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猛暑中、団塊世代が『1Q84』を読む

Image2206 (2015.08.12)  人にすすめられたことも理由だが、猛暑の中、ひまをもてあまし、村上春樹氏の長編

 『1Q84』(全3巻、2009-2010年、新潮社)

をこの2週間で読み終えた。春樹氏もブログ子も60代半ば、いわゆる団塊世代であり、春樹氏のほうが1つ若い。

 ● おもしろいが空疎

 5、6年も前のベストセラーを読んだ感想を一言で言えば

 いかにもノンポリの団塊世代が書きそうな小説

というものだった。セックス場面が多用されているなどおもしろい。二人の主人公、青豆(あおまめ)も天吾も、ともに団塊世代よりやや若いという設定もおもしろい。

 もっと、おもしろさを言えば

 「セックス+異次元的な別の社会+ホラー」SF

の趣向もそうだ。おもしろさがテンコ盛りなのだ。

 がしかし、というべきか、だからこそ空疎な作品とも言えるだろう。語り掛けたいテーマが定まっていない証拠だろう。

 というのは、おそらく、まずタイトルを先に思いついた。その後に書きながらおもしろい内容を詰め込んでいったことが、ありありと想像できたからだ。ジョージ・オーエルの『1984』にヒントを得て、異次元的な謎の1984年、つまり「1Q84」の世界を書けばおもしろいと、そのタイトルに春樹氏自身がほれ込んでしまった。先に書きたいテーマがあったわけではない。そこで、成り行きで、1970年代の連合赤軍「あさま山荘」事件やら1990年代のオウム真理教の一連の事件やらをヒントに書き進めている。のがいかにも団塊世代らしい。

 ● ノーベル文学賞なんかとても無理

 この小説を読もうと思ったのは、暑さ忘れにいいかもしれないと思ったこともあるのだが、もうひとつ、知人のもうすぐ後期高齢者仲間に入る国語の元高校教諭が、まじめに

 おもしろい。ノーベル賞ものだよ

と強く勧めてくれたからだ。老人がおもしろいというのだから、よほどしっかりしたものなのだろうと早合点した。

 春樹氏は、あるロングインタビューで、この小説について、

 「『1Q84』は僕がやりたいことの本流だし、内容にも手ごたえもあった」

と語っている(第三巻のBook3を発売した直後、2010年夏のインタビュー)。それではと、今回、思い切って読んでみたのだ。

 ノーベル賞の選考基準は、これまでの傾向から

 理想主義的なリアリズム

であり、そんな作品に対し与えられる。川端康成も大江健三郎も文学賞を受賞できたのもこの基準に沿った作品群だったからだろう。それは間違いない。

 しかし、この作品もそうだが、もともと春樹氏の作風にリアリズムなどはない。のは本人自身が認めていることであり、ファンや読者もそう受け取っている。また、およそ理想主義とは無縁である。むしろ倫理観の欠如した作品が目立つ。そもそも団塊世代の書き手に倫理観のある小説を求めること自体、ないものねだりのむちゃな要求であるのは、ブログ子もよく承知している。

 ● 再帰性に新味

 それでは、新味とか独創性とかいうものはないのかというとそうではない。オリジナリティは確かにある。

 たとえば、この小説の構造は

 小説Aの中に登場する小説Bは、もとの小説Aにつながっている

という、いわゆる入れ子になっている。具体的にいえば、

 『1Q84』の中に出てくる小説『空気さなぎ』はもとの小説『1Q84』につながっている

という趣向である。

 コンピュータープログラムで言えば、

 再帰性(リカーシブル)プログラム

の構造になってる。こういう構造はエンドレスになる危険があり、コンピュータープログラミング上は「異常終了」という危険が発生するばあいがある。つまり、コンピューターを正常終了させるのがなかなかむずかしい。

  Book1とBook2はこういう構造でこしらえてある。この再帰性作品のせいで、

 「原因と結果が錯綜している」(単行本Book2のp495)

というか、現実の出来事にはある因果性が逆転している。そこがおもしろい。春樹氏もこのことに気づいた。別の言い方をすれば、

 現実とフィクションが入り混じっているような感覚

を生み出している。再帰性小説の「異常終了」のおもしろさだろう。

 この点で、SF小説としては春樹氏のこの作品にはオリジナリティがあると思う。しかし、ここにはもちろん、当然だがリアリズムなどというものはない。ただ、文系の春樹氏がどこからこのアイデアを思いついたのか、ちょっと感心した。

 ● 楽屋裏小説、Book3で破たん

 ところが、案の定、再帰性の終わり方の難しさで、最後のBoo3は、どうでもいい種明かしの

 補遺(ほい)小説

に堕してしまっているのは残念。Book1とBook2を補強する、あるいはほころびをとりつくろうだけの楽屋裏小説になってしまっている。

 つまり、もともとの普通の『1984』になってしまった。

 この最初の2巻と第3巻の間の破たん、あるいは違和感がなぜ生じたのか。

 想像するに、Book1とBook2が予想をかなり上回って、発売からわずか2、3週間で大ベストセラーになった。このため、急遽、出版社側が春樹氏に泣き付いて、なんでもいいから続編を一刻もはやく書いてくれと頼んだのだろう。あわてた春樹氏もなんとかまとめようとしたのだが、再帰性の終わり方のむずかしさにへとへとになってしまったと想像する。

 この切羽詰った安易な楽屋裏小説という、いわば蛇足で、作品全体の文学性は大きく損なわれてしまった。出版ビジネスとしてはともかく、文学作品としてはこれは、大きな失敗、ないしは破たんだろう。

 大江健三郎さんがノーベル賞を受賞して20年。もう、そろそろ日本人にノーベル賞の順番がまわってくるころという話もある。

 が、とても、そんなレベルではない。

 おもしろいということで受賞できるというのであれば、漫画家の松本零士さんの

 宇宙戦艦ヤマト

が先に受賞することは確実だと思う。リアリズムはともかく理想主義を貫いているからだ。

 そんなこんなで、たまには現代小説を読むのも、避暑にいいだけではなく、いろいろと勉強にもなる。

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