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何のため安倍談話を出すのかわからない

(2015.08.18)  たいていの新聞読者はおそらく読んでいないと思う。だが、念のため

 閣議決定された戦後70年安倍首相談話

を、全文読んでみた。添えられていた戦後50年の村山談話、60年の小泉談話の全文もこの際、じっくりと比べて読んでみた。

 読んだ感想を言えば、いずれも大同小異であり、何のために安倍談話を出したのか、さっぱりわからなかった。

 節目の敗戦50年の談話は、初めてのことでもあり、それなりに意義はあろう。しかし、なぜその後も恒例行事でもあるまいに、村山談話と同じような60年談話、70年談話を、閣議決定という無理をしてまで出す必要があるのか、全文を読んでもなおまったくわからなかった。そんな国がどこにあるのだろうかという気持にさえなった。

 先の談話を否定するのならば、出すのもわかる。そうではないのに、左派からも保守派からも、重箱の隅をつつくようなことでケチをつけられたり、痛くもない腹を詮索されたりすることは目にみえている。加えるに、何が書かれていようと、左右双方からうろんな目でみられる。

 なにしろ安倍首相談話は、村山、小泉首相という「歴代内閣の立場は今後も揺ぎないもの」と強調している。だから、またここであらためて「心からのおわび」を、同じ閣議決定をしてまで繰り返す必要はないという論理を暗に展開していた。

 筋が通っており、そのとおりである。

 むしろ、またあらためて「心からのおわび」を繰り返せば、今後も80年、90年、100年談話でも、またまた「おわび」をしなければならない。おわびの大安売りである。となるとこれは永久「おわび」談話という〝踏み絵〟的な流れができあがってしまう。

踏み絵的な流れをつくらないためには談話など出さない。これが一番賢明な選択ではなかったか。

 そのことは首相も十分わかっていた。論理的には必要ない。そうしたかった。のに出さざるを得ないことになってしまったのも、違憲性の強い安保法制案をかかえている安倍首相に不徳の致すところ、もっとはっきり言えば法案に大義名分のないことへの後ろめたさや弱みがあったからではなかったか。

  繰り返すが、今回の談話で安倍首相が一番言いたかったことは、言わずもがなの談話などまたことさらに出したくはないということだった。なのに、出さざるを得なかった。だからくだくだと長くなり、何がいいたいのか、分からなくなった。安倍談話は自縄自縛に陥っており、救いがない。政治的には将来に禍根を残した愚劣-としか言いようがない。禍根を残したくないのに、出すことで自ら禍根を残すことに踏み出してしまった。

 こんなことになってしまったことに対し、安倍首相は国民に対し

 痛切な反省と、心からのおわび

をする必要がある。そんな感想を持ったことを正直に書いておきたい。

 ● 補遺 村山談話の村山元首相のコメント

 8月15日付き読売新聞によると、

 村山富市元首相は記者会見で

 「焦点がぼけて、何を言いたかったのか分からない」

と批判した。自身の談話を継承した印象はないとも言ったらしい。

 図星の批判だと思う。上記したように、そもそも安倍首相は何も言いたくなかった。しかし、言わざるを得ない自縄自縛におちいっていた。だから、苦しまぎれに談話を出しただけだったのだ。焦点がぼけたのはそのためなのだ。一番嫌ったはずの禍根を断とうとして、わざわいの元だけが将来に確実に残されたといえまいか。

 安倍政権の外交の稚拙さだけが、ことさらに露呈した結果である。

  ● 補遺 各紙の社説

 8月15日付きの社説では、

 朝日= 安倍談話、何のために出したのか

として、「歴史の総括として極めて不十分な内容」と断じた。

 これと好対照なのが読売社説。

 主語がないなど直接ではないものの「反省とおわびの気持ちを示した」とぎりぎり合格点を出している。

 読売社説は、どういうわけか、

 「侵略」明確化は妥当だ

と妙に高い評価をしている。その理由として

 「その客観的な事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶めることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、「歴史修正主義」といった一部の疑念を晴らすことにもなろう」

と述べている。その後で、歯の浮くような「首相の真剣な気持ちが十分伝わる」とおちょくりに近いほめ言葉も並んでいる。

 侵略を明確に認めた中曽根首相と読売トップのつながりを考えれば、この謎は解けるかもしれない。

 おそらく安倍首相はこの社説については、オレを馬鹿にしやがってと、内心では怒っていることだろう。談話の発表後、笑顔をほとんど見せなかったのもそのせいだ。

 ● 補遺 安倍談話の反響

 中日新聞が8月18日付「ニュースの追跡」で安倍首相談話の反響を報道している。

 その結果、侵略、おわびなどキーワード先行だったとして、その具体的な中身について検証している。

 専門家は「まやかし」「妥協」と指摘していること、中国、韓国は一定の評価をしていることなどを伝えている。まやかしというのは、いつまでもわびる必要はないという首相が一番言いたいことをいいたいために、その引き換えに、もっともらしくキーワードを入れたことをさしている。

 だから、わかりにくいのだろう。

 安倍談話は村山談話を否定はしなかった、あるいはできなかったものの、内容をよく読まないとわからないようにすることで、明解な村山談話内容をこっそりと薄めようとした。これが談話のまやかしの正体であり、わかりにくくなった原因だったとブログ子も思う。

 繰り返すが、正々堂々と正面から真っ向勝負しない、できないという、安倍首相のこれまで歩んできた処世術、ひ弱な性格がそのまま政治手法に出てしまった。これが安倍談話のわかりにくさの正体ではなかったか。

 国民にとって悲しいことだが、このことが、簡潔な村山談話に対し、言い訳の多い長々とした安倍談話となって現れたといえそうだ。

 安倍談話は、結局、完全な失敗。というか、政治的には国内的にも、国際的にも敗北であろう。むしろ国益を損なう結果となったといえそうだ。

 後世の歴史家は、そう烙印を押すことだろう。 

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