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8月に思う。敗戦国自らが過ちの検証を

(2015.08.27)  毎年8月は戦争を考える季節だが、今年は敗戦してから70年とあって、一層、その感を強くした1か月だったように思う。このブログでもついついそんな話題が多くなった。

 そんな中でブログ子が、戦争を問い直す具体的な提案を伴ったものとして、もっとも興味を持った記事は、近現代史の加藤陽子東大教授の

 70年目の視点 負の過去に向き合え

という論考だった(中日新聞8月5日付の見開きカラー大型特集)。「過去の事実を積み重ねることで、初めて死者を追悼できる」と指摘していた。

 ● 敗戦の年、戦争調査会を設置

 ただ、この見出しだけでは、ほかの論考とさほど違いはない。ところが、内容で注目されるのは、加藤さんが向き合うために、敗戦直後に幣原喜重郎内閣が設置した

 開戦から敗戦までの全過程を多角的に研究し、その成果を国民が共有するための戦争調査会

に言及している点。新しい憲法づくりの過程で、戦争放棄条項を大胆にもGHQのマッカーサー最高司令官に直接提案した人物ではないかとされている幣原首相だが、設置された調査会の総裁に自ら就任するという意気込みだったらしい。

 戦争放棄条項は憲法に盛り込まれたものの、GHQは調査会についてはわずか1年もたたないうちに廃止命令を出している。連合国主導の東京裁判が始まろうとしていたことがこの廃止には大きくかかわっているとブログ子は思う。

 つまり、勝者の連合国側の戦争調査は東京裁判という形で総括されている。これに対し、敗者側の戦争調査については、ついに総括されないまま、今日に至っている。ここに問題がないかというのが、加藤さんの問題意識だろう。

 だからかどうか、加藤さんはこの論考で

 「戦争調査会が継続していれば果たせたかもしれない過去の掘り起こしと(それに基づく死者たちとの)対話が、今こそ求められる」

と強調している。

 そういう共有の総括をしないまま、戦後、日本各地で行われてきたように、生き残った生者が戦争で死んでいった死者に、

 一方的に「過ちは繰り返しませぬから」

と語りかけるだけでは不十分だというわけだ。逆の死者が生者に、事実でもって語りかける対話が必要であるというわけだ。

 戦争を都合よく水に流してはならないとブログ子も思う。過ちの事実の直視を避ける。そして死者に事実で語らしめることを厭う。そのようでは、再び過ちや侵略を繰り返すことになる。被害者意識だけでなく、日本の加害者意識を持つためにも生き残った生者と死んでいった死者との対話とその場が必要だろう。

 ● 死者が生者に語りかける場こそ

 現在、政府は手狭になった国立公文書館(千代田区)の新館づくりを計画している。先の戦争調査会の第一回総会で幣原総裁が調査会の意義をのべた気迫の演説原稿も、この公文書館に保存されている。

 今こそ、東京裁判とは別に、敗者側が何が過ちを引き起こしたのか、自ら検証する戦争調査会の再設置を望みたい。その成果を、死者が生者に語りかける貴重な場として新しい公文書館で公開する。それはまた死者の追悼の場ともなる。

 加藤さんの論考の最後は

 「日本にも、死者が生者に語りかける言葉が必要だ。」

と締めくくっているのが、ブログ子の心をとらえた。死者たちのその言葉こそが、本当の追悼の証しである。

 日本人だけでも兵士、軍属、民間人の戦没者は310万人にものぼる。生者と死者の対話の場がない今のままでは、侵略や過ちはふたたび繰り返されるだろう。

 公文書をはじめさまざまに記録されている言葉を通じて、死者たちに語らせる取り組みと、その成果を共有する場づくりこそ、敗戦70年の今、求められている。

  さらに突っ込んで言えば、第9条の戦争放棄など憲法改正をしようとする内閣は、まず、その前提として幣原内閣が新憲法づくりにあたって設置した戦争調査会を再設置し、何が問題だったのかをきちんと総括する。その上で、国民にその旨を堂々と提起するのが大義名分と責任のある政治プロセスであろう。

 それを厭い、閣議決定だけで事を運ぼうというのでは、あまりに姑息であり、再び戦争を引き起こす引き金になる。

 このことも含めて、いろんなことを具体的に教えてくれた加藤さんの論考だった。

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