« わがまちの「さなるこ新聞」号外 | トップページ | 月がとっても赤いから 皆既月食の注目点 »

なんじ自身を知れ 科学報道シンポから

(2015.04.03)  古代ギリシャの哲学者の名言に

 なんじ自身を知れ

というのがある。その意味するところの哲学的な解釈には多少の違いはあるようだが、ブログ子も含めて現代日本の科学ジャーナリストと称する人々にも、まさに当てはまる名言である。

 先月下旬、ブログ子は、都内の国士舘大学キャンパスで科学ジャーナリストや科学技術社会論研究にたずさわる人たちが集って開かれた科学報道シンポジウムに参加した(写真下)。のだが、まさにこの言葉をほうふつさせる会合だった。テーマは「発表ジャーナリズムから調査報道へ 東日本大震災・原発震災科学技術報道からの報告」。

 浜松市からわざわざ出かけたとはいえ、この漠然としたテーマから想像するに、とりたてて目新しい発表はあるまいと思っていた。あいかわらず、行政や官僚や東電への能天気な、そして手垢に汚れたようなむしかえしのアバウトな批判に終始するのだろう。そう想像した。しかし、親しい友人からの誘いもあり、一つぐらいひょっとするとひょっとする発表があるかもしれないという思いもあった。

Imgp7247

 ● おしどりマコさんの衝撃の発表

 案の定、だらだらとした発表が朝から続いた。しかし、収穫なしと、あきらめかけていた夕方、お笑い漫才の、おしどりマコさんの発表、

 調査報道のためのジャーナリストの準備 原発記者会見の経緯から

というのには、アッとおどろいた。このタイトルだけでは意味不明で、失礼な話だが、最初はたぶんオチャラケ発表だと勘違いした。

 発表の内容を一言で言えば、記者会見をみずからの組織で録画したり、その録音をメモ起こしし、ついに東電原発記者会見(2015年3月16日、構内排水問題、K排水路の測定体制について)の欺瞞を白日の下に実証してみせている。

 このことは、結果として日本の今の科学ジャーナリストあるいは科学記者がいかにいい加減か、追及不足かを自らの会見に臨むすさまじい姿勢であばいている。ジャーナリズムに注文をつけるだけではない。自ら手本を見せ、会見場にいる各社の科学記者の眼前でその有効性を実証してみせたのだ。

 今回のシンポテーマとのかかわりで重要な点は、記者会見という一見、発表ジャーナリズムのような場でも、会見に臨む記者側の姿勢さえしっかりしていれば、独自の調査報道におとらない、いやそれ以上の真実をあばき出せることを示しことであろう。

 この背景には、おどろくほどの綿密な事前準備と、長年にわたる執拗な調査、そしてなによりも事実を知りたいという情熱がある。この情熱を込めた徹底した質問攻めで会見の虚偽性を明るみに出している。そこには、特ダネをとりたいという卑しい姿はまったくなかった。むしろ、笑いを誘うという高度に洗練された武器をたくみに活用した取材力が垣間見える。

 その詳しいやりとりは、おしどりポータルサイト =

 http://oshidori-makoken.com/

を参照してほしい。この会見の動画をみて、そして、シンポジウムでのやり取りの中から、マコさんには放射線に関する医学的な専門知識があり、それが取材テーマの土台になっている点もはっきりとわかった。

 結論を言えば、この発表で、ブログ子は科学ジャーナリズムとはこういうものなのだということを、具体的に、しかもおどろくほどの明解さと実証性で教えられた。

 まさに、科学記者よ、なんじ自身を知れ

ということだろう。

 ● 記者の非力 添田孝史さんの発表

 Imgp7251 このシンポで、記者の追及不足という点からもうひとつ注目したのは、元朝日新聞科学記者だった添田孝史さんの、

 大津波警告を葬った人々 新聞記者の発表ものOJTから調査報道まで

という自らの記者体験をもとにした発表(写真右)。これは添田さんが昨年11月にまとめた

 『原発と大津波 警告を葬った人々』 (岩波新書、2014、写真下)

を解説したものといっていい。おもしろいのは、葬った人たちのなかに、添田さんは、自身も含めて科学ジャーナリストを取り上げていることだ。

 具体的には同書の第5章、

 能力の限界・見逃し・倫理欠如 不作為の脇役たち

である。この中の一例を挙げれば、

 「2009年6月の耐震バックチェックWGで、産総研の岡村氏は、東電が(今回の津波を予見させる)貞観津波を想定していないことを指摘していた。この発言を複数の新聞記者が傍聴していたが、誰も記事にはしなかった。」

 こうした追及不足の事例を添田さんは、とても正直に幾例も書いているのは好感できる。

 この章のまとめで、そしてシンポ発表でも添田氏さんは、

 「メディア全体の追及も甘かった。専門家に食い下がる知識と執念が足りなかった」

と暗たんたる思いで懺悔をしている。添田さんは誠実にも、この章の最後に事故の後始末や、ほかの原発の再稼動に存在する隠されたリスクあるいはそこにある構造に起因する問題について

 「それを十分暴けるほど、メディアの体制や能力が事故後に改善されたかと問われれば、実態は心もとない」

と結んでいる。

  Image2108_3 これを要して、はっきり言えば、専門家と肩を並べる能力も、またジャーナリストとして当然持つべき社会的な構造問題に切り込む能力のいずれについても、お先真っ暗だといっているのだ。

  このことを、ブログ子は、10年以上も前から指摘し続けており、このシンポでも、みんなから白い目で見られるのを承知で、大きな声で何回も指摘し続けた。

 科学ジャーナリズムの今の惨状を克服するには、科学ジャーナリスト自身のこの点の自覚と、おしどりマコさんのあの執念と情熱だということを、私たちジャーナリストはもっと思い知るべきだろう。

 この意味で、今回のシンポは大きな意味があったといえる。

  ● 補遺 

 ここでは、科学ジャーナリズムの分野をテーマとして取り上げたが、ジャーナリズム一般、たとえば政治ジャーナリズムでも、このところ衰退が著しい。

 そのことについては、元共同通信編集局長だったという難点はあるが、原寿雄氏の

 『安倍政権とジャーナリズムの覚悟』(岩波ブックレット)

に詳しい。

  このほか、ジャーナリズム全体については

 月刊誌「Jounalism(ジャーナリズム)」(2015年2月号、朝日新聞社)

が特集を組んで、3.11後、この国は変わったかという問題提起をしている。

 あれから4年も立っているのに巻頭の社会学者が「これからが勝負」と書いているなど、同誌は太平楽を並べている。

 これでお粗末なのは、科学ジャーナリズムだけではないことがわかる。とくにひどいというだけの話である。

|

« わがまちの「さなるこ新聞」号外 | トップページ | 月がとっても赤いから 皆既月食の注目点 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/61324366

この記事へのトラックバック一覧です: なんじ自身を知れ 科学報道シンポから:

» 知識は爆発的増加 [哲学はなぜ間違うのか]
学問のような高尚な話に限らず、たとえば、おいしいものの知識は毎日爆発的に増えています。テレビをつければタレントさんたちが「おいしい!」を連発している。インターネットはグルメの店を無限に紹介してくれます。しかし人はふつう、一日三回しか食事は食べられませ...... [続きを読む]

受信: 2015年4月21日 (火) 19時24分

« わがまちの「さなるこ新聞」号外 | トップページ | 月がとっても赤いから 皆既月食の注目点 »