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青春の残酷さ「悲しみよこんにちは」

(2015.04.12)  BSプレミアムで先日、J.セバーグ主演の

 青春映画「悲しみよこんにちは」(1958年、F.サガン原作)

を何気なく見た。のだが、ラストシーンを拝見して、これは

 アランドロン主演の青春映画「太陽がいっぱい」(1960年、ルネ・クレマン監督)

の女性版であることに気づいた。ラストシーンは

 「笑みのない私のほほえみ」、悲しみよ今日は

で終わっている。どちらの映画も、若き主人公にとっては、救いようのない悲劇的な結末、ラストである。

 共通しているのは、殺人(太陽がいっぱい)や愛人の自殺(悲しみよ)がらみのストーリー展開なのだが、男性にとっても、女性にとっても、青春には隠微な残酷さがつきまとうことを見事に描いている点であろう。

 ここが、吉永小百合主演の同時代青春映画

 「いつでも夢を」(1963年、日活)

とは異質。貧困の中で若者同士の葛藤と対立を描いてはいるものの、未来に対する無条件の明るさがあった。

 先の二つのフランス映画には、それがない。

 「悲しみよこんにちは」を拝見して、

 どこか、現代にも通じる癒しようのない憂うつな映画

だという感慨をいだいた。

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