« 羽生名人、世界の人工知能開発現場をゆく - ポスト・ヒューマンへの想像力 | トップページ | 今、小保方晴子さんの『あの日』を読む »

芭蕉は「奥の細道」旅先で何を食べていたか - 人生の終い方

(2016.05.21)   大型連休も終わり、いよいよ新緑競う5月。300年以上も前、松尾芭蕉もこんな季節に江戸を立ち、「奥の細道」の旅に出たのであろう。奥の細道、矢立初めの地というのは、住み慣れた芭蕉庵のあった深川から隅田川をさかのぼった千住大橋らしい。そこには旅立ちを示す石碑が立っている。

 行く春や鳥啼き魚の目に泪

と最初の俳句を詠んでいる。この句からは芭蕉のこの旅立ちにかける相当の覚悟が感じられる。芭蕉庵を引き払い、人生、最後の旅という思いだったろう。

 先日、BSスペシャルで、旅先で詠んだ俳句ではなく、

 いったい芭蕉は旅先で何を食べていたのだろうか

という発想で、その再現に協力した料理の鉄人、道場六三郎が登場していた。題して

 奥の細道、幻のレストラン

である。芭蕉は、生まれ故郷を離れるまでは、ある屋敷の台所で下ごしらえなどの下働きをしていたことから、こうした番組が企画されたらしい。初回放送は1997年だが、今回はそのアーカイブス放送。

 ● マツタケ汁、鴨肉も

 芭蕉は伊賀上野の生まれだったことから、忍者説もあり、忍者の食べ物

 保存食のかたやき(今のクッキー)、カボチャのタネ

 あるいは

 健康食品の梅干し

などが紹介されていた。そのほか、吟行ということもあり、旅先の季節の食材、たとえば、

 ベニバナ、シラウオ、干しゼンマイ、シメサバ、イブリガッコ(東北風タクアン)、エビ

などを組み合わせた、道場さん特製の

 「おくのほそみち」弁当

も、番組参加者にふるまわれた。その間には、おそらく道中、大きなマツタケを使った汁物、鴨肉も食べたであろうとのことだった。

 芭蕉は酒をたしなんだことから、風流な

 マスホガイ入りの杯

も映像で登場していた。北陸道の敦賀の「種(いろ)の浜」を詠んだ俳句や和歌にも

 「ますほの小杯」

というのが出てくるらしい。実際、芭蕉もこの旅で

 波の間や小貝に混じる萩の塵

と詠んでいる。種の浜のさびしい秋の夕暮れ時を読み込んだものであり、うまい歌だと思う。

 結びの地、大垣では

 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

と詠んでいる。矢立初めの地「行く春や-」に始まり、結びの地「-行秋ぞ」ときちんと句集としてととのえているのがおもしろい。

 この5か月にわたる旅から帰った芭蕉は、推敲に5年をかけ、奥の細道を完成させる。それとほぼ同時に、51歳でこの世を去っている。

 ある意味、

 人生の終い方の達人

だったように思う。

    以下の写真は、木曽義仲と並んでおかれた芭蕉の墓。遺言どおりのこの義仲寺(ぎちゅうじ、大津市)には有名な最後の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」と刻まれた大きな石碑も墓の隣りにおかれている。

    Imgp5160

 

  

|

« 羽生名人、世界の人工知能開発現場をゆく - ポスト・ヒューマンへの想像力 | トップページ | 今、小保方晴子さんの『あの日』を読む »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/63661791

この記事へのトラックバック一覧です: 芭蕉は「奥の細道」旅先で何を食べていたか - 人生の終い方:

« 羽生名人、世界の人工知能開発現場をゆく - ポスト・ヒューマンへの想像力 | トップページ | 今、小保方晴子さんの『あの日』を読む »