雨にも表情 広重の「東海道五十三次」
(2016.06.06) テレビニュースによると、東海地方は先日梅雨入りしたとみられる。そんな日曜日の朝、Eテレの日曜美術館というのをぼんやりとみていたら、
風景の叙情詩人、広重「東海道五十三次」
という番組を放送していた。国立歴史民俗博物館教授の大久保純一さんが読み解くというので、見てみた。
雨にもいろいろな表情がある
という話をしていたのには、感心した。
● 庄野のしのつく雨、土山のやわらかな春雨
具体的には、
庄野(三重県)の、激しい、いわゆる「しのつく」雨。それとは対照的な、土山(滋賀県)の春雨のようなやさしい雨。広重はさまざまな技法を使って雨のかもし出す表情を表現している。しかも、その技法はそこに描かれている人々の何気ない姿とあいまって一層見事に、そのときどきの風景の雰囲気を伝えるのに役立っていると話していた。
また、その場合、広重の風景のなかに登場する人々は、たとえそれが小さくても、雨の表情を表現するときのいわば重要なアイテムになっている。
このことを言葉で表現するよりも、ブログ子が持っている平凡社版「広重東海道五十三次」(1960年)で見比べてみるとおもしろい。上の写真が庄野、下が土山である。
● 大磯の夏の通り雨
大久保さんが好きな雨というのも紹介されていたが、
大磯(神奈川県)の「虎ヶ雨」という春雨よりもさらにやさしい雨である。言ってみれば、
夏の雨の、いわゆる通り雨
である。構図の左端に描かれている大磯の海が明るいことから通り雨であることが想像できるのだ。
ところで、こうした雨の表情を、どのように何枚もの版木で表現するのであろうか。
その実演を番組では取材していた。これが出色。取材先は
で、高橋由貴子理事長が解説していた。実演では、五十三次の場合、雨の版木は2種類。薄い色のパラパラ線模様と、濃い線が密に彫られたものである。
それらを重ねた刷り上がりでは、見事に広重の風景画を再現していた。
ブログ子も東海地方に暮らすので、広重の版画書籍は持ってはいる。しかし、ここまで注意し、しげしげと見入ったことがなかったので、その技にいたく感心させられた。
雨以外についても、大久保さんは、広重の五十三次に描かれている人々には、お互いに離れ去っていくという構図、つまり仕掛けがあると話していた。東海道を行き交うというよりも、出会い、そしてすぐに分かれゆくという動きのある構図が多いのに、ブログ子も気づいた。
そんな指摘に、なるほどと納得させられた。
この番組を拝見し、風景叙情詩人、広重のすごさをあらためて知った。
ちょっと早起きするのも、なかなかいいものである。
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