« 一筋縄ではいかない埋もれた歴史  ---- むざんやな、廃城 | トップページ | 「二つの文化」統合のむずかしさ  ------- 『社会生物学論争史』を読む »

広い宇宙で今後も人類は生き残っているか ---- その生物学的考察

(2016.01.08) 図書館に行ったついでに、おもしろそうな

 『広い宇宙で人類が生き残っていないかもしれない物理学の理由』

という長いタイトルの本を借りて、読んでみた(C.アドラーの近著。青土社、2014)。タイトルが長いので読んでみたというだけなのだが、

 「人類がこれから100年生き延びる保証はない」、氷河期が約15000年前に後退し

 「安定した人類社会が成り立ったのは農業が発明されたことによる」、さらに

 「人類が数千年後までには確実にやってくる次の氷河期を生き延びられるかどうか、そこにははかりしれないものがあり、まったくわからない」

と書いていて感心した。その通りだろう。そこで、物理学者の著者は、物理学の知識を駆使して、どのくらい生き延びられるのかということをあれこれ計算している。

 しかし、ブログ子も物理学を専門的に学んだのだが、今ひとつピンと来なかった。その計算には過去の生物学的な事実に基づいたリアリティ感がなく、説得力に欠けていた。過去の歴史とは無関係なただの計算なのだ。

 そこで、もう少し、なるほどと思われるような生物学的な考察に立脚した計算をしてみた。

 結果はこうだった。

 おめでたいお正月に言うのも何だが、結論を先に言えば、

 まもなく、早ければ30年後には人類はもう生き残っていないかもしれない

という意外なものだった。温暖化の進行がなくても、核戦争がなくても、である。もちろん、北朝鮮の水爆実験がなくてもである。30年後といえば、ブログ子がまだぎりぎり生きている可能性があるのだが、どういうことか、こうだ。

 ● ホモ属の寿命は尽きかけている

 それには、まず計算の前提となる、考えている人類の定義を確認する必要がある。何をもって人類としているのかという問題である。

 広い意味で人類というのは、人類学では

 ヒト(科)

をさす。つまり、尾っぽのない類人猿(チンパンジーなど)から800万年から800万年前に分かれた

 アルディピテクス(属)、そこから400万年前に枝分かれしたアウストラロピテクス(属)の猿人と、それら猿人から約250万年前に枝分かれした大きな脳と二足歩行の

 私たちホモ(属)

である。人類とは、広い意味では猿人も含めてこの合計3属なのだが、通常は、猿人を除いた狭い意味のホモ属のみをさす。これまでこのホモ属は枝分かれして250万年たつのだが、この間におよそ15の「種」を枝分かれしながら生みだした。このうち現在の生き残っているのは

 わたしたち現生人類、つまりホモ・サピエンス種のたった1種のみ

である。あとはすべて絶滅した化石人類。たとえばこの中には、北京原人などのホモ・ハビリス種、ネアンデルタール人などのホモ・エレクトス種が含まれる。

 ここからわかるのは、

 800万年から600万年の間に、(広い意味の)人類3属を生みだした。狭い意味の人類ホモ属は、分岐から250万年で15種の種を生みだした

ということである。

 ここで忘れてならないのは、広い意味の人類のうち猿人の2属はすでに絶滅しており、狭い意味の人類である残ったホモ属もわたしたちホモ・サピエンス種という1種類以外はすべて絶滅しているという事実である。

 要約すると、広い意味の人類であろうが、狭い意味の人類であろうが、そのいずれであっても、人類というヒト(科)のなかで生き残っているのは

 ホモ・サピエンスという1種類の種しかいない

という事実である。わたしたち現生人類のホモ・サピエンスが絶滅するとき、それは単なる1種が絶滅するときではなく、まさに人類という800万年から600万年の連綿とした歴史を持つヒト(科)全体が絶滅するときなのである。ヒト(上科)で残るのは類人猿という科しか残らない。それはチンパンジーの天下を意味する。

 ところがで、ある。

 大雑把で単純計算すれば、人類の出現前後の進化段階では

 属の寿命は、平均約250万年

 種の寿命は、平均約17万年

である。この属の平均寿命は、さまざまな人類考古学的な発掘調査から

 ホモ属が登場した200万年前

と、誤差の範囲内でほぼ一致する。この一致はホモ属の寿命は終わりを迎えていることを示唆する。

 しかも、そのホモ属の最後にあたるホモサピエンスが登場したのは、人類考古学の調査からアフリカ東部で、時期は約20万年前と推定されている。

 ということは、ある程度の誤差を考えると、ホモ・サピエンスの種としての寿命も過去の生物学的な考察からはそろそろ寿命を迎えていることになる。

 これまでホモ・サピエンスは親から子へ約6000世代をへているが、

 そろそろ新しいポスト・ヒューマン=新人類誕生に向けて分岐する

段階にあるといえるかもしれない。

 ただ、ここで注意すべきことは、この段階移行は単なるホモ属の中の新種誕生ではないという点である。なぜなら、人類の枠、ホモ属も同時に寿命を迎えているからである。ホモ属にはもはや新種を生み出す生物的な力はない、行き止まりの状況にあるのかもしれないからだ。

 つまり、ポスト人類があるとすれば、それは生物学的な進化ではないということを意味する。

 それはどういうことか。遺伝子を伴う生物学的な進化は、人類絶滅後、類人猿(科)が引き続き、担っていく。しかし、人間(ホモサピエンス種)を含めた人類は、これまでのような遺伝子の進化とは別の特異な進化を遂げていかざるを得ないことになる。

 それは何か。それは技術という文化による進化である。

 そして、それはいつか、そしてそれはどのような形でかということになる。

 ● ポスト・ヒューマンという新種の登場 

 これについては、このブログでも紹介したが、『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版、2007年。原著2005年)のレイ・カーツワイルによると

 2040年代に人類は特異点に到達し、これまでのようなゆっくりとした遺伝子変異を伴わないで、

 生物的人間という種が、非生物学的に急速に進化

し、脱人間化するというもの。これは人類が遺伝子工学、知能ロボット工学、バイオ技術という文化を爆発的に発展させた結果だというのが彼の結論。わかりやすく言えば、シュワルツネッガー主演の最新映画

 「ターミネーター 再起動」

である。「人間でもない。(高度な人工知能の)機械でもない。それ以上だ」の世界を垣間見せてくれる。 

 それはともかく、これが起きるとすれば、ブログ子や同い年のカーツワイル氏が生きているかもしれない時の出来事である。果たしてそうなるのかどうか、この目で確かめたい気もする。

 なお、このほか、最近の話題の書として

 この論考の再論という性格のある

 『人工知能 人類最悪にして最後の発明』(J.バラット、ダイヤモンド社、2015年)

というのも面白い。テレビ番組のフリー・プロデューサーの著作だが、こちらも地球の未来は明るくないと結論付けている。

 もうひとつ、未来は明るくない説の本として、

 2093年、世界は終わるというキャッチコピーの

 『こうして世界は終わる』(ナオミ・オレスケス/E.コンウェイ、ダイヤモンド社、2015年)

というのがある。カーツワイル書とは対照的に、感染症の爆発的な広がり、熱波、海面上昇、人口大移動、資本の集中、市場の失敗など人為的な原因で、

 人類は「崩壊」する

というもの。社会学的な考察というわけだが、300年後の未来からの警告という視点ではあるものの、内容的にはごく平凡な仮説。それとても崩壊は今から80年後。つまり、著者たち二人ともが死亡した後間もないころにやってくるとしている点で無責任というか、おちゃらけでケッサク。こんな本に1400円も出して読もうという人がいるとはとても思えない。

 ● 余談的な補遺

 話がだいぶ横道にそれたが、元に戻して、これまでの生物学の研究によると、地球誕生以来、この地球に登場した

  生物「種」の99.9%

は絶滅している。今生き残っている種、ホモ・サピエンスも含めておおよそ1000万種だが、それは地球上にかつて存在した種の0.1%にすぎない。その幸運のホモサピエンスもついに、生物学的には行き止まりの絶滅の状況にあるということかもしれない。あとは生物進化に頼らない技術という文化に頼る、そして地球上で初めてのまったく新しい急速な進化かもしれない。

 進化のメカニズムが違うとは言え、そうして生まれた新種を人類と定義するのかどうか、そもそも生物と認めるのかどうか、それはまた別の話だろう。こう考えると、カーツワイル氏の話をまったくの荒唐無稽だとは言えない。生物か非生物かは別にしてむしろ進化論的にはもっともらしいリアリティがある。

|

« 一筋縄ではいかない埋もれた歴史  ---- むざんやな、廃城 | トップページ | 「二つの文化」統合のむずかしさ  ------- 『社会生物学論争史』を読む »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/63025932

この記事へのトラックバック一覧です: 広い宇宙で今後も人類は生き残っているか ---- その生物学的考察:

« 一筋縄ではいかない埋もれた歴史  ---- むざんやな、廃城 | トップページ | 「二つの文化」統合のむずかしさ  ------- 『社会生物学論争史』を読む »