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2015年11月

鉾山車の起源、気ままに - 祇園祭考

11_26_019780717 (2015.11.26)  ブログ子は、1970年代、京都に15年くらい学生として暮らしていた。だから、何回もというか、たいてい毎年7月の祇園祭には宵山や宵々山に出かけている。日が沈んだあとの蒸し暑さと凪風のなかの四条通りの華やぎや、にぎやかさは今も忘れられない。

 しかし、1か月にわたる祇園祭の最高潮はなんといっても、17日の華麗で豪華な真昼の山鉾巡行であろう。30基近い山と鉾が、長刀鉾を先頭に京都市中心部を一列にならんで巡行する。

 このとき山や鉾に掲げられた豪華なタペストリーには沿道の誰しもが目を奪われる。鶏鉾の見送りにかかっているコブラン織は15世紀製作のベルギー製という豪華さ。

 しかし、

 鉾の山車(だし)がなぜあのような形になっているのか

ということについては、ほとんどその起源について解説を聞いたことがない。祇園祭では毎年くじ引きで決まる巡行順序など山鉾参観案内書が配布される。これには鉾の各部分の名称についての「山と鉾の解説」(写真下)はある。ものの、この疑問にこたえるような解説はない。鉾や山のそもそもの源流は9世紀の平安時代ということぐらいで、今のような異国風の盛大な構造になったのはいつかという話はとんと聞かなかった。ブログ子もまた、そんな疑問は京都暮らしの間にはわかなかった。

 11_26_119780717 ここに示した写真の月鉾(上)、菊水鉾(下、いずれも1978年7月撮影)だけでなく長刀鉾など、船鉾を除いた鉾にはかならず天を突くような飾り付きの尖塔(正しくは神霊がとりつく依代の真木、しんぎというらしい)が、赤い縄隠しとともに屋根に突き立てられている。

 しかし、社会に出て、いろいろなところで山車を見る機会が何度もあったが、

 屋根にあの天をつくような飾りつき尖塔

のあるのは、祇園祭の山車だけだった。現に、今、ブログ子は浜松に暮らすが、5月の浜松まつりの山車(浜松では御殿屋台という)には、豪華さでは祇園祭に見劣りはしないが、こうした尖塔はない。

 ● フィレンツェ大聖堂の復活祭山車にそっくり

 そんな折、先日、BSプレミアムの10分ミニ番組

 世界で一番美しい瞬間(とき)

というのを、見て、アッとおどろいてしまった。ルネサンスのカラフルな衣装を身にまとった行列が紹介されていた。祭りのクライマックスは山車に仕掛けられた花火。1年の豊作と人々の幸せを、つくりもののハトで占う趣向もあり、フィレンツェの美しいその瞬間を映し出していた。

 要するに、イタリア・フィレンツェの(花の)大聖堂での復活祭の様子を映像で伝えていたのだが、牛に引かれて大聖堂の真ん前に登場した山車のつくりが祇園祭の鉾とよく似ていて高い尖塔を持っていた。行列の華やかな様子といい、山車自体の形と大きさといい、「縄隠し」という飾りつけといい、祇園山車の鉾に似ていた(以下の資料写真参照)。祇園祭は八坂神社(祇園社)の夏祭りだが、フィレンツェの場合も、キリスト教の春祭りであるのも似ている。

 11_26_0 このスコッピオ・デル・カッロ(山車の爆発)は、500年の伝統があるという。

 対して祇園祭の山鉾も応仁の乱後で焼失したのを乗越えて復活、今のような形できらびやかに衣替えしたのも1500年代に入ってからであるという。1500年代に入るとヨーロッパ文化、とくにスペイン、イタリアなどのラテン系キリスト教文化が南蛮文化として日本に盛んに入ってきてもいた。これらのことを考えあわせると、

 祇園祭の鉾山車の形はヨーロッパ文化、たとえばフィレンツェ文化から京都の当時の町衆によって選び取られていった

といえるのではないか。尖塔はヨーロッパゴシック建築の象徴的な建築様式であるが、これが日本では依代の真木となった。

 祇園鉾の起源はラテン系キリスト文化。

 気ままにそう言いたくなるほどの、また自由奔放に想像たくましくしたくなるほどの番組だった。

 さらに想像するに、フィレンツェの祭りの様子、あるいは「山車の爆発」という祭りの名称からも、

 そもそも山車とは今で言う戦車をイメージ

したものではないかとさえ、思えた。フィレンツェの祭りでは山車が花火の火花で包まれる。これは山車を戦車に見立てられているからだろう。

 たまには、あまり根拠のはっきりしない想像を膨らますのも、

 見えない左側の発見

というこのブログの趣旨に沿っていて、いいのではないか。そう思い、あえてここに紹介してみた。

 読者のご意見も聞きたい気がする。

 なお、ブログ子が1970年代に買った本に

 『祇園祭』(米山俊直、中公新書、1974)

というのがあるが、都市人類学ことはじめというサブタイトルが付いているにもかかわらず、こうした話は書かれていない。ので、あえて述べてみた。

 (  室町通四条下ルの鶏鉾を背景に。見送りは15世紀のベルギー製コブラン織。1980年7月16日夕方 )

 11_27_0_119800716

 ● 参考

 ユネスコ無形文化遺産登録へ向け、日本の文化庁が提案している

 「山・鉾・屋台行事」の33件のうち、愛知県には全国最多の5件が選ばれている。選ばれてはいないが、このほかの山車や祭りの数は全国でも有数。 

 愛知県内の山車については、あいち山車まつり日本一協議会設立(2015年12月、名古屋市)の全面広告(中日新聞2016年1月14日付朝刊)に

 あいちの山車について(写真)

という解説記事があり、参考になる。

01_14_020160114

  また、この番組のものではないが、花の大聖堂前での「山車の爆発」の様子の資料写真を以下に掲載する。

 出典= 

 http://www.aboutflorence.com/firenze-gaido/firenze-rekishi-gyouji.html

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「坂東の大学」足利学校 儒学を学ぶ杏壇

(2015.11.22)   作家、吉川英治の足利(高)尊氏を主人公にした

 『私本太平記』(全4巻)

にも出てくる、ばんな寺の境内にあった

 足利学校(栃木県足利市)

という建物にブログ子は以前から興味を持っていた。それがどのようなものであったのか、その復原された学校内を、じっくりと案内してくれる

 BS朝日の日曜昼番組

を拝見した(ただ、尊氏時代にはばんな寺自体はあったものの、境内内の学校についてはまだ整備されたとはいえない状態だったらしい)。1980年代から始まった復原プロジェクトに深くかかわった日本工業大学学長(日本建築史)の案内で番組が進行したのはうれしかった。

 番組は、まず

 入徳門、入学門、杏壇門

とくぐり、孔子坐像にいたるところから始まった。孔子の子孫だという若い女性の案内がおもしろい。杏壇(きょうだん)というのは、孔子が学問を講じた壇の周りにはアンズの木が植えられていたことから、学問所を指す。

 このことからもわかるが、ここは、当時室町時代15世紀中ごろの最先端学問である「徳」の孔子学、儒学を幅広く学ぶ学問所だった。

 この点が、奈良・平安時代からあった貴族を対象にした官立の官僚養成機関、大学寮とは大きな違いである。

 だから、当時の海外文献でも、日本最古の、そして

 坂東(原語ではbando)の大学

として、紹介されている。

 民放も優れた番組をつくろうと頑張っている様子がうかがえる良い機会だった。

 番組を拝見して、ともかく一度は訪れてみたい学校であると思った。

 ● 補遺 床の間に天文図

 番組の最後に、この学校の校長室にあたの和室の床の間に、なんと

 中国天文図

が掛け軸風に掲げられていたのには、おどろいた。暦学という理系の学問所でもあったことが理解できた。

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仏映画「太陽がいっぱい」を思い出す   - パリ同時テロの背景

(2015.11.22) 今日は日曜日とあって、NHK午前には

 日曜討論会 パリ同時テロ

について中東情勢やイスラム世界に詳しい専門家が

 事件の背景や、世界はどう向き合うか

について解説委員長を司会役に議論していた。

 ● 青春の持つ輝きと残虐さ

 専門家の話をひととおり聞いて、貧しく孤独な青年が富裕な若者に憎しみをいだきその若者に対し完全犯罪を犯すというストーリーの

 アラン・ドロン主演「太陽がいっぱい」(1960)

を思い出さずにはいられなかった。青春というものが持つ残酷さが、太陽の光がふりそそぐなかで見事に演じられていた。

 ただ、映画では犯行に及ぶのは白人フランス人の主人公(アラン・ドロン)であるのに対し、今回のテロ事件では移民の貧しいIS過激派の低学歴若者たちだったという違いがあったこと。

 背景は、IS過激派うんぬんというよりも、それに踊らされた、あるいは利用された貧困低学歴若者層の増大だろう。貧富の格差が広がっている。その層の拡大によって社会がますます不安定化している。

 その格差をまざまざと見せつけていたのが花のパリなのだ。ニューヨークの同時多発テロもそうだった。みんなが貧しければ、このような事件は起きない。このへんが人間というものの不思議なところだろう。

 テロは、格差を是認する自由資本主義社会においては永遠に失われることはないだろう

ことに気づいた。社会主義の国では国家が国民に対しテロを行うので、貧しいテロリストの出番はない。

 こうなると、映画から50年以上がたったが、自由主義社会の中では

 青春というものが本来もつ輝きと残虐さ

は、貧富の格差拡大も手伝って、ますます先鋭化する。

 ● なぜパリは燃えているか

 そう考えると、

 今、文化的な格差の大きい「花のパリ」が燃えている

のも理解できる。みんなが貧しい北朝鮮ではこのような事件は起きようがない。起きるとしたらテロではなく、国家に対する民衆による革命であろう。

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普通の暮らしをしている人間に会いたい - 映画『野火』

Image2244 (2015.11.22)  レイテ島などフィリピン戦線で捕虜体験を持つ作家、大岡昇平さんの畢生のドキュメント大作、

 『レイテ戦記』(中央公論社、1971)

をふとしたきっかけで読んだのは、もう40年も前のこと。1970年代に入り、大学紛争が一段落したころであり、戦争のにおいなんて、まったく感じられない平和な時代だった。

 その戦記なかに、レイテ戦記の文学版とも言うべき自作

 『野火』(創元社、1952年、写真中)

について、みずから語っていた。こうだ。

 司令部のあるレイテ島・パランポン港に向けて敗走中の、

 「ある十六師団の兵士が同年兵にめぐり会った。ほかの中隊の下士官がいっしょだった。猿の肉と称する干し肉をすすめられたが、気味が悪くやめた。その夜同年兵から秘密を打ち明けられた。下士官を殺して食料を作り、米軍の陣地を探して投降しようと誘われたが、気味が悪くなって逃げ出した。

 Sbk0960 これは筆者(大岡)が『野火』という小説にした挿話である。この十六師団の兵士は生還している。しかしこの場合も彼の行為はすべて「未遂」であり、実際に行われたことについては伝聞しかない。」

 当時、この「投降と人肉食」をテーマにした小説を読んでみたいとは思ったのだが、ついにこれまで読む機会がなかった。忘れていた。

 ● 「投降と人肉食」にテーマ絞る

 ところが、先日、NHKBSのプレミアムシネマで、この作品を原作とした

 「野火」(市川崑監督、1959)

というのを、偶然に拝見した。そんな映画があるとは知らなかったが、ようやく原作を読んでみた。この映画は、おそろしくといっていいほど原作に忠実に映像化されていた。

 ただし、一箇所、主人公(一等兵)と一緒にいた同年兵が下士官を殺して、食料にしようとするラストシーンのところだけが原作とは大きく違っていた。市川監督の脚色なのだ。

 この脚色によって映画のテーマを死の恐怖のなかでの「投降と人肉食」に絞らせている。あるいは原作の人肉食をめぐる「神と人間性」という観念論的なテーマを薄めさせようとしている。絞った分、衝撃度の強いラストシーンになっている。

Image2246  荒涼としたレイテ島の山間に立ちのぼる農民たちの野焼き「野火」。主人公は同年兵の蛮行に怒り、そして彼を銃で殺した後、農民の焚く野火に向かって

 「普通の暮らしをしている人間に会いたい」

と狂ったように駆け出していく。しかし、野火のほうからの銃弾に主人公は崩れ落ちる。

 戦争の非人間性に目をそらさず、具体的に、即物的に描いたわけだが、画面には

 昭和20年2月 比島戦線

との文字がかぶさる。ここでも観念論を排除しようという監督の意図が読み取れた。

 芸術院会員にもなれた大岡昇平氏だったが、原作よりも映画の「野火」のほうが、ブログ子にはより高い文学性を感じさせたことを正直に書いておきたい。

 それにしても、40年ぶりに『野火』に出合えたのは、ありがたかった。

 (いちばん下の写真は、『野火』の「私は頬を打たれた。」で始まる冒頭部分。筑摩書房版「大岡昇平全集」第3巻(1994年)所収。)

● 補遺

 この全集には、『野火』が書かれた時期に発表した

 「わが復員」

 「愉快な連中」

という作品も収録されている。前者は、昭和20年12月に復員船で博多に帰還したときの様子が、具体的に詳しく書かれている。戦地にいて敗戦で引き揚げてきた元兵士たちと内地にとどまって空襲に悩まされた人々との意識の違いが見事に大岡さんの目を通して描き出されている。

 また、後者の「愉快な連中」では、引き揚げてきた元兵士たちが、復員列車で故郷に戻る列車内の様子や内地にとどまった人たちとの意識の違いが描かれている。あるいはこれらの人々のたくましさが、ある種の開放感のなかで浮き彫りにされている。 

 いずれの作品も、敗戦直後の大岡さんの体験と心中をほぼ忠実に語ったものだろう。そこにはフィリピン島を舞台にした『野火』のような暗さはない。日本の戦後は、貧しくともこの明るさから始まったのだということを、読む人にあたえるような書き方である。

 市川監督に言わせれば、復員者たちの

 「普通の暮らしをしている人に会いたい」

という願いがかなえられた情景を、大岡さんはこの作品で描いたと言える。

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風が吹けば桶屋が儲かる「温暖化」の怪

Image2245_2 (2015.11.20) この複雑な人間社会では「事実は小説よりも奇なり」というのは珍しくない。しかし、

 事実は科学理論よりも奇なり

という事例に久しぶりに出合った。2015年11月11日付中日新聞

 南極の氷、この20年増え続けていた NASA

という特集記事である(写真右)。温暖化が進むとかえって南極の氷が増えていく。どう理解すればいいのかという「ニュースの追跡」特集である。

 なぜ、この時期にこの事実をアメリカのNASAは公表したのだろうか。

 以下、これについて考察してみたい。

 ● 記者はなぜ混乱したか

 記事を書いたのは沢田千秋記者。いろいろなことを整理せずに書いたので、締めくくりは

 「南極の氷の増加は、地球温暖化の否定ではなく、むしろ、その現象の一環と捉えることもできそうだ」

となっていて、何を言いたいのか、まったく意味不明な解説に終わってしまっていた。消化不良であることが明白で、失礼だが、つい笑ってしまった。

 しかし、これは無理もない話であり、記者が混乱してしまったのももっともなのだ。

 要するに、温暖化現象というのは、風が吹けば桶屋が儲かるというたとえがあるように、

 非線形現象

なのだ。通常の線形理論では温暖化現象を取り扱えない。原因と結果とを明白に分離できない。原因と結果が強くカップリングしている非線形問題なのだ。

 それを学校で習う線形問題として理解しようとしているところに記者の混乱の原因になっている。

 そして、このところにこそ政治が 入り込む余地があるのだ。

 ● 今月末、パリでCOP21開幕

 そんな「南極氷の怪」記事が出ているなか、今月末にパリで開幕する

 温暖化COP21

についての記事も出ている。各国が約束した排出計画について「5年ごとに目標検証」などが話し合われるという。またIAEも

 2030年までに必要な対策費試算額は1660兆円

とも公表している。今各国が排出ガス削減計画を完全に実施したとしても

 今世紀末の世界の年間平均気温は今よりも2.7度も上昇する恐れがある

と予測、その危機的な状況を警告している。

 ● データ公表NASAの政治的意図

 だが、各国の対策は、そんなことはどこ吹く風なのだ。

 現在(2012年)、全世界の排出ガスの26%と、世界一の二酸化炭素排出量の中国は、これからもどんどん排出量を増やすが経済成長率の勢いよりは半分くらいにセーブすると〝削減〟計画を提出している。世界第二のGDPを誇る中国はこの温暖化会議では開発途上国として野放し状態になっている。

 排出量世界第二位(16%)のアメリカにいたっては、この会議締約国から10数年前に離脱したまま(2001年)。しばられたくないので復帰の目途は今も立っていないから、事実上、野放し状態。言ってみれば、アメリカは会議に真剣さがなく、投げやりなのだ。

 この二カ国でなんと全体の4割も占めている。野放し4割のなかでの会議というのでは、対策が果たして実効性が伴うのかどうかというそもそもの根本問題すらある。だからといってあまり中国を批判すると、離脱しかねないのでほかの国も歯切れが悪い。

 これに対し、日本は会議に提出している削減目標案として

 2030年までに2013年に比べて26%減らす

と約束している。EU28カ国は11.0%であることを考えると、いかにも日本は気前がいい。

 そこへもってきて、ホスト国のフランスは同時多発テロで大騒ぎ。

 うろんな温暖化対策に、今うつつを抜かしている暇はないだろう。

 現在行われている準備会合ですら交渉が難航している。こんな状況では本番の会議でも進展はない。これがブログ子の予測。年中行事として今後も惰性の会合が当分続くだろう。

 だって、

 「南極の氷が増えているというじゃないか。進展なんて必要ない」

 これが、アメリカのNASAがこの時期をとらえて、南極の氷について都合のよいデータをタイミングよく公表した理由だろう。

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悲劇を喜劇で撮る岡本喜八 没後10年

(2015.11.20)  戦争を悲劇として描く。あるいはヤクザの世界を悲劇として撮る。そんな映画監督は多い。

 しかし、戦争やヤクザの世界を喜劇として描く。そのことで、その悲劇性やバカバカしさを一層見るものに印象づけようとしたのが

 岡本喜八監督

だろう。今年で没後10年になる。

 50年前の高校生のときにブログ子が見た岡本監督の戦争映画「血と砂」(1965)もそうだし、大学院生の終わりのころ京都で見た「ダイナマイトどんどん」(1978)もそうだった。

 しかし、岡本監督の映画で一番覚えているのは、それとは無縁の

 「日本でいちばん長い日」(1967年)

だった。大学に入ったときに見たのだが、戦争の悲劇性や愚かさを前面に打ち出した演出になっていた。

 だから、今まで岡本監督はシリアスなテーマを大真面目に描いてみせる映画人だと思っていた。

 ● 名もなき大衆の視点から

 ところが、先月下旬、「クローズアップ現代」のNHK番組をみて、そうではないことを悟った。

 日本でいちばん作品の多い映画監督というのは間違いないが、それらの作品の底には喜劇性を大事にしてつくられているということがわかった。

 そのことを一言で言えば

 名もなき庶民、大衆を大事にしている

ということだろう。そこには、荒唐無稽という名の真実がある。そう監督は喝破したのだろう。

 そんなことを没後10年たってようやくわかった。

 そんなことを今になった分かったのだから、ブログ子の映画の見方なんて、映画評論家並みの低さなのだ。

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「イエスマン」という積極的な生き方

(2015.11.13)  ものの見方にはいろいろあるものだということを最近、つくづく感じさせる映画を見た。一カ月ほど前のコメディ、

 BSプレミアムシネマ「イエスマン」(2008年)

である。サブタイトルは積極的に生きる方法。「NO」ではなく、すべてに「YES」を。というわけだが、これで人生は180度好転する。つまり、

 「YES」は人生のパスワード

ということを、面白おかしく描いた話。監督は誰だったか忘れたが、原作はイギリスの作家で、たぶん自らの体験をまとめたものらしい。

 拝見して思ったのは、すべてに、というのは無理としても、

 週に一度は無理だと思うことに対しても「イエス」を決断し、行動する勇気を持ちたい

というものだった。これでも、年間50回の決断になる。

 その場でノーともイエスとも言えず、あいまいな安請け合いで後悔ばかりしてきたブログ子だが、結局それは優柔不断の人生だったと反省することが多い。

 できない言い訳ばかりせず、「イエス」「はい」というはっきりとした決断の先には、これまでにはない新しい世界、年50回の新しい扉が待っていると考えることもできる。

 ● 「NO」と言える日本

 かつて日本にも、レベルは異なるが

 『「NO」と言える日本』(光文社、1989)

という本が話題になった。日本がまだ経済分野で元気なときのもので、石原慎太郎さんの怪気炎がアメリカ議会筋の神経を逆なでした。無理難題を押し付けられることで日本は成長してきた面もあるのは事実。だが、いつまでも日本はご無理ごもっともでアメリカにぺこぺこしていてはダメだ、独立国家とはいえない、言うべきことは言うべきときにきちんと言おうというのが主張の柱。

 それは国家レベルの話ではあるが、石原さんとしては、畢竟、国民一人ひとりが積極的に生きることでもあると言いたかったのであろう。

 ● 我、事において後悔せず

 こうなると、ノーと言うべきなのか、イエスというべきなのか。

 通常、こういう時には

 是々非々主義でいく

という、マスコミ一流のごまかしの、そしてもっともらしい手口がある。これは優柔不断の別表現なのだ。

 だから、ブログ子は

 週に一度ははっきり「YES」、週に一度はこれまたはっきり「NO」という主義 - 週1「YES・NO」主義

でいくことにした。

 これは決断のない様子見の優柔不断ではない。いわんや、是々非々ごまかし主義でもない。週に一度か二度は言うべきことを、言うべきときに言うということだ。

 そして、「五輪書」の剣豪、宮本武蔵ではないが、これには

 我、事において後悔せず

という心構えが必要だろう。ひきずらないためには、

 これといったいやなことが何もなかった幸運よりも

 波乱万丈の不幸せのほうが、人生おもしろい

と覚悟を決めること。

 ノーにしろ、イエスにしろ、積極的な生き方には、それを支えるこのような精神力が要る。そんなことを、この映画はあらためて教えてくれたように思う。 

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生命のいる〝第2の地球〟発見はいつか

Imgp86882015 (2015.11.08)  ブログ子は、毎年「文化の日」に浜松市で開かれる「新しい文化論」というコンサート演奏&講演会(浜松ホトニクス)を楽しみにしている。今年の講演テーマは、国立天文台副台長の渡部潤一さんの

 「宇宙に生命はいるか」

だった。これは、一昨年の林正彦国立天文台長の

 「現代天文学と宇宙における生命」

に続いての宇宙生命にかかわるホット講演。最近では宇宙ものが続いている。

 渡部さんの講演には

 天文学からのアプローチ

というサブタイトルがついていた(写真右)。

 ● TMT完成後の2020年代後半か

 この講演の結論を先に言ってしまえば、

 生命のいる太陽系外惑星はそこらじゅうにたくさんある。今ハワイに建設中の国際共同巨大望遠鏡(TMT、国立天文台も主要な参加機関)が完成すれば、必ず発見されるだろう。その時期は望遠鏡が運用を開始する2020年代前半から間もないころ、つまり20年代後半である。そのターゲットとなる太陽系の外にある「第二の地球」の有力候補は、20光年ぐらい離れている星、グリーゼ581の周りをぐるぐる回っている地球型惑星、グリーゼ581g(581自身はM型主系列という太陽とほぼ同じタイプの星)。

という、非常に具体的で、明解な話だった。 

Imgp8687   この系外惑星には大気があり、そこからの光のなかから生命が盛んにつくりだしている酸素分子をTMTでとらえる。そういう壮大な計画なのだ。大気中に酸素が分子の形で存在すれば、われわれのような地球型生命の存在は確実だという発想である。

 ブログ子も、ひょっとすると生きている間にも朗報が聞かれるかもしれないと、講演での予測、予言の的中に期待したい気持ちである。

 生物学からの悲観的なアプローチとは対照的に、いかにも天文学者らしいきわめて楽観主義の講演だった(注記)。

 ● 酸素分子、そして光合成の発見。

  まず第一に大気の中に酸素分子の存在が確かめられれば、そしてまた液体の水の存在が確かめられれば、生命の存在はほぼ確実。その上での確証は、つまり決め手は惑星の分光観測から光合成が行われていることの発見だろう。太陽系内の惑星や衛星には、地球以外では、その形跡はない。

 知的生命であるかどうかはともかくとして、もしこの手法で、ともかく観測的、あるいは分光学的に生命が確認されれば、ノーベル賞受賞は確実だろう。

 思うに、このアプローチでの成功には、日本の光学的な「すばる望遠鏡」、国際共同のアルマ電波望遠鏡、そしてNASAのハッブル宇宙望遠鏡の連携が不可欠になる。

 ● パラドックス「みんなどこにいるのだろう」

 Image2240_3  ただ、気がかりなのは、この楽観主義の講演内容にもかかわらず、依然として、フェルミのパラドックス

 いるとしたら、なぜ宇宙人から連絡がないのか

という難問が、提出されてから60年以上たった今でも未解決のままなことである。これだけ電波望遠鏡で50年以上にわたっていろいろと探しても宇宙人からのメッセージ信号が地球に届いていないということは、

 少なくとも知的な宇宙人は、宇宙広しといえどもいない

ということかもしれないのだ。これが正しいとすれば、パラドックスはパラドックスではなくなり、解決したことになる(右写真は、10年前に青土社から出たゆかいなパラドックスをめぐる好著)。

 ● 1995年、マイヨールの第一号発見

 これまでの太陽系外の惑星探索から、現在では、夜空の星の100個に一つは惑星系を持つと考えられるようになった。そのうちの10個に一個は地球のような「ハビタブル」にある。ということは、私たちの銀河系には

 生命あふれる可能性を持つ惑星をしたがえる星の数は1億個

という膨大な数になる。あとは、このうちどれくらいの割合で、その惑星に生命が発生するのかという難問だけが残る。1億分の1よりもずいぶん小さいようなら、わが銀河系には生命の惑星は存在しないことになる。

 逆に1億分の1よりもずいぶんと大きな割合で生命が惑星に発生すると観測などから推定されれば、宇宙には生命の惑星はありふれたものとなる。

 こういう推定値もTMTはいずれ答えを出してくれるだろう。

 さらに言えば、その芽生えた生命が知的な生命にまで進化するかどうかということも将来の課題だろう。その場合でも、進化はしたけれど、人間がたどった道のりとはおよそかけ離れていたということもおおいにありえる。

 天文学者、M.マイヨールたちが、主系列のペガサス座51番星に太陽系外惑星第一号(木星並みの大質量)を1995年に発見してから20年、もし仮にノーベル賞が将来、生命のいる第二の地球発見に与えられるとしたら、

 M.マイヨールの功績

を忘れてはならないだろう。そして、電波望遠鏡で長く挑み続けた「オズマ計画」のF.ドレイク博士の苦闘も。

 ● 注記

 世界的に高名な進化生物学者、J.グールド博士(元ハーバード大教授)は、かつて

 「この宇宙広しといえども、宇宙の全体構造(というような知的な事実)を知っているのは、地球人だけだ」

と言い切っていた。生物学者の悲観的な見解の代表である。これは裏返すと、生物というものには、驚嘆すべき精妙さが具わっているということでもある。

 ● 補遺 人間中心主義のおろかさ

 20光年先にあるグリーゼ581を周る惑星、グリーゼ581gが発見されたときには、ある天文学者は、早速、電波で〝あいさつ文〟をこの惑星に向けて発信している。交信の往復には40年かかるが、必ず返事が返ってくるというわけだ。かほどさように、天文学者は知的生命の存在には楽観的である。

 この背景には、これまでの3000年にわたる歴史において天体に関する認識で、いかに人間中心主義が愚かであったかをくり返し、実証し続けてきたという自負がある。宇宙の中心は人間の住む地球であるというのもしかり、宇宙には知的生命がいるのは地球だけであるというのも、またしかりだというわけだ。

 ブログ子も、宇宙的な視野では、人間中心主義は完全に誤りであると確信している。人間の存在などというものは、宇宙のどこにでもありえる普通の出来事に過ぎない。それでも人間に偉大さがあるとすれば、自分たちの存在が神に選ばれた特別なものなどというものではなく、ごくごくちっぽけなものに過ぎないということを自覚するところにある。 

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  ● 読書案内

 最近の宇宙生命、地球外生物、宇宙生物学の一般書にはづきのようなものがある。

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