« サマースクール・イン足助 ヤナとは何か   | トップページ | 憲法第九条はノーベル平和賞に値するか »

今年もまたノーベル賞予測の季節

(2015.10.03)  今年もまたノーベル賞の季節がやってきた。最新号の「日経サイエンス」11月号が

 ノーベル賞 次のフロンティアは?

というのを特集している。青色LEDで昨年受賞した天野浩さんなど、日本人受賞者がその期待されるあり方や、そこから何が受賞に値する有力分野なのか、自らの確信を語っている。

 そのなかの一人、小林誠さん(2008年に物理学賞受賞)はインタビューに答えて

 「ニュートリノの質量の発見と、その後のニュートリノ振動実験による様々な混合角の決定は(質量ゼロとする現代素粒子論の見直しを迫るものであり)重要な成果」

として、2015年の

 「ノーベル賞受賞への期待は大きい」

と語っている(この期待と予想は、ニュートリノの質量の発見で梶田隆章東大宇宙線研究所所長)の受賞で、見事に的中。補遺)。 

 ● 有力候補に宇宙論分野も

 それをもとに、いろいろな分野の識者が将来受賞しそうな有力分野ベスト10を拾い出している。たいていは期待はずれなのだが、おどろいたのは、実用性はほとんどないのに宇宙論や天文学の分野が堂々3つも入っていることだ。

 具体的には

 ニュートリノの質量の発見、太陽系外惑星の発見、暗黒物質と暗黒エネルギー

が挙げられている(系外惑星発見の第一号は、1995年、ペガサス座51番星)。

 これらが、実用性そのものといってもいい

 ゲノム編集で遺伝子操作

と肩を並べているのは、奇異な感じがしないでもない。

 もっとも、天野さんは、その中間的なやり方、あるいは自らの研究姿勢から

 あるべき姿の探求

という視点からの授与もほしいと述べていた。たとえば、ベスト10にも挙げられていた温暖化で悪者にされてしまった

 CO2からさまざまな有用物質を人工的に光合成する研究成果

などがそれに当たるだろう。植物ではすでに酸素という有用物質を生み出している。しかし、人工的となると、光合成のあの複雑なメカニズムを実現するのは相当難しいだろう。その実現は当分先といえまいか。しかし、賞の趣旨、人類の福祉に大きな寄与をした成果に授与するというノーベルの遺言にはピッタリである。

 ● 海外からみた日本像の作品

 一方、文学賞はどうか。

 これについては、10月2日付の朝日新聞「文化・文芸」欄に、現地記者によるこれまでの受賞者あるいは判明した候補者の作品分析が掲載されており、おもしろい。

 それによると、受賞作品あるいは候補作品の選考では、

 その時々の海外から見た日本像にあった、あるいは代表するような、しかも世界に通用する作品

が選ばれているというのだ。

 今回新たにわかった賀川豊彦(1947、1948年に候補)の原爆投下

 川端康成(1968年受賞)の戦後復興と伝統美

 大江健三郎(1994年受賞)のバブル崩壊後の窮地にある現代人

という分析である。

 いずれの場合も、そうした日本独自のファクターに加えて、そこでの文学的な価値観が世界に通用することがノーベル賞選考では求められる。その選考基準の基本は、これまでの受賞作品の傾向分析から

 理想主義的なリアリズム

である(より正確には、理想に向かう最も優れた作品を創作した人物に贈られる)。

 この基準で言わずもがなのことをあえて言えば、当然ながら、共産圏に国籍を持つ人に文学賞を与える場合、それは反体制側に限られることになる。そのことがいいのか悪いのか、そんなことは問題ではない。文学賞には文学性のほかに、だれも何も言わないが、もうひとつ政治性もあるということだ(極端な話、ローマ教皇庁の意向も無視はできない)。

 ● 今年はポップ・カルチャーの作家?

 さて、問題は日本。

 件の記事によると、選考委員会のあるストックホルムの日本学専門家は、海外からみた現在の日本像は

 ポップ・カルチャーの国

だという。日本は大衆文化の国だというのだが、このところ毎年注目される

 村上春樹さん

が、その範疇に入るかどうか。思うに、入るとするのは相当むずかしいだろう(注記)。

 また、それよりも村上文学の多くは、あるいは代表作と言われるものは、そもそも先の理想主義的リアリズムというのには、そぐわない。

 村上作品のおもしろさやオリジナリティは否定しない。応援している出版社には悪いが、いずれの授与基準にもマッチしていないという意味で、今年もまた村上春樹の受賞はないとブログ子は予想する。

 このことは村上文学の文学性を否定するものではない。単にノーベル文学賞の選考基準に合わないというだけのことである。

 それはともかく、ブログ子の予想が正しいかどうか、まもなくわかる。

 さて、どうか-。

 というか、こういうノーベル賞の楽しみ方もあることをお伝えしておきたい。

  ● 注記

 10月4日夜のBS-TBS 「週刊報道LIFE」は、

 村上春樹はなぜ国境を超えるのか

というのを、新潮社の編集者をゲストに招いて特集していた。

 編集者によると、村上文学は若者、とくにその国の変革期の若者に人気がある。そういう若者は村上氏の小説を読むと

 「自分のことが書かれている」

と感じる。しかし、村上氏自身は

 「自分のためだけに書いている」

と考えている(新潮社広報雑誌「波」2015年8月号寄稿)。こうしたことから、ひょっとすると

 村上文学は (国境を超えた世界の) 大衆文化の一翼を担っている

とも解釈できないこともない。

  ● 補遺 2015年10月5日

 それでは、村上春樹氏自身は、自分の小説についてどんな姿勢をとっているのかというと、それは近著

 『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)

で、うかがうことができる。

 この本の中で、要するに、唯一の武器は自分という徹底した個人主義哲学と、ストイックなまでにやり遂げる覚悟を説いている。取り立てて主張はなにもないごく常識的な話である。これでは、理想主義を志向するノーベル文学賞はおよそ無理だろう。

 ● 補遺 2015年10月8日夜 記

 今年のノーベル文学賞は、予想通り、村上春樹氏ではなかった。

 受賞したのは、ベラルーシの女性作家で、旧ソ連という社会主義体制に抑圧された人々の生の声や証言に一貫して耳を傾け、その暮らしにも目を向け、それらを文学作品として昇華させた反体制ジャーナリスト出身の人だった。

 イメージとしては水俣病の企業責任を問い続けている石牟礼道子さん、あるいは『沈黙の春』で環境問題に立ち向かったレイチェル・カーソンさんに相当するような作家なのだろう。いずれの人物も科学技術の成果について社会的な負の側面に、弱者の立ち位置から鋭く切り込み、問題点を社会に向かって臆することなく告発し続けた。

 その意味では、今回の受賞者は文学者というよりも、ジャーナリスト出身のノンフィクション作家というのが正解であろう。

 それにしても上記の選考基準を見事に体現したような今回の受賞だったと思う。もっと端的に言えば、20世紀という共産主義の実験を総括した受賞と言えるかもしれない。

 そういう意味で、これを機に日本語訳のある彼女の証言集『チェルノブイリの祈り』(1997年)をいつしか読んでみたい。

 余談だが、偶然にも、今回の受賞者はブログ子と同い年だったというのも、元気づけられて、うれしかった。

 ● 補遺

 ニュートリノの(静止)質量が、定説のようにゼロと仮定するのは誤りであり、質量は有限な量として存在することを、降り注いでいるニュートリノを直接地下で観測することで実証するまでの足どりと今後については以下の通り。

 1980年代  カミオカンデ(純水約3000トン)建設(元神岡鉱山の地下廃坑)

 1987年    カミオカンデでマゼラン星雲からのニュートリノを検出

         (小柴昌俊 ノーベル物理学賞受賞)

 1994年    質量があるらしいとの見通し(戸塚洋二、梶田の業績)。あるとした場合の上限値の推定。これを確実に実証するため、戸塚氏自らスーパーカミオカンデの設計にたずさわる。

 1996年   スーパーカミオカンデが稼働(純水約5万トン)

 1998年   この稼働で、高山市(現飛騨市)でのニュートリノ国際会議の席上、観測の中心を担った梶田氏、質量の存在を疑問の余地のない確実な事実として発表、実証した。参加者たちの立ち上がりこそはなかったものの、会場から異例の賛辞と大拍手というスタンディング・オベーションを受ける(この成果が、今回、物理学賞に結実)。

 2001年   スーパーカミオカンデが大破損事故

 2008年7月  小柴さんの後継研究者、戸塚洋二東大名誉教授、大腸がん病死(66歳)。

 亡くなるまでの10か月間、医師の診断結果の言葉「あと数か月」(The few more months)とのタイトルで闘病と病状分析ブログ。戸塚氏自らのがんについて二年間にわたる進行状況を冷静に分析、死の恐怖とも闘い続けた。

 2011年 亡くなった戸塚氏も心血を注いだニュートリノ検出ためのT2K実験成功。人工的に発生させたニュートリノをスーパーカミオカンデで検出できたことで、ニュートリノ自身の物理的な素性が明らかになり、物質・反物質のCP対称性の破れ問題解決への確実な道が開けた。言い換えれば、今の標準理論をこえる理論づくりの手がかりが得られた。

  もう一方の問題解決への足がかり、2010年ごろから始まったハイパーカミオカンデの建設計画(純水約100万トン)が、2013年ごろから宇宙線研などで本格化。稼働予定は、10年後の2025年ごろ。

 宇宙初期の物質・反物質問題(CP対称性の破れ)の解明などのニュートリノ天文学、あるいは観測宇宙論の世界的な研究拠点化を目指す。この観測的なアプローチにより、現在の標準理論をさらに発展させ、宇宙を記述する究極の理論として重力も含めた大統一理論完成への突破口、ブレイクスルーに迫ろうとしている。

 こうした理論的宇宙論のメインストリームに対して、アメリカで盛んに研究されているあらかじめ重力も組み込まれている超弦理論が、幾何学的宇宙論からどう展開、対抗していくのかが、究極の宇宙論への焦点となっている。

 ここには反物質うんぬんだけでなく、宇宙に満ちている謎のダークエネルギーの実体とは何かという難問の解明が深くかかわってくるだろう。

 宇宙論の研究は、今やあやふやで怪しげな空想の世界から

 厳密な観測的事実と理論とを突きあわせた疾風怒濤の時代

に入ろうとしている。

|

« サマースクール・イン足助 ヤナとは何か   | トップページ | 憲法第九条はノーベル平和賞に値するか »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/62400542

この記事へのトラックバック一覧です: 今年もまたノーベル賞予測の季節:

« サマースクール・イン足助 ヤナとは何か   | トップページ | 憲法第九条はノーベル平和賞に値するか »