(2015.06.30) 100歳のジャーナリスト、むのたけじさんの講演会が開かれるというので、浜松市から硲伊之助美術館(はざま、加賀市吸坂)に梅雨空のなか先日出かけた。
タイトルは
戦争と人間と文化
で、人類がいま直面している根本の問題は何か、私たちはそれをどのように解決するか、その判断について話すという(写真=硲伊之助美術館、6月27日)。
● 戦争と人間と文化
長年、新聞業界にいたブログ子のカンでは、講演会のタイトルに
何々と何々
とつけられた話にはしっかりしたものは少ない。本人もよくわかっていないことを、その場かぎりの無責任な内容が多い。
ましてや、今回のタイトルには、
何々と何々と何々
というように「と」が二つもあるのだから、失礼な話だが、老人の寝言だろうと想像した。落語の三題ばなしのたぐいかもしれない。
しかし、それでも、戦後、ほそぼそと30年間もタブロイド版新聞「週刊たいまつ」を発行し続けた男の矜持は残っているはずだ。要領のいいいまどきのエリート記者にありがちな与太話とは考えにくい。これが1980年代の3年間、大阪のタブロイド夕刊紙で記者修行したブログ子のもう一つのカンだった。
どっちに転がるかはわからない。が、
この講演会にはきっと何かがある
とふんで、出かけた。
「感謝」という言葉から始まったその自由闊達な話し振りや、初恋の思い出話に及んだあたりまでは、元気な大声に感心しながらも、やはり落語の三題ばなしかと失望しかけていた。のだが、最後にきてアッとおどろいた。
タイトルの三つの言葉、戦争、人間、文化というのはただ横に並んでいるのではないことに気づいた。話の「起」、「承」、「転」という論理展開のキーワードに相当しているのだ。
そして「結」に向かう。
その「結」に説得力を持たせる事例として、自身の無念と、いかにも謙虚なジャーナリストらしい執念の「ラストメッセージ」があった。
飾らずざっくばらんではあるが、よく練られた一貫性と具体性のある構成になっている。
どんな一貫性と具体性なのか、結論に当たる無念のラストメッセージ=人間の誇りと責任とはどういうことか。
それを以下に、語ってみたい。
● 考え抜かれた起承転結の構成
むのさんが生まれたのは、第一次世界大戦がヨーロッパで始まった翌年、1915年。それから生きた100年は、2度にわたる大戦の世紀と重なる。2度目の大戦では、20代青春の真っ只なか、自らも従軍記者として大陸の戦場にも出かけている。
だから、むのさんの戦後70年というのは、平和の時代ではない。第三次大戦がまた起きるのではないか。そうなれば原爆・水爆が確実に使われるであろうという恐怖と不安の時代だった。
戦争を知らない団塊の世代のブログ子などは、のんきで、まさかそれは考えすぎだととかく考えがちだ。無知の恐ろしさである。しかし、むのさんのように2度も大戦を知り、自ら体験もしている世代からすれば、3度あると考えるのが、よほど自然であろう。
むのさんの生涯にとって戦争とは身近な存在であり、決して遠い過ぎ去った他人事ではない。だから、講演でも真っ先にその実態を話したのだと思う。講演のタイトルの最初に「戦争」とつけたのも偶然ではない。戦争が心の中にこびりついている。しかも3度目の大戦こそ、人類最後の滅亡戦争になるだろう。そんな焦燥感が講演から伝わってきた。
つまり、むのさんは自分の戦争体験を、話の起承転結の「起」に持ってきた。
普通のジャーナリストなら、たとえば、ブログ子なら、
だから、今、国会で審議中の安保法制案の是非
というホットな話題に移り、「承」として講演を進めるところだ。
ところが、むのさんは、そういう安っぽい進行はしなかった。
代わりに、
人間の、人類の見地から過去、現在、未来を考えることが今は大事
という話を始めた。人間の歴史は戦争の歴史であり、戦争と戦争の合間に少しだけ休息の平和があった。そんなことを言う人も多い。しかし、果たしてそれは本当だろうかという問題の立て方だ。
タイトルに書かれていた人間という言葉が、実は話の「承」にあたる構成になっている。当初は、そんな話はうろんだと思った。
講演では、むのさん自身、ジャーナリストなのに考古学(人類学)の勉強を怠ってきたことを、悔いていたのが印象的だった。これではいいジャーナリストにはなれないというわけだ。
なぜか。
700万年という人類の歴史(あるいは進化)を「もう一度学び直してみる」と、そのほとんどでは、人間同士の戦争などという野蛮なものはなかった。むしろ、生きるために家族同士、「助け合う」「感謝しあう」歴史だった。これこそが何度も、何度も訪れてきた厳しい氷河期をなんとか生きのびてきた人類(今の現生人類)の姿だった。
「そうじゃないですか」
と、むのさんの大声が会場にとどろく。
地球規模で戦争に明け暮れるようになったのは、せいぜい数百年、いや、この100年だろうといいたかったのだろう。
このことを、むのさんは講演中「そうじゃないですか」と大声で何度も繰り返していた。
● 数万年さかのぼる芸術文化
そして起承転結の「転」。これが、講演タイトルに書かれている「文化」である。
戦争と文化
とがどのように結びつくのか、ブログ子は講演前にはわからなかった。
むのさんは、人間が文化を持つようになったのは「およそ5万年前」と話していた。ブログ子も、最後の氷河期が終わりはじめる今から数万年前ごろから、ヨーロッパ洞窟壁画など芸術や文化があちこちで広がっていった。石器など道具づくりも文化だが、このころから宗教などの精神文化、みごとな芸術文化が急速に広まっていく。ほかの動物にはない現象である。
このころの世界各地にある洞窟に書かれた絵画は、どれもみなおどろくほど見事な出来栄えである。そして、どこかしらそこには祈りがある。あきらかに文化とは、祈りとはこういうものだという神聖さがそこから今でも伝わってくる。
文化とは、精神を耕す祈り
であり、
「助け合う、敬いあう、学びあう」
なかから始まる。文化は生きるすべとして、心を耕すすべとして次の世代に受け継がれていく。
つまり、むのさんの言いたいことは、
連綿と受け継ぎ、耕してきた「文化」にもっと感謝する心こそ
といっているのだ。戦争はその感謝する営みを破壊する。憎しみを生み出す。人類700万年の歴史にはそんな破壊はほとんどなかった。現状こそ異常なのだといいたいのだろう。
これはなにも美術館での講演だからというわけではない、むのさんの本音だろう。文化というものを数万年前にさかのぼって具体的に考古学的に論じているからだ。
そして、
「もう一度、(戦争と人間の関係という)問題を自分自身引き戻して考えよう」
と訴えている。
その上で、起承転結の最後「結」へと向かう。
問題を自分に引き戻すとは、700万年の人間の歴史と、数万年続く文化という大きな見地から、かけがえのない自分という人間を考えることである。そこから生きるすべの文化を築いてきた人間であるという誇りが生まれる。その誇りが中身のある本物となるためには、生きた時代の歴史に一人一人がきちんと責任を持つ、あるいは果たすことであるということが自然と出てくる。
ブログ子は、むのさんの話をそんな風に受け止めた。
こういう論法は、視野が現在にしかないただのジャーナリストにはとうていとりえない。伊達に年はとっていないと感じた。
またしても
「そうじゃないですか」
というむのさんの大声が会場に響いた。
● 会場からの質問にこたえて
これは、具体的にどういうことだろうと思っていたとき、会場からこんな質問が出た。趣旨は
「先の戦争の敗戦で、むのさんは決然と新聞社を退社されたが、どんな思いだったか」
という内容だ。
この返答がすごかった。
「いち早く会社を辞めたが、今はこれを誇りとは思っていない。これではケジメにはならない。終戦3日前の8月12日に敗戦を記者として知った。のに、なぜこのことをいち早く国民に知らせなかったのか。敗戦直後でも、遅すぎたとはいえ戦争の真実を国民になぜ伝えようとしなかったのか。まず(ジャーナリストとして)やるべきことはこれであり、会社を辞める(という個人的な)ことではなかった。(ケジメをつけるというのなら)まずは伝えることだ」(発言趣旨の要約)
自分という人間に誇りと責任を持つというのは、
(こんな退社するという)「中途半端は一番ダメ」で「やるなら、(残って)命がけでやる」
ことだと断じた。
再び、
「そうじゃないですか」
という大声が聞こえてきたように思えた。
● ラストメッセージ「誇りと責任を持つ」
20世紀以来の「戦争と人間」の問題については、文化を持つ人間として決然たる誇りと(その上に立った)責任を持ち、果たさなければならない。人類700万年の歴史において、そのほとんどの時代には戦争はなかった。
これこそ今の根本問題を論じた講演の「結」であり、戦争の世紀を生きたジャーナリスト歴80年の、しかも自らを振り返った無念のラストメッセージであろう。
このことを単刀直入に訴えたいがために、わざわざ講演タイトルに「と」を二つも並べたのだ。
ブログ子なりの解釈を少しだけ加えるとすれば
「ジャーナリストよ、今こそ汝自身を知れ」
ということだ。ブログ子もジャーナリストとしてこれには忸怩たる思いもあり、とくに身にこたえた。
最後に、むのさんは、
誇りを持ち責任を果たす努力をした上で、
「人間、最後はニコニコ笑って死にたい」
とユーモラスに締めくくった。
人間、むののもうひとつの「ラストメッセージ」と言っていいだろう。
● 補遺 2015年8月12日記
報道の過ち 繰り返すな むのたけじ 中日新聞 =
「20150804m203000000030100.pdf」をダウンロード
● スナップ写真
講演冒頭であいさつをする硲伊之助美術館長の硲紘一さん(上)。
しめくくりのお礼をのべる九谷吸坂窯上絵師、海部公子さん(下)。海部さんの左脇に小さく写っているのは、むのさんに付き添ったご子息。
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