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湯川秀樹の栄光と挫折の30年

Image2160  (2015.05.07) 大型連休が終わったが、私の連休は、少し大げさに言えば

 湯川秀樹著作集全10巻ざんまい

だった。

 ● 「著作集」三昧の大型連休

 右写真にあるように、本箱の隅においてあった著作集をあちこち「はしご」して過ごした。買ってからもう20年以上がたつ。しかし、理系大学院出身なのに、しっかりと読んだところは少なく、未読のほうがはるかに多かったからだ。

 それと、このブログでも最近何回か登場願った理論物理学者の佐藤文隆さんが、湯川さんとまじかに接していたことから、この著作集の編集と解説を担当していることもある。

 以前にも書いたが、ブログ子が大学院生だった、そして湯川さんにとっては大学定年を迎えるなど晩年にあたる1970年代は素粒子論に大きな変化が起きた時期だった。

 ● 1970年代前半に大団円だが

  Imgp7580_3 湯川さんは、この時期をどのようにみていたのか。そんなことを知りたくて、著作集をあちこち読んで見た。そして、発見した。

 1970年代に、自ら創始した素粒子論の根源追求の結末というか、大団円というか、そんな事態が訪れるだろうと講演会で話していたのだ。

 具体的には著作集第一巻「学問について」のなかの

 物理学の老化と若返り(p189)

というシンポジウム講演記録である(1962年11月、日本学術会議主催)。非常に興味深いので、ここにそのまま引用してみたい(写真左)。

  「私には物質やエネルギーの根源へ向っての探求は、無限につづくものとは思われないのです。何年先に終わるのか、もちろんはっきりとはわからないのですが、私は以前には十五年、近頃では十年くらいだろうと言っています。そうすると、それは、ちょうど私が停年になるまでに終わるという意味じゃないか、とかんぐる人があって困るのであります。(笑い声) それは偶然の一致でありまして、(笑い声)」 -

と続いている。その探求は「私自身は、たとえ一つの段階だけで終わらないにせよ」(p188)と断ってはいるものの、はっきりと

 あと10年

と言い切っている。つまり、1972年ごろには根源探求に決着がつくと予言しているのだ。

 忘れもしないが、湯川さんの停年(1970年、63歳)直後の972年に、予言どおり、素粒子論の標準理論として湯川さんの弟子たちによる大団円となる小林・益川理論が登場、翌年の1973年、これまた湯川さんが所長をしていた基礎物理学研究所の専門欧文論文誌にその論文が掲載されもしたのである。

 もっとも、この結末に湯川さん自身は、自らの研究方針(場の量子論を土台にした時間と空間の素領域論)と大きく異なるものであったことから、大変に困惑したり、不満だったりしたらしい。このことは以前にも述べた。

 ● 中間子論と素領域のはざまで

 著作集をあちこち読んでいるうちに気づいたのだが、上記にも述べたが、注目したいのは、このとき湯川さんは

 一つの段階では終わらないにせよ

と注意喚起をしていることだ。いろいろ問題はあるにしろ、当時から現在まで、この標準理論は大筋で受け入れられている。すくなくともこれを超える理論は提案されていない。したがって、湯川さんの、素粒子は点ではないのではないかという考え方が不首尾に終わったとされている。

 しかし、湯川さんの死去(1981年)後のこの30年、時間と空間の素領域と親和性のある超弦理論なども登場しており、湯川さんの見通しは不首尾に終わったとまでは、現在のところいえないのではないか。標準理論は、重力も含めた大統一理論はもちろん、重力のない統一場理論への道の最終決着ではない。もう一段階先がある。

 そんな可能性すら予言しているようにも思えた大型連休の読書ざんまいだった。

 Imgp7581_2

  ● 補遺 後日談 益川さんの回想証言

  小林・益川理論(1973年)は、その後、高エネルギー物理学実験などの検証を通じ理論の正しさが確かめられたあと、2008年、ノーベル物理学賞を獲得することになる

    ただ、おもしろいのは、湯川さんの弟子で元京大教授だった当の益川敏英さんが、ノーベル賞を受ける2年前、朝日新聞(2006年7月1日付「科学」欄)の湯川・朝永生誕100の回想コラムに、湯川さんのノーベル賞受賞中間子論文の不備を指摘した上で、つぎのような厳しい評価を下している点だ(カッコ内はブログ子の注記)。

 「湯川は自然が示す素粒子の現象に基づいて着実に研究するというよりは、独自の素粒子像をもとにそれ(統一理論)を追い求めるタイプの人だった。ホームランか三振かで、その後ヒットも打つことはなかった」

 益川さん自身は、小林・益川理論が示すように、自然が示す素粒子の現象に基づいて着実に研究するタイプだ。そんな人が、湯川さんについて受賞後の30年間は、ヒットすら1本も打てなかったと回想している。これは要するに、不備のあるたった1本のノーベル賞論文、つまり、ファール性のホームラン1本しか打てなかったプロ打者だったと言っているのに等しい。

 このことは、益川さんにしろ、小林誠さんにしろ標準理論の確立者なのに、湯川秀樹著作集全11巻のいずれの巻にも編集・解説の責任者になっていないことと無縁ではないだろう。はっきり言えば、中間子論は湯川さんが望んだような形での大団円ではなかったことを物語る。

 その意味で、この朝日新聞に載った益川回想コラムは、重要な証言だ。1970年代当時、ブログ子はこうした微妙で、立ち入った事情にはまったく気づいていなかったことを正直に書いておきたい。

 標準理論の確立から40年、今もって目指している統一理論の登場する兆しはない。

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