245_2 (2015.11.20) この複雑な人間社会では「事実は小説よりも奇なり」というのは珍しくない。しかし、

 事実は科学理論よりも奇なり

という事例に久しぶりに出合った。2015年11月11日付中日新聞

 南極の氷、この20年増え続けていた NASA

という特集記事である(写真右)。温暖化が進むとかえって南極の氷が増えていく。どう理解すればいいのかという「ニュースの追跡」特集である。

 なぜ、この時期にこの事実をアメリカのNASAは公表したのだろうか。

 以下、これについて考察してみたい。

 ● 記者はなぜ混乱したか

 記事を書いたのは沢田千秋記者。いろいろなことを整理せずに書いたので、締めくくりは

 「南極の氷の増加は、地球温暖化の否定ではなく、むしろ、その現象の一環と捉えることもできそうだ」

となっていて、何を言いたいのか、まったく意味不明な解説に終わってしまっていた。消化不良であることが明白で、失礼だが、つい笑ってしまった。

 しかし、これは無理もない話であり、記者が混乱してしまったのももっともなのだ。

 要するに、温暖化現象というのは、風が吹けば桶屋が儲かるというたとえがあるように、

 非線形現象

なのだ。通常の線形理論では温暖化現象を取り扱えない。原因と結果とを明白に分離できない。原因と結果が強くカップリングしている非線形問題なのだ。

 それを学校で習う線形問題として理解しようとしているところに記者の混乱の原因になっている。

 そして、このところにこそ政治が 入り込む余地があるのだ。

 ● 今月末、パリでCOP21開幕

 そんな「南極氷の怪」記事が出ているなか、今月末にパリで開幕する

 温暖化COP21

についての記事も出ている。各国が約束した排出計画について「5年ごとに目標検証」などが話し合われるという。またIAEも

 2030年までに必要な対策費試算額は1660兆円

とも公表している。今各国が排出ガス削減計画を完全に実施したとしても

 今世紀末の世界の年間平均気温は今よりも2.7度も上昇する恐れがある

と予測、その危機的な状況を警告している。

 ● データ公表NASAの政治的意図

 だが、各国の対策は、そんなことはどこ吹く風なのだ。

 現在(2012年)、全世界の排出ガスの26%と、世界一の二酸化炭素排出量の中国は、これからもどんどん排出量を増やすが経済成長率の勢いよりは半分くらいにセーブすると〝削減〟計画を提出している。世界第二のGDPを誇る中国はこの温暖化会議では開発途上国として野放し状態になっている。

 排出量世界第二位(16%)のアメリカにいたっては、この会議締約国から10数年前に離脱したまま(2001年)。しばられたくないので復帰の目途は今も立っていないから、事実上、野放し状態。言ってみれば、アメリカは会議に真剣さがなく、投げやりなのだ。

 この二カ国でなんと全体の4割も占めている。野放し4割のなかでの会議というのでは、対策が果たして実効性が伴うのかどうかというそもそもの根本問題すらある。だからといってあまり中国を批判すると、離脱しかねないのでほかの国も歯切れが悪い。

 これに対し、日本は会議に提出している削減目標案として

 2030年までに2013年に比べて26%減らす

と約束している。EU28カ国は11.0%であることを考えると、いかにも日本は気前がいい。

 そこへもってきて、ホスト国のフランスは同時多発テロで大騒ぎ。

 うろんな温暖化対策に、今うつつを抜かしている暇はないだろう。

 現在行われている準備会合ですら交渉が難航している。こんな状況では本番の会議でも進展はない。これがブログ子の予測。年中行事として今後も惰性の会合が当分続くだろう。

 だって、

 「南極の氷が増えているというじゃないか。進展なんて必要ない」

 これが、アメリカのNASAがこの時期をとらえて、南極の氷について都合のよいデータをタイミングよく公表した理由だろう。

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歴史の上を歩く  - 『廃線紀行』

Imgp8528_2 (2015.10.18)  ブログ子は、地方紙の論説委員を長くしていたこともあって、ときどきEテレの「視点・論点」というのを拝見している。

 その道の専門家だけあって、ブログ子などが気づかない視点や論点を提示し、なるほどと感心させられることが多い。わずか10分間で話をするというのも、むずかしいはずなのにやすやすとこなしている人も多いのにおどろく。

 そんななか、先日は、肩のこらない

 廃線探訪の魅力

と題して、ノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子さんが話していた。梯さんといえば、たしか映画にもなった

 『散るぞ悲しき硫黄島総指揮官栗林忠道』

の話題作で知られる。番組では近著『廃線紀行 もう一つの鉄道旅』(中公新書)を紹介していた。

 タイトルに出ている魅力とは

 絶景廃線ともいえる風景に出合えることと、レールが敷かれた歴史の上を直接歩くことができること

だという。歩く鉄道紀行だというわけだが、今も営業中でレールが使われている状態では、そんなことは文字通りにはできない。廃線ならその歴史の上をたどることができる。これが魅力なのだという。

 その魅力に惹かれたわけでもないが、著書に取り上げられた50選のうち、ブログ子が暮らす静岡県の廃線、

 国鉄清水港線(廃線区間8キロ)

に目がいった。絶景廃線とまではいえないが、この廃線は、清水港を取り囲むように、今の清水駅から清水港駅跡、そし美保駅跡まで。

 物流の担い手が1960年代後半から70年代に鉄道からトラックに大きく変化した直後の1984年廃止という点に、ブログ子はしみじみとした感慨を持った。

 加えて今のJR貨物会社の巨額負債を抱えた赤字経営の淵源を知ったようで、歴史というものの残酷さもこの著作で味わったように思った。 

 その意味で、この新書はほかの鉄道物にはない、レベルの高い著作だと感じた。

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〝正直者〟ワトソンの反論 『二重らせん 完全版』 

Image2239 (2015.10.10) その内容もさることながら、その書き方にとかく批判の多かった、あるいは専門家の間でも話題になったDNA構造の発見者の一人、J.ワトソンの

 『二重らせん』(原著1968年。江上不二夫/中村桂子訳、講談社)

について、45年ぶりの改訂版

 『二重螺旋 完全版』(原著2012年。青木薫訳、新潮社)

が出たというので、最近読んでみた。

 生命の設計図とまで言われるDNAの構造の解明に向けた激しい先陣争いの末、英科学誌「ネイチャー」1953年4月25日号( 写真 )に一番乗りで掲載されるまでの迫真のというべきか、あけすけな内幕というべきか、その内情をドキュメンタリー風に〝正直者〟、ワトソンの視点から書きつづったものとされている著作である。

 とはいえ、先陣争いをめぐる言い分をそのまま信じる関係者は少ない。激怒するものも少なくなかったという。

 今回の新著は、完全版と銘打っているが、失ってしまったとされていた50年前のさまざまなやり取りの手紙が、大量に発見されたことを受け、それらをできるだけ盛り込んだものになっている。

 旧著よりも新著のほうが一層事情や背景が複雑で錯綜したものになっているが、一読したブログ子の感想を一言で言えば、

 旧著に対してはさまざまな批判や非難がなされてきた。しかし、それらはお門違い

ということを新著は言いたかったのではないか

というものだった。

 つまり、いかに正確かつ慎重に当時の事実に基づいて旧著が書かれたかということを最近発見された新資料で、そして親しい研究仲間とはいえ第三者の目と分析を通じて証明しておきたいという狙いがこのワトソン氏( 写真下 )の新著にはあった。

 いわば、批判に対する45年ぶりの反論の書なのだ。

 新著のミソは、旧著はワトソンの単著なのに対し、新著は2人の第三者による分析が中心であることだ。主張の信憑性を高めたいという思惑からか、ワトソン氏自身が反論の表舞台には登場してこない。

 別の言い方をすれば、濡れ衣を晴らすためには、最近発見された当時の手紙類という事実をして語らせるのが一番という戦術である。

 いかにも、科学者らしいフェアで、合理的な精神のようにも思える。

 ● 非啓蒙的な科学ノンフィクション

 しかし、注意すべきは、ワトソン氏が現在存命であるという点。

 論旨にあう都合のいい手紙だけを引用したりするなど恣意的に情報を操作していることも十分考えられる。都合の悪いやりとりのデータは出さない。

 つまり、発見された手紙を公正に利用しているかどうかが問題。翻訳者にはこのことはわからない。知っているのは正直者、ワトソンだけというわけだ。

 _j79280294_50814900 そもそも当時、ワトソンは20代前半で、まだ学位を取得したばかり。うがった見方をすれば、そんな若き野心家がたとえば、科学者としてある種の逸脱行為をしたとしても、なんら不思議ではない。むしろ自然なことであり、研究社会にかぎらず青春というのはそういう残酷さがつきまとうものである。

 先陣争いの物語の真実、たとえば最後の最後、DNAの元となる核酸の分子構造は基本的に二重らせんであるとワトソンが理解したのは、あるいは気づかせたのは何だったのかという真実は、出るとしてもやはりワトソンの死後のことだろう。ひょっとすると、それはこれからも謎のままになるかもしれない。むしろ新著によって、ますますその可能性が強くなったと感じた。

 しかし、情報交換がホットに行われる最先端の科学者たちの研究現場は単純ではなく、もともとそういうものだともいえよう。国によってその研究スタイルも異なるという事情もことをさらに複雑にしている。

 ただ、はっきりしているのは、論文という形で明確に先陣を果たしたのはJ.D.ワトソンたちだったということ。発見にたどり着くまでに何があったかその如何にかかわらず、これは厳然たる事実であり、動かない。

 そんな冷酷な感想をブログ子は持った。

 と同時に、完全版と称する、あるいは詳細な注釈と絵入り「二重らせん」と原著タイトルとして銘打った新著。それ自体が、駆け引きや出し抜きなど科学的な発見の人間臭い一面、そして将棋で言えばなによりもスピードが決め手になる終盤の寄せのようなダイナミックな一面を見事に描いてくれていると強く感じた。

 その意味で、新著は啓蒙書とは程遠い、いい意味でも悪い意味でも、

 人間の顔をした科学ノンフィクション

といえば、いえるだろう。啓蒙書とはほど遠いところから、科学の何たるか、その本当の姿がみえてくる気がする。

 ただ、それが名著とまで評価が高まるのかどうか。それがわかるのは、ワトソン氏、87歳の死後、しばらくたってからのことだろう。

 以上が、〝正直者〟、ブログ子の言いたいことである。 

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猛暑中、団塊世代が『1Q84』を読む

Image2206 (2015.08.12)  人にすすめられたことも理由だが、猛暑の中、ひまをもてあまし、村上春樹氏の長編

 『1Q84』(全3巻、2009-2010年、新潮社)

をこの2週間で読み終えた。春樹氏もブログ子も60代半ば、いわゆる団塊世代であり、春樹氏のほうが1つ若い。

 ● おもしろいが空疎

 5、6年も前のベストセラーを読んだ感想を一言で言えば

 いかにもノンポリの団塊世代が書きそうな小説

というものだった。セックス場面が多用されているなどおもしろい。二人の主人公、青豆(あおまめ)も天吾も、ともに団塊世代よりやや若いという設定もおもしろい。

 もっと、おもしろさを言えば

 「セックス+異次元的な別の社会+ホラー」SF

の趣向もそうだ。おもしろさがテンコ盛りなのだ。

 がしかし、というべきか、だからこそ空疎な作品とも言えるだろう。語り掛けたいテーマが定まっていない証拠だろう。

 というのは、おそらく、まずタイトルを先に思いついた。その後に書きながらおもしろい内容を詰め込んでいったことが、ありありと想像できたからだ。ジョージ・オーエルの『1984』にヒントを得て、異次元的な謎の1984年、つまり「1Q84」の世界を書けばおもしろいと、そのタイトルに春樹氏自身がほれ込んでしまった。先に書きたいテーマがあったわけではない。そこで、成り行きで、1970年代の連合赤軍「あさま山荘」事件やら1990年代のオウム真理教の一連の事件やらをヒントに書き進めている。のがいかにも団塊世代らしい。

 ● ノーベル文学賞なんかとても無理

 この小説を読もうと思ったのは、暑さ忘れにいいかもしれないと思ったこともあるのだが、もうひとつ、知人のもうすぐ後期高齢者仲間に入る国語の元高校教諭が、まじめに

 おもしろい。ノーベル賞ものだよ

と強く勧めてくれたからだ。老人がおもしろいというのだから、よほどしっかりしたものなのだろうと早合点した。

 春樹氏は、あるロングインタビューで、この小説について、

 「『1Q84』は僕がやりたいことの本流だし、内容にも手ごたえもあった」

と語っている(第三巻のBook3を発売した直後、2010年夏のインタビュー)。それではと、今回、思い切って読んでみたのだ。

 ノーベル賞の選考基準は、これまでの傾向から

 理想主義的なリアリズム

であり、そんな作品に対し与えられる。川端康成も大江健三郎も文学賞を受賞できたのもこの基準に沿った作品群だったからだろう。それは間違いない。

 しかし、この作品もそうだが、もともと春樹氏の作風にリアリズムなどはない。のは本人自身が認めていることであり、ファンや読者もそう受け取っている。また、およそ理想主義とは無縁である。むしろ倫理観の欠如した作品が目立つ。そもそも団塊世代の書き手に倫理観のある小説を求めること自体、ないものねだりのむちゃな要求であるのは、ブログ子もよく承知している。

 ● 再帰性に新味

 それでは、新味とか独創性とかいうものはないのかというとそうではない。オリジナリティは確かにある。

 たとえば、この小説の構造は

 小説Aの中に登場する小説Bは、もとの小説Aにつながっている

という、いわゆる入れ子になっている。具体的にいえば、

 『1Q84』の中に出てくる小説『空気さなぎ』はもとの小説『1Q84』につながっている

という趣向である。

 コンピュータープログラムで言えば、

 再帰性(リカーシブル)プログラム

の構造になってる。こういう構造はエンドレスになる危険があり、コンピュータープログラミング上は「異常終了」という危険が発生するばあいがある。つまり、コンピューターを正常終了させるのがなかなかむずかしい。

  Book1とBook2はこういう構造でこしらえてある。この再帰性作品のせいで、

 「原因と結果が錯綜している」(単行本Book2のp495)

というか、現実の出来事にはある因果性が逆転している。そこがおもしろい。春樹氏もこのことに気づいた。別の言い方をすれば、

 現実とフィクションが入り混じっているような感覚

を生み出している。再帰性小説の「異常終了」のおもしろさだろう。

 この点で、SF小説としては春樹氏のこの作品にはオリジナリティがあると思う。しかし、ここにはもちろん、当然だがリアリズムなどというものはない。ただ、文系の春樹氏がどこからこのアイデアを思いついたのか、ちょっと感心した。

 ● 楽屋裏小説、Book3で破たん

 ところが、案の定、再帰性の終わり方の難しさで、最後のBoo3は、どうでもいい種明かしの

 補遺(ほい)小説

に堕してしまっているのは残念。Book1とBook2を補強する、あるいはほころびをとりつくろうだけの楽屋裏小説になってしまっている。

 つまり、もともとの普通の『1984』になってしまった。

 この最初の2巻と第3巻の間の破たん、あるいは違和感がなぜ生じたのか。

 想像するに、Book1とBook2が予想をかなり上回って、発売からわずか2、3週間で大ベストセラーになった。このため、急遽、出版社側が春樹氏に泣き付いて、なんでもいいから続編を一刻もはやく書いてくれと頼んだのだろう。あわてた春樹氏もなんとかまとめようとしたのだが、再帰性の終わり方のむずかしさにへとへとになってしまったと想像する。

 この切羽詰った安易な楽屋裏小説という、いわば蛇足で、作品全体の文学性は大きく損なわれてしまった。出版ビジネスとしてはともかく、文学作品としてはこれは、大きな失敗、ないしは破たんだろう。

 大江健三郎さんがノーベル賞を受賞して20年。もう、そろそろ日本人にノーベル賞の順番がまわってくるころという話もある。

 が、とても、そんなレベルではない。

 おもしろいということで受賞できるというのであれば、漫画家の松本零士さんの

 宇宙戦艦ヤマト

が先に受賞することは確実だと思う。リアリズムはともかく理想主義を貫いているからだ。

 そんなこんなで、たまには現代小説を読むのも、避暑にいいだけではなく、いろいろと勉強にもなる。

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