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ナチスドイツと現代日本

(2015.09.23)  このブログの反響というのは、たいていはあってもずいぶんとあとからである。

 なのに、昨日(9月22日)に書いた

 再論 人生に生きる価値はないか

というのの反響がきょう23日午前に届いていたのには、びっくりした。奇怪な断種法などを制定したナチスドイツについて書いた。そこではブログの中ほどに

 「番組では、それなのになぜこうした法律が堂々とまかり通ってしまったのか、そしてそれが実際にこれといった抵抗もなく、大真面目に実行されていったのか。その社会的な背景を暴きだしていた。」

と書いた。のだが、その社会的な背景について、届いたお便りにはきわめて具体的に背景が指摘されていた。

 そして、丁寧に、きちんとした文献まで届けてくれていた。講談社読書人の雑誌「本」2015年9月号の巻頭特別企画

 ナチスドイツと現代日本

という石田勇治さん(東大大学院総合文化研究科教授)の論考である。

 石田さんには近著『ヒットラーとナチスドイツ』(講談社現代新書)がある。この特別企画はそのことを念頭に、安倍政権のきな臭さを指摘させていた。

 背景について、たとえば

 「ヴァイマル憲法は大統領の大権について「詳細は、共和国の法律でこれを定める」(第48条第5項)としながら、結局それを定めず、(国会から立法権を全権委任された)時の権力者の恣意的な解釈を許しました。それが大統領の大権の(全権委任された政府による)濫用につながり、国会の形骸化を招き、ひいてはヒットラー政権をもたらしたのです。」

と書いている。大統領大権を定めた憲法を、ヒットラーは改正手続きをせずに恣意的解釈で骨抜きにし、独裁への道を突き進んだというのだ。

 こうした事実を踏まえ、論考は、次のような文章で締めくくっている。

 「憲法の条文を時の政府が勝手に解釈して、憲法の実質的な骨抜き=形骸化をはかることなどあってはならないことです。戦後70年、道を誤って独裁と戦争を招来することがないよう、過去の人類の失敗の歴史をふりかえることは、大切なことのように思います」

 はっきり言えば、

 今回、安倍首相のやったことは、1930年代のナチス政権下でアドルフ・ヒットラーがやったのと同じ巧妙な手法だった

と言っているのだ。

 これからの安倍政権の動きとともに記憶にとどめたい指摘であろう。

 ご教示いただいた読者に感謝したい。

  ● 補遺 2015年9月24日 記

 上記のブログを書いた、その翌日、24日にも、なんと次のような反応(要約)が読者から帰ってきた。

 成立した安保法では、海外派兵をはじめから目的するような集団的自衛権の発動は安倍政権といえどもできない。ものの、派遣した先において結果的に海外派兵となり得るということまでは否定していない。派兵含みの派遣である。この点については国会は今回時の政府に「白紙委任」している。国会の判断で発動をコントロールできない。これは、ヒットラー政権下のやり口と同じである。

  ジャーナリズムについて時々は掲載するものの、この理系ブログにも、これほど素早い反応が表れるとは思ってもみなかった。

 なお、この読者は、歴史修正主義の「安倍首相は軍服を着ていないか」と指摘している現代史家、保坂正康氏の近著も紹介してくれていた。

 『安倍首相の「歴史観」を問う』(講談社)

である。一度、読んでみたい気持になった。

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