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電脳将棋、理詰めや定跡から臨機応変へ

(2016.02.04)  将棋のプロ棋士、勝又清和さんが、先日、「視点・論点」(Eテレ)で

 将棋とコンピューター

というタイトルで話していたのを、偶然拝見した。途中から見るともなく見ていたのだが、タイトルからして

 マァ、たいした話ではあるまい。ステレオタイプな内容のくり返し、蒸し返しだろう

と軽く聞き流していた。ところが、人間(トッププロ棋士)とコンピューターソフトのチャンピョンとのこれからの本格的な電脳タイトル戦に話が及んだ後半で、羽生善治4冠の話として

 将棋定跡の格言にはいろいろあるけれど、最後に大事なのは、結局、臨機応変ということではないか

との趣旨を紹介していたところから、俄然おもしろくなった。

 ソフトの実力はこの十年、飛躍的に向上しており、今後はプロ棋士側が連戦連敗することも十分考えられる。その場合、

 プロ棋士の存在意義とは何か

という深刻な事態が人間側に出現する。もはやトッププロといえども、人工知能ソフトには到底勝てない。そんな日がきわめて近い将来確実にやってくる。四則演算の速さや正確さでは、人間はもはやコンピューターに勝てないというのと同様の状況である。

 それでもなお、勝ち負け以外にどんなおもしろさが、ゲームとしての将棋にあるのか

という問題意識を勝又さんは提起していた。

 鋭い指摘だが、勝又さんによると、

 いかにも人間らしい、定跡(あらかじめ定められた格言)にとらわれない臨機応変な名「次の一手」を鑑賞したり、味わったりすることになるという。このこそが、これからのゲームのおもしろさなのだと、概略そう語っていた。

 至言だと思う。

 以下これについて、勝又さんが言いたかったことについて、もう少しわかりやすくブログ子なりに解説してみたい。

 まず、羽生四冠の言った「臨機応変」について

 臨機応変とは「その時その場に応じて、適切な手段をとることができること」である。ところが、あらかじめアルゴリズムがプログラムされている人工知能には、この格言を実行することは原理的に不可能であり、人間にしかできない格言なのだ。人工知能には、その時その場で自由意思を発揮するなどということはできない。

 わかりやすい言い方をすれば、人工知能には融通無碍はありえない。

 人間対人工知能ソフトの電脳戦のおもしろさはここにある。もっとも融通無碍や臨機応変な自由意思があるからといって、勝てるという保証はない。臨機応変には、勝つ確率の高い手を指すというよりも、定跡を踏襲するというよりも、

 勝負に対する私の美意識ではこうだ

というところから出てくるような気がする。将棋の真理はこうなっているはずだという主張である。その真理が勝ちを呼び込む。

  ● 臨機応変の「次の一手」への関心

 第二は、偶然と必然について

 ただ、臨機応変や融通無碍に見かけ上みえるような差し手を人工知能も指すことはあり得る。

 しかし、それは

 サイコロを振って決めるような因果関係のまったくない偶然

 と

 あらかじめ確実に予測できる決定論的な必然

のどちらかを選択しているにすぎない。選択の条件はあらかじめ決められている。しかし、人間の場合、

 この偶然でも、必然でもない、その間の推理をこえた何ものか

を臨機応変に直感で把握できる。人間(だけでなく生物のすべて)は偶然と必然の間の選択をある種の美意識で意思決定できる。少し大げさに言えば

 人間という生き物の本性とは臨機応変である

ということになる。これが勝負で問われる。非生物の人工知能にとっては偶然か必然のどちらかであり、直感的にその間の何ものかを掴み取るというような主体性はない。

 逆に言えば、人工知能には、いくら人間に勝ち続けていても臨機応変な「次の一手」は生まれてこないことになる。合理性がすべてなのだ。美意識は関係ない。

 Imgp9207_2 以上から

 これからの電脳戦の興味は、人間と人工知能のどちらが勝つか負けるかというものから、

 定跡にとらわれない臨機応変の名「次の一手」

への関心に移るだろう。平たい言葉で言えば、

 理詰め定跡から、ひらめき、直観力、さらには美意識へ

という時代になる。その意味では、ゲームとしての将棋の質はこれまで以上に高まってくるともいえる。

 勝つためには、あらかじめの人工知能なんかにできることを超えて、プロ棋士はその時その場に応じて次の一手を指す必要がある。

  一方、人工知能側にとってのおもしろさは、人間側の出たとこ勝負の臨機応変に対抗して勝つ

 究極の「あらかじめ論理」とそのアルゴリズムの発見

にあるだろう。人間の大脳に迫る人工知能づくりということになる。ひょっとすると、数百万年かけて進化してきた人間の大脳の機能を大きく超える人工知能が開発されるかもしれない。

 となると、人間同士の勝負の時とは違って、これからの電脳戦に臨むプロ棋士にとっては

 人間プロ棋士としてその真価が問われる時代

になったとはいえよう。

 こうなると、日本将棋連盟会長もつとめた日本を代表するトッププロがかつて言い放ったように

 人工知能ソフトとの対戦は所詮、遊びやで

というのは、もはや通用しない。

 (写真は、日本百科全書(ジャポニカ。小学館)の「将棋」の項目から)

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