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リアリズム版カサブランカの「無防備都市」

(2015.10.21)  毎月1回日曜日に開かれるあるこじんまりとした学習会で、たまたま

 「無防備都市」(ロッセリーニ監督、1945年9月公開)

というのを見た。1時間半ほどのイタリア・リアリズム映画なのだが、なぜだか1部、2部にわかれていた。 内容は、簡単に言えば、第二次大戦中のドイツ統治下イタリアのレジスタンス活動を描いたもの。で、戦争中のさまざまな事実をいろいろとアレンジしてなんとか2部にまとめたらしいことがわかる。

 しかし見終わって、なぜこのようなタイトルになっているのかというのも、ちょっとわからなかった。

 ● わかりにくい原因

 わからないづくしの原因のひとつには、わたしたち日本人自身の大戦中のヨーロッパ情勢の無知にあることにまず、気づいた。

 同盟時期が大戦が始まる直前の1940年9月とはいえ、同盟を結んでいる枢軸国のドイツがなぜ同盟相手のイタリアを統治下においてたのかという、映画の舞台設定となっている事情がまず、われわれ日本人にはよくわからない。

 それについては、「世界史小事典」(山川出版)によると、次のようになっている。

 ● 1940年9月   日独伊三国同盟成立

 ● 1942年12月  ドイツ・イタリアとアメリカが相互に宣戦布告

 ● 1942年11月  連合国の英米軍、モロッコ・カサブランカなど北アフリカに上陸

 ● 1943年7月   イタリア、ローマの独裁ムッソリーニ政権が崩壊

 ● 1943年9月   イタリア(ローマの反ムッソリーニ政権)、連合国に降伏

 ● 1943年9月     ドイツ軍、北イタリアを占領。

              ドイツ軍を後ろ盾に、ムッソリーニ、北イタリアに政権

 ● 1943年10月   イタリア(ローマの反ムッソリーニ政権)、ドイツに宣戦布告

 ● 1945年4月    ドイツ、連合国に降伏。ヒットラー、ピストル自殺。

              ムッソリーニ、パルチザンにより処刑される

  このように、映画に描かれている舞台の1943年9月前後は、イタリアは内戦状態だった。これに対し、敗戦直前の日本国内にはこのような内戦はなかった。この違いが、日本人をしてこの映画をわかりにくくさせている。 

 このような事情を考慮すれば、アメリカ映画「カサブランカ」はメロドラマだが、

このイタリア映画は、拷問シーンも出てくる

 イタリア・リアリズム版「カサブランカ」

と言っていいだろう。いずれもドイツに対するプロパガンダ映画なのだ。

 ● リアリズム映画では時代背景を知る

 アメリカ映画のほうは、開戦したアメリカの北アフリカ上陸に間に合わせたプロパガンダであり、イタリア映画のほうはドイツ敗戦に間に合わせようとして製作を急いだロッセリーニの政治宣伝映画というわけだ。 

 「カサブランカ」ではレジスタンス指導者の恋人(I.バーグマン)は裏切らなかった。これに対し、「無防備都市」のレジスタンスリーダーの恋人は裏切った。ここにはロッセリーニ流イタリア・リアリズムの真骨頂がうかがえる。

 「カサブランカ」で主演したI.バーグマンは、自身ヒロインとして出演した映画にまったく満足しなかったという。そのせいか、「無防備都市」を見て感激し、ロッセリーニ監督に熱烈な手紙を書く。これが世紀の一大スキャンダルを引き起こしたことは有名。

 現実離れした甘ったるい「カサブランカ」のラストシーンに、バーグマンはきっと不満だったにちがいない。それに対し、「無防備都市」の処刑ラストシーンの迫真さに映画俳優として彼女は心打たれたのであろう。

 今回、わかったのは、

 リアリズム映画を見る場合、その時代背景をきちんと、あるいはある程度知っていないと、監督の本当の製作意図やテーマはつかめない

ということだった。

 そして、それにしてもわからなかったのは、

 ラストシーンで子どもたちの見ている前で処刑されるカトリック神父はこの映画では終始重要な役割を果たしていたが、それが何を意味するのか

理解できなかった。しかも、この映画の処刑シーン直後の最後の最後の映像は、ローマ教皇庁のドーム型の建物だったことは見逃せない。

 映画の中でも神父は

 「肉体は滅ぼせても精神は滅ぼせない」

とナチスの取調べで語っている。

 「戦争と宗教」というテーマもありそうだが、ここにも監督のメッセージがありそうだが、よくわからなかった。このことも正直に書いておきたい。

 「カサブランカ」のラストシーンには、ある種の明るい救いがあった。しかし、「無防備都市」には、神すらも頼りにならないという救いようのない暗さがあった。

 ひょっとすると、

 この現実を、目をそらすことなくしっかりと見よ

とロッセリーニ監督はいいたかったのかもしれない。甘ったるいロマンチシズムで現実をごまかしてはならないという警告かもしれない。内戦状態にあったイタリアでは、問題はドイツ対イタリアというような単純な構図では現実は表されないといいたかったのかもしれない。いわんや連合国と枢軸国という対立ではないとも。

 とすると、イタリア・リアリズムも捨てたものではないということになる。

 さて、そうか。

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