ピカソにひかれた日本画家、加山又造 - 新緑の秋野不矩美術館にて
(2015.06.03) 老人というか、シニアというか、そういう世代になると膝関節が時々痛くなる。ブログ子も例に漏れず医者からは筋肉の衰えを指摘され、これ以上悪くならないために、歩くことを強く勧められている。だから、土日には歩く。近所の毎月一回開かれる佐鳴湖やまちなかノルディック・ウォークにも参加し始めている。
しかし、たまには歩くだけでなく、楽しみながら歩けないかと思い、わざわざ佐鳴湖のほとりの高台にある自宅から少し遠い浜松市天竜区二俣の秋野不矩美術館にまで出かける。天竜川にかかる鹿島橋をわたり年に2回、コースのほとんどは電車を利用する。
のだが、美術館の正面玄関までのゆるやかにカーブを描いた上り坂のアプローチを、ブログ子はとても気に入っている( 写真上 )。
また二俣川にかかる登り口の二俣大橋からの眺めも素晴らしい。晴れた先日土曜日に訪れたときには、新緑のなか学童保育の子供たちが若い母親たちと一緒に多数魚取りの川遊びに来ていた(写真。橋の近くには句碑も)。
● キュービズム的発想の「若い白い馬」
特別展 加山又造展
が開かれていた。「春秋波涛」の絵画で知られているが、よくは知らない。
今回は
淡月
というタイトルで、桜の老大木に淡いピンクの花びらが無数に咲き誇っている満開の様子を描いた4曲(たたみ4枚の大きさ)が展示されていた。圧倒的な迫力である。さすがは高名な日本画家だと感心した。日本の伝統的な装飾絵画とはこういうものかと理解できた。
そんななか、落款(完成したことを示すサイン)もない二枚の初期作品に目がとまった。
若い白い馬 1950年
と
月と縞馬 1954年
である。加山20代の作品。最初期の「若い白い馬」は、あきらかにピカソのキュービズムの影響のあるもので、小屋の前で後ろ足で立ち上がろうとしている瞬間を下から見上げるアングルでとらえている。画面の真正面に前足のひずめが前に突き出されているという大胆な構図にもおどろいた。
● シュールな「月と縞馬」にびっくり
もう一枚のは、縞馬を二匹重ねて描いたもので、垂直に立てた足が不釣合いに細い。しかもなんと、足が14もある。ひづめの数を何度も数えたが、まちがいなく14個あった。
青白い月というのも
なんと、球ではなく、とがった正八面体風
なのだ。エジプトのピラミッドの形をしたもの2つを底面同士でくっつけたもの。それなのに、足の多さにしても、月の形にしても、まったく違和感がない。画面の中で安定して存在している。なんだか、錯覚させられているような気分になる。
一言で言えば、この絵はサルバドール・ダリの絵を見ているような
シュールな絵
といったらわかりやすいかもしれない。
そのほか、キュービズムほどではないが、
紅鶴 ( 1957年)
は、ツルを描いたといっても相当にデフォルメされている。見たものをそのまま描いたものではない。伝統的な日本画では決してみられない作品だろう。こちらも、少しも日本画として違和感がないというのも不思議だった。この絵にも落款はなかった。
会場にあった年譜をみてみると、
1952年 (25歳) ピカソに惹かれ、アンリ・ルソーの絵を好んだ
とあった。絵を志した若き日の加山又造が、キュービズムやシュールリアリズムのほか、あの、若きピカソをも感激させた「下手うま絵画」の不思議な世界、遠近法を無視したようないわば奇想の世界を愛したとは知らなかった。
● 「春秋波濤」の革新性
春秋波涛 ( 右図 )
も、日本装飾絵画を革新したいという模索の中から生まれたのだと気づいた。装飾画とはいっても、見たものをそのまま美しく配置したものではない。日本的で
シュールな加山の世界
なのだ。
実は、秋野不矩もまた、加山と同時代を歩み、革新の模索を続けた同志だったのだろうと思った。
豪華な散歩が終わろうとしていたころ、ようやく秋野不矩という人物のことが少しわかりかけてきた。彼女の画風は、シュールではないものの、単なる日本の装飾画家でもない。
写真下は、シュールな散歩を楽しんだこの日、二俣大橋のたもとで見つけた句碑。
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