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なぜ実名にしなかったのか 『絶歌』に絶句 

(2015.06.30)  このごろ、20年近くも前に神戸で起きた

 連続児童殺害事件

のことがニュースで取り上げられている。いまごろなんだろうと思っていたら、その犯人だった中学生、いわゆる「少年A」が最近、事件について手記を出版したというのだ。忌まわしい過去は忘れたいのが人情なのに、名乗り出て、堂々と、というか赤裸々に事件について話すというのにはよほどの勇気がいると感心した。

 ところが、手記『絶歌』の著者は実名ではなく、

 元少年A

だと聞いて、あきれて絶句してしまった。あまりにひどい。

 その理由は以下の通り。

 ● 覚悟と誠実さのない出版

 第一。

 加害者にも、しでかした事件について出版する「表現の自由」はある。ただし、それには、10年ほど前に制定された犯罪被害者等基本法が言うように

 「国民は、犯罪被害者らの名誉または生活の平穏を害することのないよう十分配慮する」(同法6条)

という努力義務が伴う。この義務を果たす担保としては、無責任な元少年Aではなく、実名で書くという覚悟が要る。それがない。

 第二の理由。

 加害者がかかわった事件について出版するに当たっては、被害者の関係者に

 内容についての了解まではとらないとしても、事前に意見を求める

という誠実さが要る。今回のように出版された手記がいきなり、遺族のもとに謹呈本でもあるかのように届けられるというのは異常である。これまた基本法6条を踏みにじるものである。

 今回の出版はこうした覚悟も誠実さもない。 その意味で、今、30代になった元少年Aの著者は、今も幼稚な「少年A」なのが残念だ。大人になりきれていない。つまり、かわいいのは自分だけなのだ。

  かつて少年法の恩恵をたっぷりと受けた少年A。今度は憲法の「表現の自由」の恩恵をこれまたたっぷりと受け、人生を歩んでいる。人間のクズの浅ましさだろう。

 (書かないことで)ぼくは、ぼくでなくなる、と本の表紙に書いている。今回、書いたことで、元少年Aだったこの本の著者はかつての幼稚な少年Aに戻ってしまった。

 このことは、せっかくの更正教育も失敗だったことを意味する。

 ● 出版社にも問題

 出版社の責任についても、これでは言いたくはないが、浅ましい

 「やらずぶったくり」のゼニもうけ出版

といわれても仕方がない。表現の自由を担う出版社として実名にするよう説得したり、社会的に意義のある内容にするなどの努力をしただろうかと、その対応に不信感を持つ。

 このままでは、人によっては「表現の自由」の乱用と非難するだろう。口の悪い人などは、

 食い逃げ出版

というかもしれない。出版社としても経営が苦しいので、背に腹はかえられないのだろう。たとえそうではないとしても、またどんなにりっぱなことが書かれているとしても、ブログ子は読む気がしない。

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