映画・テレビ

羽生名人、世界の人工知能開発現場をゆく - ポスト・ヒューマンへの想像力

(2016.05.16)  きのうの日曜夜、NHKテレビで、将棋の羽生善治名人が

 世界の人工知能開発の現場をゆく

05_16_0_2 という内容の番組を拝見した。羽生さんは、人間にしかできないこととは何かということ考え続けているせいか、人工知能にことのほか興味を持っているという。その結論として、人間にできる、いわば最後の砦は

 臨機応変

ではないかとも、最近語っている。確かに、あらかじめプログラムしたことしかできないというのがロボットや人工知能AIだとするならば、そうかもしれない。

 しかし、ブログ子はその臨機応変も人間の独壇場ではないのではないかと考えている。人工知能にもいずれできるようになる。

 ただ、今のところ、たとえば囲碁では盤面情報だけが認識できる入力情報であるので、臨機応変といっても、限界がある。これに対し、人間は盤面の視覚情報だけを頼りに勝負しているわけではない。体調はもちろん、周りからの情動的な超知覚情報も取り入れ、臨機応変に判断している。つまり、身体知をフルに活用している。

 ● AI「アルファ碁」の衝撃

 さて、最近、囲碁の世界チャンピョン棋士に人工知能「アルファ碁」が圧勝した。番組では羽生さんはその開発を行ったグーグル傘下の

 英国ベンチャー企業「ディープマインド社」

にも足を運び、開発者自身にもインタビューしている。それだけではなく人工知能が切り開く、たとえば医療や交通の革命ともいうべき未来について、案内、ないし思索の旅をしていた。

 その結果、番組の最後で、羽生さんは

 人間の使い方次第で、あるいはこれからの対応次第で、AIは天使にも悪魔にもなれる

という至極穏当な結論をのべていた。

 この番組をみて、あらためてブログ子は、あらかじめプログラムされたことを忠実に実行するだけではなく、AIロボットは自らも独自に学ぶことで知識を生み出し、それが倍々ゲームで蓄積されていく時代に入りつつあることに驚いた。同時に、その蓄積をもとにして、すでに人間もおよそ及ばない発見的「ディープラーニング」学習もできる高みにまで、AIは到達していることを知った。

 ● 物理学や数学への波及も

 こうなると、この驚異と衝撃は、チェス、囲碁、将棋などのゲーム分野だけにはとどまらないはずだ。たとえば、高い創造力が求められる物理学や数学といった学問分野にも必ず波及するだろう。重要な物理法則の発見や数学的な定理が人工知能によって発見されたりする日がやがて来る気がする。この100年以上にもわたって未解決の

 素数に関するリーマン予想

という、超難問もAIによって解決できるような予感がする。そのほか、重力理論と調和した超弦理論の完成なども、人工知能がやすやすと成し遂げるかもしれない。

 ● 天使か悪魔か

 そうなると、当然不安になるのが、

 人類の未来はどうなるか

ということ。人工知能は生物進化の影響を受けない。ので、現在の人間にはある進化ステージの生物学的な制約を、AIはいとも簡単に乗越えていくことができる。

 これからのAIの進化は、これまでの人間のような

 炭素カーボン脳

によるものではない。言い換えれば、その進化は、指数関数的な途方もないスピードで非生物学的に進む。いってみれば、シリコン脳の時代。そのスピードにはホモサピエンスは到底かなわない。ゆっくりとしか進化できないホモ・サピエンスの絶滅は、そう遠くない。たとえば、21世紀中にも起るような気もする。

 そうなると、かつてこの欄でも取り上げた

 カーツワイルの予言 : 2040年代にも人類の進化は〝特異点〟に到達する

というコンピュータ技術者の宣託は、あながち考えすぎとはいえまい。

 最近の「アルファ碁」の衝撃は、人類進化に対する晩鐘であり、非生物的なポスト・ヒューマン(= ポスト・ホモサピエンス)の時代の幕開けを告げているのかもしれない。

 しかし、それはわれわれにとって悪夢であろう。悪夢を追い払ってくれる天使は、果たして出てくるのだろうか。この不安はブログ子だけではないだろう。

 これに対するブログ子の結論は、こうだ-。

 悪魔を追い払ってくれる天使は出てくる。しかし、それは臨機応変に対応できる今の人類の中からしか出てこないだろう。AIが臨機応変を自ら学ぶまでには、まだ時間がかかる。それに、たとえ短期間で学ぶことができたとしても、それが人間にとって天使となるかどうかはわからない。おぞましい天使という場合もある。

 この猶予期間にホモ・サピエンスがAIについてどう対応するのかによって、種が絶滅するのか、それとは逆に新たな進化段階に飛躍するのか決まるだろう。

 この結論について、ひょっとすると、その正否はまだブログ子が生きている間にも判明するような気がする。それほどAI技術の進展はすさまじい。テレビを見ていて、そんな予感をいだいたことを、正直に書いておきたい。

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手でドアを開ける器用な小恐竜 ------------ 再見「ジュラシック・パーク」

(2016.04.07)  晩酌をしながら、日経新聞系のBSジャパンを見ていたら、偶然、20年以上も前に公開された

 映画「ジュラシック・パーク」(S.スピルバーグ監督、1993)

を放映していた。懐かしさもあったので、しばらく見ていたら、思わず、20年前には気づかなかったものを発見した。

 Imgp9512 建物の中で恐竜が大暴れして、子どもたちや大人の主人公を追いかけるシーンで、比較的に小さな恐竜が後ろ足に比べて小さな前足(手)でドアカギを回し、逃げ込んだ主人公たちのいる頑丈な部屋に入り込もうとする。その手は3本指(鋭いツメ)だが、なんと人間の親指同様、ほかの2本のツメと向かい合わせになっていて、ドアの向うのカギやロック装置が巧みにつかむ。映画ではその様子をクローズアップで数回、映し出していた。

 これにはびっくりした。なにしろ、1億年か2億年前に栄え、6500万年前に絶滅した恐竜が現代の建物のドアロックを、いくらよみがえったとはいえ、何の苦もなく開けてしまいそうになるというのだ。

 そんなバカな

と思ったのだ。そしてまた、厨房に隠れていた子どもたちを、恐竜がいかにも注意深く、そして俊敏に探し回る。まるで人間のように、である。爬虫類とはいえ、霊長類ばりの頭のよさとすばしこさを映し出していた。

 思ったのだが、まあ、娯楽映画だから、このくらいのいい加減さは、このくらいのむちゃくちゃは仕方がない

と晩酌の酔いも手伝って笑ってしまった。のだが、S・スピールバーク監督ともあろうものが果たしてそんなハチャメチャなことを根拠もなく映画化するかと思った。

 ので、手元の資料(写真上=左端に晩酌用の徳利)を念のため調べてみて、また、びっくりした。

 そういうことも、あり得るのだ。

 写真の図録は、世界的な恐竜研究機関、ロイヤル・ティレル古生物学博物館(カナダ)が発行したもの。ブログ子の故郷、福井県の県立恐竜博物館での恐竜特別展示の際、ブログ子が購入した(2001年購入)。

 この図録のなかには、この映画に出てくるつとに有名な巨大肉食恐竜

 T.レックス(いわゆるブラック・ビューティ=図録表紙)

の実際の発掘の様子の写真も掲載されている。映画の中では野外パークで大暴れする。もうひとつ、図録には映画の厨房で追い回したり、ドアをこじ開ける小さな肉食恐竜にあたると思われる、

 トロオドン

の復元模型も載っている。説明によると、

 「トロオドンの脳は(中略)現生の鳥類やほ乳類と同じくらいだといっていい。(中略)トロオドンは鳥類的な特徴を多く持っており、鳥に近縁。目は前向きについており、立体視が可能になっている。手は、我々と同様に親指のおかげでものを上手に扱える。足は長く、快走する動物のプロポーション」

というのだ。1993年製作のこの映画もこうした事実を踏まえていることがわかる。

 恐竜というと草食性の巨大なもの、この映画でも冒頭近くで長い首の

 巨大イグアノドンの群れ

を登場させている。が、手は(三本ツメではあっても)器用ではない(だろう)。

 Imgp9513_2 しかし、この映画を見て、小さな肉食恐竜が

 やがて空を飛ぶほ乳類の鳥に進化していった

という話につながったとしても納得できる気がした。小さくなっていった前足が羽毛のついた羽に進化していったというわけだ。

 (小)恐竜が空を飛ぶ

というのも、こう考えると荒唐無稽ではない。

 ● 2億年後には「空飛ぶ魚」「水中に生息する鳥」も

   -- だったら、陸に生息するイカとタコも

 意外におもしろい学術的にしっかりした娯楽映画を見たので、ふと、2億年も前の恐竜時代のついでに、

 今から2億年後の生物界はどうなっているか

について、知りたくなった。こういうおよそ浮世とは関係ない話が飛び出すのも、晩酌の酔いのせいだろう。そこで調べてみた。

 ブログ子の本箱に、驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界とサブタイトルのついた

 『the FUTURE is WILD』(ダイヤモンド社、2004年)

という愉快な翻訳がある(日本語訳の監修は松井孝典東大大学院教授)。ある世界的な米生物学者も科学的に根拠があるとして推薦しているこの本によると、2億年後の地球には

 空飛ぶ魚

 水中に生息する鳥

が繁栄しているらしい。それどころか、

 イカやタコも陸に生息している

というのだから、驚く。もっとも、小さいものに限るとはいえ恐竜も空を飛ぶのだから、魚が空を飛んでもなんら不思議ではない。しかし、これはダーウィンが主張したように、回りの地球環境に適応するように自然選択がおこなわれるという仮定をした場合の話。

 それにしても、変われば変わるものである。

 そういえば、かつて手も足もあり陸地でのそのそと四足で歩いて生息していたほ乳類のクジラ。これだって、今はより環境に適応するために手も足も退化させた。そして再び、3億年くらい前の魚類時代に生息していた海にほ乳類の体制をたもったまま戻っていってしまった。

 ● よみがえった恐竜は生き残れるか

 この映画から、ブログ子はいいヒントをもらった。一つは、

 今の生物観は不変なものではない

ということである。環境に応じて変化する、進化するとしたら

 普遍な生物観とはなにか

ということを考えさせられる映画だった。言い換えれば、これは生物世界の基本的な性質の生物多様性とは何かという問いかけでもある。

 もう一つは、この映画では6500万年前に絶滅した恐竜が、遺伝子工学の技術で現代によみがえるとしている点にかかわる。

 この点、よく考えると、おかしい。たとえ遺伝子工学で生命の設計図DNAどおりに恐竜が現代によみがえったとしても、この6500万年の間の地球環境の劇的な変化のなかで、生きながらえることなどできるだろうか。

 大気の酸素濃度も気候も恐竜が栄えた時代とは大いに異なる。極端な不適応で子孫を残すことはもちろん、生存することすらとうてい無理だろう。

 この映画では、

 進化とは歴史であり、生物は後戻りのできない因果関係によって規定されている

という考え方が完全に欠落している。生物の進化では、その間の環境変化を抜きにした、時間をジャンプさせるようなタイムトラベルは科学的には意味がない。 

 夜更けに、そんなことを考えていたら、せっかくの酔いがだいぶさめてしまった。

 (写真はダブルクリックで拡大できる)

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小が大を呑む情報戦 なぜ「真田丸」か

Imgp9220_1 (2016.04.05)  真田昌幸と信繁(通称、幸村)/信幸(のちの信之)という「父と子」が活躍する大河ドラマ「真田丸」の第一の山場

 第一次上田城合戦(1585年夏)

が先日の日曜日に放送された。本能寺の変からわずか3年後の事件である。1月の第一回「脱出」という信繁たちがいきなり逃げ惑うユニークなシーンから始まった「真田丸」だが、弱小の真田一族がいよいよ「大」=徳川家康軍に立ち向かう最初の見せ場である。大軍の徳川軍を敵に回しての籠城情報戦を展開、徳川軍を撃退、大勝している。

  このときの徳川軍はブログ子が暮らす浜松市の浜松城から遠路はるばる上田城まで出陣する。挙句の果てに大敗。その秋に疲れ果てて浜松城に帰陣しているので、今回のドラマは格別に興味を持った。

 (写真右上は、今回の原作ではないが、池波正太郎さんの大作『真田太平記』(全16巻、1970年代後半連載)。今回の大河ドラマには原作はない)

 ● 三谷幸喜さんの狙い

 ブログ子はこの見せ場を拝見して、脚本担当の三谷幸喜さんが、どういうテーマで、どういうようにストーリーを展開するつもりなのか、そしてなぜ大河ドラマのタイトルを

 「真田丸」

としたのかということのおおよその察しがついた。

 テーマは、

 数に物を言わせて押してくる強大な勢力に対しては、弱小集団は優位に立つ情報力で、生き残れ

というものである。そういう趣旨のことを信繁(堺雅人)が一言つぶやくシーンもドラマではあった。情報戦では、この大河ドラマでも、そして池波正太郎さんの『真田太平記』(=写真上)でも、

 草ノ者、忍びの者、乱波

という情報機関をたくみに活用しているシーンがよく登場する。

 こう考えると、第一次上田(城)合戦に続くストーリーとしては、関ヶ原合戦に駆けつける途中での徳川秀忠率いる

 第二次上田城合戦(1600年秋)

が第二の山場、見せ場として描かれるはずだ。この前後の籠城しての情報戦を制して、数で押してくる徳川軍を翻弄する。

 注意すべきは情報戦といっても籠城作戦に勝つには必ず近くに援軍が期待できるもう一つの味方城が必要なこと。第一次、第二次の籠城した上田城の場合、それは北部にあった砥石(といし)城だった。

 そして、

 第三次上田城合戦は20万とも言われる徳川家康軍を大阪城に籠城し、迎え撃ち翻弄する

 大阪冬の陣(1614年冬)

である。これは、いわば

 第三次真田丸合戦

だろう。

 大河ドラマ第一回の「脱出」ではただひたすら「逃げるが勝ち」とばかり、真田軍は逃げろや逃げろの作戦。これは言ってみれば、織田信長・徳川家康連合軍を迎えてのまだ上田城もない状況での右往左往、いわば

 第ゼロ次上田城合戦(1580年前後、つまり本能寺の変直前。真田家主筋の武田(勝頼)家滅亡)

と位置づけられるかもしれない。つまり、考えた末の籠城情報戦ではなかった。しかし、それからの第一次、第二次上田城合戦では、小でも大軍に立ち向かえる頭を使った籠城情報戦に生き残りをかけたというわけだ。

 そして、いわば第四次上田城合戦と位置づけられるのが

 大阪夏の陣「真田丸」合戦(1615年夏)

である。大阪の陣ではもはや援軍の期待できる城は近くにはない。ので、籠城情報戦だけでは勝機はない。とみての真田丸からの

 家康本陣への意表を突く斬り込み

となり、ついに敗れ、その壮絶な覚悟の生涯を終えたのである。そして、信繁の人生の倍、90歳まで生きた兄、信之(松代初代藩主)が幕府とも切り結ぶしたたかな一族生き残りへとつなげ、明治維新まで小藩ながら存続させることに成功する。

 だから、三谷氏は今回の大河ドラマのタイトルを、小が大をのむ上田城合戦の仕上げとして大阪城という大舞台のなかで「真田丸」を選んだのだと思う。

 つまり、真田丸で、小が大をのむには何が必要なのかということを象徴的に表現したかったのだろう。

 援軍を当てにした結束の籠城だけではなく、最後には意を決して打って出る決断力も必要。これが真田兄弟の人生をかけたわたしたちへの遺言であろう。

 ● 情で死に、理で生き残った

 それだけでなく、情報戦といえども、幸村の死地に向かう大いなる勇気とともに、兄、信之の次の時代を読む忍耐の要る冷徹な自重がなければ、戦国の世を行き抜けない、大平の世は開けなかったということも脚本家、三谷氏は描きたいのだと、ブログ子は思う。

 情の幸村、理の信之

という構図である。情で死に、理で生き残った。これが真田一族の魅力といえそうだ。

 以上の推測が当たっているかどうか、今後の大河ドラマの展開が楽しみである。 

 ● 三方が原合戦でクロスした昌幸と家康

 ところで、今回の大河ドラマでは草刈正男さん演じる父、真田昌幸が重要な役割を果たしている。これからもそうなるであろうが、浜松に暮らすブログ子としては、浜松で展開された三方が原合戦(1572年)で家康を震え上がらせた武田信玄/勝頼軍の有力武将だった真田昌幸にとって、

 家康の洟(はな)垂れ小僧

などに負けてたまるかという意地があったであろうと想像する。ただ、三方が原合戦当時の幸村はまだ数えで6歳、今で言えば小学一年生ぐらい。だったので、この父親の敵愾心は理解できないであろう。幸村が颯爽としてその実力を世に知らしめたのは、

 秀吉の小田原攻め(1590、幸村23歳ぐらい)

からだ。以後、46年の生涯の幸村にとってまさに大阪城真田丸に向かってひた走る、言い換えれば

 人の世の情に生きる後半戦

がここに始まるのである。

 ● 新田次郎『武田信玄』を読む

 Image2308 また、昌幸は武田信玄や勝頼に付き従った有力な側近武将だったことから、さらに甲斐源氏の武田家の盛衰を知りたくなって、今

 『武田信玄』(全4巻。新田次郎。1960年代後半月刊誌連載=写真左)

を読んでいる。

 幸い、BSプレミアムでもこの小説を原作とした1988年度大河ドラマを今後毎週一年間にわたって再放送するというのだから、ありがたい。再放送で、あるいは再読で真田一族の生きた乱世の時代背景や時代の風をあらためて感じてみたい。

 そのことで、甲斐源氏の流れを組む武田一族と一地方豪族にすぎない弱小真田一族との異質性と同質性を見極めたいと思う。それは同時に信濃人の筋を通す国柄を垣間見ることにつながる。

 新田次郎さんは、北信濃の諏訪市の出身だから、信玄時代の政治背景にはことのほか造詣が深い。また、気象庁勤務の経験が長い。ので川中島の戦いのように気象に左右される戦いには独自の見解を小説のなかに生かしたり、織り込んだりしているのがおもしろい。加えて実在はしたらしいのだが、山本勘助というなにやらあやしい〝軍師〟も登場し、戦国の物語を盛り上げている。

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「隠された真実」という陰謀論の正体

(2016.03.30)  何かと話題になるBSプレミアムの番組、

 幻解 ! 超常ファイル

だが、先日は世の中にあまたある陰謀論を取り上げていた。

 私だけが本当の真実を知っている。その隠された真実とは何かというたぐいの話である。このときは、9.11同時多発テロは過激派組織、アルカイダの仕業とされているが、実はアメリカ政府の陰謀だという説を取り上げている。当然だが、番組ではその陰謀論の根拠のないことを暴露している。UFO=宇宙人説もこのたぐいだろう。

 ● 幻解 !  超常ファイル

 そんな陰謀論、たいていの人は、おもしろがってはいるもののまともには信じていないだろう。このときの案内役の女優、栗山千明さんだって信じてはない様子だった。

 当然である。

 ではなぜ、そんな陰謀論が次から次へと登場し、根強く生き残り、ささやかれ続けているのか、ということが問題になる。

 51yx2kgsuol__sx304_bo1204203200_ 先日の陰謀論では、スタジオに

 『世界の陰謀論を読み解く』(講談社現代新書 =写真右)

の著者、辻隆太朗さんが登場し、この謎解きに答えてくれていて、とてもおもしろかった。北海道大学文学部大学院(宗教学)出身というせいか、なかなか鋭い分析をしていた。

 要するに、こうだ。

 陰謀論というのは、それを主張する人物の心に巣くう単純な思い込み、さらには恣意的あるいは意図的な偏りから生じるものであり、偏りを受け取る読者もまたその偏りに誘導されがちなことから、それらが互いに同調、シンクロして虚構物語(フィクション)としてできあがったもの

というのだ。意図せざる場合にしろ意図的な場合にしろ、この偏りに都合がよい証拠のみが提示され、都合の悪い現象は黙殺するという非科学的な偏りから虚構あるいは物語が出来上がるというのだ。言ってみれば

 陰謀論=「私だけが知っている」という物語論

なのだ。

 だから、ここから抜け出すにはどうすればいいのか。辻さんの答えは明解かつ傑作だった。

 こうだ。

 ● 疑う心を合理的に疑う

 陰謀論にかぎらず、疑う心を持つこと自体は正しい認識を得るためには重要である。しかし、同時にその疑う対象のひとつとして

 自分自身の心のあり方自身も(バイアスや偏りがないかどうか)疑ってみる

ことも大事であるということだった。正しい事実を知っているのは自分だけだというのは虚構かもしれないと疑ってみること。これが陰謀論を主張する人にも、それを信じる人にも求められるのだと辻さんは言いたそうだった。

 このブログのテーマは正しいと思っている常識を一度は疑ってみようというもの。だが、この一度は疑ってみるということ自体が、偏りのない正しい認識に至る近道なのかどうか、もっと別のアプローチがないかどうか疑ってみることもあるいは必要なのかもしれないと気づいた。

 たとえば、科学は、宗教の場合と同様、信じることから始めるという(意外な)アプローチがありはしないか。既存の知識を疑うことはより正しい認識を得るには欠かせない。しかし、未知の水平線のかなたを洞察するには、

 こうなっているはずだという偏りのない合理的な信念

にしたがって、行動する勇気も必要だろう。これは陰謀論のご都合主義論理とは異なる。

 疑うことができるためにはその前提として疑う対象が人間に認知できて初めて可能となる。のだが、人間の脳で認知できないからといって、その未知の世界が存在しないとか、そこには合理的、科学的な真実がないとはいえない。

 つまりは、疑うだけでは

 科学する心

としては一定の限界がある。

 そんなこんなで、いろいろと考えさせられた番組だった。 

● 補遺 今西進化論について

 このいろいろ考えさせられた、というのの一つに、生態学者、今西錦司さん(故人)の正統派に対するダーウィン批判、

『主体性の進化論』や『私の進化論

も、ひょっとするとこの陰謀論のたぐいではないかと思ったことが挙げられる。今西さんの「私だけが進化の真実を知っている」という「疑う心」を疑ってみることも必要な気がする。日本には今西ファンが(今も)多い。だが、「主体性の進化論」というのは陰謀論同様、同じ偏りを共有する、あるいはひきずる共同幻想、つまり真実とは無関係な物語論なのかもしれない。

 言ってみれば今西さん一流の「生物の世界はこうなっているはずだ」という信念の表明だったのかもしれない。信念には原因と結果を解明する必要はないので「種は変わるべくして変わる」という(科学的には一見おかしな)論法がまかり通ることになった。

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映画「竹取物語」との意外な遭遇

(2016.03.27)  日本経済新聞系列の放送、BSジャパンを先日見ていたら、ずいぶんと古い時代を舞台にした映画の中で沢口靖子さんが十二単姿で主役のお姫様役を演じているのを偶然見て、ちょっとびっくりした。もう30年以上前になるが、夕刊紙記者の修業中だったブログ子が仕事で大阪の喫茶店でお話を聞いた女優だったからだ。

 女優と直接言葉をかわしたのは、引退するときの宝塚トップスター、大地真央さんを除けば、これが最初で、最後だった。

 ● かぐや姫役の沢口靖子さんとの会話

 途中から放送をみたので、最初は何の映画かわからなかったが、これがなんと30年以上前に特殊撮影で話題になったSF映画の超大作

 「竹取物語」(市川崑監督、1987年)

だった。日本最初の物語文学としてあまりに有名なあの「竹取物語」(=写真右)の映画化だった。

 Image2305 当時喫茶店で沢口さんに何についてうかがったかまったく忘れていたのだが、沢口さんの演技をみて、この映画の見所を聞きに出かけたことを鮮やかに思い出した。沢口さんもブログ子もともに駆け出し時代だったので、とても気さくにこたえてくれていた(下欄に注記)。

 これには沢口さんのお父さんが大阪市交通局につとめていたこともあり、大阪市政記者だったブログ子にこれサービスにつとめてくれたのであろう。つまり、夕刊新聞社は大新聞社ではないので、夕刊新聞の市政記者は日々の市政記事のほかに映画欄の記事も掛け持ちで書いていたわけだ。

 なぜ沢口さんと話が盛り上がったのかというと、ブログ子は当時としては珍しく理系出身の記者だったからだ。かぐや姫が月からやって来た宇宙人、いわば月人であるという話から、ラストでは

 かぐや姫が巨大宇宙船UFOで月に帰還する

という(当然、原作にはない)映画の筋書きをどう思うか、と沢口さんから真剣なまなざしで聞かれた。なんとこたえたかはもう正確には覚えていないが、

 宇宙にいるのはわれわれだけではない

とかなんとかあいまいな話をしたように思う。初対面だったのに話が弾んだのを今でも覚えている。そんなこんなでインタビューの前もっての約束が1時間だったのを大幅にこえて2時間くらいUFO論議で盛り上がった。

 ところが恥ずかしいことに、ブログ子はこの映画をついにこれまで見ることはなかった。俳優に限らず、記者たるものインタビューした人物の出演映画、著作物、芝居はすくなくとも一つぐらいは読んでからうかがうか、事後に確認しておくのが誠実というか次につながる。しかし、当時のブログ子は、未熟にもそれをしなかったのだ。

 ● ラストは「未知との遭遇」にそっくり

 それで、このコラムの冒頭で「ちょっとびっくりした」と書いたのだが、30年前に見損なった映画のラストシーンを見て二度びっくりした。

 Image2306 かぐや姫が、中秋の名月にあたる旧暦8月15日の満月の夜、平安人たちに囲まれる。そんな中、月に帰還するため月から巨大宇宙船が竹取の翁(三船敏郎)宅の上空に現れる。のだが、これはあのS.スピルバーグ監督の1970年代の世界的な大ヒット連作、

 映画「未知との遭遇」

のラストシーンとそっくりなのだ。もっともそっくりというのは構成のことであり、「未知との遭遇」では風采の上がらない電気技師がラストでUFOに吸い込まれてゆく。

 これに対し「竹取物語」のほうは、かぐや姫が芸術的、文学的な存在として淡いピンクの蓮(はす)の花型の巨大円盤に吸い込まれていく。

● UFOとは何か

 そして宇宙船を見つめていた父親の竹取の翁(三船敏郎)は

 「この世にはまだまだ自分たちの知らない(おどろくべき)世界がある」

と驚愕し、そのまなざしを巨大円盤に向ける。そこで終わるのだが、こうなると、

 「竹取物語」の映画のほうが、米映画よりも文学的には数段レベルが高い

と気づいた。主役の沢口さんに取材までしておきながらこんな映画を30年間も見ずに放置してきたことに対し、彼女に申し訳ないと思った。と同時に、この映画を見て

 SFとしてのUFOの役割とは何か

ということにブログ子は思いを新たにした。UFOというのは理系のテーマであるばかりか、文学的なテーマでもある。

 それはともかく、今にして思えば、映画に主役出演した体験から沢口さんは理系の記者に

 「この世にはまだ自分たちのまったく知らない未知の、そして別の世界が本当にあるのか」

と、その可能性を確かめたかったのだと思う。それに「ある」と確信を持ってこたえられなかったことに忸怩たる思いが今はする。

 それにしても、こんな芸術的なSF映画をつくるとはさすがは市川崑監督である。

  ● 補遺

 写真上は、世界的な天文学者、アレン・ハイネックのUFOに関するまじめな調査研究報告の解説版1975年。1981年に日本語訳(角川文庫)が出版された。この文庫本の表紙は、でこぼこのクレーターのみえる月からピンクの巨大円盤が(地球に向かって)飛んでくるデザインになっていることに注目(カバーデザインは石川俊氏)。このデザイン、企画から完成までに10年かかった映画「竹取物語」(1987)のラストシーンに、UFOの色彩といいイメージといい、そっくりなのだ。想像だが、市川監督もきっとこの本の表紙を手に取り、映画の見せ場のラスト・シーンを描くか、具体的なアイデアを練っていたに違いない。

  ●  注記 主演ドラマ「澪つくし」のこと

   沢口さんは、当時、たしかNHK朝の連続テレビ小説

 「澪つくし」(1985)

で一躍、脚光を浴びた女優。しかし、インタビューしたときは、まだ初々しさのある普通のひとみしりのするお嬢さんという感じだった。もっと正直なそのときの印象を言うと、押しの強い大阪の若い女性というイメージではなかった。

  ● 余談 ブログ子も遭遇

 03_27_1ufo 閑話休題をひとつ。

 実を言うと、ブログ子は20年間過ごした金沢でUFOに出会っている。

 27年も前の記事だが、地元の1989年7月7日付北國新聞朝刊社会面に

 金沢上空にUFO?

という写真付(=写真右)の記事が掲載されているのがそれ。撮影者は当時金沢市役所勤務だった浜崎泰彦さん(原本はビデオ撮影)。晴れた西の空に向かって夕方、ゆっくり10秒ほどで移動し、消えていった。当時同新聞社の論説委員会勤務だったブログ子だけでなく、金沢市役所勤務の浜崎泰彦さんも同時に目撃し、しかもビデオに記録していたことがこの記事からわかる。ブログ子が夕刊紙記者からこの新聞社に移って2年ほどしてからのことだった。いまでも不思議ななぞの体験だったと感じている。

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なぜ千年もの間信じられてきたのか ---- 天動説「アルマゲスト」

Image2303 (2016.03.09)  先日、BSプレミアムの

 コズミック フロント NEXT

というのを見ていたら、古代ギリシャの天文学者、プトレマイオスの大著で天動説を確立させた

 『アルマゲスト』(写真= 日本語翻訳)

を紹介していた。コペルニクスの地動説をとなえた  『天球の回転について』

やニュートンの万有引力の法則を確立した

『プリンキピア』

と並んで、天文学の三大著作の一つなのだが、その中では最も古い。

 若いころから天文学に興味を持っていたブログ子は、長年、

 なぜ、千年もの長きにわたって天動説が信じられてきたのか

という疑問を持っていた。それが、この番組で氷解した。天空上での月や惑星の動きを周転円という考え方を使って再現する幾何学的な理論書なのだが、現代から見ても

 その精密さがあまりにも高かった

ことだと理解できた。古代ギリシャでは観測機器の観測精度があまりよくなかったこともあり、その精度の範囲では十分、月や個々の惑星の動きを、この理論書で幾何学的には再現できたのだ(もちろん動力学的には間違っていた)。このことが、理論書の複雑さもあって、そして、地球が宇宙の中心であるという天動説を教義の中心にすえている教会の権威ともあいまって

 天動説は正しい、真実だ

と千年ものあいだ思い込ませる結果になった。「アルマゲスト」は、当時の科学や数学、つまりユークリッド幾何学に基づいた十分合理的な幾何学的学説だったといえる。

 ● コペルニクスもまた誤った

 では、それでは、なぜコペルニクスは、この権威ある、そしてまた正確無比な幾何学的な理論書に疑問を持つようになったのか

ということが気になる。この辺に鋭く切り込んだのがこの番組のミソ。

 実は、正確無比というのは、月や惑星が動く軌跡の再現だけのことであり、たとえば月のような形のわかる大きさのある天体の場合、理論から動きに伴って予想される月自身の大きさの変化までは周転円ではうまく再現できなかった。理論からは月の大きさは1割ぐらい変化してもいいはずなのに、実際の月の大きさにはほとんど変化がないことに、コペルニクスは気づいた。

  惑星についても同様で、どの惑星についてもその動きは個々には「アルマゲスト」の周天円で再現できた。ところが、ほかの惑星たちとの位置関係、たとえば星空での惑星直列の現象などはまったくといっていいほど、当然ながら再現できなかった。わかりやすい言い方をすれば、周転円という幾何学上の便宜で導入したツールでは星空で展開するすべての動的な現象は整合性をもって、とうぜんながら説明できず、

 いわば馬脚をあらわした

というわけである。こうしてコペルニクスはついに天動説を捨てることになる。そしてどうしたらこうした矛盾を説明できるすっきりした自然なモデルは何かを、後半人生の数十年をかけた。そしてついに最晩年に地動説を世に問う

 「天球の回転について」(1543年)

を出版する。死の床にあったときに、印刷されたばかりの本を手に取ったというきわどい出版だった。

 おもしろいのは、番組では触れられていなかったが、コペルニクスのこの本でも、やはり現実の天空を完全には再現することができなかったという点である。

 その原因は、惑星や月の軌道は完全な、つまり当時としては神聖な円であるという仮定そのものが間違っており、実際は少しゆがんだだ円だったからだ。

 ● 科学者も信念で行動する

 天体の軌道は円ではなく、だ円であるというこのことに丹念な観測データから気づいたのは、コペルニクスの死後数十年後に登場するドイツの天文学者、ケプラーだった。やがてこの事実から、ニュートンが万有引力の法則を発見し、惑星は太陽のまわりをだ円軌道上を運行していることを導き出す。

 そして、確かに、地球は不動ではなく、太陽の周りをまわっているということを、具体的なデータで実証して見せたのが、

 星の年周視差の発見(1840年ごろ)

である。それは、実にコペルニクスの死後、300年もあとだった。

 あらためて思うのは、人は、その真偽に関わらず信念に基づいて行動する、ということだった。それは科学者であっても変わらない。

 そんなことを、「アルマゲスト」のプトレマイオスも、そして「天球の回転について」のコペルニクスの生涯のいずれにおいても語っているように思う。

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人工知能ではとても無理 藤沢『残日録』

(2016.02.07)  亡くなった藤沢周平さんの『三屋清左衛門残日録』(写真=文春文庫)を原作とした新作ドラマが、先日、BSフジで放送されていた。北大路欣也さんが主演で、今で言えばエリートの男性サラリーマンの定年後の哀愁がしみじみと伝わってくる作品である。

 Imgp9213  原作の中では、

  零落

という短編が気に入っていたのだが、ドラマでは

  霧の夜

というのがよかった。どちらもそうだが、エリートでなくても社会から次第に取り残されていくという言いようのない寂しさを強く感じ始めているブログ子の心のうちを見透かしたようなドラマだった。

 こういう男の心理は、今話題になっている人工知能作家には当分無理、いや、とうてい書けないだろう。そう思った。

  日残りて

     暮るるに

        いまだ遠し

 しかし、そう思っているのは本人だけであり、もはや周囲ではとっくに日は沈んだとみられている。せいぜいが薄明かりだろう。その薄明かりがドラマではほんのりと輝いていたのがうれしかった。

 威勢のいいフジテレビも、たまには心に響くドラマを放送すると感心した。 

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電脳将棋、理詰めや定跡から臨機応変へ

(2016.02.04)  将棋のプロ棋士、勝又清和さんが、先日、「視点・論点」(Eテレ)で

 将棋とコンピューター

というタイトルで話していたのを、偶然拝見した。途中から見るともなく見ていたのだが、タイトルからして

 マァ、たいした話ではあるまい。ステレオタイプな内容のくり返し、蒸し返しだろう

と軽く聞き流していた。ところが、人間(トッププロ棋士)とコンピューターソフトのチャンピョンとのこれからの本格的な電脳タイトル戦に話が及んだ後半で、羽生善治4冠の話として

 将棋定跡の格言にはいろいろあるけれど、最後に大事なのは、結局、臨機応変ということではないか

との趣旨を紹介していたところから、俄然おもしろくなった。

 ソフトの実力はこの十年、飛躍的に向上しており、今後はプロ棋士側が連戦連敗することも十分考えられる。その場合、

 プロ棋士の存在意義とは何か

という深刻な事態が人間側に出現する。もはやトッププロといえども、人工知能ソフトには到底勝てない。そんな日がきわめて近い将来確実にやってくる。四則演算の速さや正確さでは、人間はもはやコンピューターに勝てないというのと同様の状況である。

 それでもなお、勝ち負け以外にどんなおもしろさが、ゲームとしての将棋にあるのか

という問題意識を勝又さんは提起していた。

 鋭い指摘だが、勝又さんによると、

 いかにも人間らしい、定跡(あらかじめ定められた格言)にとらわれない臨機応変な名「次の一手」を鑑賞したり、味わったりすることになるという。このこそが、これからのゲームのおもしろさなのだと、概略そう語っていた。

 至言だと思う。

 以下これについて、勝又さんが言いたかったことについて、もう少しわかりやすくブログ子なりに解説してみたい。

 まず、羽生四冠の言った「臨機応変」について

 臨機応変とは「その時その場に応じて、適切な手段をとることができること」である。ところが、あらかじめアルゴリズムがプログラムされている人工知能には、この格言を実行することは原理的に不可能であり、人間にしかできない格言なのだ。人工知能には、その時その場で自由意思を発揮するなどということはできない。

 わかりやすい言い方をすれば、人工知能には融通無碍はありえない。

 人間対人工知能ソフトの電脳戦のおもしろさはここにある。もっとも融通無碍や臨機応変な自由意思があるからといって、勝てるという保証はない。臨機応変には、勝つ確率の高い手を指すというよりも、定跡を踏襲するというよりも、

 勝負に対する私の美意識ではこうだ

というところから出てくるような気がする。将棋の真理はこうなっているはずだという主張である。その真理が勝ちを呼び込む。

  ● 臨機応変の「次の一手」への関心

 第二は、偶然と必然について

 ただ、臨機応変や融通無碍に見かけ上みえるような差し手を人工知能も指すことはあり得る。

 しかし、それは

 サイコロを振って決めるような因果関係のまったくない偶然

 と

 あらかじめ確実に予測できる決定論的な必然

のどちらかを選択しているにすぎない。選択の条件はあらかじめ決められている。しかし、人間の場合、

 この偶然でも、必然でもない、その間の推理をこえた何ものか

を臨機応変に直感で把握できる。人間(だけでなく生物のすべて)は偶然と必然の間の選択をある種の美意識で意思決定できる。少し大げさに言えば

 人間という生き物の本性とは臨機応変である

ということになる。これが勝負で問われる。非生物の人工知能にとっては偶然か必然のどちらかであり、直感的にその間の何ものかを掴み取るというような主体性はない。

 逆に言えば、人工知能には、いくら人間に勝ち続けていても臨機応変な「次の一手」は生まれてこないことになる。合理性がすべてなのだ。美意識は関係ない。

 Imgp9207_2 以上から

 これからの電脳戦の興味は、人間と人工知能のどちらが勝つか負けるかというものから、

 定跡にとらわれない臨機応変の名「次の一手」

への関心に移るだろう。平たい言葉で言えば、

 理詰め定跡から、ひらめき、直観力、さらには美意識へ

という時代になる。その意味では、ゲームとしての将棋の質はこれまで以上に高まってくるともいえる。

 勝つためには、あらかじめの人工知能なんかにできることを超えて、プロ棋士はその時その場に応じて次の一手を指す必要がある。

  一方、人工知能側にとってのおもしろさは、人間側の出たとこ勝負の臨機応変に対抗して勝つ

 究極の「あらかじめ論理」とそのアルゴリズムの発見

にあるだろう。人間の大脳に迫る人工知能づくりということになる。ひょっとすると、数百万年かけて進化してきた人間の大脳の機能を大きく超える人工知能が開発されるかもしれない。

 となると、人間同士の勝負の時とは違って、これからの電脳戦に臨むプロ棋士にとっては

 人間プロ棋士としてその真価が問われる時代

になったとはいえよう。

 こうなると、日本将棋連盟会長もつとめた日本を代表するトッププロがかつて言い放ったように

 人工知能ソフトとの対戦は所詮、遊びやで

というのは、もはや通用しない。

 (写真は、日本百科全書(ジャポニカ。小学館)の「将棋」の項目から)

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謝った者勝ち 水に流す日本の謝罪文化

(2016.02.04) 先週に引き続き、

 外国人記者のみたニッポン

という討論番組がおもしろかった(BS-TBS)。先週はイルカ漁は反日、日本たたきの道具ではないかというものだったが、今週は

 おかしくない !? 日本の謝罪会見

というのがテーマ。経済再生担当の甘利大臣の謝罪した上での辞任会見を取り上げている。情に訴え、形だけの(無責任な)謝罪に記者たちの批判が集中していた。政治家や会社が日本の謝罪文化を悪用しているとも語っていた。

 ロイター通信記者は

 謝った者が勝ち

とズバリ、核心を指摘していた。このほか、シンガポールの記者、アメリカの「フォーブス」記者、韓国の京郷新聞記者も参加していた。海外、たとえば最近のフォルックスワーゲンでは、言い訳ととられるような説明などしない、この日本独特の謝罪会見を都合のよい幕引きに悪用しているのではないかとも指摘している。言い訳ではないきちんとした説明をする

 調査報告書

の公表が悪用されないためには必要だと具体的に提案した記者もいた。ブログ子もそのとおりであると思う。

 ● 「すみません」ではすまない風潮こそ

 日本の精神文化の特徴として

 水に流す

という言い方がある。これについて、日本国語大辞典(小学館)では、次のような語釈と実例を挙げている。

 過去にあったことをすべてなかったことにする。過ぎ去ったことをとがめないことにする。水にする。水となす。歌舞伎に「多年の恨みさっぱりと、水に流して折々は」。はやりうたに「この場限り、水に流して下さるのですね」。

 人情の世界ではこれらは今も通用するだろう。しかし、政治や経済の世界では通用しまい。

 気持ち中心の謝罪から、説明と理屈中心の謝罪へ

切り替えることが必要だと思う。

 あいまいで無責任な「すみません」ではすまない謝罪会見

という政治経済文化が今、求められている。

 いつまでも「負けるが勝ち」では困る。

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反「イルカ漁」は反日あおるのが狙い? --- -- 対抗映画、ビハインド〝ザ・コーブ〟

(2016.01.28)  やられたら、やり返せというような対抗映画がまもなく公開されるらしい。7年前、和歌山県太地町のイルカ漁を残酷であるとして海外の環境保護団体(米OPS)が制作、公開した「ザ・コーブ」に対抗した

 ビハインド〝ザ・コーブ〟(八木景子監督)

である。ビハインド(behind)というのは、何々の背後でという意味。自然保護か食文化かと論争を巻き起こした「ザ・コーブ」だが、その背後に何があったのか、日本側からこの映画の欺瞞性を検証しようという映画。先日、BS-TBSで

 Image2268 外国人記者が見た ! イルカ漁は是か非か

というタイトルで討論していた。

 監督の言いたかったことを、結論的に言えば、

 悪者にされたイルカ魚は日本たたき、日本バッシング、日本いじめ、あるいは反日の手段に利用されただけ

ということだろう。反日をあおるのが狙いだったという。それをいかにも自然保護か食文化かというテーマ設定に狡猾にもすり替えたのだといいたそうだった。

 さらに拡大解釈し、イルカはクジラの仲間だからか、反イルカ漁=反捕鯨という図式をつくりだし、

 反捕鯨=反日

につなげる狙いも、もとの映画の背後にはありそうだとの意見が討論では出ていた。イルカ問題がいつの間にか反捕鯨という国際問題にすり替えられた。海のないスイス人ジャーナリストは、そういうことであってはならないとクギをさしていた。

 捕鯨支持国と反捕鯨国という国益をかけた戦いとは距離をおいたジャーナリストの意見というのは、ある意味で貴重である。

 自然保護の優先か、それとも伝統的食文化の堅持か。安易で常識的なステレオタイプの二者択一の図式にとらわれないために、一度対抗映画として

 ビハインド〝ザ・コーブ〟

を見てみたい。論争の背後に隠れている多くのもの、たとえば都合よくいかようにも編集可能という映像の持つ恐さ、危うさなどがあらわになるような気がする。

 この目で見たから間違いないというのは本当か。映像が届けてくれる生々しい真実とは何か。きっとそれが暴かれるだろう。今回の公開は、そんな広い視野にも気づかせてくれるような気がする。

 この意味では、やられたら、やり返せの映画であったり、それをあおる動きに連動させるようなことがあってはなるまい。

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