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2015年8月

サハラ砂漠版「アラビアのロレンス」

(2015.08.28)  夏休みも最後なので、おもしろい娯楽映画はないかと思っていたら、BSプレミアムで米映画

 「サハラ 死の砂漠を脱出せよ」(アイズナー監督、2005)

を放送していたので、見てみた。ついつい最後まで見てしまった。

 内戦がらみのこの映画、無理にほめて、それを一言で、往年のイギリス映画にたとえ

 サハラ砂漠版「アラビアのロレンス」

だといったら、世界のデビット・リーン監督が怒るだろうか。たぶん、怒るだろう。

 とにかく、この「サハラ」、007的アクションにいろどられたアドベンチャー映画であることは確かである。ラクダも登場するなどサハラ砂漠という異国情緒満点の舞台で、アメリカ的なおもしろさをてんこ盛りにしたような映画なのだ。

 砂漠なのだから、カーチェイスはさすがにないだろうと思っていたら、サハラ砂漠の近くの大河、ニジェール川でクルーザーと水上艇が、さながらの〝カーチェイス〟を展開していたのには、おどろいた。007のジェームス・ボンドも顔負けである。

 おおよその筋書きは、美女を連れたボンドならぬ主人公がサハラ砂漠のど真ん中にある環境破壊という悪の秘密基地に潜入するというもの。秘密基地を破壊した後、そこから、ヘリコプターや戦車で追撃してくる悪役たちから、アメリカ人あこがれの高級アメ車に乗った美女と主人公が危機一髪で脱出し、ハッピーエンドとなる。というのだから、ボンドもきっと、オレのお株を奪うなと悔しがったことだろう。

 内戦うんぬんは、添え物であり、いわば刺身のつま。さらに、秘密基地の太陽光発電利用も刺身のつま。ついでに言えば、とりわけの圧巻は映画のラスト30分間であり、アメリカ映画らしい出色の出来栄えであるとしておこう。

 ストーリーなどあってないような、こういうハチャメチャ映画も、たまには息抜きにはいい。原作があるらしいが、映画が果たして原作に忠実なのかどうか。いずれにしても、こういっては失礼だが、まあ、読む気がしない。

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もう一つの「アウシュビッツ」 戦争と障害者

(2015.08.27) ブログ子は宇宙が大好きなので、当然ながら、地動説をとなえたポーランド人、コペルニクスをとても尊敬している。

 彼はポーランド南部の古都、クラクフの牧師だった。1980年代、そんな関係で友人のポーランド人の案内でこの美しい町を歩いたことがある。ちょっと暗い感じの街なのだが、どんより曇った天候など、暗鬱な日本海側の雪国育ちのブログ子としては、むしろ心が落ち着き、いい印象を持った。コペルニクスが歩いたであろう街角をうろうろと散策した日々を思い出す。

 だが、この街の西方、100キロぐらいのところに、アウシュビッツ(ポーランド語では、オシフィエンチム)ユダヤ人強制収容所があると知らされたときには、びっくりしたのを今も覚えている。なんともいえない、ドイツ現代史の不気味な暗さを感じた。

 ● ハダマー精神病院の地下室で

 ところが、先日、EテレのハートネットTV「戦争と障害者」というのを見ていたら、ナチス政権下のドイツ国内には、

 もう一つの「アウシュビッツ」

があるという趣旨のドキュメンタリー番組を放送していた。こちらは、ユダヤ人が対象ではなく、ドイツ人障害者が対象。医学的には誤ったナチスの優生遺伝政策に基づいた

 20万人虐殺(ガス安楽死)計画、T4

という内容だった。舞台となった施設のひとつ、ハダマー精神病院地下のタイル張りガス室が紹介されていた。ハダマーというのは、ドイツ中西部のフランクフルトの近く、コブレンツという都市の近郊にある小さな町らしい。日本の視覚障害者が取材に訪れるという趣向で番組は進行していた。

 ここでのさまざまな実験、リハーサルがやがてユダヤ人大量虐殺に利用されたという。

 先日はまた、この番組の続編として、

 ユダヤ人障害者の迫害

も紹介されていた。

 ● 弱い立場の人々側に立つ

 そして、ふと思った。こうした迫害はナチスドイツだけの遠い話だろうか。

 そう思っていたら、日本でも戦争末期、昭和19年に、伊豆大島にあった知的障害者の自立ための

 クリスチャン立の民間施設、藤倉学園

で、島の軍事要塞化のため強制立ち退きを迫られるという事件がおきていた。このことを、同じハートネットTV番組の姉妹編放送で知った。知的障害者の子供たちの施設だが、軍事要塞化に伴う軍の強い要請で山梨県清里に障害者が疎開させられるというドキュメンタリーである。

 いずれの番組をみても、結局、戦争の犠牲というのは、弱いものに押し付けられる、しわ寄がいくという現実を見せ付けられたように思う。

 これは、何も戦争中だけのことではない。戦後の差別、ハンセン病隔離政策でも、障害者や患者に対する人権無視、やっかいもの扱い、生きる価値の軽視などその根っこについては、平和の時代が訪れても今もって同じであると気づいた。

 健常者も障害者も、自ら自律して人生を切り開くためにひとしく教育を受ける権利があり、政府にはそれを実現する義務がある。多様性を受け入れる社会こそお互いにとって健全な社会である。一つの価値観だけが大手を振ってまかり通る社会は戦時にしろ、平時にしろ、思いもしなかった方向に、しかも制御不能の形で走り出すなど、とても危険な状態に陥るということに気づくべきだろう。

 そういうことにあらためて事実をもって番組は気づかせてくれた。Eテレのスタッフ陣(河崎賢二ディレクター)のその気骨に、弱いものの立場に立つというそのジャーナリズム精神に敬意を表したいと思う。

 今、Eテレは頑張っている。

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8月に思う。敗戦国自らが過ちの検証を

(2015.08.27)  毎年8月は戦争を考える季節だが、今年は敗戦してから70年とあって、一層、その感を強くした1か月だったように思う。このブログでもついついそんな話題が多くなった。

 そんな中でブログ子が、戦争を問い直す具体的な提案を伴ったものとして、もっとも興味を持った記事は、近現代史の加藤陽子東大教授の

 70年目の視点 負の過去に向き合え

という論考だった(中日新聞8月5日付の見開きカラー大型特集)。「過去の事実を積み重ねることで、初めて死者を追悼できる」と指摘していた。

 ● 敗戦の年、戦争調査会を設置

 ただ、この見出しだけでは、ほかの論考とさほど違いはない。ところが、内容で注目されるのは、加藤さんが向き合うために、敗戦直後に幣原喜重郎内閣が設置した

 開戦から敗戦までの全過程を多角的に研究し、その成果を国民が共有するための戦争調査会

に言及している点。新しい憲法づくりの過程で、戦争放棄条項を大胆にもGHQのマッカーサー最高司令官に直接提案した人物ではないかとされている幣原首相だが、設置された調査会の総裁に自ら就任するという意気込みだったらしい。

 戦争放棄条項は憲法に盛り込まれたものの、GHQは調査会についてはわずか1年もたたないうちに廃止命令を出している。連合国主導の東京裁判が始まろうとしていたことがこの廃止には大きくかかわっているとブログ子は思う。

 つまり、勝者の連合国側の戦争調査は東京裁判という形で総括されている。これに対し、敗者側の戦争調査については、ついに総括されないまま、今日に至っている。ここに問題がないかというのが、加藤さんの問題意識だろう。

 だからかどうか、加藤さんはこの論考で

 「戦争調査会が継続していれば果たせたかもしれない過去の掘り起こしと(それに基づく死者たちとの)対話が、今こそ求められる」

と強調している。

 そういう共有の総括をしないまま、戦後、日本各地で行われてきたように、生き残った生者が戦争で死んでいった死者に、

 一方的に「過ちは繰り返しませぬから」

と語りかけるだけでは不十分だというわけだ。逆の死者が生者に、事実でもって語りかける対話が必要であるというわけだ。

 戦争を都合よく水に流してはならないとブログ子も思う。過ちの事実の直視を避ける。そして死者に事実で語らしめることを厭う。そのようでは、再び過ちや侵略を繰り返すことになる。被害者意識だけでなく、日本の加害者意識を持つためにも生き残った生者と死んでいった死者との対話とその場が必要だろう。

 ● 死者が生者に語りかける場こそ

 現在、政府は手狭になった国立公文書館(千代田区)の新館づくりを計画している。先の戦争調査会の第一回総会で幣原総裁が調査会の意義をのべた気迫の演説原稿も、この公文書館に保存されている。

 今こそ、東京裁判とは別に、敗者側が何が過ちを引き起こしたのか、自ら検証する戦争調査会の再設置を望みたい。その成果を、死者が生者に語りかける貴重な場として新しい公文書館で公開する。それはまた死者の追悼の場ともなる。

 加藤さんの論考の最後は

 「日本にも、死者が生者に語りかける言葉が必要だ。」

と締めくくっているのが、ブログ子の心をとらえた。死者たちのその言葉こそが、本当の追悼の証しである。

 日本人だけでも兵士、軍属、民間人の戦没者は310万人にものぼる。生者と死者の対話の場がない今のままでは、侵略や過ちはふたたび繰り返されるだろう。

 公文書をはじめさまざまに記録されている言葉を通じて、死者たちに語らせる取り組みと、その成果を共有する場づくりこそ、敗戦70年の今、求められている。

  さらに突っ込んで言えば、第9条の戦争放棄など憲法改正をしようとする内閣は、まず、その前提として幣原内閣が新憲法づくりにあたって設置した戦争調査会を再設置し、何が問題だったのかをきちんと総括する。その上で、国民にその旨を堂々と提起するのが大義名分と責任のある政治プロセスであろう。

 それを厭い、閣議決定だけで事を運ぼうというのでは、あまりに姑息であり、再び戦争を引き起こす引き金になる。

 このことも含めて、いろんなことを具体的に教えてくれた加藤さんの論考だった。

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憲法に集団的自衛権禁ずる明文規定はない

(2015.08.21) 床屋で何気なくパラパラと読んだのだが、「週刊ダイヤモンド」に

 国際法は憲法に勝るが世界の常識

 集団的自衛権は憲法違反の大間違い

というのが目にとまった(オピニオン「縦横無尽」欄、7月11日号、2015)。見出しだけを読むと、何をバカなことを言っているのかとあきれてしまった。のだが、このオピニオンの筆者が信頼できるジャーナリストの櫻井よしこさんだと気づいて、中身を丁寧に読んでみた。国家基本問題研究所理事長でもある櫻井さんが根拠のないことを書くはずがないからだ。

 その結果、誰がつけたのか知らないが、上記の見出しは要領を得ない上に、おかしいことがわかった。見当違いな見出しなのである。

 ● 櫻井よしこ氏の指摘

 櫻井さんは、安保法制案は違憲性が強いという大方の憲法学者のなかで、日本大学の百地章教授の指摘に注目している(6月26日生放送のネットテレビ「言論テレビ」番組での発言。櫻井氏がインタビュアー兼キャスターで毎週金曜日に放送)。

 紹介さている指摘の内容を要すると、こうなる。

 日本国憲法より上位の国連憲章という国際法は、加盟国の確固たる固有の権利として集団的自衛権を認めており、この国際法上の権利の行使を、日本が憲法の明文規定で禁じているならば、行使は憲法違反である。しかし、現行憲法には9条という戦争放棄条項はあるものの、集団的自衛権を直接放棄するとの規定は、ない。

 したがって、日本は、戦後の国際社会において一貫して集団的自衛権を持っているし、その行使も現行の日本国憲法上はなんら禁じられてはいない。

という国際法上の論理である。国際法上存在するとされる権利は、憲法にその放棄を規定する明文規定がないかぎり、行使することを国内的にも禁止されていないとみなされるという法律論である。

 櫻井さんは言及していないが、このことは、立憲主義かはたまた非立憲主義かという憲法論の問題には無関係に成立する。なぜなら、憲法の上位にある国際法と、各国の憲法の関係から導き出されたものだからだ。立憲うんぬんとは次元の違う国際法上の法律論なのだ。

 ● 大御所、大石京大教授も指摘

 この指摘が、一私大の憲法学教授のテレビ発言だけなら、あるいはそれほど重視しなくてもいいかもしれない。

 ところが、日本の憲法学界の大御所的な存在といわれている京大の大石眞教授が、法律の専門誌「ジュリスト」で、今回の論議以前の2007年に、この指摘についてすでにきちんと専門家として指摘している。

 櫻井さんも、この事実を指摘している。大石教授はそこでこう記している。

 「憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず、集団的自衛権を(9条があるからといって)当然に否認する議論にはくみしない」

 出典を探してみると、

 「ジュリスト」(「日本国憲法と集団的自衛権」、2007年10月17日号、有斐閣)

であることがわかる。

 憲法学者の9割が「法案は違憲」と断じている。しかし、本当にそう言えるのか。違憲立法の審査権のある最高裁で、真正面からの法律論に基づいて、この法律の違憲性を否定される可能性がある。

 良識の府とされる参院では、あと一カ月以内となった採決の前に、この点について丁寧な、そして突っ込んだ論議が必要ではないか。「60日ルール」に持ち込むなどというはもちろん、論外である。

 床屋談義のレベルですましていい話ではない。

 ● 補遺 元最高裁長官も「違憲」と明言

 以上のことを書いたが、なんと、朝日新聞9月3日付1面準トップに

 「集団的自衛権行使は違憲」

 山口繁元最高裁長官

という、同社の取材記事が出ている。元長官は、その理由として

 違憲だという「従来の解釈が憲法9条の規範として骨肉化して」いることを挙げた。この骨肉化した規範を「変えるなら、憲法を改正」するのが正攻法とも指摘する。いかにも国民にわかりやすい実務家らしい判断だと思う。

 また、安全保障に関する国際的な環境の変化などを理由に、限定的に集団的自衛権行使を容認するのは、法治主義、立憲主義とは何かをわきまえていないとも厳しく批判している。

 法案の違憲性を審査するのはあくまで最高裁だと言い募ってきただけに、この元長官による9条骨肉化論は、安倍内閣に大きな打撃となるだろう。

 いずれも、実務家らしい見解であり、安倍政権は苦しい立場となった。

 この元長官の発言について、ひるがえって考えると、この法制は、たとえ成立しても、ことあるごとに訴訟が繰り返される事態が予想される。つまり、事実上、有効な運用や期待される機能はとうてい発揮できない可能性が高まったと言えそうだ。

 同元長官は、橋本内閣から小泉内閣時代までの5年間、長官職を務めていた。

 なお、この元長官発言については、共同通信社も、中日新聞社など各地方新聞社に、独自の取材も加味して、配信している。

        - この補遺 2015年9月4日記

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何のため安倍談話を出すのかわからない

(2015.08.18)  たいていの新聞読者はおそらく読んでいないと思う。だが、念のため

 閣議決定された戦後70年安倍首相談話

を、全文読んでみた。添えられていた戦後50年の村山談話、60年の小泉談話の全文もこの際、じっくりと比べて読んでみた。

 読んだ感想を言えば、いずれも大同小異であり、何のために安倍談話を出したのか、さっぱりわからなかった。

 節目の敗戦50年の談話は、初めてのことでもあり、それなりに意義はあろう。しかし、なぜその後も恒例行事でもあるまいに、村山談話と同じような60年談話、70年談話を、閣議決定という無理をしてまで出す必要があるのか、全文を読んでもなおまったくわからなかった。そんな国がどこにあるのだろうかという気持にさえなった。

 先の談話を否定するのならば、出すのもわかる。そうではないのに、左派からも保守派からも、重箱の隅をつつくようなことでケチをつけられたり、痛くもない腹を詮索されたりすることは目にみえている。加えるに、何が書かれていようと、左右双方からうろんな目でみられる。

 なにしろ安倍首相談話は、村山、小泉首相という「歴代内閣の立場は今後も揺ぎないもの」と強調している。だから、またここであらためて「心からのおわび」を、同じ閣議決定をしてまで繰り返す必要はないという論理を暗に展開していた。

 筋が通っており、そのとおりである。

 むしろ、またあらためて「心からのおわび」を繰り返せば、今後も80年、90年、100年談話でも、またまた「おわび」をしなければならない。おわびの大安売りである。となるとこれは永久「おわび」談話という〝踏み絵〟的な流れができあがってしまう。

踏み絵的な流れをつくらないためには談話など出さない。これが一番賢明な選択ではなかったか。

 そのことは首相も十分わかっていた。論理的には必要ない。そうしたかった。のに出さざるを得ないことになってしまったのも、違憲性の強い安保法制案をかかえている安倍首相に不徳の致すところ、もっとはっきり言えば法案に大義名分のないことへの後ろめたさや弱みがあったからではなかったか。

  繰り返すが、今回の談話で安倍首相が一番言いたかったことは、言わずもがなの談話などまたことさらに出したくはないということだった。なのに、出さざるを得なかった。だからくだくだと長くなり、何がいいたいのか、分からなくなった。安倍談話は自縄自縛に陥っており、救いがない。政治的には将来に禍根を残した愚劣-としか言いようがない。禍根を残したくないのに、出すことで自ら禍根を残すことに踏み出してしまった。

 こんなことになってしまったことに対し、安倍首相は国民に対し

 痛切な反省と、心からのおわび

をする必要がある。そんな感想を持ったことを正直に書いておきたい。

 ● 補遺 村山談話の村山元首相のコメント

 8月15日付き読売新聞によると、

 村山富市元首相は記者会見で

 「焦点がぼけて、何を言いたかったのか分からない」

と批判した。自身の談話を継承した印象はないとも言ったらしい。

 図星の批判だと思う。上記したように、そもそも安倍首相は何も言いたくなかった。しかし、言わざるを得ない自縄自縛におちいっていた。だから、苦しまぎれに談話を出しただけだったのだ。焦点がぼけたのはそのためなのだ。一番嫌ったはずの禍根を断とうとして、わざわいの元だけが将来に確実に残されたといえまいか。

 安倍政権の外交の稚拙さだけが、ことさらに露呈した結果である。

  ● 補遺 各紙の社説

 8月15日付きの社説では、

 朝日= 安倍談話、何のために出したのか

として、「歴史の総括として極めて不十分な内容」と断じた。

 これと好対照なのが読売社説。

 主語がないなど直接ではないものの「反省とおわびの気持ちを示した」とぎりぎり合格点を出している。

 読売社説は、どういうわけか、

 「侵略」明確化は妥当だ

と妙に高い評価をしている。その理由として

 「その客観的な事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶めることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、「歴史修正主義」といった一部の疑念を晴らすことにもなろう」

と述べている。その後で、歯の浮くような「首相の真剣な気持ちが十分伝わる」とおちょくりに近いほめ言葉も並んでいる。

 侵略を明確に認めた中曽根首相と読売トップのつながりを考えれば、この謎は解けるかもしれない。

 おそらく安倍首相はこの社説については、オレを馬鹿にしやがってと、内心では怒っていることだろう。談話の発表後、笑顔をほとんど見せなかったのもそのせいだ。

 ● 補遺 安倍談話の反響

 中日新聞が8月18日付「ニュースの追跡」で安倍首相談話の反響を報道している。

 その結果、侵略、おわびなどキーワード先行だったとして、その具体的な中身について検証している。

 専門家は「まやかし」「妥協」と指摘していること、中国、韓国は一定の評価をしていることなどを伝えている。まやかしというのは、いつまでもわびる必要はないという首相が一番言いたいことをいいたいために、その引き換えに、もっともらしくキーワードを入れたことをさしている。

 だから、わかりにくいのだろう。

 安倍談話は村山談話を否定はしなかった、あるいはできなかったものの、内容をよく読まないとわからないようにすることで、明解な村山談話内容をこっそりと薄めようとした。これが談話のまやかしの正体であり、わかりにくくなった原因だったとブログ子も思う。

 繰り返すが、正々堂々と正面から真っ向勝負しない、できないという、安倍首相のこれまで歩んできた処世術、ひ弱な性格がそのまま政治手法に出てしまった。これが安倍談話のわかりにくさの正体ではなかったか。

 国民にとって悲しいことだが、このことが、簡潔な村山談話に対し、言い訳の多い長々とした安倍談話となって現れたといえそうだ。

 安倍談話は、結局、完全な失敗。というか、政治的には国内的にも、国際的にも敗北であろう。むしろ国益を損なう結果となったといえそうだ。

 後世の歴史家は、そう烙印を押すことだろう。 

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浜松大空襲の体験を語る

Imgp8144 (2015.08.16) 浜松の中区でこじんまりとした学習会で

 浜松大空襲を語る会

が先日、開かれた。当時、市内の国民学校の小学生だった大石純子さんが、その体験談を語った。

 この会は、昨年9月に開かれた大村元子さんに引き続き2回目。こうした浜松の戦争を直接体験した高齢者の話を聞く機会も、あと20年もすればほとんどできなくなる。

 Imgp815020150816_2 そんな思いで、貴重な

 民衆の声、民衆の談話

として、できるだけ正確に語り継いでいきたい。

 そんな思いで、以下に会合の様子と、そのとき披露されたスライドをここに掲載しておく(新聞記事は、中日新聞の最近の連載から)。

  なお、浜松市では若い人に大空襲の体験を語り継ごうと、毎年8月15日には、空襲を生き残った、いわゆる「市民の木」、プラタナスを冠して

 プラタナスコンサート

が開かれている。アクトシティホールで開かれた今年は、歌手の加藤登紀子さんがゲストとして出演した。

 ● スライド

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 ● 補遺 戦後70年 戦災100人の証言

   中日新聞2015年8月14日付けの特集として、以下のような民衆の戦災体験談「100人の証言」がある。

 また、当時の詳しい戦災体験談や多数のその写真も収載した『浜松大空襲』(浜松空襲・戦災を記録する会編、1973)がある。

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日常のなかの異常を描いた『黒い雨』

Image2207 (2015.08.12)  8月はなんといっても高校野球であり、原爆投下もあり、「祈りの季節」でもある。そんななか、先日、井伏鱒二原作の映画

 「黒い雨」(田中好子主演、今村昌平監督、1989)

をテレビで拝見した(NHKプレミアムシネマ)。黒い雨とは、放射性物質を含んだ雨という意味だ。原爆の爆風で地上から舞い上がった土ぼこりが混じて黒い雨になった。

 この機会に、ずいぶん昔に古本屋で買った原作単行本(1966年、新潮社)も読んでみた。映画と比較してみたが、こんな言い方が適切かどうか、わからない。が、

 原作にほぼ忠実にわかりやすくつくり替えてある映画

だと感じた。

 どういう事情からか知らないが、原作は途中から、日記風な作品に変わっている。映画はそのへんをうまくカバーしている。通常の物語、つまり、敗戦から5年後の姪の結婚話を中心にストーリーは展開する。原爆投下の昭和20年8月当時の姪の行動については、姪の被曝日記を、姪が世話になっている叔父夫妻が清書するという手法でフラッシュバックしていた。ベテラン今村監督の腕だろう。わかりやすい。映画はごく一部を除いて原作をほぼ尊重したつくりになっている。

 原作と映画をみて、思ったのは、原爆映画というと、お決まりの

 原爆許すまじ

という肩肘張ったものがほとんどなのに対し、井伏作品は、日常という正常さを起点に原爆の異常性を淡々と描いている点である。

 原爆がいかに異常なことなのかを、日常の正常さから描いている。黒い雨というのも、その文学的な昇華であろう。

 もともとの発表当時の小説タイトルは

 「姪の結婚」

というものだったらしい。それが、連載途中から「黒い雨」に変わった。井伏氏は、原爆というものの恐ろしさを姪の結婚というささやかな日常から描き出そうとしていたことが、これでよくわかる。

 このことを知って、ブログ子は、文学者というのは、すごい仕事をするものだと感心した。

 黒い雨という異常を知るには、姪の結婚という日常のなかにそれを描いてこそ、異常の人間的な意味がわかるというわけだ。

 井伏はそこに文学的な昇華を注ぎ込んだ。とてもじゃないが、ブログ子のようなものごとの表面しかみていないへぼジャーナリストには、到底できない力技だと思う。

 この正常と異常のはざまを、あの元キャンデーズの田中好子が見事に演じていたのには、びっくりした。

 ラストシーン。

 原作も映画もまったく同じ終わり方なのだが、ここに井伏がこの作品に込めた意図が明確に表れていた。

 原作のラストはこうだ。

 「今、もし、向うの山に虹が出たら奇跡が起る。白い虹ではなくて、五彩の虹が出たら(原爆症が発症した姪の)矢須子の病気が治るんだ」

 どうせ叶わぬことと分っていても、(叔父の)重松は(姪がたった今救急車で運ばれていった)向うの山に目を移してそう占った。

 映画では、その向うの山がナレーション(字幕)とともに、クローズアップで映し出されていた。しかし、いつまでたっても、そこには虹は表れてこなかった。

 昭和25年ごろの山間のこの描写こそが、原爆の恐ろしい記憶をいつまでも色あせさせない力を、読むものに、そして観る者に与えていた。

 文学者とはおそろしい職業である。

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猛暑中、団塊世代が『1Q84』を読む

Image2206 (2015.08.12)  人にすすめられたことも理由だが、猛暑の中、ひまをもてあまし、村上春樹氏の長編

 『1Q84』(全3巻、2009-2010年、新潮社)

をこの2週間で読み終えた。春樹氏もブログ子も60代半ば、いわゆる団塊世代であり、春樹氏のほうが1つ若い。

 ● おもしろいが空疎

 5、6年も前のベストセラーを読んだ感想を一言で言えば

 いかにもノンポリの団塊世代が書きそうな小説

というものだった。セックス場面が多用されているなどおもしろい。二人の主人公、青豆(あおまめ)も天吾も、ともに団塊世代よりやや若いという設定もおもしろい。

 もっと、おもしろさを言えば

 「セックス+異次元的な別の社会+ホラー」SF

の趣向もそうだ。おもしろさがテンコ盛りなのだ。

 がしかし、というべきか、だからこそ空疎な作品とも言えるだろう。語り掛けたいテーマが定まっていない証拠だろう。

 というのは、おそらく、まずタイトルを先に思いついた。その後に書きながらおもしろい内容を詰め込んでいったことが、ありありと想像できたからだ。ジョージ・オーエルの『1984』にヒントを得て、異次元的な謎の1984年、つまり「1Q84」の世界を書けばおもしろいと、そのタイトルに春樹氏自身がほれ込んでしまった。先に書きたいテーマがあったわけではない。そこで、成り行きで、1970年代の連合赤軍「あさま山荘」事件やら1990年代のオウム真理教の一連の事件やらをヒントに書き進めている。のがいかにも団塊世代らしい。

 ● ノーベル文学賞なんかとても無理

 この小説を読もうと思ったのは、暑さ忘れにいいかもしれないと思ったこともあるのだが、もうひとつ、知人のもうすぐ後期高齢者仲間に入る国語の元高校教諭が、まじめに

 おもしろい。ノーベル賞ものだよ

と強く勧めてくれたからだ。老人がおもしろいというのだから、よほどしっかりしたものなのだろうと早合点した。

 春樹氏は、あるロングインタビューで、この小説について、

 「『1Q84』は僕がやりたいことの本流だし、内容にも手ごたえもあった」

と語っている(第三巻のBook3を発売した直後、2010年夏のインタビュー)。それではと、今回、思い切って読んでみたのだ。

 ノーベル賞の選考基準は、これまでの傾向から

 理想主義的なリアリズム

であり、そんな作品に対し与えられる。川端康成も大江健三郎も文学賞を受賞できたのもこの基準に沿った作品群だったからだろう。それは間違いない。

 しかし、この作品もそうだが、もともと春樹氏の作風にリアリズムなどはない。のは本人自身が認めていることであり、ファンや読者もそう受け取っている。また、およそ理想主義とは無縁である。むしろ倫理観の欠如した作品が目立つ。そもそも団塊世代の書き手に倫理観のある小説を求めること自体、ないものねだりのむちゃな要求であるのは、ブログ子もよく承知している。

 ● 再帰性に新味

 それでは、新味とか独創性とかいうものはないのかというとそうではない。オリジナリティは確かにある。

 たとえば、この小説の構造は

 小説Aの中に登場する小説Bは、もとの小説Aにつながっている

という、いわゆる入れ子になっている。具体的にいえば、

 『1Q84』の中に出てくる小説『空気さなぎ』はもとの小説『1Q84』につながっている

という趣向である。

 コンピュータープログラムで言えば、

 再帰性(リカーシブル)プログラム

の構造になってる。こういう構造はエンドレスになる危険があり、コンピュータープログラミング上は「異常終了」という危険が発生するばあいがある。つまり、コンピューターを正常終了させるのがなかなかむずかしい。

  Book1とBook2はこういう構造でこしらえてある。この再帰性作品のせいで、

 「原因と結果が錯綜している」(単行本Book2のp495)

というか、現実の出来事にはある因果性が逆転している。そこがおもしろい。春樹氏もこのことに気づいた。別の言い方をすれば、

 現実とフィクションが入り混じっているような感覚

を生み出している。再帰性小説の「異常終了」のおもしろさだろう。

 この点で、SF小説としては春樹氏のこの作品にはオリジナリティがあると思う。しかし、ここにはもちろん、当然だがリアリズムなどというものはない。ただ、文系の春樹氏がどこからこのアイデアを思いついたのか、ちょっと感心した。

 ● 楽屋裏小説、Book3で破たん

 ところが、案の定、再帰性の終わり方の難しさで、最後のBoo3は、どうでもいい種明かしの

 補遺(ほい)小説

に堕してしまっているのは残念。Book1とBook2を補強する、あるいはほころびをとりつくろうだけの楽屋裏小説になってしまっている。

 つまり、もともとの普通の『1984』になってしまった。

 この最初の2巻と第3巻の間の破たん、あるいは違和感がなぜ生じたのか。

 想像するに、Book1とBook2が予想をかなり上回って、発売からわずか2、3週間で大ベストセラーになった。このため、急遽、出版社側が春樹氏に泣き付いて、なんでもいいから続編を一刻もはやく書いてくれと頼んだのだろう。あわてた春樹氏もなんとかまとめようとしたのだが、再帰性の終わり方のむずかしさにへとへとになってしまったと想像する。

 この切羽詰った安易な楽屋裏小説という、いわば蛇足で、作品全体の文学性は大きく損なわれてしまった。出版ビジネスとしてはともかく、文学作品としてはこれは、大きな失敗、ないしは破たんだろう。

 大江健三郎さんがノーベル賞を受賞して20年。もう、そろそろ日本人にノーベル賞の順番がまわってくるころという話もある。

 が、とても、そんなレベルではない。

 おもしろいということで受賞できるというのであれば、漫画家の松本零士さんの

 宇宙戦艦ヤマト

が先に受賞することは確実だと思う。リアリズムはともかく理想主義を貫いているからだ。

 そんなこんなで、たまには現代小説を読むのも、避暑にいいだけではなく、いろいろと勉強にもなる。

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