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鉾山車の起源、気ままに - 祇園祭考

11_26_019780717 (2015.11.26)  ブログ子は、1970年代、京都に15年くらい学生として暮らしていた。だから、何回もというか、たいてい毎年7月の祇園祭には宵山や宵々山に出かけている。日が沈んだあとの蒸し暑さと凪風のなかの四条通りの華やぎや、にぎやかさは今も忘れられない。

 しかし、1か月にわたる祇園祭の最高潮はなんといっても、17日の華麗で豪華な真昼の山鉾巡行であろう。30基近い山と鉾が、長刀鉾を先頭に京都市中心部を一列にならんで巡行する。

 このとき山や鉾に掲げられた豪華なタペストリーには沿道の誰しもが目を奪われる。鶏鉾の見送りにかかっているコブラン織は15世紀製作のベルギー製という豪華さ。

 しかし、

 鉾の山車(だし)がなぜあのような形になっているのか

ということについては、ほとんどその起源について解説を聞いたことがない。祇園祭では毎年くじ引きで決まる巡行順序など山鉾参観案内書が配布される。これには鉾の各部分の名称についての「山と鉾の解説」(写真下)はある。ものの、この疑問にこたえるような解説はない。鉾や山のそもそもの源流は9世紀の平安時代ということぐらいで、今のような異国風の盛大な構造になったのはいつかという話はとんと聞かなかった。ブログ子もまた、そんな疑問は京都暮らしの間にはわかなかった。

 11_26_119780717 ここに示した写真の月鉾(上)、菊水鉾(下、いずれも1978年7月撮影)だけでなく長刀鉾など、船鉾を除いた鉾にはかならず天を突くような飾り付きの尖塔(正しくは神霊がとりつく依代の真木、しんぎというらしい)が、赤い縄隠しとともに屋根に突き立てられている。

 しかし、社会に出て、いろいろなところで山車を見る機会が何度もあったが、

 屋根にあの天をつくような飾りつき尖塔

のあるのは、祇園祭の山車だけだった。現に、今、ブログ子は浜松に暮らすが、5月の浜松まつりの山車(浜松では御殿屋台という)には、豪華さでは祇園祭に見劣りはしないが、こうした尖塔はない。

 ● フィレンツェ大聖堂の復活祭山車にそっくり

 そんな折、先日、BSプレミアムの10分ミニ番組

 世界で一番美しい瞬間(とき)

というのを、見て、アッとおどろいてしまった。ルネサンスのカラフルな衣装を身にまとった行列が紹介されていた。祭りのクライマックスは山車に仕掛けられた花火。1年の豊作と人々の幸せを、つくりもののハトで占う趣向もあり、フィレンツェの美しいその瞬間を映し出していた。

 要するに、イタリア・フィレンツェの(花の)大聖堂での復活祭の様子を映像で伝えていたのだが、牛に引かれて大聖堂の真ん前に登場した山車のつくりが祇園祭の鉾とよく似ていて高い尖塔を持っていた。行列の華やかな様子といい、山車自体の形と大きさといい、「縄隠し」という飾りつけといい、祇園山車の鉾に似ていた(以下の資料写真参照)。祇園祭は八坂神社(祇園社)の夏祭りだが、フィレンツェの場合も、キリスト教の春祭りであるのも似ている。

 11_26_0 このスコッピオ・デル・カッロ(山車の爆発)は、500年の伝統があるという。

 対して祇園祭の山鉾も応仁の乱後で焼失したのを乗越えて復活、今のような形できらびやかに衣替えしたのも1500年代に入ってからであるという。1500年代に入るとヨーロッパ文化、とくにスペイン、イタリアなどのラテン系キリスト教文化が南蛮文化として日本に盛んに入ってきてもいた。これらのことを考えあわせると、

 祇園祭の鉾山車の形はヨーロッパ文化、たとえばフィレンツェ文化から京都の当時の町衆によって選び取られていった

といえるのではないか。尖塔はヨーロッパゴシック建築の象徴的な建築様式であるが、これが日本では依代の真木となった。

 祇園鉾の起源はラテン系キリスト文化。

 気ままにそう言いたくなるほどの、また自由奔放に想像たくましくしたくなるほどの番組だった。

 さらに想像するに、フィレンツェの祭りの様子、あるいは「山車の爆発」という祭りの名称からも、

 そもそも山車とは今で言う戦車をイメージ

したものではないかとさえ、思えた。フィレンツェの祭りでは山車が花火の火花で包まれる。これは山車を戦車に見立てられているからだろう。

 たまには、あまり根拠のはっきりしない想像を膨らますのも、

 見えない左側の発見

というこのブログの趣旨に沿っていて、いいのではないか。そう思い、あえてここに紹介してみた。

 読者のご意見も聞きたい気がする。

 なお、ブログ子が1970年代に買った本に

 『祇園祭』(米山俊直、中公新書、1974)

というのがあるが、都市人類学ことはじめというサブタイトルが付いているにもかかわらず、こうした話は書かれていない。ので、あえて述べてみた。

 (  室町通四条下ルの鶏鉾を背景に。見送りは15世紀のベルギー製コブラン織。1980年7月16日夕方 )

 11_27_0_119800716

 ● 参考

 ユネスコ無形文化遺産登録へ向け、日本の文化庁が提案している

 「山・鉾・屋台行事」の33件のうち、愛知県には全国最多の5件が選ばれている。選ばれてはいないが、このほかの山車や祭りの数は全国でも有数。 

 愛知県内の山車については、あいち山車まつり日本一協議会設立(2015年12月、名古屋市)の全面広告(中日新聞2016年1月14日付朝刊)に

 あいちの山車について(写真)

という解説記事があり、参考になる。

01_14_020160114

  また、この番組のものではないが、花の大聖堂前での「山車の爆発」の様子の資料写真を以下に掲載する。

 出典= 

 http://www.aboutflorence.com/firenze-gaido/firenze-rekishi-gyouji.html

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