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ニセの人生を歩まされた男 渥美清残酷論

(2015.07.15)  俳優とは因果な商売とはいうものの、なくなった後も自由にさせてはもらえなかった残酷さを知って、渥美清ほど悲劇的な俳優も珍しいのではないかと思った。死後にも衆人環視のなかで聖人化させられ、むしろ食い物にされた俳優といってもいいかもしれない。

 こうなると、生前、渥美清が戦前の狂人俳人とも言われた尾崎放哉(ほうさい)に傾倒したのもわかる気がする。放哉の「咳しても一人」の境地になりたかったのだろう。

 国民的な俳優の悲劇というには、あまりに非人間的な人生だった。なにしろ、数十年にわたってニセの人生を歩まされ、死後も無理やり聖人というイメージを振りまかされた人間の哀れさは筆舌につくしがたい。

 ● 追悼映画「虹をつかむ男」

 それというのも、最近、山田洋次監督の渥美清追悼映画、

 「虹をつかむ男」(主演=西田敏行、1996年)

をBSフジでみたからだ。渥美清を聖人化したこの映画の最後には、

 「この映画を敬愛する渥美清さんにささげる」

と表示されている。ある意味、これほど渥美清を侮辱した映画も珍しい。

 生前の国民的な人気シリーズ「男はつらいよ」は50作近くにのぼった。みんなあんなふうに美女とともに自由気ままな人生を送れたらという憧れの存在。それが寅さんであり、それを演じたのが渥美清である。しかし、最初はもちろん、当たり映画であり、有頂天になったことは間違いない。しかし、シリーズの半分、20作前後から、

 「もううんざり、まっぴら」

と思ったことは、間違いない。予定調和的なハッピーエンドのいかがわしさにうんざりした。こんな体制擁護の映画に吐き気や嫌悪感を覚え、放埓な放哉の世界に入ろうとした。

 しかし、もはやわがままは許されない。周囲はイメージダウンを恐れる。あまつさえ、なくなってもなお追悼映画に寅さんとして〝出演〟させられた。大衆のあこがれの存在、虹をつかんだ男として。

 いくら渥美清が突然なくなったからといって、また制作にドタバタがあったからといって、こんな「虹をつかむ男」の映画を死んだその年につくる。なんて、監督のその器用な才能は認めるが、そしていくらゼニカネの渡世だからとはいえ、ちょっと信じがたい芸当だ。

 ● 死してなおの残酷さ

 見終わって、誤解かもしれないが、死んだ俳優になおムチを加えることをやめない山田洋次という監督。なんと残酷な男なのかと思った。一生、俳優にニセの、仮想の世界を歩ませたのだ。

 ただ、見方を変えれば、映画監督というのは、かように残酷でなければつとまらない商売なのかもしれない。

 渥美清も

 「渥美清はつらいよ」

と晩年、苦しみ続けたであろう。

 これは、晩年自身のかかえたがんという病苦よりも辛いことだったろう。

 せめてあの世だけは、寅さんに、自由に放哉の世界に浸らせてやりたい。

 そして、寅さん映画をまともに一作も見なかったことに、ブログ子は誇りを持った。なくなってまもなく20年、きっと渥美清、こと田所康雄もこのことについては喜んでくれているだろう。

  ● 米コメディ映画「トゥルーマン・ショウ」 

 このブログを書いた直後、ある映画ファンから、感想として

 まるで「トゥルーマン・ショウ」のような人生だったのですねえ

というのが届いた。1998年というから渥美さんがなくなって2年後に公開された映画。だが、どんな映画か、ブログ子はその内容を知らない。

 そのファンによると、ある平凡なアメリカ人がある島で生活している。小さいときからのその生活はすべて隠しカメラを通し生テレビ放送で世界に配信されているという衆人環視の設定。彼以外の人たちはすべてショウを支える俳優。しかし、いつしか、自分の人生はおかしいと気づく。そして、その虚構の世界を決意、島抜けするというものだ。そして意外な結末が最後に待っているというものらしい。

 渥美清は、映画出演期間の晩年数十年間、自分の実生活についてその自宅の所在を含めて監督などスタッフにも極端に秘密にしていた。

 渥美さんは、この映画を見たわけではないが、本能的に虚構の生活に反発していたのだろう。映画と違って、渥美さんは死ぬまで、いや、なくなってからも、映画の虚構から抜け出せなかったのは、異常なまでの残酷さと言えるだろう。

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