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再論 人生に生きる価値はないか 

(2015.09.22)  ずいぶん以前だが、

 『人生に生きる価値はない』(新潮文庫)

を紹介したことがある。人生、所詮暇つぶしというなど、かなりひねくれた哲学者、中島義道氏の著作。くだくだと持って回った言い方を端折って、言っていることを簡単にまとめると、

 人は人、オレはオレ。ジタバタせず、短い人生「明るいニヒリズム」で行こう

というものだ。気楽な哲学者のたわごとと言ってしまえば、それまでの他愛ない本だともいえよう。

 確かに、人生に、だれにでもあてはまるような、そしていつの時代にもあてはまるような価値なんかないかもしれない。

 しかし、これとは別に、人生に生きる価値はあるか、ないかという問題には、実は哲学論争とは別の深刻な現実があること気づかされるような番組を見た。

 最近見た「戦後70年 障害者と戦争」(Eテレ)である。

 〝生きる価値がない〟命の選別

という番組で、具体的な事例として1930年代のナチス・ドイツ政権下における障害者に対する

 強制断種法の現実

を取り上げていた。これは、よい遺伝子を残し、悪い遺伝子を子孫に残さないための優生学的な手術を強制する法律である。遺伝病、ろうあ者、精神障害者、そううつ病患者などは労働力にならないのだから、生きる価値がないとして、ドイツ人、ユダヤ人約20万人とも言われる人々が毒ガス室送りにされたという。

 今から考えると、社会にとってよい遺伝子とか、悪い遺伝子というものがあるわけがないのは自明であり、優生学の誤りは明らか。だが、たとえ仮に、そんな遺伝子があるとしても、人間の価値が労働力のあるなしだけで決められるものではないことも自明。

 番組では、それなのになぜこうした法律が堂々とまかり通ってしまったのか、そしてそれが実際にこれといった抵抗もなく、大真面目に実行されていったのか。その社会的な背景を暴きだしていた。

 そのなかには、健常者だけでなく、障害者自身にも問題があり、時の政権にすり寄らざるを得なかった事情にまで番組は踏み込んでいた。

 こうしたことを考えると、現代でも、悪い遺伝子を持って生まれてくることのないようとの医療側の善意あふれる考えで普及し始めている

 出生前診断

の是非が問われるだろう。こちらのほうは生まれてくる前にきちんとした医学に基づいて選別できるというだけに、なお恐ろしいとも言える。

 命の選別は過去の話ではない。そんなことにも気づかせてくれた番組だった。 

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