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2016年6月

再出版は現代にどんな課題を突きつけたか  -  ヒトラー『わが闘争』の70年 

(2016.06.15)

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何がトリウム原子炉を封印したのか  -    ウラン炉の開発の陰で

(2016.06.12) 

  再生エネの時代に、脱原発(反)原発でも再稼働でもない液体燃料炉という「第4の道」の可能性。

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二兎を追うコウモリのスゴ技 でもこれは-

(2016.06.08)  異分野融合で新産業という特集を取り上げている

 「JSTnews」(科学技術振興機構、2016年6月号)

を読んでいて、ちょっとびっくりした。

 Image2358 異分野融合というからには、何かと、それとは違う別の分野の成果とを結びつける研究という意味だが、これがなんと、

 夏の夕方によく見かけるコウモリの獲物の動きを効率的に先読みする食虫行動と、自律的に空中を移動できる次世代高機能ドローン技術

との組み合わせなのだ。ドローンは、コウモリ同様、自らは目がないので、今のところ地上からの人間の目を頼りに移動する。次世代のドローンは、超音波を発信、その反響音をキャッチすることで目的物を、人間の目に頼らずとも、確実に追跡できるようになるというわけだ。

 一言で言えば、生物模倣技術

の例である。

 ● 自律型ドローンへの応用

 記事によると、同志社大学の研究グループは、

 コウモリが2匹の昆虫の飛行位置を同時に探知して、双方を確実に捕らえる(効率的な)飛行ルートを設定している

ことを発見した。これにより、一晩に数百匹の昆虫などを捕食するという。

 よく、二兎を追うものは一兎をも得ずという。しかし目は退化してしまったものの、コウモリはその進化の過程で身につけた空中に飛んでいる昆虫などの食虫行動を自ら放つ超音波の反射音で的確にとらえ、獲物を確実に、かつ効率よく空中キャッチする。

 目は退化しているものの、音波でとらえた目の前の昆虫にやみくもに突進するようでは、遠くに飛行する2匹目の姿を、〝見失う〟危険がある。キャッチした時、目の前の獲物が超音波妨害をする可能性が高いからだ。そこで、コウモリは遠くのもう一匹の動きも計算に入れ、出した音波が妨害されないような飛行ルートを瞬時に選ぶ。その上で目の前の獲物に襲いかかり、次いで二匹目も効率よくゲットする。このことを、研究グループはシュミレーションによるモデル計算で明らかにした。

 いやはや、ブログ子は小さい頃、夏休みの夕方、竹ざおでコウモリ獲りを楽しんでいたが、

 コウモリのスゴ技

には、今のドローンよりはるかにすごい。

 進化の見事さに、いまさらながら、驚く。

   それとは別に、ふと思った。

 これは、軍事技術におおいに役に立つだろう

という恐い予想が頭に浮かんだ。そうなのだ。これは明確に軍事技術にもってこいなのだ。防衛省は注目するだろう。

 ● 余談/異聞 コウモリの進化を想像する

  では、なぜ、コウモリは人間の子どもが振り回す竹ざおぐらいで容易に叩き落されてしまうのか。不思議だが、おそらく、進化の過程では

 06_08_1 こうした子どもの大胆な行動

には一度も出合ったことがなかったからだろう。これでは進化のしようがない。竹の棒からもわかるが、コウモリと同じくらいか、それ以上の大きさの(目の見える)生き物が昼間飛んでいたら、コウモリも、今のままではひとたまりもなく捕獲されただろう。

 だから、目で光を受けて獲物を探す必要のないコウモリは夜に行動するものだけが生き残った。また、逃げ惑う小さな獲物ののみを食べるコウモリだけが生き残った。その場合、小さな獲物で命をつなぐコウモリが餓死しないためには、たくさんの獲物を素早くキャッチすることが必要となる。だから、効率的な飛行が進化の過程で必然的に磨かれた。

 逆に言えば、種の間のわずかな構造の違いから、技を磨くことのできなかったコウモリもかつてはいたはず。だが、それらは環境に適応できず、適応種に比べ繁殖率が低くなり自然淘汰で絶滅。目が見えない分、スゴ技が生き残るには必要なのだ。こうして数十種のコウモリだけが、今日まで現生種として残った(のだろう)。

 一言で言えば、コウモリにたとえて恐縮だが、

 目の見えない座頭市が渡世できたのは、多くの周りの目明きの動きを鋭く察知、どうすれば囲まれた多数の襲撃者を、仕込み杖のスゴ技で身を守るため瞬時に切り捨てることができるのか、十分に体得していたからだろう。

 としても、その座頭市といえども、拳銃を持った襲撃者には、そのスゴ技もからきし通じなかったにちがいない(ただ、注意しなければならないのは、コウモリの話は種の進化の問題であり、座頭市の例は種の中の一個体だけの話だということ。これはあくまで、たとえであり、説明に限界がある。正しくは種の進化話では、座頭市的な形質が種内に高い繁殖率から種内に広がっていくというプロセスの説明が必要)。

 そうはいえ、子どもが物干し竿を夕方の空に向かって振りかざすだけで、コウモリがバッタ、バッタと打ち落されてしまったことの理解には役立つといえまいか。

 コウモリに教えを乞うのは謙虚でいい。しかし、ただの真似事だけでは、つまり模倣だけでは有用な自律型ドローンの開発は難しいだろう。自律的で効率的な探知能力とともに、自律的な防御面で人間の知恵や工夫も組み込むことが必要だと思う。

 これこそが、不都合な面も含めてコウモリから謙虚に学ぶということを意味する。

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雨にも表情 広重の「東海道五十三次」

(2016.06.06)  テレビニュースによると、東海地方は先日梅雨入りしたとみられる。そんな日曜日の朝、Eテレの日曜美術館というのをぼんやりとみていたら、

 風景の叙情詩人、広重「東海道五十三次」

という番組を放送していた。国立歴史民俗博物館教授の大久保純一さんが読み解くというので、見てみた。

 雨にもいろいろな表情がある

という話をしていたのには、感心した。

 ● 庄野のしのつく雨、土山のやわらかな春雨

  具体的には、

 庄野(三重県)の、激しい、いわゆる「しのつく」雨。それとは対照的な、土山(滋賀県)の春雨のようなやさしい雨。広重はさまざまな技法を使って雨のかもし出す表情を表現している。しかも、その技法はそこに描かれている人々の何気ない姿とあいまって一層見事に、そのときどきの風景の雰囲気を伝えるのに役立っていると話していた。

 また、その場合、広重の風景のなかに登場する人々は、たとえそれが小さくても、Image235453雨の表情を表現するときのいわば重要なアイテムになっている。

 このことを言葉で表現するよりも、ブログ子が持っている平凡社版「広重東海道五十三次」(1960年)で見比べてみるとおもしろい。上の写真が庄野、下が土山である。

 ● 大磯の夏の通り雨

 大久保さんが好きな雨というのも紹介されていたが、

 大磯(神奈川県)の「虎ヶ雨」という春雨よりもさらにやさしい雨である。言ってみれば、

 夏の雨の、いわゆる通り雨

である。構図の左端に描かれている大磯の海が明るいことから通り雨であることが想像できるのだ。

 ところで、こうした雨の表情を、どのように何枚もの版木で表現するのであろうか。

 その実演を番組では取材していた。これが出色。取材先は

 Image235653 東京伝統木版画工芸協同組合

で、高橋由貴子理事長が解説していた。実演では、五十三次の場合、雨の版木は2種類。薄い色のパラパラ線模様と、濃い線が密に彫られたものである。

 それらを重ねた刷り上がりでは、見事に広重の風景画を再現していた。

 ブログ子も東海地方に暮らすので、広重の版画書籍は持ってはいる。しかし、ここまで注意し、しげしげと見入ったことがなかったので、その技にいたく感心させられた。

 雨以外についても、大久保さんは、広重の五十三次に描かれている人々には、お互いに離れ去っていくという構図、つまり仕掛けがあると話していた。東海道を行き交うというよりも、出会い、そしてすぐに分かれゆくという動きのある構図が多いのに、ブログ子も気づいた。

 そんな指摘に、なるほどと納得させられた。

 この番組を拝見し、風景叙情詩人、広重のすごさをあらためて知った。

 ちょっと早起きするのも、なかなかいいものである。

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