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科学者の社会的責任、日本はどうだったか - 湯川、朝永著作集を読む

Imgp9549_2 (2016.04.17)  久しぶりに、このブログの読者から、辛口のコメントをいただいた。

 先日来、1940年代の原爆開発のオッペンハイマー博士のこと、あるいは1950代の原発開発のダイソン博士という科学者を取り上げ、

 科学者の社会的責任

について論じた。読者のコメントというのは、米科学者を責めるだけでは無責任であり、片手落ちではないかという酷評だった。

 論ずべきは、日本の科学者たちの責任についてただすべきなのだ

と指摘された。指摘もっともで、あらためて、日本の著名な核科学者がその当時どのように行動し、世の中に訴えようとしていたのか、調べてみた。

 ● 自覚的な行動はまれ

 取り合えず、湯川秀樹著作集と朝永振一郎著作集を広げて、見た。湯川博士には、

 湯川著作集第五巻「平和への希求」

があり、朝永博士には

 朝永著作集第五巻「科学者の社会的責任」

というのがある(写真)。 

 アメリカの科学者たちは原爆、水爆、原発の開発者であったことから、社会とのあつれきの中で悪戦苦闘していた。これに対し、日本の科学者については、比較的にのんびりした他人事として、あるいは言葉遊びのような会合を開いているのが、これらの著作集を読むとはっきりする。

 ● 大衆運動に結びつかず

 アメリカの水爆実験で被ばくした第五福竜丸事件では、日本国内で有権者の半数が

 核実験禁止

に署名するなど運動は盛り上がった。しかしその段階になっても、また1950年代後半以降になっても、科学者たちがそれらと結びつくことはなかった(注記)。

 あくまで国内的にも海外的にも科学者だけの間のサロン的な情報交換、あるいはせいぜい哲学者や文学者の間の高等遊民的な会議に終始した。科学者は体制側にたった意見を述べるにとどまり、明確な大衆とともに歩む方針を打ち出すことはなかった。この点では、オッペンハイマー博士の骨身を削った対応とは極端に異なる。

 さらに、言えば、核兵器に関する解決策についてもユートピア的な世界連邦政府づくりにはなかなか熱心だったが、当時焦眉の急だった原発については、ダイソン博士が忸怩たる思いで闘ったのとは異なり、ほとんど有効で批判的な論点を打ち出すことはなかった。

 総括として、1950年代、1960年代を通じて、日本の科学者が本当の意味で市民の側に立ってその社会的責任を果そうとしたといえるような具体的な行動や言論はなかったと言ったら、言いすぎであろうか。

 ● 例外は気骨の猿橋勝子博士

 その例外としては、福竜丸の死の灰について、これが放射性の核物質であることをアメリカの科学者と対峙する形で、そしてまた職(気象庁気象研究所)を賭して明確にした放射化学者、猿橋勝子博士ぐらいだ。もう一つ、当時の例外を挙げるとしたら、あるいは福竜丸被ばく直後、死の灰の正体を調べるためビギニ環礁の現地に若い科学者たちを乗せた水産庁調査船をいち早く派遣した例がある。

 主流の原子核研究者、あるいは当時の学術会議メンバーの中においてはこうした社会的責任を自覚した勇気ある行動をとった人はごくまれであったように思う。

 メンバーではないが、ごくまれな人物をあえて挙げるとするならば、1980年代以来、一貫して市民側に立って科学や技術のあり方を考え、実践し続けた放射科学者の高木仁三郎氏だろう。

 ● 注記 原水協と原水禁に分裂

  福竜丸事件で当初3000万人以上の核廃絶署名を集めるなど当初、超党派だった原水協(原水爆禁止日本協議会)は、東西冷戦の中、組織内部路線論争/対立が原因となり、後に原水協のなかの旧社会党系・旧総評系が分離。分裂後の1965年には、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)が原水協とは別組織として設立される。

 新たにできた原水禁(旧社会党系・旧総評系)はいかなる国の核兵器も廃絶すべきであると訴えているのに対し、もともとの草の根運動とは大きく変質した1960年代の共産党系の原水協は「ソ連の核兵器は善であり廃絶する必要はない。しかしアメリカの核兵器は悪であり、廃絶すべきだ」としている。こうした路線論争による日本国内の反核運動の混乱は、その後の日本の原爆被爆国としての国際的立場を大きく損なう結果を生み出した。今もこの影響は小さくない。 

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