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人間はどこまで進化するか

Image211920150419 (2015.04.28)  あまり新聞を読まないのだが、図書館の新聞閲覧コーナーに先日、たまたま立ち寄った。すると劇作家の山崎正和さんが4月19日付読売新聞朝刊1面の大型論考「地球を読む」欄に

 「ナノボット」で人間改造 科学技術万能論

というのを書いていた。科学と技術の礼讃でも、単純な万能論排斥でもない。いかにもありそうな深刻な問題提起だった。

 ● 定常型から視野広げる

 山崎さんは文系の人なのだが、普通の文系とは違って、科学や技術にある種の期待というか、愛情を持っている正統派。科学者や技術者には心強い味方かもしれない。だが、その裏返しで科学技術者による生煮えの科学技術批判よりも、あるいは文系の底の浅いお定まりの、つまりステレオタイプの科学技術非難なんかよりもはるかに厳しい批判を展開することがある。視野が広く、視線が鋭い。科学や技術に携わる人にとっては自分の視野の狭さを、仲間内から指摘されたようで恥じ入ることも多い。

 冒頭の1面「読む」はそんな論考だった。もちろん単なる文系の科学技術万能論批判ではない。

 3.11以降、日本ではもっぱら「近代社会の発展はもはや限界に達しており、今や人類はこれ以上の進歩を前提としない社会を築くべきだという」定常型社会論がまん延している。しかし、「日本の新聞も視野を広げ、(米国などで巻き起こっている)世界的な(未来)文明論争に参加するべきだ」と書いている。

 山崎さんは、この後、指数関数的ともいうべき科学技術の急速な発達がもたらす未来文明論として、具体的に

 『ポスト・ヒューマン誕生』( レイ・カーツワイル、2007、NHK出版)

を取り上げ、内容を詳しく紹介、論じている。原著タイトルは

  『特異点は近い 人類が生物を超越するとき』(2005年)。

 Image2121 世界屈指の発明家によるこの著書の内容を一言で言えば

 「20世紀後半以来、遺伝(子工)学、ナノ技術、ロボット工学(、バイオ技術)が爆発的な発展を遂げ、進歩の速度から見て2040年ごろには文明に革命をもたらし、人間そのものを改造するだろう」

というもの。日本でも、ソフトバンクの孫正義社長は進化し続ける半導体性能の急成長から

 2018年にはコンピュータが人間の脳(の情報処理能力)に追いつく

と試算している。

 今のいわゆる生物的な「カーボン脳」から、100年後には内蔵型コンピューターと合体した「シリコン脳」という脱人間化に至るとの予測もある。今は外装のウェラブル端末だが、小型で内臓型の時代がそこまでやってきている。

 こうなると、新種の誕生だろう。文化依存性の(指数関数的な非生物)進化といえまいか。

 こうした状況に対して、山崎さんは後半で

 人間とは何か 問い直す時

にきていると考察している。

 ● 特異点を超えて

 というのは、先ほどのカーツワイルの原題「特異点は近い」というのは、2040年代を指しているのだが、ここを超えたらどうなるか、ということが問題になるからだ。

 彼自身は、人間の今の脳の情報処理能力に比べて、コンピューターのほうが数百倍、数千倍もこえるようになると、人類は脱人間化すると指摘している。それは生物的な限界をこえるという意味だ。絶滅なんかしない。

 これに対し、インターネット界のエジソンと言われているビル・ジョイ(サン・マイクロシステムズ社の著名なコンピューター技術者)の

 「未来はなぜわれわれを必要としないのか」(米「wired」2000年4月号)

Imgp7491_2  では、人間とロボットの主従関係が逆転し、人類は滅亡すると警告している( 写真左=  放送大学「新しい技術者倫理」(札野順)テレビ画面より )。

 そうならないためには新しい技術者倫理が今必要だと主張し、具体的な提案までしている。危険と判断された知識や技術を国際管理するなどである。

 これに対し、カーツワイルによると、特異点を超えて、人類は人間の限界を拡張しながら、非生物的な存在として、進化し続け、脱人間化するという。「人間とテクノロジーの融合は、破滅に至る坂道を転げ落ちる危険性ははらんでいるものの、それはより輝かしい前途へとなめらかに上昇していく道」でもあるという。人類は生物を超越した道を歩む存在となる。

 こうなると、人間と人間でないものの境界はどこにあるのかということが深刻になる。

  ● 万能論の行き着く先「人間とは何か」

 科学技術の発達によって人間の拡張が論じられたものに、サイバネティックスと社会について論じた

 『人間機械論 人間の人間的利用』(N.ウィーナー、1954、日本語版1979)

や、あるいはその後の

 『メディア論 人間の拡張の諸相』(1964)

などがある(写真下)。「ライフ」科学記者による人間改造など『第二創世記』(A.ローゼンフェルド、早川書房、1972年)というのもある。

 しかし、いずれも、人間が生みだしたメディアにしろテクノロジーにしろ、それらが人間の外側に存在することを仮定している。その境界は明確だ。しかし、それが人間と合体あるいは融合したらどうなるのかという考察は皆無である。

 科学技術万能論には、中途半端な議論ではなく、万能論をこのように究極まで突き詰めていくとどうなるのかというきちんとした論議、つまり人間とは何かという議論が求められているように思う。

 その意味では、のんきというべきか、早々と定常型社会論に閉じこもるのは取り返しがつかない事態を引き起こすことになろう。

 山崎さんはそのことを訴えている。

 かつてこの欄(2014年12月17日付)で取り上げた

 『科学・技術と現代社会』(池内了、2014)

には、この論点が浩瀚な著作なのにもかかわらずほとんど抜け落ちていたのが惜しまれる。大学院生の教科書的な著作だが、だからこそ、科学技術万能論を突き詰めた場合の現代社会の未来を展望するべきだったのではないかと思う。それがせいぜい定常型社会論になってしまったのは残念である

 ● カール・セーガンのコズミックカレンダー

「1.doc」をダウンロード

   Imgp74554

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