ペンは剣には弱し 反戦むのたけじの自責
(2016.08.25) 先日、101歳のジャーナリスト、むのたけじさんか亡くなった。コラム子の地元紙、中日新聞では、リオ五輪閉幕という一面トップ記事のなか、下欄コラムはむのさんの追悼だったし、なんと社説もむのさん逝くだった。さすがに第二番目の論説だったが、
ジャーナリズムを貫く
という主見出しを掲げて、哀悼していた。
● むのは番犬を貫いたか
しかし、ブログ子に言わせれば、むのさんの偉いところは、ジャーナリズムを貫くことが出来なかったことを、隠さずに生涯恥じ、正直に生きたことであると思っている。負け戦だと知っていたのになぜ軍が言うがまま国民に向かって勝った勝ったといい続けてきたのかという慙愧がある。
ペンは剣よりも強しという言い方がある。言論は武力よりも大きな力をもっているということのたとえである。しかし、むのさんは、自分の従軍記者としての戦争報道の経験から
ペンは剣には弱し
という忸怩たる思いがあった。検閲についても、当局の意向を忖度し、自主規制し、声を上げなかった。これが日本のジャーナリズムの命取りとなった。
本当に番犬としてジャーナリズムを貫くつもりなら、終戦とともに朝日新聞社を退社せず、いまからでも遅くないと自責の念を胸に真実を、戦争中に何がおこったのかについて国民に真摯に伝えるべきだった、とある100歳講演会で熱っぽく語っていた。それをしなかった。このことが30年にわたり週刊新聞「たいまつ」を発行し続けたものの、生涯むのさんを苦しめた。
むのさんのことを一言で言えば、
反戦自責の新聞人
だった。
● 反戦反骨の新聞人、桐生悠々
これと対照的なジャーナリストとしては、当時、反戦反骨のジャーナリストとしてつとに有名な
桐生悠々
がいる。金沢生まれだが、晩年は名古屋で
他山の石
という個人論説紙を、真珠湾攻撃直前に死ぬまで発行し続けた。いわば、
ペンは剣よりも強し
の面目躍如の晩年10年だった。しかし、彼は軍と鋭く対立した言論人であったことは間違いないが、むのさんとは違って、いかんせん戦争の凄惨さを戦場で直接目の当たりに体験することはなかった。
ある意味、軍の非を堂々とあげつらったとはいえ、戦争という現実を体験することのなかった幸せな言論人だった。
一言でいえば、言うは易し、行なうは難し
ということだろうか。
この二人をならべてつらつら思うに、今の日本の政治に必要なのは
むしろ桐生悠々型の番犬ジャーナリスト
ではないか。沈黙の自主規制ではなく、声を上げる番犬の勇気である。
戦争の悲惨さの体験もない。番犬としてほえもしない。これではジャーナリズムは死んだも同然だ。
むのさんは、自分のようであってはならない、そんなことを言い続けていたように思う。
これはまた、政治ジャーナリズムだけのことではない。
科学ジャーナリズム、戦争と科学者
という分野においても、いえることだろう。
● 空気を読むことの恐ろしさ
朝日新聞のむのさん社説には
たいまつの火は消えず
となっている。たいまつを消さないためには、国民もまた
空気を読むこと(KY)
の恐ろしさを思い浮かべるべきだろう。
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