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謝った者勝ち 水に流す日本の謝罪文化

(2016.02.04) 先週に引き続き、

 外国人記者のみたニッポン

という討論番組がおもしろかった(BS-TBS)。先週はイルカ漁は反日、日本たたきの道具ではないかというものだったが、今週は

 おかしくない !? 日本の謝罪会見

というのがテーマ。経済再生担当の甘利大臣の謝罪した上での辞任会見を取り上げている。情に訴え、形だけの(無責任な)謝罪に記者たちの批判が集中していた。政治家や会社が日本の謝罪文化を悪用しているとも語っていた。

 ロイター通信記者は

 謝った者が勝ち

とズバリ、核心を指摘していた。このほか、シンガポールの記者、アメリカの「フォーブス」記者、韓国の京郷新聞記者も参加していた。海外、たとえば最近のフォルックスワーゲンでは、言い訳ととられるような説明などしない、この日本独特の謝罪会見を都合のよい幕引きに悪用しているのではないかとも指摘している。言い訳ではないきちんとした説明をする

 調査報告書

の公表が悪用されないためには必要だと具体的に提案した記者もいた。ブログ子もそのとおりであると思う。

 ● 「すみません」ではすまない風潮こそ

 日本の精神文化の特徴として

 水に流す

という言い方がある。これについて、日本国語大辞典(小学館)では、次のような語釈と実例を挙げている。

 過去にあったことをすべてなかったことにする。過ぎ去ったことをとがめないことにする。水にする。水となす。歌舞伎に「多年の恨みさっぱりと、水に流して折々は」。はやりうたに「この場限り、水に流して下さるのですね」。

 人情の世界ではこれらは今も通用するだろう。しかし、政治や経済の世界では通用しまい。

 気持ち中心の謝罪から、説明と理屈中心の謝罪へ

切り替えることが必要だと思う。

 あいまいで無責任な「すみません」ではすまない謝罪会見

という政治経済文化が今、求められている。

 いつまでも「負けるが勝ち」では困る。

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