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人の心をつかむ 木下藤吉郎の頭陀寺で

Imgp9139 (2016.01.06)  そうそういい事ばかりが続くわけはないと思って、難除大師で知られる

 青林山 頭陀寺(浜松市、ずだじ。高野山真言宗)

に初詣に出かけた(写真右)。難除は、なんよけと読み、大師とは弘法大師、空海のこと。無料で配られていた「難除大師御守」はとっくになくなっていたので、今年の運試しも兼ねて有料で手に入れた。

 立ち去る前に、ほとんど誰もいない境内でお寺関係者と話をしてた。それによると薬師如来を祭る飛鳥時代創建のこの勅願寺は、

 木下藤吉郎ゆかりの寺

でもあることがわかった。若き日十代の藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が境内を歩き回っていたらしい。1550年代のころである。

 Imgp9153 木下姓を名乗る農家の子、あるいは合戦で手柄をたてた足軽の子だった藤吉郎は、母の再婚を機会に家を離れ、行商(針売り)をしながら、引馬城(今の浜松城)の支城、頭陀寺城の城主(松下家、寺侍)に拾われたらしい。寺の近くには奉公中の藤吉郎が鎌をせっせと研いでいたとされる池が今も残っている(写真左)。寺の南隣接地あたりには奉公先の松下屋敷跡の石碑も立っている(今の頭陀寺町第一公園内)。

 こんな話を聞いて、藤吉郎は織田信長に拾われるまでは、当時すでに大名だった今川氏の家臣(直臣)の家臣(陪臣松下家)の一番下の家来だったことを知った。ところが、1560年、今川氏が桶狭間の戦いで織田信長に破れた。それがきっかけで松下家を離れ、その後、今度は信長側に取り入ったらしい。

 ● 針売りの行商から天下取り

 それから40年で天下を取ることになる。

Imgp9154  写真右のクスノキの巨木の下にあるほんの小さな木下藤吉郎鎌研池(空池)にたたずむと、

 針売りという行商をしながら浜松にたどり着いた藤吉郎は人の心をとらえる生き様を磨いていたこと

が伝わってくる。これが後の蜂須賀小六の心をとらえたり、どうすれば城を落とせるのかという巧みな人心掌握戦法、戦術を編み出したりすることになったようだ。

 親から捨てられたような一介の農民の子がわずか一代、40年で乱世を生き抜き、天下を取るには、それなりの合理的な理由があるはずだ。幸運もあったろうが、周りから、あるいは訪れる先々でさげすまれた行商の身からつかみとった

 人の心をとらえ、とり入る処世術

こそ、大きな要因だったろう。樹齢500年はあろうかという研ぎ池のクスノキ巨樹はきっとそのことを見届けていただろう。

 この処世術は、大業を成し遂げる場合だけでなく、困難を乗り切ったり、難を除けたりする場合にも必要だろう。

 そう思いながら、藤吉郎の生き方や難除の空海の幸運にあやかりたいと御守りに願いを込め、夕暮れの迫る寺を後にした。

 ● 参考

 頭陀寺は、戦前までは三重塔がそびえているなど勅願寺にふさわしい古刹だった。しかし、先の大戦での浜松空襲や遠州灘からの米軍艦砲射撃で伽藍のほとんどは灰燼に帰したらしい。

 ただ、弘法大師のお像だけはこの難を逃れたことから、難除大師の寺として地域の人々に親しまれている。

 Imgp9161_2  

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