« 「紙も鉛筆もいらない」の天才物理学者 | トップページ | 猛暑中、団塊世代が『1Q84』を読む »

南部陽一郎さん死去の反響 

(2015.07.28)  この欄に10日ほどまえ、物理学者の南部陽一郎さんの訃報について

 「紙も鉛筆もいらない」の天才物理学者

というブログを書いた。ブログ子は、福井市出身であり、福井育ちの南部さんに対し、思い入れのある評伝を紹介した。

 ● 福井市在住の読者から

 どこで、どう伝わったか、その内容をみた福井市のある読者から、お便りメールが届いた。

 南部さんは、生まれて間もないころに発生した関東大震災で焼け出され、父親の出身地、福井市に東京から転居してきたこと、現在の福井県立こども歴史文化館(福井市城東)には、南部さんが研究者として長年愛用した黒板、学生時代の直筆ノート、ノーベル賞公式レプリカメダルなどが公開展示されていること

などを知らせてきてくれた。

 とくに、ブログの内容について感想というものはなかったが、南部さんは晩年

 「好きなことに夢中になれ」

と若い人に説いていたという。一度、お知らせいただいたふるさとに建つ文化館を訪ねて、南部さんの人となりにふれてみたいと思った。

 ● ベテラン科学ジャーナリストから

 もう一つの反響として、初任地が福井市だったベテラン科学部記者からもコメントをいただいた。同郷のよしみで書いた評伝というのは、身びいきがどうしても入り込む。だから、ポイントを突いていないことが多い。

 そう心配していたのだが、案の定、このコメントにはブログ子の心配した点を鋭く突いた指摘があった。

 その内容を要約すると

 理論物理の南部さんを尊敬する最大の理由は、対称性の破れという重大な概念を超伝導の物理学者から学んだ、という逸話にある。つまり、やれ素粒子だ、やれ物性だという縄張り意識を持たずに、あるいはとらわれないで好奇心のおもむくまま自然界の原理を見つけ出そうとしていた。このところにこそ科学者の手本があったという思いである

というものだった。

 自然界は人間の都合に合わせて存在などしていない。専門というたこつぼに閉じこもった研究では限界がある。こういう指摘こそ、ジャーナリストなら指摘すべきであったと深くブログ子は反省した。

 実は、上記の最初の反響読者も

 南部さんは好きなことに夢中になれと若い人たちに説いていた

と指摘している。これは単なる言葉だけのことではなかった。自らの人生を振り返ったときの実感だったのだ。 

 身びいき原稿は冷静さを欠き、恐い。

 ● 補遺 中日新聞の南部死去社説

 7月27日付中日新聞第2社説。いろいろなエピソードを交えて、社説に仕上げているのは「評伝」同様、好感できる。南部さんの周辺に詳しい論説委員の筆になることがわかる論説である(中日新聞名古屋本社には科学部がないのになぜこんな社説が書けるのか、ちょっと不思議だが)。

 ただ、難点は主張の「知の探求を続けたい」というのは意味不明であり、ユニークな内容に不似合い。はっきり言えばいかにも陳腐。

 せめて、内容からも言えることだが、

 好きなこと夢中になれ

と出来なかったか。

 (写真のクリックで拡大できる)

Image2204_2 

|

« 「紙も鉛筆もいらない」の天才物理学者 | トップページ | 猛暑中、団塊世代が『1Q84』を読む »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/61974081

この記事へのトラックバック一覧です: 南部陽一郎さん死去の反響 :

« 「紙も鉛筆もいらない」の天才物理学者 | トップページ | 猛暑中、団塊世代が『1Q84』を読む »