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2016年1月

そして傑作の辞書、「言海」が生まれた

Image2276 (2016.01.30)  辞書好きのブログ子だが、先日の

 THE歴史列伝  そして傑作が生まれた

で、明治の海外事情にも詳しいエリート官僚、大槻文彦(おおつき)を取り上げていたのがおもしろかった(BS-TBS)。

 日本で初めて語釈のある現代的な辞書を一人で、11年間かけて完成させた人物で、約4万語を掲載。しかも当初は文部省の命令でスタートしたものの、出来上がった草稿がいつまでたっても公刊される見込みが立たなかったことから、結局は私費(今でいう自費出版)で出版するはめになる。

 ● 私費出版でベストセラー

 私費出版を決意し、出来上がっていた草稿を4巻本として刊行するまでに、手直しや増補、校閲、校正などでさらに3年もかかった。刊行されたのは、明治24(1891)年というから、明治憲法ができた2年後である。

 初版は4分冊で、第二版(明治24年)は合本だった(写真右。定価6円)。巻頭には天皇、皇后両陛下をはじめ、皇太子殿下からも献呈に対する感謝状が掲載されている。このこともあり、当時としてはベストセラーとなったらしい。

 文明開化の時代を反映して、まだまだ珍しかった外来語も積極的に取り入れ、苦心の語釈をつけている。

 たとえば、

 パン (名) 〔葡萄牙語、Pan.〕小麦粉二甘酒ヲ加へ、水二捏ネ合ハセテ、蒸焼キニシタルモノ、饅頭ノ皮ヲ製スルガ如シ、西洋人、常食トス。アンナシマンヂユウ。

  これを現代の辞書、たとえば1995年に初版の出た「大辞泉」と比較してみると、

 〔ポルトガル pao〕 ① 小麦粉・ライ麦粉などを主原料とし、少量の塩を入れて水でこね、酵母で発酵させてから天日などで焼いた食品。② 生活の糧。また、食べ物。「人は-のみにて生きるものにあらず」

などとなっている。大槻の語釈が100年後に書かれた現代のものと比べて遜色がないのには驚かざるを得ない。大槻は、こうした作業を11年間に4万回くりかえしたことになる。Imgp9203_2

「言海」の改訂版「大言海」が倍増の総語数約9万語で完成したのは大槻の死後で、2・26事件の翌年、つまり昭和12(1937)年。というのだから、いかに辞書づくりというのは難事業なのかがわかる。このときは改訂に6年、冨山房(ふざんぼう)が出版元となり、大槻死後では東京帝国大学国語教室が協力したという。こうして戦前の昭和を代表する辞書、「大言海」は誕生した。

 それはさておき、近代日本語辞典の出発点となった「言海」には、大槻文彦自身の語釈で、傑作の項目は次のようになっている。

 けつさく 傑作 詩、文章ナドノ出来ノ勝レテ好キモノ (写真上。ダブルクリックで拡大)

 言葉の海のなかで生涯悪戦苦闘した大槻文彦の畢生の「言海」もまた、その一つであろう。

 偉大な先人をしのび、今宵は、この言葉の海のなかで少し遊んでみたい。そして、大槻文彦の世界に浸ってみたい。エリート官僚のなかにも、出世を投げ打ってでもやらなければならない仕事があり、それに私財を投じ、見事に成し遂げた人材がいることを忘れてはなるまい。

 明治の男の気骨が伝わってくる辞書といえよう。

 ● 補遺

 ブログ子は、この明治24年の合本(第二版=写真)を古本屋で10年前、わずか1万円で入手した。なお、戦後の国語辞書の代表的なものとして、たとえば

 日本国語大辞典(日国大、小学館、全20巻、初版=昭和51(1976)年)

がある。ブログ子の手元にも置いてはいるものの、これまで利用しているとは言い難いことを恥ずかしく思っている。

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直感も大局観も自ら学習する人工知能 ---- 囲碁プロチャンピョンに5戦全勝

Ai20160128 (2016.01.29)  経済紙なんて滅多に読まないブログ子だが、暇つぶしに入った喫茶店の日経新聞(2016年1月28日付朝刊)をふと手に取ったら、一面の真ん中に

 人工知能、囲碁プロチャンピョンにも5戦全勝

という内容の記事が大きく出ていたのには、びっくりした(写真右は3面解説。ダブルクリックで拡大)。

 ついに、人工知能が人間の能力を超えるときが来た

ということだろう。それも、意外に早く訪れたのではないか。

 チェスとか将棋とかという論理ゲームの世界では、人工知能は人間より優位に立てることがぼ実証されそうな情勢。しかし、広い盤面の碁石のパターンから次の勝てる一手をさすには大局観や直感、あるいはひらめきまでがより重要になる囲碁では、人間を追い越すのはまだまだ先だと思われていた。数値データの演算ならともかく、画像に対する高度のパターン認識は人間の独壇場だと思われていた。のだが、現実は人間の能力をこえる人工知能の時代が急速に始まろうとしているかのようだ。

 ● ネイチャー誌最新号に論文

 ところで、今回の何がニュースかというと、人工知能が人間に勝ったのは去年秋なのだが、そのグーグル開発の人工知能の仕組みについて書かれた論文が

 Image2273 英科学誌「ネイチャー」最新号(1月28日号)

に掲載されているというところである。早速、その原著論文(第一著者はD.Silverで以下20人以上が名を連ねている)を読んでみた(写真左)。原理自身は1980年代からあった

 ディープラーニング(深層学習)

というネットワーク技術。人間の大脳と同じような思考パターンをコンピューターにもわかるようなアルゴリズムで表現し、開発した。

 詳しいことはよく理解できなかったが、どうやらこの技術は囲碁に特化したものではなく、幅広い汎用性があることに気づいた。今回、このアルゴリズムの有効性が「Go(囲碁)」を例にして実証されたというわけだ。

 こうなってくると、先日この欄で紹介した公立はこだて大学で進行中の

 人工知能作家

の開発話も、まんざら夢ではなくなってくる。直観力、大局観、ひらめきに加えて、創造性や独創性も発揮する人工知能の登場はありえる。

 今回のニュースを拝見して、10年前、コンピューター開発技術者、レイ・カーツワイルが2040年代には人類の進化は特異点に至り、

 ポスト・ヒューマンの時代が来る

と詳細なデータによる根拠を示して予測したのも、うなづけるような気がする。

 こうなると、これまでのような

 人間とは何か

などというのんきな話ではなく、

 人間とは何だったのか

という過去について考える時期に来ていることに気づく。

 これからの人類進化の文化依存性

に注目したい。

 ● 重要な余談

 ここまで書いてきて、はたと気づいた。というのは、グーグルは今、世界のあらゆる大学から大量の図書、文献を借り出し、デジタル化し超巨大電子図書館プロジェクトを強力に進めている。いわば人類が生みだしたすべての知的な文化遺産のデータベース化である。

 もし、これを今回の人工知能と組み合わせたらどういうことが起きるのだろう。こんな巨大人工知能に、人間の知能は太刀打ちできるであろうか。人間のやりそうなことは事前にかんたんに察知されてしまうであろう。ましてやそこに創造性や独創性、ひらめきが組み込まれていた場合には、おそろしいことがおきそうだ。

● 読者からのコメント追記 2016年1月30日記録

上記の「余談」を書いたら、早速読者からおもしろいというか、鋭いというか、次のような趣旨のコメントが届き、ありがたかった。

 一番簡単な今回の人工知能の利用は、余談で書かれているような遠い将来の話なんかではないというのだ。具体的には、現在までに発行された

 英科学誌「ネイチャー」と米科学誌「サイエンス」のデジタル化され画像になっているすべてのバックナンバーに接続すること

だというコメントだ。これならいますぐにでも実行可能なプロジェクトであろう。この100年間の科学技術の宝庫を、今回の人工知能にさまざまな条件をつけて、ある目的を達成するため直観力と大局観とひらめきで遂行させる。

 推理力や論理力も活用すれば、おどろくほど多くの成果が飛び出してくる可能性は高いだろう。人工知能の助っ人としてその間に人間の研究者を介在させれば、ますます効率化される。

 思うのだが、そうして導き出された事実の発見や理論の著作権は誰のものになるのだろうか。これまでなら発見した人であり、理論家であることは自明だった。しかし、これがもしすべて人工知能のものになるとすると、開発したグーグルの研究開発の能力は、いずれほかを圧倒し爆発的に伸長するだろう。 

 私たちは、自ら学習する人工知能の時代への備えは出来ているのだろうか。今回の研究論文を読んでいると、そんなことを問いかけられているような気がした。 

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反「イルカ漁」は反日あおるのが狙い? --- -- 対抗映画、ビハインド〝ザ・コーブ〟

(2016.01.28)  やられたら、やり返せというような対抗映画がまもなく公開されるらしい。7年前、和歌山県太地町のイルカ漁を残酷であるとして海外の環境保護団体(米OPS)が制作、公開した「ザ・コーブ」に対抗した

 ビハインド〝ザ・コーブ〟(八木景子監督)

である。ビハインド(behind)というのは、何々の背後でという意味。自然保護か食文化かと論争を巻き起こした「ザ・コーブ」だが、その背後に何があったのか、日本側からこの映画の欺瞞性を検証しようという映画。先日、BS-TBSで

 Image2268 外国人記者が見た ! イルカ漁は是か非か

というタイトルで討論していた。

 監督の言いたかったことを、結論的に言えば、

 悪者にされたイルカ魚は日本たたき、日本バッシング、日本いじめ、あるいは反日の手段に利用されただけ

ということだろう。反日をあおるのが狙いだったという。それをいかにも自然保護か食文化かというテーマ設定に狡猾にもすり替えたのだといいたそうだった。

 さらに拡大解釈し、イルカはクジラの仲間だからか、反イルカ漁=反捕鯨という図式をつくりだし、

 反捕鯨=反日

につなげる狙いも、もとの映画の背後にはありそうだとの意見が討論では出ていた。イルカ問題がいつの間にか反捕鯨という国際問題にすり替えられた。海のないスイス人ジャーナリストは、そういうことであってはならないとクギをさしていた。

 捕鯨支持国と反捕鯨国という国益をかけた戦いとは距離をおいたジャーナリストの意見というのは、ある意味で貴重である。

 自然保護の優先か、それとも伝統的食文化の堅持か。安易で常識的なステレオタイプの二者択一の図式にとらわれないために、一度対抗映画として

 ビハインド〝ザ・コーブ〟

を見てみたい。論争の背後に隠れている多くのもの、たとえば都合よくいかようにも編集可能という映像の持つ恐さ、危うさなどがあらわになるような気がする。

 この目で見たから間違いないというのは本当か。映像が届けてくれる生々しい真実とは何か。きっとそれが暴かれるだろう。今回の公開は、そんな広い視野にも気づかせてくれるような気がする。

 この意味では、やられたら、やり返せの映画であったり、それをあおる動きに連動させるようなことがあってはなるまい。

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椿寿をことほぐ社会 大寒に思う

(2016.01.27)  大寒をすぎて、そろそろ寒椿の美しい季節になる。そんな折、知人でいやしの植物セラピーとでもいえる日本フィトセラピー協会顧問の山崎和恕さんのfacebookを先日のぞいていた。美しい白椿の写真とともに

 椿寿(ちんじゅ)

について書いていたのが、おもしろかった。

 古希、喜寿、傘寿、米寿、そして数えで90歳の卒寿、99歳の白寿、100歳の上寿の7段階をまとめ、一括して椿寿というと書いている。日本人は長寿社会に入るずっと前から、今でいう高齢をことほぐ椿寿を知っていた。いまではなかなかこの言葉を知っている人はいない。また小さな辞書では見当たらない。なんだか、嫌老社会が来そうで、高齢者のブログ子も心穏やかではない。

 もっとも、この椿寿という言葉、中国(の古典)が原産らしい。手元にある小学館の大辞泉によると、

 上古大椿という者あり、八千歳を以って春と為し、八千歳を秋と為す「荘子」

から、長生きすること。長寿。特に、人の長寿を指すとある。同じ辞書に具体的に大椿の一年は8000歳×4季で、32000年にもなる。大椿という言葉には、長生きを意味し、それを祝うという意味も込められている。

 ● 高齢者に三戒あり

 そこで思うのだが、高齢者にも賢い老人、賢老として社会で末永く活躍するには、それなりにわきまえる心得が必要なことを忘れてはなるまい。

 行動がわがままでずうずうしい様、横着を慎め

 身なりがだらしない様、ずぼらを慎め

 物事をゆがめて考える精神的な性向、ひがみ根性を慎め

である。たいていの人はこれらに思いあたることがあるだろう。老害をあらためる三戒としたい。

 そうすれば、活躍の春は確実に近づいてくる。

 まもなく立春。 

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産卵場探しの時代は終わった ウナギの未来

(2016.01.24)  (ニホン)ウナギの産卵地探し40年、世界で初めてその場所をピンポイントで特定した、うなぎ博士、塚本勝巳さんの公開講演が先日、浜松市内であった。

 Imgp9172 広大な広さの南太平洋のなかで産卵地を少しずつ絞り込み、2009年5月の調査でついに複数個その卵を採取し、グアム島西方約100キロの海(の海山部分)という具体的に特定。講演では特定までの苦労話と、さまざまな問題を抱えるこれからのウナギの未来について、熱く、そして子どもたちにもわかるよう会場の人々に語りかけた。

 その結論を先に言えば、

 2010年代に入り、ウナギの産卵地探しという探検の時代は終わった。2010年代からは、産卵生態の解明など、その応用的、実用的な展開に入った

というもの。絶滅が危惧されるウナギの完全養殖に向けた取り組みへのエサや育て方などデータ提供も視野に入ってきた。すでに人工衛星などを利用した生物ロギング技術

 ポップアップロガー

によるウナギの日周垂直移動の様子をとらえた生態記録が紹介されていた。

 塚本さんは、最後に基礎から応用、ウナギの自然科学、資源としての「うなぎ」という社会科学、鰻という文化に関わる人文科学をまるごと理解する学問を、無類のウナギ好きの日本人の手で確立したいという趣旨の今後の抱負を語った。

 それは、塚本さんが自ら「うなぎ博士」と名乗り、全国の小学校で出前授業「うなぎキャラバン」を始めた理由でもあろう。

 ● 講演スナップ

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ロボット法学の4つの「NEW」って何 ?

(2016.01.20)  ロボット工学という分野について、詳しい内容はともかく、たいていの人はそのおおよその内容は理解できる。たぶん人工知能に関係がある研究や技術開発であると想像する。

 しかし、ロボット法学という言葉について、聞いたことのある人はまれであろう。ブログ子もとんと知らなかった。しかし、近々、ロボット法学会という組織が誕生しそうだと聞いて、ロボットという文字のつかない法学会と、どこが異なるのか、ちょっとわからない。

 法学というのは、当然ながら、人間法学のこと。社会における人間と人間の間の関係を法的に規定する法律やそのあり方を研究する学問。したがって人間が一人しかいない世界では法律は要らない。これに対し、ロボット法学は社会における人間とロボットの間の関係を法的に規定する法律やそのあり方を研究する学問である。当然ながら、人工知能はもちろん、簡単なロボットのなかった時代にはロボット法学は要らない。

 先日のロボット法学に詳しい弁護士、小林正啓さんの

 視点・論点「ロボット法学と4つのNEW」(Eテレ)

を聞いて、そのことがようやくわかった。たとえば、車の形をした人工知能ロボット、かんたんに言えば自動運転車など、高度なロボット時代を迎えるにあたり、そんな車同士が衝突事故を起こしたときにはどう裁けばいいのか、あるいは人間と自立型ロボットが同じ職場で働いていた場合のトラブルはどう考えればいいのか、そこが問題なのだ。

 小林さんの話によると、新しい概念に基づく新しい法律の制定でしか対応できない新しい事態が二つと、これまでの法律で対応できるが、法解釈の変更が必要になる新しい事態がある。最後に、これらの3つの新しい事態に対応できる新しい人材(NEW Genelation)の育成が急務であるという。だから、ロボット法学会の設立を法曹界は急いでいるのだろう。

 第一のNEW。

 人間によってあらかじめプログラムされているとはいえ、そのアルゴリズムによって自ら考え、行動する自律した人工知能の登場は、従来の機械とはまったく違うNEW Machineであるという事態。これは従来の機械の延長線上にあるものでもないという意味である。

 その場合でも、判断の責任は人間にあるという原則を堅持し、ロボットに任せてはならないという原則が必要だとしている。ロボット同士の事故の場合、事故回避の手順についてあらかじめ優先順位を決めておくなど、ロボットの監督責任は人間側にあるという考え方である。

 第二のNEW

  次に、人間とロボットの間の関係をあらかじめ明確にしておかなければならないという新しい事態のことである。これは人間同士の関係を規定した従来の法学にはなかった。

 人間と動物の関係を定めた法律に動物愛護法があるが、ロボット愛護法が必要になるだろうという考え方である。捨て猫をしてはいけないように自立型ロボットを野放しにしてはならないという禁止法も必要だろう。これは機械とは異なる対応である。ロボットの殺処分のありかたも今後論議を呼ぶだろう。感情表現できる人間に近い人工知能が登場しつつあるが、それであればなおさらだろう。

 第三のNEW

  刑事であれ、民事であれ、従来の法律には

 過失とは何か

ということが厳格に法律で規定されている。この場合の過失とは人間の過失のことである。

 社会通念上、当然払うべき注意をしてさえすれば、事態の予見は可能であり、かつ結果の回避の可能性もあったのに、それを怠った。これを過失としている。

 それでは、

 ロボットの過失とは何か

ということが問題になる。つまり、社会通念上、当然払うべき注意とは何か。従来の過失の解釈変更が求められるというわけだ。ロボットを刑務所に入れたり、損害賠償請求訴訟を起こすことは出来ないのだから、この場合、ロボットの過失と人間の過失の関係の規定がポイントになる。

 自動運転でひき逃げ事件が発生した場合、乗っていた人間には過失はなかったと主張できるのかどうか。さりとて、すべての責任は乗っていた人間にあるのは当然というこれまでの常識的な考え方が通用するのかということも問題になろう。

 第四のNEW

  こうした新しい、そして込み入った問題に的確に、従来の「人間法学」と整合性をもって対応できる人材を育成することは喫緊の課題であるというのは、その通りだと理解した。

 こう考えてくると、ドローン規制の場合のように従来の法律、航空法を改正して規制だけすればいいという考え方では、人工知能ロボットの到来という世界の潮流やそれが引き起こす新しい産業革命に乗り遅れるだけでなく、その恩恵に預かる機会を逃すことにもつながる。

 むずかしい時代に入ったと思うのは、人工知能を相手にするのが苦手なブログ子だけであろうか。

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人工知能で名作の小説が書けるか

(2016.01.15) 先日の「視点・論点」で、弁護士の福井健策さんが、どういうわけか

 来るか人工知能作家の時代

について話していた。公立はこだて未来大学の松原仁教授の

 気まぐれ人工知能プロジェクト「作家ですのよ」

の紹介である。4年前に始まったらしい。

 簡単に言えば、10年ほど前に亡くなったショート・ショートの名手、星新一さんの残した全作品約1000篇をコンピューターに蓄積し、ショート・ショートの具体的なつくり方を分析する。一方、生前、星さんは、ショート・ショートのアイデアの発想法について、

 ひらめきの法則

という創作法をまとめている。たとえば、その法則の一つは、異質なものを組み合わせるというやり方である。この法則と実作1000点から、「ひらめき」のアルゴリズムを構築、

 人工知能コンピューターをショート・ショート作家に育てる

というものである。うまく出来上がれば、亡くなった星さんは、これからも永遠にショート・ショートを書き続けることになるというわけだ。

 素晴らしい

と思った。

 将棋ソフトのようにプロ棋士を打ち負かす理詰めの人工知能はいずれできるであろう。東大受験に合格する人工知能もあるいはもうすぐできるかもしれない。しかし、ショート・ショートとはいえ、理詰めをこえたひらめきコンピューターとなるとどうか。さらには渡辺淳一さんばりの男と女の愛の物語が、人工知能によって本当に創作できるようになるのだろうか。

 第一作ショート・ショートが来年2017年には発表されるらしい。楽しみである。出来はともかく、第一作自体がベストセラーになる可能性もあるだろう。

 ところで、なんでそんなことを弁護士が話をとくとくと「視点・論点」(Eテレ)でしていたのかということだ。最後にわかったのだが、

 その作品の著作権は誰のものか

という問題があるからなのだ。人工知能に著作権があるのか、それとも開発した研究者のものなのかという難問である。また盗作とみなされないように盗作ルールを回避して人工知能は小説をつくりあげる。このこと自体はそう困難ではない。

 当分は駄作となるだろうから、問題はない。しかし、もし人間の感性に訴えるようなすぐれた創作で、ベストセラーになったらその著作権料は誰のものになるのか。 こうなると、人工知能が名作を生み出す前に法的にどうさばくかということをつめておく必要がある。だから、著作権の専門家、福井さんが今登場していたというわけである。

 また小説家のほうも

 自動小説作成装置

が登場するのだから、安閑としてはいられない時代になる。将来、作家は人工知能で創作された小説に、手を入れて最終的に完成させるという役割が主な仕事になる。そんな時代がそう遠くない将来にやってくるような気がする。

 いずれ、作家も小説家も人工知能とインタラクティブに作業をすすめる時代を迎える。

 ブログ子の予測だが、こうなると小説を書くためには自分用にカスタマイズされたプログラミング言語がいずれ開発されるだろう。作家になるためには、日本語のほかにこの言語を学ばないと小説が書けない時代になる。

 逆に言えば、誰でもがこの人工知能を購入すれば、すぐにでも小説家になれるともいえる。将来は作家受難の時代になる、かもしれない。

 そこで、ふと思った。

 そういう時代が来るという発想で書かれた星さん自身のショート・ショートの作品はないのだろうか。あるはずだと思うのだが、あれば、ぜひ読んでみたい気がする

 ● 補遺 2016年2月7日記録

 中日新聞2016年1月27日付中日新聞に、

 小松左京さんの未完の遺作『虚無回廊』

   続きは人工知能で? 分析用に全作品データ提供

という記事が出ている。提供先は、公立はこだて未来大学だという。

 記事によると、大学のほうはまだ本格的には取り組んでいないとのことだか、将来、未完に終わった作品が完結作品として出版されるかもしれない。仮に出版されたとしても、この完結作品の著作権は誰のものになるのだろう。

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鈍感力で生き延びた古代漁たち       -- インドネシアにシーラカンスを追う

(2016.01.17)  インドネシア海の深くに幻の古代漁、シーラカンスを追い、その生態を撮影しようという最新の調査(岩田雅光研究員)がBS朝日で紹介されていた(BS朝日「地球紀行」1月16日夜放送)2015年にはあらたに2匹の生態撮影に成功した。

 シーラカンスといえば、アフリカ大陸東部のマダガスカル島周辺の海が有名だが、インドネシア海の複雑に入り組んだ島々も穴場らしい。具体的にはスラウェシ(セレベス)島北部の島影。生息が深海なので、人間が直接生息している場所まで潜るのは困難であり、代わって自走式水中ビデオカメラを持ち込んで船上でその装置をコントロールするというやり方で根気よく探索が行われていた。

 どんな理由でそんなにシーラカンスが大事なのか

という点については、水中に生息していた魚類が、4億年も前の古生代デボン紀にどのようにして陸上4足歩行の両生類に進化していったのかという進化の過程の謎解きにあるという。シーラカンスは魚類の仲間だが、ヒレの魚体への付き方が普通の魚と違ったり、また浮き袋状の肺もあったりして正真正銘の魚というわけにもいかない。さりとてまだしっかりヒレがあったりしてヒレなどない両生類の仲間というのでもない。

 シーラカンスは、それらの合いの子

なのだ。そこで一応、魚類ではあるが、二の腕のような筋肉の先にふさ状のヒレがくっついているという特徴から

 魚類のなかの肉鰭(にっき)類

という位置づけで系統分類されているらしい。ヒレと魚体の間に二の腕のような筋肉がついているので、泳ぎが非常にうまい。流れの速い流域でも定点にとどまれるよう筋肉(二の腕)でヒレを上手にコントロールできる。その安定して泳いでいる様子を番組でも紹介していた。

 ● アクアマリンふくしまの調査から

 Imgp3753_1 この調査をしたのは、アクアマリンふくしま(福島県いわき市小名浜=写真左、2014年4月撮影)。ブログ子もこの海洋博物館には、東北大震災の3年後に被災状況の現実を拝見するために出かけたのだが、博物館については震災の被害はすっかり払拭されていた。ただ、見学時間がわずかしか取れなかったこともあり、ここが、日本におけるシーラカンスの生態研究の一大拠点になっていたとは知らなかった。

 2001年からじまったシーラカンス生態調査研究で、10年前に初めて今回と同じ地域の海で一度に7匹のシーラカンスの撮影に成功している。その後タンザニアでもたくさんのシーラカンス撮影に成功するという実績を上げている。

 番組に登場した安部義孝館長は、東北大震災では津波で全館停電となったり、水槽が破壊されたりし、多くの展示魚類が死亡した。しかし、なぜか古代魚の仲間たちは、そんななかでも何とか生き残っていたと話していた。

 その理由を問われて、館長は

 「古代魚は環境の変化に鈍感。すぐれた鈍感力がある」

と笑ってこたえていた。環境適応もいいが、あまりたくみに適応しすぎると、ちょっとした環境異変で種全体が絶滅に追いやられるということを言いたかったのだろう。

 ● 絶滅種の生の声を聞く

 大部分の古代漁は環境の変化に耐えられず遠い遠い昔に種としては絶滅してしまった。しかし、そのなかで鈍感力にすぐれた一部の個体の末裔だけが、今日まで環境変化の少ない深海でひそかに遺存種としてわずかに生き延びてきたというわけだ。

 4億年も前に絶滅した古代魚の生き残り(遺存種)からも、

 なぜ元のまま生き残ってきたのか/なぜ種全体は大昔絶滅したのか

という点で学ぶことがある。魚類から陸上への進化の解明とともに、わずかに残った遺存種の姿から、生の声を直接聞くことも重要であろう。そこには、現生生物というごく一部の勝者の進化にはけっして書かれていない膨大な絶滅した敗者の論理と歴史が潜んでいる。

 そんな思いで、今度はしっかりと「アクアマリンふくしま」を訪れてみたい。 

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逃げろや、逃げろ             ------ あの池波正太郎「真田」を超えられるか

(2016.01.16)  原作・脚本が人気の三谷幸喜さんだというので、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の初回放送を楽しみにして拝見した。そして、

 「これなら、面白さで池波正太郎さん原作のかつてのNHK大型時代劇ドラマ『真田太平記』を超えるかもしれない」

と感心した。なにしろ、冒頭は、主人公、幸村を演じる堺雅人がほおかぶりをして、紛れ込んだ徳川陣営から馬を盗んで脱兎の如く逃げるというシーンから始まるのには、びっくりした。

  まるで、次の秘策に向け、今は弱者にとって、

 退却こそ最善の策

といっているかのようだ。うがった言い方だが、日本人お得意の勇ましく玉砕することへの批判もユーモラスに込められているように思えた。

Image2260  週刊朝日に連載された池波さんの原作『真田太平記』(写真左=全16巻)は1970年代のものであり、ドラマ化されたのも今から25年以上も前、平成に入ってまもないころ。この時代劇ドラマでは、幸村役は、今回は父、昌幸役で出ている草刈正雄さんだった。そのほか、渡瀬恒彦、丹波哲郎さんも出演していた。たしか、榎木孝明、遥くらら、長門裕之さんたちも出ていたと思う。

 池波さんの原作の冒頭「春の雪崩」は

 「明日は、お前、死ぬる身じゃな」

 急に、女のささやきが聞こえた。

という織田信長軍に包囲された武田方の重要拠点、高遠城の落城前夜のシーンから始まる(1582年3月)。

 なんと、今回もほぼ同じ、この時期の武田軍(勝頼)敗走シーンから始まる。いきなり危機的な状況からの真田家の「船出」であり、いかに真田家が終始、緊張を強いられながら戦国の世を決断力で生き抜いてきたかを、見事に演出していた。

 ● 視聴率の「倍返し」も

 これなら、堺雅人が演じたあの半沢直樹ドラマの台詞ではないが、前回の振るわなかった大河ドラマの視聴率も

 「倍返しで、年間平均20%超ははやくも見えてきた」

といえそうだ。池波「真田」と比較しながら拝見すれば、この一年、歴史好きのブログ子としてもおもしろいドラマが楽しめそうだ。

 池波「真田」の一つの視点は、

 「忍び」

に光を当てていることだが、三谷「真田」では、これに対しどう出るかも、楽しみである。

 なかなか史料発掘がむずかしい「忍び」については、その研究をこの5、6年続けている静岡文芸大の歴史家、磯田道史さんの登場もなんらかの形であるかもしれないし、登場してほしいとも思う。

 それはあとのお楽しみとして、池波「真田」と三谷「真田」をこの一年、比較しながら番組を見てみたい。

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「二つの文化」統合のむずかしさ  ------- 『社会生物学論争史』を読む

(2016.01.09)  日本語に翻訳された直後の10年前、かなり高いのに買った上下巻本を、このお正月の10日あまりで、ついに上巻だけを読み終えた。いつか暇になったら読もうと思っていた

 『社会生物学論争史 誰もが真理を擁護していた』(みすず書房、2005)

であるが、著者はウリカ・セーゲルストローレというフィンランド生まれの社会科学者(ハーバード大教授)。

Imgp9159 上下巻で約800ページ近くもあるものの、まあ10日もあれば当然読破できると思った。のだが、どうしてどうして、メモを取り、考えながら読み進んでいったこともあり、三部構成のうち最初の

 社会生物学論争で何があったのか (上巻)

だけだった(残り二部からなる考察は下巻)。人間の行動の基盤は遺伝子が決めるのか、それとも生まれた後の環境が決めるのかというそもそものテーマ自身が入り組んでいるということもあるが、フィンランド人の英語を日本語に翻訳するのだから、ベテラン名翻訳家の垂水雄二さんもさすがに苦悶したことだろう。それでもなお、意味がとりにくいところが多数存在し、読み違えそうになったことが幾度とあったことをここに記しておきたい。

 これが第一の感想である。第二の感想は、この大作は国際的に見ても第一級の科学社会学の成果といえるというものだった。日本における科学社会学の水準をはるかに抜く。

● 100年前のポアンカレ以来

 その上で、読後感の結論を先に言えば、20世紀半ば、C.P.スノーがいみじくも指摘したこと、つまり、

 文学的人種(文系)と純粋な科学者と応用科学者(理系)という「二つの文化」を統合することが、20世紀後半も終わりに近づいてもなお、いかにむずかしいかということを、四半世紀も延々とつづいた論争はまざまざと見せ付けてくれている

というものだった。20世紀初頭、大数学者で物理学者のアンリ・ポアンカレが、その畢生の著作『科学と方法』(1908年)のなかでロシアの文豪、レフ・トルストイの

 「科学的な真理よりも、道徳的な価値を優先するべきだ」

との趣旨に厳しく批判している論争をほうふつさせるものがあった。

 上巻を読んで思うのは、自然科学の成果と人文・社会科学との成果とがともに「科学」と呼べるものであるならば、

 必ずそれらは両立しなければならない

というものである。その意味から言えば、どちらが勝者となったのかということよりも、道徳的/政治的な価値に対して、科学の価値とは何かということも考えさせる論争だった。ポアンカレもトルストイとのやりとりから『科学の価値』(1905)において深く考察している。

 この意味で、E.O.ウイルソンやR.C.ルウォンティンなどの当事者たちの消耗戦もあり、論争は生産的であったとまではいえないだろう。しかし、第三者からみると、論争は双方ともに有益であったと判定できるのではないか。つまり、双方ともに社会との関係で何が根本的に問題なのかということについて、あらかじめ慎重に見極めることが大事であるということが具体的に理解できたからである。

 別の角度からの感想をあえて述べれば、吉川英治の長大な大長編

 『新・平家物語』(全8巻、講談社)

を読み終えたときのような感慨、

 雨降って地固まる

というものだった。論争というと、どちらが勝ったか負けたかということにとかく関心が集まりそうだが、むしろともに武士として公家に代わる武家政権の確立に貢献した。今の場合でも論争における「二つの文化」統合は、ともに科学者であるとの共通認識のもとに真摯な研究をすすめれば、困難はあるが可能だと思う。つまり、強姦、ないし反目ではなく、互いに尊敬しあえる結婚は、科学論争である限りはできる。 

 以上は中間報告だが、以下、下巻読了後の総括に向けた備忘録をメモ風に書き留めておく。

 (なお、この著作の章ごとの詳しい書評については、分子生物学的系統分類学者の三中信宏氏(みなかのぶひろ)がネット上に公開している。これまた長大だが、必読の批評である。2005年4月4日閲覧)

 ● 備忘録メモ

 ・ ノーベル医学・生理学賞(1973年)を受賞したN.ティンバーゲンは、名著『本能の研究』で、

 動物の行動の科学的研究(エソロジー)においては、次の4つの「なぜ」に同時にこたえることが重要である

と語っている。

 まず、行動の直接的な要因。

 ①(行動の仕組み)

  ある動機(解発刺激)がきっかけとなってある行動が引き起こされるその生理的、心理的、社会的なメカニズムとは具体的にどのようなものか。これは生物種ごとの脳の構造とその機能の解明を意味する。

 ②(行動の発達)

  その行動は、個体の一生において、どのように習得され、発達するか。

 次に、行動の進化的な要因。

 ③(行動の価値)

  その行動は、環境との関係において、どのように適応的か。つまり、その行動の進化的な機能は何か。

 ④(行動の進化)

  その行動は、系統的進化の過程において、どのように祖先型の行動から出現したか。

 ティンバーゲンは1950年代、動物行動学の切り口をこの4つに整理した。昆虫の本能の観察に没頭したファーブルは①と②に関心があり、進化論にたどり着いたダーウィンは③と④の要因研究に生涯を捧げた。

 ティンバーゲンは、動物行動学の目標は、この4つの要因に同時にこたえることだと主張したのである。

  なお、集団遺伝学の泰斗、マイヤー(1961)は、国際会議でネオダーウィニズムの学問を

 機能生物学(物理・化学的な因果性を追究。①と②)

 進化生物学(集団遺伝学など自然選択理論に基づく適応の因果性の追及。③と④)

とに二分することを提案し、ほぼ広く受け入れられた(生態学の伝統が長い日本では、ナチュラリストを中心に後者は進化生態学と呼ばれている)。

 ・ そして、1970年代のアメリカ。

 1975年に『社会生物学 新しい(知の)統合』を世に問い、人間の本性とは何かという挑戦的なテーマに還元主義の下に挑んだ。人間の文化や行動の生物学的な基盤は遺伝的な変異(遺伝子)であるという仮説の提示である。遺伝子が文化の引き綱になっているという数学モデルも提示している。その遺伝子は利己主義的な振る舞いではなく、利他的な適応主義を掲げ、包括適応度という数学モデル(ハミルトン論文、1965年)を援用しているなど、きわめて数学的な、定量的な仮説になっている。

 しかし、この生物学的な仮説(遺伝子決定論)の考え方は、素人である大衆には現在の世界は考えうる中で最善のものであり、不平等、人種差別、性差別は当然であり、自然であり、結局、解釈次第では不可避的に人間のなかに組み込まれている遺伝子のせいであると簡単に結び付けられる、あるいはそう映る。だから、生まれた後の環境要因決定主義者から「われわれは遺伝子の中にはいない」として猛反発を招く。仕掛けられた大論争の始まりである。

 科学の真理と道徳的/政治的な価値の関係をめぐって

 遺伝子が人間の文化や行動の引き綱になっている

            Vs

  われわれは遺伝子の中にはいない

の対決が、70年代は比較的に科学論争を基調に、80年代は道徳的/政治的な論争を基調に、そして、90年代には、サイエンス・ウォーズなど、拡散含みの様相に変化しながら、アメリカ、続いてイギリスで激突した。

 ・ 1970年代のアメリカでこうした論争が起きた原因として、一つは1953年のDNA構造の発見によってその後1960年代アメリカで、遺伝子の構造や機能の理解が分子レベルで急速に高まったこと、およびアメリカで当時も今も根強い人種差別に対する批判、たとえば黒人公民権運動など社会的/政治的な高まりが挙げられるだろう。

 ・ 残念なのは、こうした論争に日本の進化生物学界、科学社会学界がほとんど関与しなかったこと。日本の学問は明治期以来、完成整備されたものを輸入する方式で成り立っており、学問の根本を論争するという基盤ないし気風がそもそも根付いていなかったことが大きいだろう。

 さらに、その学問内部における背景についても、いずれ、たとえば

 講座進化第二巻 進化思想と社会(岸由二)

などで検討してみたい(東京大学出版会、1991年)。同時代に生きた生物学者、今西錦司氏の独自進化論との関係も興味深い。

 ● 1980年代前半、突然〝開国〟

  ・ なぜ、日本にはこうした学問論争がなかったのかについて、進化生態学者の岸由二氏は、上記論考、

 現代日本の生態学における進化理解の転換史

で次のように〝断罪〟している。

 「戦後の日本の生態学界およびその周辺には、(ソ連の生物学界を断続的な大論争に巻き込んだルイセンコの遺伝・進化理論の強い影響を受けたこと以外に)もうひとつの、きわめて顕著な反ダーウィニズムの動向があった。いわゆる今西進化論と呼ばれる論説で、これもまた、日本の生態学界をネオダーウィニズムにそう進化生態学の動向から厳しく隔絶させるうえで、大きな影響力を示したものである」

と書いている。具体的には、今西錦司氏が定年直前に本格的に反ダーウィニズムを宣言した論文

 「進化の理論について- 正統的進化論に対する疑義」(京都大学「人文学報」第20巻(1964))

を挙げ、停滞させた主犯の今西氏をはじめ、弟子たち京都学派を批判している。おもしろいのは、岸氏は

 「しかし、日本の生態学界はなぜこの時点(1980年代前半)で、しかも京都大学を拠点として、進化生態学に、そしてネオダーウィニズムに開国する方向を選んだのだろうか」

と鋭く切り込んでいることだ。開国の具体的な動きとして、国の予算的な主導の下で、しかも京都学派中心の大型プロジェクト

 特定研究「生物の適応戦略と社会構造」(1982-85年)である。

 この突然の開国について、当時活発に進行中の社会生物学論争など進化生態学(の世界的な)流行のインパクト、国内研究者の世代交替の開始、今西進化論という対抗的進化理解の無力の自覚、ルイセンコ学説など「脱イデオロギー化」の四つを、岸氏は開国要因として挙げている。

 わかりやすく言えば、日本生態学界のそれまでの主導権と権威が失墜するという危機感が京都学派を、国主導の特定研究という開国に走らせたというわけだ。岸氏は、幕末から明治維新において、イデオロギーにとらわれて黒船打ち払いを叫んでいた尊皇攘夷派が、明治維新とともに一気に(現実に目覚め)開国に走ったのと同じ現象であると京都学派を痛烈に揶揄している。

 さらに、岸氏は、この時点で日本ではなんら論争がなかったことについては、(ネオ・ダーウィニズムを混乱なく早急に日本に輸入するという点では)むしろ喜ばしいことだったと回想している。京都学派への痛棒であり、同時代を苦々しい思いで歩んできた同業人ならではの見方として真実味があっておもしろい。

 ・ 日本に、日本動物行動学会が京都学派を中心に設立されるのは、特定研究がスタートする同じ年、1982年であることも注目される。さらに、

 「不幸」にしてこれまで「広い視野で進化を論じる学会」がなかったとした上で、「生物科学全体の正常な発展を望み、」「生物の進化と多様性の解明」に向け

 日本進化学会

が設立されたのは、今西錦司氏がなくなって7年後のようやく1999年10月だった(カッコ内は設立趣旨からの引用)。今西氏が本格的に反ダーウィニズム宣言をしてから35年後であり、戦後間もないころいち早くできた日本生態学会(1953年)からでは46年、半世紀近くも後だったことは忘れるべきではないだろう。

 なお言えば、正統な進化の総合説として「ネオ・ダーウィニズム宣言」が国際的に行われたのは、1947年のプリンストン大での国際会議だった。日本進化学会が設立されたのはそれからまさに50年以上たってからであり、この半世紀の出遅れは今も解消していないと言えるだろう。

 なお、現在では日本進化学会の関連学会として、このほか、

 日本遺伝学会、日本分子生物学会、日本人間行動進化学会

などがある。

 これに関し、ブログ子の意見を述べると、日本人の学問観には、明治以来

 学問の大枠は海外から完成した形で輸入するものである

という考え方が根強い。基礎よりも経済活動につながる成果を手っ取り早く手に入れる方法論である。しかし、これに対し今西氏の独自進化論はこれに大いに異論を唱えたものであり、その点については正しく評価しなければならないと思う。

 今西に誤りがあったとすれば、それは自らの学説に自信を持つあまり、謙虚に海外研究に正当に耳を傾けなかった意固地さにあったといえよう。文化勲章受章者として、また生態学の日本の指導者として器量に欠けた晩年だったと言ったら言いすぎだろうか。

  ・ 岸氏の論考と並んでおもしろいのは、

 正統的な進化論について、日本語で読める唯一の現代進化論入門書(研究者用あるいは大学院生用)としては、

 D.J.フツイマ『進化生物学 原書第2版 』(岸由二ほか訳、蒼樹書房、1991年)

が初めてだという事実。原書の初版(1979年)、第2版(1986年)は、1980年代、世界の標準的な進化生物学の教科書として定着していた。それが1990年代に入って、原著だけでなく、ようやく日本語でも読めるようになったことは、正統派の現代進化生物学の日本における受容が1990年代に入って堰を切ったように加速度的に、そして広く一般にも浸透し始めたことを意味する象徴的な出来事といえる。日本進化学会の設立(1999年)もこうした動きを背景にしたものと理解できる。

 ● 自然哲学者として

  ・ 最近、弟子として、あるいはジャーナリストとして身近で今西学問を見つめてきた斎藤清明氏による評伝

 『今西錦司伝 「すみわけ」から自然学へ』(ミネルウ゛ァ書房、2014)

が出版された。斎藤氏は、評伝を締めくくって、

 「今西の進化論は、自然学という自然観に昇華していったのだとおもう。進化の要因を考えないという今西だが、それでは(科学的な)セオリー・メーカーとして、十分に応えたことにはならないのだが、(部分ではなく全体自然を理解しようとする哲学的な)自然観ということになれば、それはそれでいいのではないだろうか」

と書いている(かっこ内はブログ子の補い)。斎藤氏は「まるごとの生きた自然を相手にせよ、と」今西氏は訴えているとも解説している。

 要するに、晩年の今西氏は

 もはや科学者でも生態学者でもなくなっていた

ということである。あえて言えば、

 分析的な自然科学のあり方の根底を問う全体論的な自然哲学者

となっていた。今西氏の戒名の最初が「自然院」となっているのは、その証拠だろう。とすれば、ブログ子が、科学者として晩年の意固地さを指摘したのは筋違いということになる。

 最後に、ブログ子の手元にあるそんな今西氏の一般書を年代順に掲載しておく。

 『生物の世界』(1941年)

  『私の進化論』(1970年)

  『ダーウィン論』(1977年)

  『主体性の進化論』(1980年)

  『進化論も進化する』(1984年)

  『自然学の提唱』(1984年)

 最初の『生物の世界』の解説を後に書いた上山春平氏(京大名誉教授)は、独自の思索と体験をふまえ、この本によって

 「今西さんは、哲学から生物学への道をつけた」

と述べている。この本を著してから50年。最後は生物学者から再び、哲学者に戻っていった生涯、それが今西氏の歩んだ道だったといえそうだ。

 今西氏は科学者ではなく、終始、山登りの好きな哲学者であり続けたということが、日本の生物進化の理解において、あるいは不幸だったかもしれない。

  ・ 適応主義のネオ・ダーウィニズムVs適応主義は要らないとする今西進化論の対決は、

 ネオ・ダーウィニズムのドーキンスVs多元主義のグールドの構図であるともいえる。社会生物学論争の一変形、あるいは日本版なのだ。

 ドーキンスが擁護する適応主義は観察を実地に数学モデルで厳格に検証するための適応仮説なのだ。この仮説でどうしても説明できないような、あるいはどんなモデルでも説明できない観察があれば、その時はそれも包含するような新たな仮説を設けるというヒューリスティックな科学方法論のひとつである。これ以外にどんな科学的な方法があるのかというわけだ。これに対し、グールドは、現状こそ最適だというパングロス主義的な適応主義は検証不能な、トートロジーに陥る「なぜなぜ物語」になってしまう方法論だと、その非科学性を批判する。

 全体論的な今西進化論は仮説検証型ではないので、検証が不可能なのだ。哲学論争ならばともかく、これでは研究が前にはすすまない。「種は変わるべくして変わる」というのでは科学ではない。ここに多元主義のグールド同様の科学方法論としては致命的な欠陥があった。

 社会生物学論争では、もうひとつ、

 自然界はどうなっているかということを突き止めるための仮説をめぐる議論

と 

 その仮説が道徳的/政治的に許されるかどうかという価値をめぐる議論

とが、互いに錯綜し、かつ誤解したまま激突した。この二つの議論は別の話であり、一つにまとまることはない。日本には人種差別の問題がほとんど社会問題にならないこともあり、今西批判では科学論争だけに限定され、このややこしい誤解論争がなかったことは、幸運だったろう。別の言い方をすれば輸入学問であることが幸いしたともいえる。

  ● 下巻へのメモ

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広い宇宙で今後も人類は生き残っているか ---- その生物学的考察

(2016.01.08) 図書館に行ったついでに、おもしろそうな

 『広い宇宙で人類が生き残っていないかもしれない物理学の理由』

という長いタイトルの本を借りて、読んでみた(C.アドラーの近著。青土社、2014)。タイトルが長いので読んでみたというだけなのだが、

 「人類がこれから100年生き延びる保証はない」、氷河期が約15000年前に後退し

 「安定した人類社会が成り立ったのは農業が発明されたことによる」、さらに

 「人類が数千年後までには確実にやってくる次の氷河期を生き延びられるかどうか、そこにははかりしれないものがあり、まったくわからない」

と書いていて感心した。その通りだろう。そこで、物理学者の著者は、物理学の知識を駆使して、どのくらい生き延びられるのかということをあれこれ計算している。

 しかし、ブログ子も物理学を専門的に学んだのだが、今ひとつピンと来なかった。その計算には過去の生物学的な事実に基づいたリアリティ感がなく、説得力に欠けていた。過去の歴史とは無関係なただの計算なのだ。

 そこで、もう少し、なるほどと思われるような生物学的な考察に立脚した計算をしてみた。

 結果はこうだった。

 おめでたいお正月に言うのも何だが、結論を先に言えば、

 まもなく、早ければ30年後には人類はもう生き残っていないかもしれない

という意外なものだった。温暖化の進行がなくても、核戦争がなくても、である。もちろん、北朝鮮の水爆実験がなくてもである。30年後といえば、ブログ子がまだぎりぎり生きている可能性があるのだが、どういうことか、こうだ。

 ● ホモ属の寿命は尽きかけている

 それには、まず計算の前提となる、考えている人類の定義を確認する必要がある。何をもって人類としているのかという問題である。

 広い意味で人類というのは、人類学では

 ヒト(科)

をさす。つまり、尾っぽのない類人猿(チンパンジーなど)から800万年から800万年前に分かれた

 アルディピテクス(属)、そこから400万年前に枝分かれしたアウストラロピテクス(属)の猿人と、それら猿人から約250万年前に枝分かれした大きな脳と二足歩行の

 私たちホモ(属)

である。人類とは、広い意味では猿人も含めてこの合計3属なのだが、通常は、猿人を除いた狭い意味のホモ属のみをさす。これまでこのホモ属は枝分かれして250万年たつのだが、この間におよそ15の「種」を枝分かれしながら生みだした。このうち現在の生き残っているのは

 わたしたち現生人類、つまりホモ・サピエンス種のたった1種のみ

である。あとはすべて絶滅した化石人類。たとえばこの中には、北京原人などのホモ・ハビリス種、ネアンデルタール人などのホモ・エレクトス種が含まれる。

 ここからわかるのは、

 800万年から600万年の間に、(広い意味の)人類3属を生みだした。狭い意味の人類ホモ属は、分岐から250万年で15種の種を生みだした

ということである。

 ここで忘れてならないのは、広い意味の人類のうち猿人の2属はすでに絶滅しており、狭い意味の人類である残ったホモ属もわたしたちホモ・サピエンス種という1種類以外はすべて絶滅しているという事実である。

 要約すると、広い意味の人類であろうが、狭い意味の人類であろうが、そのいずれであっても、人類というヒト(科)のなかで生き残っているのは

 ホモ・サピエンスという1種類の種しかいない

という事実である。わたしたち現生人類のホモ・サピエンスが絶滅するとき、それは単なる1種が絶滅するときではなく、まさに人類という800万年から600万年の連綿とした歴史を持つヒト(科)全体が絶滅するときなのである。ヒト(上科)で残るのは類人猿という科しか残らない。それはチンパンジーの天下を意味する。

 ところがで、ある。

 大雑把で単純計算すれば、人類の出現前後の進化段階では

 属の寿命は、平均約250万年

 種の寿命は、平均約17万年

である。この属の平均寿命は、さまざまな人類考古学的な発掘調査から

 ホモ属が登場した200万年前

と、誤差の範囲内でほぼ一致する。この一致はホモ属の寿命は終わりを迎えていることを示唆する。

 しかも、そのホモ属の最後にあたるホモサピエンスが登場したのは、人類考古学の調査からアフリカ東部で、時期は約20万年前と推定されている。

 ということは、ある程度の誤差を考えると、ホモ・サピエンスの種としての寿命も過去の生物学的な考察からはそろそろ寿命を迎えていることになる。

 これまでホモ・サピエンスは親から子へ約6000世代をへているが、

 そろそろ新しいポスト・ヒューマン=新人類誕生に向けて分岐する

段階にあるといえるかもしれない。

 ただ、ここで注意すべきことは、この段階移行は単なるホモ属の中の新種誕生ではないという点である。なぜなら、人類の枠、ホモ属も同時に寿命を迎えているからである。ホモ属にはもはや新種を生み出す生物的な力はない、行き止まりの状況にあるのかもしれないからだ。

 つまり、ポスト人類があるとすれば、それは生物学的な進化ではないということを意味する。

 それはどういうことか。遺伝子を伴う生物学的な進化は、人類絶滅後、類人猿(科)が引き続き、担っていく。しかし、人間(ホモサピエンス種)を含めた人類は、これまでのような遺伝子の進化とは別の特異な進化を遂げていかざるを得ないことになる。

 それは何か。それは技術という文化による進化である。

 そして、それはいつか、そしてそれはどのような形でかということになる。

 ● ポスト・ヒューマンという新種の登場 

 これについては、このブログでも紹介したが、『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版、2007年。原著2005年)のレイ・カーツワイルによると

 2040年代に人類は特異点に到達し、これまでのようなゆっくりとした遺伝子変異を伴わないで、

 生物的人間という種が、非生物学的に急速に進化

し、脱人間化するというもの。これは人類が遺伝子工学、知能ロボット工学、バイオ技術という文化を爆発的に発展させた結果だというのが彼の結論。わかりやすく言えば、シュワルツネッガー主演の最新映画

 「ターミネーター 再起動」

である。「人間でもない。(高度な人工知能の)機械でもない。それ以上だ」の世界を垣間見せてくれる。 

 それはともかく、これが起きるとすれば、ブログ子や同い年のカーツワイル氏が生きているかもしれない時の出来事である。果たしてそうなるのかどうか、この目で確かめたい気もする。

 なお、このほか、最近の話題の書として

 この論考の再論という性格のある

 『人工知能 人類最悪にして最後の発明』(J.バラット、ダイヤモンド社、2015年)

というのも面白い。テレビ番組のフリー・プロデューサーの著作だが、こちらも地球の未来は明るくないと結論付けている。

 もうひとつ、未来は明るくない説の本として、

 2093年、世界は終わるというキャッチコピーの

 『こうして世界は終わる』(ナオミ・オレスケス/E.コンウェイ、ダイヤモンド社、2015年)

というのがある。カーツワイル書とは対照的に、感染症の爆発的な広がり、熱波、海面上昇、人口大移動、資本の集中、市場の失敗など人為的な原因で、

 人類は「崩壊」する

というもの。社会学的な考察というわけだが、300年後の未来からの警告という視点ではあるものの、内容的にはごく平凡な仮説。それとても崩壊は今から80年後。つまり、著者たち二人ともが死亡した後間もないころにやってくるとしている点で無責任というか、おちゃらけでケッサク。こんな本に1400円も出して読もうという人がいるとはとても思えない。

 ● 余談的な補遺

 話がだいぶ横道にそれたが、元に戻して、これまでの生物学の研究によると、地球誕生以来、この地球に登場した

  生物「種」の99.9%

は絶滅している。今生き残っている種、ホモ・サピエンスも含めておおよそ1000万種だが、それは地球上にかつて存在した種の0.1%にすぎない。その幸運のホモサピエンスもついに、生物学的には行き止まりの絶滅の状況にあるということかもしれない。あとは生物進化に頼らない技術という文化に頼る、そして地球上で初めてのまったく新しい急速な進化かもしれない。

 進化のメカニズムが違うとは言え、そうして生まれた新種を人類と定義するのかどうか、そもそも生物と認めるのかどうか、それはまた別の話だろう。こう考えると、カーツワイル氏の話をまったくの荒唐無稽だとは言えない。生物か非生物かは別にしてむしろ進化論的にはもっともらしいリアリティがある。

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一筋縄ではいかない埋もれた歴史  ---- むざんやな、廃城

(2016.01.08)  歴史好きのブログ子だからだろうか、BS朝日の、全国に今も残る天守閣を持つ城12を紹介する先日のスペシャル番組をついつい見てしまった。

 その一つは昨年夏に国宝に指定された松江城であり、ブログ子も訪れた。紹介されたこれらの城はいずれも国の重要文化財か、国宝である。

 番組の内容は、これらの城について、いかに守りが堅く、また天守や石垣がいかにりっぱかという話に尽きていた。たとえば、天守閣を持つ城のうち唯一の山城である

 備中松山城(重文)

が紹介されていた(岡山県高梁(たかはし)市、1680年代完成)。こんな高いところに築いたのは守りにはいいのだろうが、肝心の

 「水の手」の確保

は大丈夫なのかと心配になった。それが確保されたとしても、そしていくら堅固でも、籠城戦というのは援軍が来ない限り、かならず落城する。援軍が当てにできれば、なんとかそれまで持ちこたえて敵を撃退できる可能性はある。しかし、なければ所詮、負け戦である。

 大阪城の冬、夏の陣

を例に挙げるまでもなく、これは当時も、そして今も常識。同盟軍という援軍もなく国際社会から孤立すれば、敗戦間近い日本を例に挙げるまでもなく、負け戦である。

 そんなこんなで、この番組を見ていて、どうも歴史の発想がおかしいと気付いたのだが、その違和感がどこから来るのか、最初、よくわからなかった。

 ● 反面教師の番組

 Image22572 が、気付いた。

 残った天守閣のあるりっぱな城だけが、城ではない

という歴史的な事実である。何百、何千とあった、そして今は忘れ去られた廃城にこそ、

 敗者と勝者の一筋縄ではいかない埋もれた歴史がある

という事実である。

 むざんやな、廃城をゆく

という番組があってもいいと思う。真の歴史認識はそこから始まるであろう。それには気楽な12天守物語ではなく、廃城の歴史を掘り起こす地道で困難な作業が要る。

 そんなことを教えてくれた反面教師番組だった。

 ● 追記

 この発想は、城だけに限らないだろう。

 廃止になった鉄道、あるいは廃止になった道

 廃線、廃道をゆく

という歴史紀行がもっとあっていい。司馬遼太郎さんの明るく楽観的な『街道をゆく』とは趣きのことなるもうひとつの歴史が浮かび上がってくるだろう。

 そんな思いで、後日、歴史の上を歩く

 近著 『廃線紀行 もう一つの鉄道旅』(梯久美子、中公新書)

を読んでみた。通常の鉄道マニアの著作とは異なり、梯さんの鋭い切り口と歴史感覚が随所にみられる深みのある良書だった。

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公的な図書館も初売りの「福袋」

(2016.01.09)  高齢者の老人になって、そうそうお金もないので、手元にない本についてはできるだけ図書館を利用することにしている。

 お正月とあって暇なので、JR浜松駅の近くにある浜松市立図書館(駅前分室)に出かけたら、なんと、

 福袋

と書かれた紙袋が受付カウンター横に並んでいた。売り物かなと思ったら、係りの人は

 「おすすめする本をまとめて、お貸ししています。いかがですか」

とこたえてくれた。普通の福袋と同様、どんな本が入っているのか、その中身はおおよその分野はわかるのだが、借りる時には、具体的な書名まではわからないのがミソ。開いてのお楽しみというわけだが、

 自分の読みたい本だけを借りる

という発想の転換を求めているらしい。それだと、視野が狭くなりがち。新たな発見や読書範囲も広がらない。これまでの常識を年に一度、お正月のときに破ってみようという狙いがありそうだ。

 いかにも市民思いのやり方に感心した。

 しかし、よく考えてみると、図書館側にもせっかくの蔵書をより多くの人に貸し出したい〝販売促進(販促)〟という思惑もある。

 そんなことを考えていたら、いつのまにか件の福袋が貸し出されてしまったのか、帰るころにはカウンターからみんななくなっていた。

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生物進化が教えてくれるダーウィン工学 

(2016.01.07) 蚊の血を吸うくちばしが痛くない注射針に、カイコが口から引っ張り出す絹糸で人工血管を、トンボの羽のデコボコ構造を微風でもOKの風力発電のプロペラに-というように数億年をかけてつくりあげてきた生物の体のつくりを真似た先端技術について、先日

 夢のムシ技術

として、NHK番組で放送されていた。自然に適応して進化してきた生物のやり方を模倣する技術の紹介なのだが、まだある。針山孝彦さん(浜松医科大学教授)は

 フナムシの足

に注目した。歩いているときに、それだけで地面から水を吸い上げているフナムシの微細な足の構造観察から、毛細管現象に着目して

 二重構造の毛細管足

を工学的に開発した。これだと

 重力に逆らってどこまでも高く、しかも自動で水を吸い上げることができる技術

につながる。

 針山さんは生きたまま生き物を電子顕微鏡で観察できる技術、マイクロスーツの開発でも知られている。これまでは電子顕微鏡で観察するには生き物など試料を真空状態に置く必要があった。これだと死体しか観察できない。生きた状態を観察するために、針山さんは生き物に、いわば真空から身を守る

 マイクロスーツ

を着せる技術を開発した。医学への大きな貢献だ。

 Image2256 この番組をみて、ダーウィン医学にならって、いまや

 ダーウィン工学

が大きく発展している様子がうかがえた。

 いまや進化論は認識論の域をこえて、あるいは単なる数学モデルの域をこえて目に見える

 エンジニアリング

という応用分野にも進出していることを知った。

 番組では、昆虫の観察で知られるファーブルが進行役として登場していたが、むしろチャールズ・ダーウィンこそ、この番組を見たらさぞかし驚いたであろう。

 生物の進化は自然選択による適応

によって起る。生き物は神によって一気に創られたものではない。今の生物の姿は、自然法則に正確に則って、それに長い時間をかけて少しずつ自然法則に適応した結果である。進化では神は必要ない。

 現代の進化生物学のこの基本的考え方を、実際に生き物たちは文字通り、そして見事に体を張って証明しているようにみえる。 

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人の心をつかむ 木下藤吉郎の頭陀寺で

Imgp9139 (2016.01.06)  そうそういい事ばかりが続くわけはないと思って、難除大師で知られる

 青林山 頭陀寺(浜松市、ずだじ。高野山真言宗)

に初詣に出かけた(写真右)。難除は、なんよけと読み、大師とは弘法大師、空海のこと。無料で配られていた「難除大師御守」はとっくになくなっていたので、今年の運試しも兼ねて有料で手に入れた。

 立ち去る前に、ほとんど誰もいない境内でお寺関係者と話をしてた。それによると薬師如来を祭る飛鳥時代創建のこの勅願寺は、

 木下藤吉郎ゆかりの寺

でもあることがわかった。若き日十代の藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が境内を歩き回っていたらしい。1550年代のころである。

 Imgp9153 木下姓を名乗る農家の子、あるいは合戦で手柄をたてた足軽の子だった藤吉郎は、母の再婚を機会に家を離れ、行商(針売り)をしながら、引馬城(今の浜松城)の支城、頭陀寺城の城主(松下家、寺侍)に拾われたらしい。寺の近くには奉公中の藤吉郎が鎌をせっせと研いでいたとされる池が今も残っている(写真左)。寺の南隣接地あたりには奉公先の松下屋敷跡の石碑も立っている(今の頭陀寺町第一公園内)。

 こんな話を聞いて、藤吉郎は織田信長に拾われるまでは、当時すでに大名だった今川氏の家臣(直臣)の家臣(陪臣松下家)の一番下の家来だったことを知った。ところが、1560年、今川氏が桶狭間の戦いで織田信長に破れた。それがきっかけで松下家を離れ、その後、今度は信長側に取り入ったらしい。

 ● 針売りの行商から天下取り

 それから40年で天下を取ることになる。

Imgp9154  写真右のクスノキの巨木の下にあるほんの小さな木下藤吉郎鎌研池(空池)にたたずむと、

 針売りという行商をしながら浜松にたどり着いた藤吉郎は人の心をとらえる生き様を磨いていたこと

が伝わってくる。これが後の蜂須賀小六の心をとらえたり、どうすれば城を落とせるのかという巧みな人心掌握戦法、戦術を編み出したりすることになったようだ。

 親から捨てられたような一介の農民の子がわずか一代、40年で乱世を生き抜き、天下を取るには、それなりの合理的な理由があるはずだ。幸運もあったろうが、周りから、あるいは訪れる先々でさげすまれた行商の身からつかみとった

 人の心をとらえ、とり入る処世術

こそ、大きな要因だったろう。樹齢500年はあろうかという研ぎ池のクスノキ巨樹はきっとそのことを見届けていただろう。

 この処世術は、大業を成し遂げる場合だけでなく、困難を乗り切ったり、難を除けたりする場合にも必要だろう。

 そう思いながら、藤吉郎の生き方や難除の空海の幸運にあやかりたいと御守りに願いを込め、夕暮れの迫る寺を後にした。

 ● 参考

 頭陀寺は、戦前までは三重塔がそびえているなど勅願寺にふさわしい古刹だった。しかし、先の大戦での浜松空襲や遠州灘からの米軍艦砲射撃で伽藍のほとんどは灰燼に帰したらしい。

 ただ、弘法大師のお像だけはこの難を逃れたことから、難除大師の寺として地域の人々に親しまれている。

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不沈戦艦大和の泣きどころ 設計者の証言

(2016.01.04)  またまたひまなので、ついついBS放送を見てしまった。途中からだが、THE歴史列伝の

 戦艦大和2時間スペシャル(BS-TBS)

である。まあ、勇ましい、この種のもので見たからといって得ることはまず何もない。ごくごくレベルの低い特集であろうと思ったが、反面教師という面で

 Image2255 何か得ることはあるはず

という気持ちで見ていた。

 六平直政さんが毎回最後に出てきて、まとめ話の最後に

 そして傑作が生まれた 「グッドJOB !」

と決め台詞を言うのだが、今回ばかりは

 そして悲劇が生まれた 「バッドJOB !」

というところだろう。戦艦大和がいかに素晴らしい技術でつくられたかということを、大和ミュージアム(広島県呉市)の館長を交えて、とくとくとおしゃべりする。しかし、当の戦艦大和の設計主任で、現場で建造の指揮もとった造船技師(大佐)だった牧野茂さんによると、真珠湾攻撃直後に就役した

 大和は不沈戦艦どころか、多くの欠陥を抱えた艦船

だったことがわかる(『牧野茂艦船ノート』(出版協同社、1987)の「不沈戦艦大和を考える」「大和で泣かされた機密」「大和の泣きどころ」章参照)。

 今から20年前になくなった牧野さんだが、この本の「あとがき」で

 「戦後私が最も関心を持ったのは、先輩や私どもが、自信を持って計画し、建造したはずの多数の軍艦が、実戦に臨んで予想外の脆さで失われていった事実に対して、その原因を究明することであった。率直にいえば、わが軍艦のどこが拙かったかという点について、調査することである。」

と書いている。しかも、「この調査は止めることなく続けたいと思っている。」とも強調している。失敗について、技術者として責任をほかに転嫁することなく、真摯に学ぼうという姿勢は共感できる。「脚色も自己弁護もせず、時には自省もこめ、客観的・直線的に話す人」との人物評価があるが、うなずける。

 ● 機密指定は慎重を期すべし

 その牧野さんが、「大和で泣かされた機密」の章で次のように述べているのは、現代でも十分通用する教訓と受け止めたい。機密保持に苦労した当時の毎日を振り返り、戦後に

 「機密の扱いによって得る利益より、それによって失う損益のほうがはるかに大きい」

と喝破している。具体的にはたとえば「高度の機密艦ゆえに各部局で設計時に十分に検討されなかったため、引渡し間近に設計変更を必要としたなどは、これも機密による大きな損害である」と指摘している。「さらに機密が人心の不安をもたらすことまで考えると、損害は計り知れないものがある。」とまで言い切っている。

 機密指定は慎重を期すべし

との指摘は、苦い体験をしたものらしい現代にも通用する名言であろう。

 こう考えると、この特集、まったくくだらないとも言えない気がしてきた。くだらなさを穴埋めするために、視聴者自らが考えるように仕向けるからだ。案外、この番組の本当の狙いはこのへんにあるのかもしれない。

 だとしたら、この番組は大変に優れたき企画であるといえそうだ。

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今だけに生きているチンパンジー      ほかの動物にはない人間の進化的本性とは

(2016.01.04)  ひまなお正月というのもいいものだ。あまりに暇だったので、BSテレビの放送大学「特別講義」を拝見した。

 チンパンジーの心・ヒトの心

  人間の本性の霊長類的起源

という講義だった。話が、松沢哲郎さん(京大霊長類研究所所長、愛知県犬山市)だと知って、聞いてみた。さすがは松沢さん、見事な、そして説得力のある、しかもわかりやすい内容だった。

 ● 類人猿には想像する能力がない

 結論を一言で言えば、霊長類の中では進化的に人間に一番近いはずの

 チンパンジーの心には過去のことも、未来のこともない。目の前の現在のみに生きている

というものだった。絶望もないが、そのかわり希望もない世界に生きている。驚くべき結論である。これに対して、人間の心には過去や未来も含めて

 想像する能力が進化的に備わっている

という。チンパンジーの脳にはこの想像する能力がない。しかし人間の赤ちゃんにはこの想像する仕組みが進化的に脳にしっかりと刻み込まれている。

 これらのことをほとんど疑いのない実験や観察で確かめたことを、わずか45分の授業のなかで具体的に紹介していた。

 今から600万年から800万年前、霊長類(分類学的には「目」)のなかのチンパンジー属から進化的に分岐したヒト(科)。ほかの霊長類にはない、したがってほかの動物にもないヒト(科)としての

 ヒトの本性は想像する能力

であるというわけだ。ヒト(科)には、3つの属、古いほうからアルディピテクス(属)、アウストラロピテクス(属)、ホモ属があるが、いずれも想像する能力が備わっていると考えられている。

 ● 人間の「社会性の起源」

 以下は、ブログ子の仮説だが、この3属のうち、約200万年前最も新しく分岐したホモ属(この属の中で現在も生存している種はたった1種しかいない。わたしたちホモ・サピエンス種である)のみが、おそらく、想像する力をさらに発達させて

 ホモ・サピエンス種の(相手に)共感する能力、共感力

を獲得したのだろう。人間の赤ちゃんは生まれながらに想像する能力を持っているが、共感力は後天的な行動を通じて少しずつ養われる(今の類人猿ではいくら訓練してもこの共感力を生涯持つことはできない。前提となる想像力がそもそも脳の働きとして具わっていないからだ)。これが、ほかの動物にはない

 ホモ・サピエンス種の社会性の起源

であり、ホモ・サピエンスがかろうじて絶滅せずに生き残り、今も生きながらえている原因ではないか。この共感力によって

 自己犠牲を惜しまない、あるいは見返りを期待しない家族のルールと対等のギブ・アンド・テイクの地域共同体ルールの両立

を図っていった。森に暮らすゴリラは家族のルールを、木から地上に下りたチンパンジーは主として共同体ルールを選択した。しかし、食料を求めて地上からサバンナへとより生存競争の厳しい環境に立ち向かっていった人類=最終的にはホモ・サピエンスは、その両立を図ることで生きのびていった。

 ●行動が共感力を進化させた

 脳がトップダウンで行動を決めているのではない。こうした人類の環境への行動が、遺伝子の制約の中で脳の構造を決める。その結果として心、今の場合、共感力を強めるように人類は進化し、生きのびてきた。

 そんなことを「想像」させる見事な講演だった。

 なお、人間(ホモ・サピエンス)の場合、何歳ごろから、想像力から発達させたこの共感力を持つようになるのかということをうかがい知る番組として、

 「4歳児のヒミツ」(Eテレで2015年9月6日深夜再放送)

が面白かった。イギリスの研究者たちのある保育園に密着した実験の様子をまとめたものだが、子どもたちは友情をどのように築くのかなど、大人たちの知らないリアルな日常を活写している。友情を育むのに必要な共感力は4歳児ごろから発達することがよくわかる。つまり、

 人間の子どもが想像力や共感力といったほかの動物にはない高度の能力を身につけるようになるのは、4歳児以降

ということになる。そういえば、子どものころの大人の過去の記憶も、確かなものは小学校に入学後(6歳)から。あやふやなものも含めてもせいぜい4歳ぐらいまでであろう。3歳のころまでの記憶は、たとえその様子をスナップ写真で見せられても本人の記憶にはそれを体験したという実感は残っていない。

 つまり、人間の4歳児は、もはや

 今だけに生きているというチンパンジーの世界

には生きていない。過去も未来も想像できる。そして、この番組のように相手の立場を想像し理解し、その上で友情を育むには欠かせない共感力も身につけるようになる。このことは、入園したばかりの年少組の保育園児(3歳児)には、とてもむずかしい。

  ● 補遺 講演を聴いた後に補足も入れて作成したメモ

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このインドなるもの 映画「ライフ オブ パイ」

(2016.01.02)  お正月の暇つぶしに、BSプレミアムの

 ライフ オブ パイ

というのを見た。3年前のお正月、劇場映画として公開されたものだが、見そびれていた。サブタイトルをストーリー的に言えば、動物園を経営する一家が動物も引き連れてインドからカナダへ移住する途中、乗った貨物船が嵐で遭難、家族のなかの少年が一人だけ生き残り、

 トラと(大西洋を狭い救命ボートで)漂流した227日

の過酷な物語というもの。見たのだが、この映画は何を描こうとしたのか、最近のハリウッド映画とは違いあまりに洗練されているので、見ている間にはまったくわからなかった。日本映画にはもちろん、ヨーロッパ映画にもない感覚が伝わってきた。ドタバタがない分、大海原を舞台としたこの映画には、見る者にじっくり考えさせるという不思議な力があった。

 この映画の監督、アン・リーは、この映画に何を込めたのであろうか。

 ブログ子の到達した結論を先に言えば、インドからカナダへの移住という設定のなかで、アメリカや西欧世界にはない

 インド的なものを描こうとした

というものである。その象徴が、インドだけに生息し、今や絶滅の危機にある圧倒的な存在感のベンガルトラである。一家の動物園で飼われてはいたものの、そして漂流中はなんとか少年と命をつなぎあっていた。しかし、漂着先のメキシコ海岸の砂浜に到着するやいなや、瀕死の少年の前をゆっくりと通り抜け、そのまま静かに野生のジャングル世界に戻っていった。

 ラストシーンは、その間、トラは一度たりとも少年のほうを見やることはなかったというもの。そして、その振り返ることのなかったトラの後姿をじっと悲しげに見つめていた衰弱しきった少年。砂浜に倒れていた彼は駆けつけた住民たちによってようやく文明世界に戻っていった。最後には、ただまばゆいばかりの砂浜ビーチの照り返しのみが映し出された。

 きわめて洗練された監督のメッセージであり、このシーンを描きたいがために、この映画をつくったということがようやくわかった。遭難で亡くなったものの、少年の父親は合理的な精神、科学的なものの考え方が大事だいつも教育していた。しかし、監督は、それだけがこの世界のすべてではない、インド的なものもあることを伝えたかったのだろう。

 具体的には、ベンガルトラは、このインドなるものの象徴として描かれたと思う。それをもっと具体的に言えば、インド人の心の中に深く刻み付けられている西欧文明への同化の拒否だといえば言いすぎであろうか。この映画の舞台をカナダへの移住の途中の遭難に設定したことに強い意味が汲み取れる。

 ● 「大西洋漂流76日間」

 このブログでは、ヨット遭難による大西洋の漂流について、2014年9月9日付で

 「大西洋漂流76日間」(S.キャラハン、早川書房)

について書いた。なぜ、一人ぼっちで2か月半も生きつつけられたのか、耐えられたのかについて、その要因を4つほど考察してみた。今回の映画の漂流日数はこの3倍も長い。到底、現実の漂流を描いたものではない。同じ大西洋漂流でも、キャラハンの物語は

 アメリカ人の、ドキュメンタリー風な事実の形而下物語

であり、

 パイの物語は

 インド人の、超自然的な目には見えない形而上物語

という違いがある。

 そんな思いもあり、ヤン・マーテルの原作『パイの物語』をいつか読んでみたい。映画の後半に出てくる人っ子一人いない美しい「謎の浮島」が何を意味するのか、あるいは原作と映画のテーマの違いなどもわかるかもしれない。そうすれば、また違った感想が出てくるだろう。なかなか難解な映画だったが、観る者に考えさせようという意図のある点では成功していると思う。

 それはともかく、「男はつらいよ」寅さん映画の嫌いなブログ子だが、お正月映画だからといって、バカにはできない映画もあることを思い知った。 

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