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それはメロドラマから始まった -        アメリカの戦争プロパガンダ

(2015.09.27)  ブログ子のような団塊世代の好きな映画のひとつに、イングリッド・バーグマン/ハンフリー・ボガート主演の

 「カサブランカ」(1942年11月、アメリカ国内公開)

というのがある。ドイツ占領下のモロッコを舞台にしたいわばメロドラマ。なのだが、粋な台詞やその主題歌「時の過ぎゆくままに」で今もよくテレビなどで放映されている。

 ● 戦争の大義描いた「カサブランカ」

 しかし、この映画は、孤立主義を捨ててアメリカがドイツ、イタリアに参戦(宣戦布告は1941年12月=真珠湾攻撃時)したとき、のんびり構えたアメリカ国民の戦意高揚を目的として製作された。アメリカ政府も肝いりで後押しした。なにしろ米英軍がモロッコなどドイツが占領していた北アフリカに上陸した1942年11月、そのタイミングにあわせてこの映画は公開された。製作日数はわずか半年。

 だから、俳優たちは脚本もまだ完成しないうちに、急げ、急げでともかく演技をさせられたらしい。あの有名なラストシーンだって撮影がかなり進んでいた段階になっても決まっていなかった。

 戦意高揚のためのプロパガンダ映画がメロドラマというのも今から考えると変な話なのだが、メロドラマ仕立てだと国民は戦争中でも劇場に足を運んでくれるだろうという計算が政府にも映画会社にもあった。そうなれば映画をみることで国民に前線について実感を持ってもらえると踏んだのだ。そして、事実、このメロドラマは当時の政府の思惑通り、プロパガンダ映画として成功した。

  もちろん、この映画は戦争プロパガンダを意図してつくられた作品だったから、どこにも戦場やそこで繰り広げられていたであろう悲惨な殺りくの映像は出てこない。あくまでメロドラマ仕立てであり、その中でドイツやイタリアのやり口をなにかと非難する映像があちこちにちりばめられている。

 ともかく、戦争の大義をメロドラマの訴求力で国民に伝えようという、その程度のプロパガンダなのだが、大戦中、アメリカが約200本も製作公開したプロパガンダ映像フィルムのはしりとなった作品として、映画「カサブランカ」は、その名を映画史に残した。

 もっとも、主演のバーグマン自身は、台本もなにもなく、急いでつくったこんなドタバタ映画は失敗作だと思い、公開後、数十年にわたって一度も見なかったというから驚きだ。

 ● 占領硫黄島の星条旗〝事件〟

 そして、大戦も終盤になると、激しい戦闘シーン、凄惨なシーンもアメリカ国民に知らせることで米政府は国民の敵愾心をあおりたてた。そのプロパガンダ映像を戦時国債の調達達成に結び付けようとした。勝った勝ったでは、国民から戦費は集まらない。危機感を醸成するためあえて国民にアメリカ兵の戦っている悲惨な戦場の現実を公開した。

 そうした中でつくられたのが、〝捏造〟の

 硫黄島占領の星条旗事件(1944年2月)

である。悲惨な現実を紹介すると同時に、もうひと踏ん張りすれば、日本に勝利するというメッセージを、あの硫黄島の山頂に今まさに掲げようとしていた星条旗に込めた。ここには泥沼の戦場の現実は巧みに隠されていた。

 プロパガンダ映画の目的というのは、映像が活字やラジオよりも直接的で、わかりやすいメディアである点を巧みに利用し、不都合な真実を切り貼りで操作、もって世論を一定の方向に操作すること

であることがよくわかる。戦後、アメリカの大学などで、社会学の一分野としてメディア論が盛んに研究されるようになったのも、こうした背景があった。

 ● 劇場映画から茶の間のテレビへ ベトナム戦争

 「映像の世紀」といわれる20世紀だが、劇場のニュース映像、映画から一般家庭のテレビが情報源として一般的になった1960年代。

 アメリカの戦争映像戦略は当時のベトナム戦争により大きく変化した。リアルタイムで戦争の悲惨な現実が家庭に、ほぼ検閲なしに、映し出される時代になってきたからだ。

 しかし、それでも、米国民がベトナム戦争の最前線で何が起きているのか、深く想像することはなかなか難しかった。 

 米国民がベトナム戦争の凄惨さとその真実を知ったのは、これまた変な話だが、古いメディアと思われていた1980年代の映画だった。具体的には、ベトナム戦争の実態は、その終結から10年以上も後に、参加した元兵士の実体験をもとに製作された

 「プラトーン」(O.ストーン監督、1986年)

だった。表面的ではない兵士たちの戦場心理にまで立ち入ってジャングルのなかの戦場を描いた。このことが米国民に大きな反響を呼んだ。

 米国民がベトナム戦争の現実を知ったのは、戦争終結の10年もあと

だったのだ。

 こうしたことから、アメリカの映像戦略はふたたび大きく変化し、1990年代の湾岸戦争以後、ジャーナリストに対し、情報操作にことのほか神経を使うようになる

 ● 映像の世紀のむずかしさ

 一時、バーグマンの恋人でもあった戦場カメラマン、ロバート・キャパが戦場で地雷を踏んでなくなって60年、この現状をどう思うだろう。

 きっと、

 「オレのついたウソなんて、ウソのうちには入らない」

というだろう。

 彼を一躍世界的に有名にしたスペイン内戦の一枚

 「崩れ落ちる兵士」(1937年)

のことだろう。映像の世紀においては、むしろ真実を伝えることのむずかしさ、真実を嗅ぎ分けることの困難さを痛感させる。

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