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幕末の浜松城安政地震被害に似た熊本城 - 大戦中の巨大地震は極秘に

Imgp954620160416 (2016.04.17) 熊本地震の異常な余震が続く中、ブログ子の自宅近所にある浜松市博物館で

 「浜松の地震」展(写真左)

が開かれている。地震といっても過去の歴史のなかで発生した地震についてなのだが、先日の土曜日、展示を手がけた学芸員が詳しくその展示内容を解説するというので出かけた。さすが専門家の指摘はおもしろい。ブログ子は意外な3つの発見をしたので、ここに報告したい。

 ● 日本書紀に最古の地震記述

 Imgp9538_2 ひとつは、日本の公式な歴史書、つまり正史に文字で記載された最古の大地震というのは、天武天皇時代の684年の

 東海・南海地震の白鳳南海地震(推定M8.0、684年)

だったという事実。この場合の正史とは、日本書紀(720年成立)。このとき地震があったことについては、考古学的にも、たとえば浜松付近では袋井市の遺跡で確認されているが、日本史上初めての正史として文字に残された大地震だった。それほどに当時の奈良の都においても人々の記憶のなかでは忘れられない地震だったのだろう。

 以上は全国の状況なのだが、ブログ子が暮らす遠州地域という浜松周辺の最古の正史記録はいつの地震だったかということが気になる。

 それは、日本書紀の続編である「続 日本紀」(平安初頭の797年成立=最後の写真)第6巻にある

 Imgp9539 和銅遠江地震(推定M6.4。715年)

である。記述内容の訳文は、写真右(ダブルクリックで拡大)のとおりで、

 山崩れで天竜川がせき止められ、数十日後に決壊した。民家170戸が水没。

とある。よほどの大地震だったことがこれで想像できる。

 第二の発見は、幕末の安政地震(1854年11月、M8.4クラスが二回)で浜松城が受けた被害は、現在続いている熊本地震と似たような惨状だったらしいこと。

 どうしてそんなことがそんなに詳しくわかるのかというと、本震と余震というこの二つの大地震で破壊された浜松城を修築するための普請設計絵図

 安政元年浜松城絵図(写真下に全景)

の下書き絵図が今日まで残されていたからだ。この記述(写真)を見ると<熊本城の被害と似通った状態だったことがわかる。

 ● 戦争中、巨大地震発生を極秘に

 Imgp9548 最後に発見したのは、意外なことだった。東南海地震とか、南海地震とか、あるいはそれらが連動する南海トラフ巨大地震の最後というのは、東海道沖で津波を伴って発生した

 東南海地震(M7.9、1944年12月)

である。にもかかわらず、幕末の安政大地震の時のような膨大な記録が、ほとんどといっていいほど見つかっていない。この点について、後日、博物館学芸員にその理由を尋ねたところ、

 戦争中、とりわけ敗戦真近ということもあり、軍が国民の動揺を恐れ、極秘扱いにした

ことが原因ということだった。きちんとした調査がなされなかった。日記など民間個人の記録もほとんどないのは不思議だ。処罰を恐れて記録化しなかったか、記録はしたが秘匿したまま忘れ去られ、隠されたままの状態になっている可能性もある。

 Imgp9547_2 東海地方に暮らすブログ子としては、近い将来確実に発生するとされる南海トラフ巨大地震について、貴重なデータがこのようなことで消えてしまうとしたら、大変な損失だと、学芸員の説明を聞いて感じた。

 この3つ目の発見がこの日の解説会でもっとも注目した点。

  大戦中だとは言え、この被害状況を当時詳しく調査しておけば、将来のトラフ地震の減災に大いに生かせたであろう。

 今からでも遅くない。記録が本当にないというのなら、当時の被災者たちの記憶を掘り起こし記録化する。とともにその過程を通じて、

 埋もれた昭和19年12月巨大地震の被害記録文書が個人宅や神社などに忘れ去られたままになっているのではないか

ということ今後検討し、発掘することで減災につなげたいものだ。

 熊本地震の報道を聞きながら、そして、博物館展示を見ながら、そんなことを痛感した。

 (いずれの写真もダブルクリックで拡大)

 Imgp9538_3

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