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2015年5月

大阪市のふり見てわが浜松ふり直せ 

(2015.05.28)  3年前にできた大都市地域特別区設置法に基づいて、大阪市をなくし、東京都のように特別区を設置する住民投票が僅差で否決されてから10日がたった。

 Image2181 大阪市南部の区に暮らす高齢者の「既得権がなくなる」という危機感が、若者やビジネスマンの多い北部区の人々に勝った結果だろう。都市やそこでの産業の発展には効率的な広域行政が不可欠なのは誰でもわかる。が、特別区になるとかえって住民福祉やサービスが低下する。これはこまるという高齢者などの社会的弱者の本音、はっきり言えばエゴが

 大阪都構想

をつぶしたという見方もできるだろう。大阪市の将来にはおおむね関係がないのに、高齢者が大阪市の将来の発展について拒否反応を示し、重大な判断を下した格好になった。明日の100万円よりも、今日の10万円のほうが大事だと思ったのだろう。いかにも、大阪人らしい。

 これが大阪で3年仕事をしてきたブログ子の正直な感想だ。

 ● 政令市にも勝ち組と負け組

 こうした背景を受けて、次に有力な政令市、横浜市などは特別区設置に向けては慎重になるだろう。

 むしろ、政令市の枠組みを残したまま広域行政を強力に行うため、府県並みに財源なども含めて権限強化を図る

 特別自治市

に向かうような気がする。なぜなら、法律はまだできていないが、政令市長会が5年前から盛んに提案しているからだ。

 それに、市を廃止するという選択には、大阪市民に限らず、多くの市民にとってはやはり抵抗感がある。それよりむしろ残し、権限の強化を図ったほうが受け入れやすい。その場合、摩擦が生じるのは、広域化に伴う隣接市町の間であり、その利害関係をどう調整するのかがむずかしい課題だろう。

 総務省あたりから声高に、そしてせき立てるような「地方消滅」の声が聞こえてくる。そんな中、こういう自治体側の動きをみていると、政令市が20あるといっても、大阪、横浜といった比較的に人口の多い上位グループと、過疎法適用の過疎地を抱える浜松市、静岡市など下位グループに政令市は2極化するような気がする。

 露骨な言い方をすれば、政令市でも勝ち組と負け組に分かれる。そんなシナリオが現実味をおびだしている。

 ● 浜松の30年後、人口15万人減

 人のふり見てわがふり直せというわけでもないが、わが浜松市も、大阪市同様、莫大な借金(市債残高約5000億円、年間利払い80億円強)をかかえ、10年越しの区再編問題に取り組んでいる。7区を合区、5つか、できれば3つにして行政コストを減らそうとしている。

 政令市になる前の旧浜松市域を合区し、一つの区にまとめることを視野に入れているものの、市としての明確な判断は先延ばしにされている。

 浜松市の人口は10年前の政令市発足時には約79万人。一時80万人を超えたが、その後減り始め、いまや80万人弱。最近では毎年5000人の人口減。このままでは30年後には政令市にふさわしい70万人以上というのを下回り、66万人にまで減ると見込まれている。

 人口減の中身は少子化と高齢化のバランスで決まる自然減のほか、社会減という市外への人口流出(転入から転出を差し引いた差)のほうが深刻。消費は減少し、税収も落ちこむ。これでは市の発展は覚束ないだろうということは容易に想像できる。

 4次、10年にわたる市行革審議会の論議を受け、今、その後継の浜松市行政経営諮問会議が具体的な答申を、この2月にまとめ、市長に提出している( 写真 = 答申内容について緊急座談会を掲載した「浜松情報」2015年3月号外)。地元経済人だけの座談会ということもあり、以上の問題点のほか、公共施設やインフラの老朽化問題にも切り込んでいる。

 緊急座談会には浜松商工会議所のメンバーがほとんど。が、有権者である市民の議論が活発にならない限り、行政や議会は動かず、本腰の改革にはつながらないだろう。

 ここにも、今回の大阪同様の構図があることを忘れてはなるまい。

 議論だけの段階はとっくに過ぎ去った。答申内容を実行しながら、市民に負担を求めるだけでいいのかなど、論議のすそ野をもっと広げたい。

 7年にもわたる都構想論議のあった大阪。同様に、浜松市も政令市として勝ち組に残るための決断のときが迫っている。

  ● 注記 静岡県知事は

 気になるのは、今回の投票結果を受けた静岡県知事、川勝平太さんの意見。静岡県でも、二重行政は是正していく必要があるとした上で、

 「浜松市は特別自治市を目指して県から自立すればいい。(もう一つの政令市で、今にも人口70万人を切りそうな)静岡市は広域行政を担える状況ではなく、県と一体化することで行政の一元化を目指していくべきだ」

との見解を示した(2015年5月19日付中日新聞朝刊)。静岡市の今後についてさらに突っ込んで

 「特別自治市を声高に求めるよりも、政令市として実力をつけていくことが先決。(実力をつける)その中で県との連携(一体化も含めて)を模索することが必要

とも冷静に分析している。連携の具体策として「知事が静岡市長を兼務する」という大胆なものだ。これには地方自治法などの法律改正が必要だが、静岡市が政令市のなかの負け組にならない方策を、知事自ら具体的に示したと受け止めたい。

 浜松市の場合も、二重行政の是正や行政のスリム化を図ることは、政令市として負け組にならないためには、当然だろう。加えて特別自治市を目指すとするならば、区再編問題の3区案導入などの思い切った、それも早期の断行は不可欠だろう。今のような7区もかかえていては、特別自治市にかせられる広域行政の中核を担うことは困難だ。

 2018年度中に再編するかどうか決めるという工程スケジュールは、論議スタートから13年もかけており、いかにも悠長にすぎないか。負け組に甘んじるという行政の消極的な姿勢が垣間見える。

 ● 付記 心配な日本海側

 このブログを書いていて気づいたのは、日本海側にある政令市は新潟市だけである点だった。

 つまり、政令市にも勝ち組と負け組が今後出てくるような情勢では、日本海側の自治体の〝消滅〟に対する危機感は強まるばかりだろう。

 総務省あたりが言っている

 地方創生

というのは、撤退戦であり、それも日本海側からの撤退という意味に聞こえてしょうがない。ブログ子のふるさとは福井県であり、定年までの20年間暮らした金沢市の奮闘を願わざるを得ない。国頼みの北陸新幹線も大事ではある。が、撤退戦に巻き込まれないためには国の施策を待っていては、追い立てられるだけだろう。

 新幹線の開通にわく金沢を遠くの浜松から覚めた目で見ていると、そんな気がしてくる。

 浜松についても、金沢についても地方創生政策の成否は東京五輪後の5、6年後にははっきりわかるだろう。

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第2の「明日の神話」にするな          - 浜岡原発の停止から4年

(2015.05.15)  南海トラフ巨大地震が直下で起きる可能性があるところから、日本でもっとも危険な原発といわれている

 浜岡原発(静岡県御前崎市)

が政府の要請で全機が停止してから、丸4年がたった。発生すれば、ブログ子の暮らす浜松市あたりは最も激しく揺れる可能性が高い。地盤がかたくて運がよくても、震度6強は覚悟する必要がある。おそらく最悪の震度7だろう。

 東北大震災とは違って、直下型地震だから、激しい揺れが続いているうちに、大津波が発生から数分後に原発を襲う。原子炉の緊急停止が果たして間に合うかどうか、専門家でも自信をもって大丈夫という人はいない。たぶん無理だろう。激しい揺れの中、核暴走が始まることを覚悟しなければならない。

 日本の大動脈の真ん中で、そうなれば、立地の御前崎市、静岡県などという小さな問題ではない。少し大げさに言えば、

 日本沈没の悪夢

である。南海トラフ巨大地震はこれまでに何回も起きている。が、これに原発核暴走が加われば、日本列島誕生以来、最悪の大惨事になることは間違いない。

 ● 「回答保留」多い首長アンケートから

 そんななか、5月14日付中日新聞朝刊に、浜岡原発の再稼働の是非を直接首長に問うアンケート結果が掲載されている。調査に応じたなかで「再稼働賛成」と明言した首長はいなかった。多かったのは「回答保留」で、態度表明を保留したのが一番多かった。

 立地自治体の御前崎市の石原茂雄市長ですら

 「回答保留」

なのはいかにも象徴的である。1990年代、あれほど5号機の建設を、しぶる中部電力に要請しその願いをかなえてもらった地元でさえ、再稼働してほしいと明言できないで、今くるしんでいる。

 お隣りの牧之原市の市長は、デメリットばかりでまったくメリットのないことから、明確に

 「認めない」

と明言している。議会も全会一致で同じ内容を決議している。

 川勝平太静岡県知事も

 回答保留

だ(任期は2017年6月まで)。知事はこのところ少しずつトーンは落ちてきてはいるものの

 「現状では再稼働できる状況ではない」

と再稼働に否定的、ないし稼働するとしても高いハードルを設定している点では一貫している。要するに、ポイントは

 「再稼働は反対、認めない」

とまでは言いきっていないことだ。少なくともこれまで一度も明言はしていない。

 なぜだろうか。

 これには、一つには、中部電力に期待を持たせて、最大限の安全対策をやらせるだけ、やらせるという政治的な駆け引きであろう。態度の明確化は安全対策上、得策ではないとの判断である。

 第二は、自民党支持が多数派を占める県議会への配慮だ。県議のなかにも、再稼働反対とはっきり主張する人はいるが、しかしそれは10人にもみたないごく少数。事実、ほとんどの県議で構成する超党派議連が2年にわたる論議をしたにもかかわらず、意見がまとまらないまま2014年11月に解散している。スムーズな議会対策を図りたい川勝知事としては、議会のこの状況を無視した発言はできないだろう。その結果が態度保留ということになる。

 わが浜松市の鈴木康友市長も

 「回答保留」

としている。その理由として「複雑な要因のなかで判断しにくい」と、ある意味正直に回答している。再稼働はやむを得ないと思っていても、すぐには明言できないという産業都市としての市政の苦悩もある。

 ● 前衛画家、岡本太郎の遺言

 先日、NHKプレミアムを見ていたら、20年近く前になくなった前衛画家、岡本太郎の

 明日の神話

や太陽の塔の制作秘話を紹介するドキュメンタリーを放送していた。明日の神話とは、以前、このブログでも取り上げたが、岡本太郎が1954年3月に起きた

 ビギニ環礁の第五福竜丸被曝事件

をテーマにして描いた巨大壁画のタイトルである。科学・技術の進歩と調和の果てで引き起こされた悲劇を前衛的に描いたものであり、悲劇の舞台は静岡県焼津市である。

 核兵器によって平和を保とうというのは根拠のない神話であり、幻想

だといいたかったのだろう。何が進歩だ、何が調和だというわけだ。

 そんな私たち静岡県民が率先して、原発、とりわけ

 危険な浜岡原発が人々の幸福を約束するかのような幻想の「明日の神話」

をふりまいてはなるまい。浜岡原発の再稼働断念が静岡県の総意となれば、その影響は全国の原発の再稼働の流れにも広がるだろう。

  ● 早ければ2030年代に巨大地震

 これまでの南海トラフを震源とする巨大地震のくり返しを調べてみると、3連動(東海、東南海、南海)の巨大地震はおおむね1000年に1回。最近では1707年の宝永大地震が知られている。だから、M9クラスの次の巨大地震は西暦2700年ごろと予想される。今から約700年後である。

 しかし、連動地震、東海地方の場合には、東海地震+東南海地震については、最近の歴史記録や考古学的な痕跡から、90年から150年でくり返している。

 直近は東南海地震1944年/南海地震1946年である。このことから、次の連動巨大地震は

 早ければ2030年代後半に迫っている

ということになる。何時起きるかの詳しい特定はできないものの、具体的な発生時期についてそう想定している地震学者は少なくないだろう。

 東海地震がこれまで単独で起きたことはないという事実や、繰り返しのある程度の誤差を考慮すると、大津波を伴って東海地方を襲う連動大地震については、今から15年後の2030年代から発生の危険水域に入る。

 こうなると、はっきり言えば、いまのような態度保留という名の体制支持の現状は、日本沈没の引き金を引こうとしている状況にあるといえまいか。

 一番危険な原発をかかえる静岡県が率先して賢明な破滅回避の道を選んでこそ、日本の未来は開かれるだろう。 

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開かれているから「存在感のある」議会へ  - 浜松市の基本条例制定から1年

(2015.05.14)  ブログ子の暮らす浜松市の市議会が、議会活性化策ともいえる

 議会基本条例

を制定してまもなく1年になる。政令市としては遅まきながら地方分権改革や地方議会改革の一つとして1年がかりで論議し、ようやく昨年5月に施行された。条例の8条には、市民意思の反映や市民参加の確保がうたわれている。

 ● 議会として直接の住民対話を

 そんななか、先月行なわれた市議会選挙(定数46)では、幸いにも、7選挙区のいずれでも無投票当選、つまりいわゆる「ゼロ」議員の誕生はなかった。ものの、前回よりも8人少ない58人の立候補にとどまった。市議選投票率も、区再編問題という喫緊の課題が争点になっていたにもかかわらず、54%弱と低迷に歯止めがかからず、盛り上がりに欠ける結果となった。

  市議会に比べ、住民からやや縁遠い全県的な静岡県議会選議員選挙(定数69)では、9つの選挙区で14人もの無投票当選の「ゼロ」議員が誕生した(いずれも現職)。浜松市でも過疎のすすむ天竜区(定数1)では5回連続の無投票現職県議の登場となった。有権者の選挙権を封じるものであり、地方議会の閉塞感を如実に示す結果になった。

  こうした基本条例制定の動きはもう10年も前から全国の2000近い県議会も含めた自治体で始まっている。のだが、浜松市の場合は、政令市としては全国的にみて遅いほうだ。

 さて、市議会に話を戻すと、基本条例で「開かれた」議会というお題目はなんとか達成された。が、住民からみて

 存在感のある議会、魅力のある議会

という運営にはなっていない。これでは立候補者が減るばかりだ。存在感を高めるには、行政ではくみあげきれない課題や要望について議会として独自に住民と直接対話するチャンネルを持つことだろう。議会に魅力を感じ、立候補者も増える。言い換えれば

 地方議会は行政の監視機関だけではない

という積極的な意識が、存在感のある議会のあり方として今、求められている。議員が監視機関に甘んじているかぎり、地方議会の未来はないだろう。

 ● 真価が問われる次回選挙

 別の見方をすれば、議会は行政の〝裏方〟ではないということだ。

 裏方にしないためには、会派をこえて議会として住民意見を直接聴取し、表に出ることだろう。その意見や要望を議会内の議員間で論議し、行政に政策提言する。基本条例は議員にそんな力量を議員に求めている。

 行政にすり寄るのではなく、あえていえば、主権者の住民側にすり寄ることである。

 その意味で4年後の統一選挙が、基本条例の真価を問う試金石になる。たとえば、立候補者数の減少に歯止めがかかり、今回に比べてどの程度増えたか、というのも、魅力のある、あるいは存在感のある議会づくりを判定する一つの注目点だろう。

 先日(5月14日)の「視点・論点」(Eテレ)で、

 いま、地方議会に求められているもの

というテーマで広瀬克哉法政大学教授が訴えていた。のも、この趣旨だろう。

 ● 補遺 議員報酬

 私たち住民も地方議会の運営にはコストがかかっていることを具体的に知ってもらうために、別途支給される政務調査費など必要経費を除いた議員の平均月額報酬を種別ごとに以下にまとめておく。

 町村議員の場合。

 月額約20万円。

 これではとても専業では政治活動はできない。自分の生活で手いっぱいだろう。兼業、つまり先進国に多いボランティアとして政治活動に参加するということにならざるを得ない。

 政令市を除く市議会議員の場合。月額約40万円。

 政令市の市会議員や県会議員の場合。月額約80万円。

 以上でわかるが、浜松市議会の場合、議員1人あたり少なくとも年間約1000万円のコストがかかっている。

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ゆかいな「馬と鹿の壁」のある風景

(2015.05.10)  もう10年も前のことだが、大ベストセラー『バカの壁』(新潮新書、2003)で話題となっていた養老孟司さんを金沢の経済人向け懇話会に迎えたことがある。その内容はすっかり忘れてしまったが、なんだか論旨のはっきりしないわかりにくい講演だったことだけは覚えている。たぶん会場の地元経済人も同じ気分だっただろう。

 まあ、時の人の顔をまじかに拝見する会なのだから、内容があったかどうかなどということは、問題ではない。そんな養老さんだが

 「日経おとなのOFF」(6月号)

という最新号雑誌で、インタビューにこたえているのがおもしろかった。特集は、

 老化する脳、しない脳

だった。養老さんの記事も編集者がまとめただけあって話が一本筋が通っていた。

 記事に大きく出ているゆかいな

 「馬と鹿の壁」絵

は、趣味の昆虫採集と標本づくりの基地にしている箱根の別荘に直接描かれたもので、その前で養老さんの元気な姿が載っている。60歳定年の3年前、1995年に東大医学部教授を退官し、論文を書かなくてもよくなって20年。この間、ストレスがなくなったからか、髪が少し白くなったことをのぞけば、ほとんど風貌が変わっていないのにはおどろいた。とても、今年77歳、喜寿とは思えない若々しさである。

 ● 脳を老化させない養老語録

 若さの秘訣の一つは昆虫採集という野外活動をしていることもあるのだろうが、たしかに、老化しない脳について、脳科学者らしい何かを聞いてみたくなる。インタビューした記者もそう思ったのだろう、そのインタビューのポイントとして

 脳がひっくり返る 養老語録

を箇条書きにまとめていた。

 その最後の二つをここで紹介しておきたい(カッコ内はブログ子の補足)。

 「こんなこと(別荘にこもって昆虫標本づくりをしていること)やっても何にもならねえなと思うことほど面白くてやめられない」

 「どうせ死ぬんだからと思って生きていれば、(ほとんどの心配事なんか)どうでもよくなるよ」

 わかりにくい話をする養老さんだが、これは体験に裏打ちされた名言だと思う。

 ● 『唯脳論』と『バカの壁』

 Image2170_2 ブログ子は養老さんのわかりにくい一般書をそれほど評価していないのだが、東大教授時代にまとめた

 『唯脳論』(ちくま学芸文庫、1998年。初出1989年)

は示唆に富む名著であり、座右の書にしている(写真右)。その内容の核心を一言で言えば、

 脳について考えているのは自分の脳である

というのに尽きるだろう。このユニークな観点から、脳について脳科学者がいくぶんわかりにくく考察している。それでも「意識の役割」という分析などにはなかなかの透徹した考察がいまでも感じられる。

 これに対し、14年後に書かれたのが、そして東大をやめ気軽になった環境の中で書かれたのが

 口述筆記『バカの壁』

である。これも一言で言えば、話し合ったって分かりあえない、だから人の間にはお互いにバカとののしりあういわば「バカの壁」というものがあるという内容で、それをわかりにくくしゃべった社会論( 補遺 )

 冒頭の懇話会でもこれに関連した話をながながとしていたと記憶するが、どうもわかりにくかった。

 しかし、今思うと、唯物論や唯脳論が世界のすべてと思うかもしれないが、唯脳論にも

 バカの壁

という近代個人主義の壁があるということをしゃべっていたのだと気づいた。脳について考えているのは自分の脳であるという考え方をもってしても打ち破ることのできない壁があるのだ。

 その壁の向こうには何があるのだろうか。それがさきほどの養老さんの生活信条と無関係ではないようにも思う。

 この問題意識をもって、もう一度『唯脳論』を読み返してみたい。

  ● 補遺 「バカの壁」の起源

 本のタイトル「バカの壁」の起源は、大ベストセラーになる17年前に、養老さんが自らの書いた

 『脳の見方』(ちくま文庫、1993年。初出の原題「脳の中の過程」1986年)

にある。この本のなかに

 哲学と理解 - 馬鹿の壁

というのがあり、

 「ものが理解できない状態を、私は「馬鹿の壁」と呼ぶ」

と明解に書いている。女性がときどき

 「そんなことは、私はわかりません」

というのも、馬鹿の壁をわからないふりをする手段として使う事例だと書いている。当時の名論卓説の哲学はこの壁に出合って一敗地にまみれたとも主張している。そして、自然科学もこの壁に突き当たっているのではないかとしている。

 おもしろいことに、このときには、とてもわかりやすい言い方をしている。しかし、これでは、だからこそベストセラーにはならなかった。世相をたくみに読み取って、わかりにくく、つまり、わかりやすいことをわからないように口述で引き出し、大べストセラーに仕立て上げたのだ。

 その意味で、世間に存在する馬鹿の壁のおかげで、見事にしてやったということになる。言ってみれば、大ベストセラーは編集者のてだれのおかげだったということになる。

 世の中、論理明解に、わかりやすく話せばいいというものではないことがわかった。

 きっと壁の向こうには「脳のなかの幽霊」という幻がいるのだろう。

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科学ジャーナリズム「草野球」論

Imgp75502015.05.08)  BSフジの夜の情報番組「プライムニュース」が今年を昭和90年ととらえ、先日5日、

 大宅壮一が残したもの

という切り口で、昭和メディアのあり方についてゲストともに語り合っていたのがおもしろかった。ゲストは大宅さんの三女、大宅映子さん(大宅壮一文庫理事長)や、大宅壮一門下生で、「週刊読書人」編集者の植田康夫さん(写真右= 5月5日「プライムニュース」テレビ画面より)。

 ● 大宅壮一の名言

 大宅さんは、昭和90年の前半に活躍した評論家であり、なくなったのはちょうど昭和45(1970)年。自らテレビに盛んに出演していたのにテレビ批判の「一億総白痴化」(昭和31年)という流行語を生み出したりした。昭和31年といえば、白黒テレビといえどもまだまだ普及するずいぶん以前。そんな時代にもかかわらずテレビは国民を白痴化すると喝破したその感覚の鋭さには感服するほかない。

 そんななか、門下生だった出演の植田さんが、大宅さんに

 「書評というのは、ジャーナリズムの草野球」

と軽く扱われたというあまり知られていない苦いエピソードを披露していた。当時、草野球がはやっていたが、この大宅さんの言わんとする、その心は

 プロのジャーナリストのすることではない

ということ。二流の仕事ということだろう。時代をズバリ読み解いたうまい表現である。植田さんも、苦笑いしていた。

 もっとも、翌々年の流行語に

 一億総評論家(昭和33年)

というのが登場し、評論家、大宅壮一を揶揄する返り討ちもあったらしい。

 ブログ子自身の大宅壮一像はつぎの通り。

 大衆の心に立つ。しかし、大衆とつるむのが嫌い。権力に迎合するのはもっと嫌い。もう少し、きちんとした言い方をすると、思想という主人持ちを嫌い、是々非々の「無思想の思想」( 補遺 )を貫き通そうとしたジャーナリストであり、無節操とは遠い人だった。真正面から袈裟がけに切る人だったが、そこには相手への心にしみる愛情もあった。

 こんなことを考えながら、話を聞くともなしに聞いていた。のだが、ふと、もし昭和90年の今、大宅壮一が生きていたら、科学ジャーナリズムの情けない惨状について、なんと皮肉るだろうと想像した。

 たぶん、

 科学ジャーナリズム「草野球」論

を展開しただろう。もちろん、何がしかの愛情は見せただろうが、二流の仕事、科学者のすることじゃあないと切り捨てたと思う。

 確かに、ジャーナリズムでは一流のコラムニストがいろいろと輩出したのに、科学評論では登場しなかった。

 『無思想の思想』(1972)の大宅壮一は確かな社会批評眼を持つジャーナリストであり、コラムニスト。匿名巻頭人物クロニクル「紳士と淑女」連載30年で、大宅と同時代を歩んだ徳岡孝夫(元毎日新聞記者)、辛口コラム「産経抄」25年の石井英夫、「週刊新潮」に激辛口の「夏彦の写真コラム」を連載し続けた山本夏彦、少し路線は違ったが「天声人語」のリベラル派、深代惇郎、あえていえば、元産経新聞記者の司馬遼太郎も『この国のかたち』でもわかるが、りっぱなジャーナリストである。

 これに対し、昭和の90年を通じて、科学ジャーナリズム分野に優れたコラムニストは登場してこなかった。のも、科学ジャーナリズムの草野球論の正しさを裏付けているようにも思う。

 ● 市民の不安を共有する

 Image2167 今回のプライムニュースの企画に刺激されたわけでもないのだが、あらためて

 あなたが考える科学とは

という400ページ近い大々特集を組んだ「科学」(2001年4+5月合併号、岩波書店。写真)を読み返してみた。創刊70年を機会に、科学分野のさまざまな識者数百人に意見を求めたものである。この科学月刊誌は、1999年3月号でも

 いま、科学の何が問われているのか

という創刊800号特集を組んでいる。2001年のほうの特集にはこれといった意見は乏しかった。ふと気づいたのだが、当然登場していい市民科学を一貫して実践してきた高木仁三郎さんの論考がどこにもなかった。おかしいと思って調べてみたら、2000年10月にがんで死去していた。

 幸い、1999年の特集号では、巻頭コラムを書いていて、ハッとした。

 市民の不安を共有する

という主張である。高木さんの最後の、そして昭和90年の後半において市民科学を実践した者として到達したメッセージ、つまり

 「社会と科学の関係は、今後もっと多様化するだろう。科学者と市民が直接手を取り合って、社会的課題に取り組むというケースも増えてくるだろう」

と予測し、科学のあり方の新しい可能性を切り開く作業への挑戦を呼びかけて、論考を結んでいる。

 ● 野獣のように振舞う天使

 この場合の市民の不安とは何か。

 この1999年の特集号には、長谷川真理子さんの

 野獣のように振舞う天使

というのがある。科学はそんな天使であり、高木さんのいう「市民の不安」とはそんな科学の振る舞いを指したものだろう。

 3.11の原発事故は、その野獣のように振舞う天使がどんなものかということをまざまざと私たちに見せてくれた。

 市民の科学・技術に対する不安を、科学ジャーナリズムが共有するとは、具体的には「疑わしきは、その非の根拠を示して警告する」という警告原則にしたがった行動であり、「疑わしきは、市民の安全側に立ち、予防する」という予防原則を貫くことだろう。

 この二つの原則が、野獣のような天使をコントロールする。そして予見性のある科学ジャーナリズムの中身であると、ブログ子はこの10数年言い続けてきた。

 この原則で行動すれば

 科学ジャーナリズム草野球論もいずれ消えていくだろう。

 これこそが、

 大宅壮一や高木仁三郎が残したもの

であり、いま生かさなければならない教訓である。

  ● 補遺

 この無思想の思想という考え方、立場を

 無思想人宣言

という論考で表明したのは月刊誌「中央公論」(1955年5月号)。思想にふけらずに生活実感を第一とするという大宅壮一の「人間宣言」というべきものだ。これには、戦前のにがい体験もあったろうが、米ソ冷戦が水爆実験などを通じて苛烈になっていた時代と無縁ではなかっただろう。

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芸術的にたたむ 先端技術を支える折り紙

Imgp7569_3 (2015.05.08) 数ヶ月も前のテレビ番組(Eテレ)に

 スーパープレゼンテーション 折り紙

というのがあった。物理学者による超プレゼンというので、みようと思っていたのだが、何かの都合で見ることができなかった。ので、登録しておけばNHKがメールで見逃した再放送番組を通知してくれるというので登録していたら、先日、再放送日時を知らせてきてくれた。とてもありがたい仕組みである。プレゼン者はロバート・ラングさん。

 さっそく見てみたが、スライドを使ったプレゼンがとても洗練されている。また、話し方のスマートさもあり、スーパープレゼンの名に恥じない番組だった。

 ● 吉澤章さんの功績も

 Imgp7573 それよりも日本の伝統的な折り紙に潜んでいる幾何学的な構造規則を解明するというユニークさに魅了された。いまや折り紙は世界レベルの芸術であり、なによりも宇宙利用など最先端技術を支えるツールになっているという話がうれしかった。

 プレゼンのポイントを要約すると

 美しいものをつくるために(突き詰めて)いったことが、(先端技術として)実際に役立っていることがある

というものだった。芸術的にたたむ。それが先端技術とつながっているというのだから、おもしろい。スーパープレゼンとして、この見解に具体性があったのもよかった。

 プレゼンでは、折り紙をここまで進化させた功績者として、

 伝えるための折り紙言語を開発した折り紙作家、吉澤章さん

を丁寧に紹介していて、好感した。

 ● 伏見康治さんの『折り紙の幾何学』

 Imgp7572 ただ、ブログ子なども知っている同じく物理学者、伏見康治さんの夫人との共著、

 『折り紙の幾何学』(日本評論社、1984)

には触れられていなかった。この本にはたった1枚の紙から正二十面体をつくりあげる折り方などが出ている。ので、かつて、ブログ子も折ろうとしたが、どうしてもできなかった情けない思い出がある。

 今回のラング博士の話は、こうした伏見さんの本の内容よりも、芸術的な面を前面に打ち出しているなど、折り紙の持つ潜在性を十分引き出しているなどはるかに進化していた。この30年間で折り紙の折り方は革命的に進化していると言っていいかもしれない。

 その様子を、テレビ画面からここに紹介しておきたい。

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湯川秀樹の栄光と挫折の30年

Image2160  (2015.05.07) 大型連休が終わったが、私の連休は、少し大げさに言えば

 湯川秀樹著作集全10巻ざんまい

だった。

 ● 「著作集」三昧の大型連休

 右写真にあるように、本箱の隅においてあった著作集をあちこち「はしご」して過ごした。買ってからもう20年以上がたつ。しかし、理系大学院出身なのに、しっかりと読んだところは少なく、未読のほうがはるかに多かったからだ。

 それと、このブログでも最近何回か登場願った理論物理学者の佐藤文隆さんが、湯川さんとまじかに接していたことから、この著作集の編集と解説を担当していることもある。

 以前にも書いたが、ブログ子が大学院生だった、そして湯川さんにとっては大学定年を迎えるなど晩年にあたる1970年代は素粒子論に大きな変化が起きた時期だった。

 ● 1970年代前半に大団円だが

  Imgp7580_3 湯川さんは、この時期をどのようにみていたのか。そんなことを知りたくて、著作集をあちこち読んで見た。そして、発見した。

 1970年代に、自ら創始した素粒子論の根源追求の結末というか、大団円というか、そんな事態が訪れるだろうと講演会で話していたのだ。

 具体的には著作集第一巻「学問について」のなかの

 物理学の老化と若返り(p189)

というシンポジウム講演記録である(1962年11月、日本学術会議主催)。非常に興味深いので、ここにそのまま引用してみたい(写真左)。

  「私には物質やエネルギーの根源へ向っての探求は、無限につづくものとは思われないのです。何年先に終わるのか、もちろんはっきりとはわからないのですが、私は以前には十五年、近頃では十年くらいだろうと言っています。そうすると、それは、ちょうど私が停年になるまでに終わるという意味じゃないか、とかんぐる人があって困るのであります。(笑い声) それは偶然の一致でありまして、(笑い声)」 -

と続いている。その探求は「私自身は、たとえ一つの段階だけで終わらないにせよ」(p188)と断ってはいるものの、はっきりと

 あと10年

と言い切っている。つまり、1972年ごろには根源探求に決着がつくと予言しているのだ。

 忘れもしないが、湯川さんの停年(1970年、63歳)直後の972年に、予言どおり、素粒子論の標準理論として湯川さんの弟子たちによる大団円となる小林・益川理論が登場、翌年の1973年、これまた湯川さんが所長をしていた基礎物理学研究所の専門欧文論文誌にその論文が掲載されもしたのである。

 もっとも、この結末に湯川さん自身は、自らの研究方針(場の量子論を土台にした時間と空間の素領域論)と大きく異なるものであったことから、大変に困惑したり、不満だったりしたらしい。このことは以前にも述べた。

 ● 中間子論と素領域のはざまで

 著作集をあちこち読んでいるうちに気づいたのだが、上記にも述べたが、注目したいのは、このとき湯川さんは

 一つの段階では終わらないにせよ

と注意喚起をしていることだ。いろいろ問題はあるにしろ、当時から現在まで、この標準理論は大筋で受け入れられている。すくなくともこれを超える理論は提案されていない。したがって、湯川さんの、素粒子は点ではないのではないかという考え方が不首尾に終わったとされている。

 しかし、湯川さんの死去(1981年)後のこの30年、時間と空間の素領域と親和性のある超弦理論なども登場しており、湯川さんの見通しは不首尾に終わったとまでは、現在のところいえないのではないか。標準理論は、重力も含めた大統一理論はもちろん、重力のない統一場理論への道の最終決着ではない。もう一段階先がある。

 そんな可能性すら予言しているようにも思えた大型連休の読書ざんまいだった。

 Imgp7581_2

  ● 補遺 後日談 益川さんの回想証言

  小林・益川理論(1973年)は、その後、高エネルギー物理学実験などの検証を通じ理論の正しさが確かめられたあと、2008年、ノーベル物理学賞を獲得することになる

    ただ、おもしろいのは、湯川さんの弟子で元京大教授だった当の益川敏英さんが、ノーベル賞を受ける2年前、朝日新聞(2006年7月1日付「科学」欄)の湯川・朝永生誕100の回想コラムに、湯川さんのノーベル賞受賞中間子論文の不備を指摘した上で、つぎのような厳しい評価を下している点だ(カッコ内はブログ子の注記)。

 「湯川は自然が示す素粒子の現象に基づいて着実に研究するというよりは、独自の素粒子像をもとにそれ(統一理論)を追い求めるタイプの人だった。ホームランか三振かで、その後ヒットも打つことはなかった」

 益川さん自身は、小林・益川理論が示すように、自然が示す素粒子の現象に基づいて着実に研究するタイプだ。そんな人が、湯川さんについて受賞後の30年間は、ヒットすら1本も打てなかったと回想している。これは要するに、不備のあるたった1本のノーベル賞論文、つまり、ファール性のホームラン1本しか打てなかったプロ打者だったと言っているのに等しい。

 このことは、益川さんにしろ、小林誠さんにしろ標準理論の確立者なのに、湯川秀樹著作集全11巻のいずれの巻にも編集・解説の責任者になっていないことと無縁ではないだろう。はっきり言えば、中間子論は湯川さんが望んだような形での大団円ではなかったことを物語る。

 その意味で、この朝日新聞に載った益川回想コラムは、重要な証言だ。1970年代当時、ブログ子はこうした微妙で、立ち入った事情にはまったく気づいていなかったことを正直に書いておきたい。

 標準理論の確立から40年、今もって目指している統一理論の登場する兆しはない。

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人生再出発、その決断の先にサプライズ

(2015.05.06)  大型連休中に見た番組の中で、ちょっといいなあ、というミニ番組のひとつに、

 視点・論点 シリーズ人生再出発

というのがある。Eテレなのだが、いずれも

 人生に乾杯!

といいたくなるような話だった。

 ● 「定跡」はずれのフリーのプロ棋士

 第一回(5月4日。何歳でも人は変われる)は

 「定跡」はずれの人生

ともいうべき内容。通常なら26歳でアウトなのに、なんと41歳で、しかも3度目の正直で介護福祉士から

 フリーのプロ棋士

になった今泉健司さんの再出発。

 26歳までに奨励会3段からプロ棋士4段に昇級できず、年齢制限で奨励会退会。その後もせっかくつかんだプロ入りのチャンス、奨励会3段リーグ戦を勝ち抜けず、35歳でまた二度目の奨励会退会。そして、介護福祉士をしながら臨んだプロ棋士編入試験。

 プロ4段と5局対局し3勝すれば編入試験合格

という難関なのだが、見事、編入合格の第一号。この4月から晴れてプロ棋士。ただし、勝っても負けても安定した対局料の得られる昇級昇段の基準となる本筋の順位戦には出られない。いわば

 「定跡」はずれのフリーのプロ棋士

である。

 今泉さんの話のポイントを拾っておく。

 「ものごとは最初の計画通り、こちらの思惑通りには進まない。プロを目指す対局ならばなおさらだ。むしろ思惑通りに動いてくれないのがほとんど」

 「そのときどうするか。介護福祉士の現場で学んだ臨機応変の対応が盤上で生かされた」

 「人生って、おもしろい」

という言葉が印象に残った。

 さて、今泉さんの得意戦法は中飛車戦。

 今泉さん、果たしてフリーとして今後、これまで誰にもできなかった常識外れの

 人生の中央突破

なるかどうか、その真贋が問われるのはこれから。だ、と「鈍器晩成」のブログ子は応援がてらに思った。

 ● 東大大学院からお笑い芸人に

 シリーズ第2話(5月5日。自分の人生、再出発に他人の目なんか気にするな)は、お笑い芸人6年の石井てる美さん。

 これが、なんと東大大学院から人も羨むマッキンゼーに入社。七転八倒のすえ、自殺さえも考えた挙句にお笑い芸人に転向というのだから、常識的には破天荒だろう。

 10分間の話の言わんとするところのポイントは

 「人生の再出発、決断の先にはサプライズがある。その重い決断を、自己責任として自分に納得させるには、

 心を軽くし、自分に正直にリセット

する。これが未来を拓くコツ」

というものだった。人生は一度きり、他人の目なんか気にするなという意味は、このことだった。

 「するなら、きのうの自分と比較せよ」

というのは名言だろう。

 また、心を軽くするというのは、人生一度きり、今度生まれてくるとき、やりたいと思っていることをやりましようということらしい。

 さて、シニアのブログ子。これらの話を聞きながら、自分の人生と照らし合わせると、そうなんだよなあ、と共感できることが多かったことを正直に書いておきたい( 注記 )。

 ● 注記 G.G.佐藤

 第3回(5月6日は、回り道はムダじゃない)は、『妄想のすすめ』という著書もある元西武のG.G.佐藤、つまり元プロ野球選手だった佐藤隆彦さん36歳。現在は営業畑のビジネスマン社員。

 ここぞという肝心なところで手痛い失敗、エラーを繰り返してきた野球回り道人生30年を振り返っている。10分間の番組の最後の決め台詞は、かつて西武でのヒーローインタビューで放った言葉。それをもじって

 「人生って、キモティーーーッ !」

だった。36歳と、野球でいえば、まだ、4回が終わったところだ。手痛い失敗の数々をどうこれからの中盤、終盤に生かすか。タイトルのムダじゃないことを示すのは、これからだろう。 

 ● ブログ子の座右の銘

 気持ちを明るく切り替えることが、未来を拓くもとである

 20年近く前おうかがいしたあるお宅のトイレのカレンダーにあった箴言である。

 上記の今泉さんにしても、石井さんにしても、これがあったことを忘れてはなるまい。

 最後に、ジジむさい話をひとつ。最近、メモした言葉。

 「努力する人は、いつも夢を語る。

 怠けている人は、いつも不満を並べる。

 同じ人間といっても、かほどに違う」

 これまた、今泉さんにも、石井さんにも当てはまる、だろう。

 ブログ子の自戒でもある。

  ● 今泉さんの後日談  2015年5月14日記

 今泉さんのフリーのプロ棋士としてのデビュー戦が、5月13日に行なわれ、奨励会3段を相手に得意の中飛車戦法で初勝利をあげた。第5期加古川清流戦の1回戦だったが、トップアマとの2回戦では敗れた。敗戦後、今泉さんは、「プロ棋士との公式戦出場が当面の目標」と今後の抱負を語った。広島県福山市在住。

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人類の「大いなる旅」ナバリノ島紀行    - 南米パタゴニア

(2015.05.05)  行楽の大型連休中だから言うわけでもないが、

 死ぬまでに一度は行ってみたい場所

Imgp7542ng20063 というツアーがある。その一つに、風と氷河の荒涼たる南米パタゴニアがあり、そのまた南端のそのまた南の島、ナバリノ島(チリ)にも行けるらしい。世界周航のマゼランが立ち寄ったことで有名なフェゴ島よりも南で、緯度で言えば南緯55度。日本近海で言えば、北緯55度のサハリン島の北端に相当する。

 ● 一度は行ってみたい場所

 高額のツアー代を払ってでも、なぜにそんなところに行きたいのか。それは、今から20万年前にアフリカを出発したわれわれの祖先、つまり現生人類が世界中に散り、移住していったもっとも過酷で長いルートであり、最果ての地でもあるからだ。

 4万年前にはバイカル湖のほとりの日本人とよく似たモンゴロイド(ブリヤート族)として登場。さらに氷河期が終わりを告げるころ、約2万年から1万5千年前にはまだ陸続きだったベーリング海を渡る。そして、アメリカ大陸北部から、ほぼ西海岸沿いに南下。1万5千年から1万2千年前ごろには、モンゴロイド系の人類が最果ての南米パタゴニアに行き着いたというわけだ(写真右= 日本版「ナショナル・ジオグラフィック」2006年3月号特集)。

 ● 風と虹の大地

 そんなわけで、ブログ子も一度は行ってみたいと思っていたのだが、

 先日(5月4日)のBSプレミアムで、俳優、堤真一さんを案内人に、

 Image2138 風と虹の大地 南米パタゴニア

というのを放送していた。

 そこのアルゼンチン領内の南端には、今からおよそ1万年前と考えられているという

 洞窟壁画(洞窟名はクエバ・デ・ラス・マノス)

が残っている(写真= 同番組テレビ画面より)。人の手形(今から2500-2600前のものらしい)もあるこの洞窟絵には、おどろいたことに

 今も生息しているラクダに似た牛の仲間、グアナコ

が見事にタッチで何頭も描かれていた。

 ● 現代文明の冷酷さ

 番組のクライマックスは、先のナバリノ島(ウキカ村)に、こうした洞窟壁画を描いていた子孫を訪ねるところ。19世紀末まで漁業を営み、なんと裸で生活していたことが写真に残っている。その子孫は果たしてモンゴロイド系の顔立ちだろうか。

 番組ではその子孫、ヤーガン族の立派な現代的な家を訪ねた。その80代女性の顔立ちは、白人系ではなく、どちらかというと

 モンゴロイド系

に近い気もする。ただ、よりアメリカ原住民の顔立ちに似ているといえばいえる。ラテン系ではないだろう(写真下= 同番組テレビ画面より)。小学生くらいの女のお孫さんも登場していたが、モンゴロイド系とは思えなかった。ラテン系かもしれない。近くにある貝塚まで案内してくれてもいた。

 Imgp7537 また独自のヤーガン語を話してくれたが、ヤーガン族はもうここにもほとんどいないらしい。アフリカの世界最古の現生民族といわれる

 ブッシュマン(ナミビア)

と同様、近代および、とくに現代文明の冷酷な荒波の中で、たった100年で消え去ろうとしている。

 人類の大いなる旅路の果ての自然の荒涼さには驚いた。が、「白人をうらむ気持ちはない」との件の女性の言葉にもかかわらず、旅路の果てのわずかこの100年に彼らがこうむった過酷さを思わずにはいられない。

 最果てには、一度は行ってみたい。しかし、二度は物見遊山としては冷酷すぎる。これがブログ子の拝見した感想である。

 Imgp7531 (ヤーガン人が舟の上で火をたいている様子を描いてくれたお孫さんのスケッチ)

  ● 記録写真

 番組で紹介された記録写真(現地博物館の展示)

 Image215312

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お祭りとは何だろうか ハレとケ

(2015.05.04)  今の大型連休の時期、全国どこもそうなのだろうが、浜松もお祭りでにぎわっている。遠州灘の中田島砂丘の凧揚げ合戦、夜の御殿屋台の引き回し運行は、普段静かな郊外をとくに盛り上げている。

 ● 浜松では170以上の町内が参加

 Imgp7523 右の写真は、ブログ子の町内や連合町内が持っている佐鳴台般若連御殿屋台の夜の帰町運行の様子。昨日(5月3日)夜の8時半ごろに市中心部から戻ってきたところを撮影したのだが、小さな子どもたちも大人たちに混じって屋台をひいているのが、おもしろい。屋台は着飾った女性が乗り込んでいるなど、若者が主体の祭りである。

 というのも、浜松まつりはそもそも子供の誕生を祝うまつりで、今では市内170町以上が参加している。準備はまだ寒い2月ごろから始まり、参加に必要な法被販売、寄付活動など、それぞれの自治会や町内会所が手分けして行なっている。

 ● 共有する価値観の再確認 

 わかっているようで、なかなかなその核心をつかむのがむずかしいのが、まつり。まつりとは何か、あらためて手元の辞典などで調べてみた。

 愛用の新明解国語辞典(三省堂)はもちろん、大辞林(三省堂)、広辞苑(岩波書店)、大辞泉(小学館)、さらには新潮日本語漢字辞典(新潮社)、そしてさらに本格的な専門辞書、日本国語大辞典(小学館)や古語大辞典(小学館)まで調べてみた。が、いずれも

 神さまや先祖を迎え、よろこばせ、なぐさめるため、時にはいけにえをささげたりする儀式

というぐらいの語釈であった。儀式の日をハレ(晴れ、非日常の意)といい、これに対し日常をケ(穢れ)というようにとらえられているらしい。

 しかし、ブログ子は、なんとなくわかったような気分になったものの、まだなんとなくその意味の実感を感じることができなかった。

 現代において、まつりがこれほどに盛り上がるには、伝統的な儀式の持つ機能が今も有効に働いている証拠なのだが、それは何か。これが、この語釈では伝わってこない。

 そこで、押入れにしまい込んでいた、かつて愛用していた

 日本大百科全書(ジャポニカ、小学館)

の項目を調べてみて、はじめて納得した。長い説明を要約すると、

 まつりには、そこに参加する人々になにがしかの共通の価値観をもっていることを互いに再確認させ、彼らを結集させる機能がある

というものである。ハレとケを行き来することによる帰属意識の確認がまつりなのだ。ケの世界では忘れそうになっていた価値観、アイデンティティを、あらためて参加者がお互いに思い起こす機会が祭りなのだ(民衆のこの結集力を恐れる場合には、そこには祭りは行なわれない)。

 その意味では、祭りの主役であるはずの神さまや先祖は脇役にすぎない。

 ● 祭りの核心は神聖な夜

 そのハレの舞台は、日常がやみに包まれる神聖な夜なのだ。

 ブログ子が長く暮らした京都の祇園祭も、宵山、宵々山の夜が本番であり、翌日昼に行なわれる山鉾巡行は儀礼としてのクライマックスにすぎない。五山の送り火ももちろん、夜が本番。

 まつりへの参加によって、自分が日本人であることを再確認する、浜松人であることを確認する。それがまつりの核心。祭りは、見物人を含めて直接参加することに意義がある。テレビ放送のニュースとして見るだけでは意味はない。

 世界の祭りのほとんどはその核心部分に夜が位置づけられていると思う。この意味で言うと、だから、祭りのない国はないのではないか。共通の価値観があれば愛国心はなくても国づくりはできる。しかし、これに対し共通の価値観やアイデンティティを必要としない国づくりは支配し、支配される関係はあっても、価値観の共有がないので、国をまとめていくことはむずかしい。

 これを要して、あえて言えば、今うねりとなっている反グローバリズムとは、価値観の共有なき経済グローバリズムの危うさを訴えていると言えるだろう。

 そんなことも気づかせてくれた般若連の夜の帰町運行だった。

             JR浜松駅前で=2015年5月5日夕方

Image216620150505

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人は死ぬときどうなるか 神秘体験の謎

(2015.05.03)  憲法記念日というのも大事なことだが、人は死ぬときどうなるのか、ということに無関心な人はまずいないだろう。かつて、ある検事総長は、その著書で、この問いに

 ごみになる

とこたえている。今で言えば、粗大ゴミだが、名言だと思う。が、人間、わかってはいるのだが、なかなかそうは思いたくない。

 ● 執念の立花隆さんが再取材

 そこで、長年にわたってまじめに取り組んだのが、死ぬということがもう真近な立花隆さんで、先日、BS放送が臨死体験の最前線取材の旅

 「死ぬとき意識や心はどうなるか」

というのを、立花さんの旅を通して再放送していた。大型連休でひまだったので、見てみた。ジャーナリストとして20年以上前に取材したことを、再取材したものであり、今回は70代半ばと死がまじかに迫っている一人の人間としての関心事という観点も入れて、放送していた。

 この観点を取り入れることで、臨死体験とかその時の神秘体験というのは、単に脳がつくりだした幻覚だという脳科学者にありがちな脳内発生説をこえた確実な、というか手ごたえのある何かをつかもうとしていた。

 その分、味があり、さすがは立花さんだと感心した。そこには自分を材料にしてまでも、また自分をさらけ出してでも死の間際についてなんとか知りたいという、あがきともいえるような執念があった。

 もちろん、番組の結論は20年以上前と同様、現在でも、

 死ぬとき、人の意識や心がどうなるのか、よくわからない

というものだった。

 ● 内容に2つの共通性

 3回シリーズのこの番組を一括して拝見したブログ子の結論は、

 その時、脳内にセロトニンなどの化学物質が大量に分泌されるかどうかは別にしても、臨死時の神秘体験の原因には、何か科学的で合理的な理由があるはずだ

というものだった。根拠のないウソ話でも、つかみどころのない幻影でもない。現在の脳科学の水準で解明できるかどうかは別として、立派に科学の対象として取り上げ、詰めきるべきテーマである。

 その理由は、

 第一。世界中にいる臨死体験者が語る神秘内容がおおよそ共通し、似ていること

である。多少のウソはあるかもしれないが、この共通性の理由には、科学的に説明可能な合理性があるはずだからだ。

 第二の理由として、

 話に共通性はあるものの、その神秘内容が人間界とはいっさい無関係な、いってみれば超越したものではないこと

が挙げられる。体験者が「光のトンネル」に入っていくとか、神のようなものが登場するとか、神秘的であるとはいえ、とても人間らしい人間臭い話ばかりなのだ。

 もし仮に科学者が言うように脳内化学物質幻覚説が正しいとしたら、もっとバラエティに富んだ話、たとえば幾何学だけしか出てこない話などももっとあっていい。グニャグニャにゆがんだ世界が登場してもいいはずだ。5次元を旅した話でもいい。美しいお花畑だけでなく、さらにはもっと見たこともない幻想的な風景が出てきてもいい。刺激的な言い方をすれば、サイケデリックな話が出てこないのはなぜかということである。

 話の内容に先の共通性のほかに、その話がなぜみんな超越性がないのかという人間臭い問題である。内容に超越性がないという共通した制限は、科学的に説明可能な合理性があることを示唆する。わかりやすく言い換えれば、神秘体験の内容がむちゃくちゃではないのはなぜかということである。ちゃんとした合理的な理由や実態がその背後にあるからだろう。

 ● 死はこわくない ?

 それにしても、立花さん、最後に

 「死ぬことが恐くなくなってきた」

という趣旨の取材感想をしているのには、驚いた。いくら死の間際に幸福感や恍惚感が味わえるということがあったとしても、生き物として死は恐くないはずはない。

 こう考えると、これは、

 死はこわい

ということの裏返しであり、証しだろう。あえてそう言ったところに人間、立花隆の強さと弱さを見た思いだった。人間、なかなかそう簡単に死と向き合えないというのが、この番組を見たブログ子の正直な弱音だった。

 その意味では、これはここで述べたような科学的な合理性を追求する番組ではない。むしろ人間というものの弱さを真正面から見つめ直す宗教的な意味合いの強い旅だったようにも思う。

 ひまに任せて見た番組だったが、意外にも面白かったのは、このせいだったのかもしれない。

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Eテレ小科学実験にびっくり、わからん !

Image2130 (2015.05.02)  ブログ子は、Eテレの「大科学実験」の大ファンだが、先日、科学の考え方を楽しく学ぶという小学生高学年向けの小科学実験、

 考えるカラス(4月28日放送、Eテレ)

というのには、参った。わずか10分くらいのミニ番組なのに大科学実験に劣らずおもしろい。たしかに、大人も考えさせるのだ。

 正直に言えば、こちとら理系大学院まで出ているのだから、どんな実験をしようが、マア、理解できないということはあるまいと、たかをくくって拝見したのが間違いのもとだった。

 ● トレーと風船の落下実験

 二つの実験が紹介されていた。

 まず小実験A。

 女の子が登場して、右手に直径30センチくらいの金属製のトレー、左手に30センチくらいの赤い風船を持つ。

 これを同時に離すとどうなるか

という問題。もちろん、風船はふわふわとゆっくり床に落ちるのに対し、トレイはドサッといち早く落下する。

 そこで、本番の小実験。

 今度は、トレーの上に、赤い風船を乗せて、両手で持っていたトレーを離すとどうなるか

 もちろん、大学院まで出ているのだから、これはすぐわかった。

 トレーと風船は離れずに、同時に床に落ちる。

 実際にやって見せてくれたが、これが正解。

 トレーの上に風船を乗せることで、風船にかかる上向きの空気抵抗をなくしたからだ。重いものも、軽いものも、空気抵抗がなければ、つまり自由落下では同じ加速度で落下するという法則がある。ガリレオの「ピサの斜塔実験」として、科学史上、つとに有名な話。

 ただ、ブログ子がおどろいたのは、空気抵抗を取り除くには、真空中での落下実験をしてみせる必要があると、てっきり思い込んでいた。

 しかし、トレーの上に風船を乗せるだけでも、トレーが風船の空気抵抗を取り除くのに十分役立つというアイデアは素晴らしいと感心した。これで風船にかかっていた空気抵抗がほとんどゼロになる。これには参った。

 ● コップに一円玉と木片を浮かべると

 そして、小実験B

Image2133_2   コップに途中まで水を入れる。その水面に一円玉を中央にそっと浮かべる。そして、一円玉をこずく。すると、コップの縁に向かった一円玉はまたもとの真ん中に戻ってくる。

 これに対し、今度はこのコップに一円玉とほぼ同じ大きさの四角木片をそっと浮かべ、また、そっとこづく。そうすると、木片はコップの縁に近づいて、そのまま縁にくっついてしまい、コップの中央には戻ってこない。

 なぜだろう。どこが一円玉と違うのだろう。

 これはわからなかった。

 そして、あっとおどろく本番の小実験。

 これまでの実験は、コップの水が半分くらいのところで行なったもの。

 そこで、コップの水があふれる寸前まで追加する。この状態でさきほどの実験をもう一度やってみせていた。

 どうなったか。

 なんと、一円玉と木片の動きが、途中まで水の入った先ほどの場合の逆になった。

 つまり、一円玉は縁に近づくと、そのままとなり、戻ってこない。しかし、木片は、縁に近づくのだが、戻ってくる。なんどやっても、木片はコップの水面の中央に戻ってきた。

 これには、おどろいた。

 番組が終わって、1時間くらい考えたがわからなかった。たぶん、コップの縁に発生する水の

 表面張力

が形によって異なっていることが関係しているに違いないと思う。のだか、なぜ逆転したのかはもちろん、いずれの場合でも、一円玉と木片の動きの違いがなぜ起きるのか、その原因を理解できなかった。それとも水流が関係しているのだろうか。

 あまりに口惜しいので、自身でも台所で、ワイングラスに水を入れて上記の写真のように実験してみたが、なるほど、番組どおりの結果になった。

  写真上は、コップの水を途中まで入れたケース。写真下があふれる直前まで入れて再実験したケース。いずれも同時に小突いた後の最終的な安定状態を撮影。確かに結果は、なんどやっても逆転している。

 なぜだ?

 おわかりの方のご教示を、ぜひお願いしたい。

 そして、気づいた。小さな実験というのは、大実験とは違って、その気になればこのように自分自ら家でやってみることができるという利点があることを。

  ● 補遺 1円玉はなぜ水に浮かぶか

 水より重い

 1円玉はなぜ水に浮かぶか

ということなら、次の文献(千葉大学教育学部紀要、2005年)がある。

 http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AA11868267/13482084_53_345.pdf

 それは表面張力と浮力の力が重力に打ち勝ち、バランスして浮かぶというもの。これなら、予想通りの結果( 1円玉が水より重いことは、乱暴にコインを浮かべると沈んでしまうことからわかる。比重が水より重い1以上である証拠。しかし、そっと浮かべると浮く。この原因のひとつはコインの縁が少し盛り上がっている構造、つまり底の浅い皿というような舟型構造によるものとも考えられる。しかし、1円玉の場合、縁の盛り上がりはごく浅い。そこで考えられるのが表面張力。気体に接触している液体はその表面をできるだけ小さくなるような形状をとるという現象だ。1円玉を浮かべたケースでは、浮力の向きと同じで、1円玉を浮かせる上向きに働く。浮かんだ1円玉は、アルキメデスの原理で、押しのけた液体の重さだけ軽くなる。表面張力はこれをさらに増大させる効果がある。これにより、1円玉に働く下向きの重力と上向きの浮力+表面張力がバランスしたところで、水より重い1円玉は浮いているのである。)

 だが、浮かんだのはいいが、それが丸いものと四角いものとではなぜ異なる動きにつながるのかという問題とは別の話。今回のは、ブログ子だけでなく、ひょっとすると、現役の理系大学院生でも解けないような気がする。

  きっと、途中まで水を入れたコップの縁は、表面張力の作用で水面より高く競りあがる。これに対し、あふれる寸前まで満たしたコップの縁では、もうそれより上の縁がなくなっているので逆に競り下がるようにコップと接触する。

 この水位の違いが、丸いものと四角いものの動きの逆転現象の原因かもしれない。しかし、それでも、水位が高かろうが、途中であろうが、とにかくどちらのケースでも丸いものと四角いものとが、同じ動きをしない。つまり、なぜ真反対の移動をするのかという基本的な謎はわからない。

 角ばっていることがそのまわりの表面張力の発生に(そして、それに伴う回転モーメントが無視できなくなることに)なんらかの影響を与えているのかどうかという考察が必要なのかもしれない。

 それにしても、なぜだ!

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