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ゆかいな「馬と鹿の壁」のある風景

(2015.05.10)  もう10年も前のことだが、大ベストセラー『バカの壁』(新潮新書、2003)で話題となっていた養老孟司さんを金沢の経済人向け懇話会に迎えたことがある。その内容はすっかり忘れてしまったが、なんだか論旨のはっきりしないわかりにくい講演だったことだけは覚えている。たぶん会場の地元経済人も同じ気分だっただろう。

 まあ、時の人の顔をまじかに拝見する会なのだから、内容があったかどうかなどということは、問題ではない。そんな養老さんだが

 「日経おとなのOFF」(6月号)

という最新号雑誌で、インタビューにこたえているのがおもしろかった。特集は、

 老化する脳、しない脳

だった。養老さんの記事も編集者がまとめただけあって話が一本筋が通っていた。

 記事に大きく出ているゆかいな

 「馬と鹿の壁」絵

は、趣味の昆虫採集と標本づくりの基地にしている箱根の別荘に直接描かれたもので、その前で養老さんの元気な姿が載っている。60歳定年の3年前、1995年に東大医学部教授を退官し、論文を書かなくてもよくなって20年。この間、ストレスがなくなったからか、髪が少し白くなったことをのぞけば、ほとんど風貌が変わっていないのにはおどろいた。とても、今年77歳、喜寿とは思えない若々しさである。

 ● 脳を老化させない養老語録

 若さの秘訣の一つは昆虫採集という野外活動をしていることもあるのだろうが、たしかに、老化しない脳について、脳科学者らしい何かを聞いてみたくなる。インタビューした記者もそう思ったのだろう、そのインタビューのポイントとして

 脳がひっくり返る 養老語録

を箇条書きにまとめていた。

 その最後の二つをここで紹介しておきたい(カッコ内はブログ子の補足)。

 「こんなこと(別荘にこもって昆虫標本づくりをしていること)やっても何にもならねえなと思うことほど面白くてやめられない」

 「どうせ死ぬんだからと思って生きていれば、(ほとんどの心配事なんか)どうでもよくなるよ」

 わかりにくい話をする養老さんだが、これは体験に裏打ちされた名言だと思う。

 ● 『唯脳論』と『バカの壁』

 Image2170_2 ブログ子は養老さんのわかりにくい一般書をそれほど評価していないのだが、東大教授時代にまとめた

 『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年。初出1989年)

は示唆に富む名著であり、座右の書にしている(写真右)。その内容の核心を一言で言えば、

 脳について考えているのは自分の脳である

というのに尽きるだろう。このユニークな観点から、脳について脳科学者がいくぶんわかりにくく考察している。それでも「意識の役割」という分析などにはなかなかの透徹した考察がいまでも感じられる。

 これに対し、14年後に書かれたのが、そして東大をやめ気軽になった環境の中で書かれたのが

 口述筆記『バカの壁』

である。これも一言で言えば、話し合ったって分かりあえない、だから人の間にはお互いにバカとののしりあういわば「バカの壁」というものがあるという内容で、それをわかりにくくしゃべった社会論( 補遺 )

 冒頭の懇話会でもこれに関連した話をながながとしていたと記憶するが、どうもわかりにくかった。

 しかし、今思うと、唯物論や唯脳論が世界のすべてと思うかもしれないが、唯脳論にも

 バカの壁

という近代個人主義の壁があるということをしゃべっていたのだと気づいた。脳について考えているのは自分の脳であるという考え方をもってしても打ち破ることのできない壁があるのだ。

 その壁の向こうには何があるのだろうか。それがさきほどの養老さんの生活信条と無関係ではないようにも思う。

 この問題意識をもって、もう一度『唯脳論』を読み返してみたい。

  ● 補遺 「バカの壁」の起源

 本のタイトル「バカの壁」の起源は、大ベストセラーになる17年前に、養老さんが自らの書いた

 『脳の見方』(ちくま文庫、1993年。初出の原題「脳の中の過程」1986年)

にある。この本のなかに

 哲学と理解 - 馬鹿の壁

というのがあり、

 「ものが理解できない状態を、私は「馬鹿の壁」と呼ぶ」

と明解に書いている。女性がときどき

 「そんなことは、私はわかりません」

というのも、馬鹿の壁をわからないふりをする手段として使う事例だと書いている。当時の名論卓説の哲学はこの壁に出合って一敗地にまみれたとも主張している。そして、自然科学もこの壁に突き当たっているのではないかとしている。

 おもしろいことに、このときには、とてもわかりやすい言い方をしている。しかし、これでは、だからこそベストセラーにはならなかった。世相をたくみに読み取って、わかりにくく、つまり、わかりやすいことをわからないように口述で引き出し、大べストセラーに仕立て上げたのだ。

 その意味で、世間に存在する馬鹿の壁のおかげで、見事にしてやったということになる。言ってみれば、大ベストセラーは編集者のてだれのおかげだったということになる。

 世の中、論理明解に、わかりやすく話せばいいというものではないことがわかった。

 きっと壁の向こうには「脳のなかの幽霊」という幻がいるのだろう。

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