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三方ヶ原の大敗北を関ヶ原の勝利に生かした男

Imgp7127bs20150312 (2015.03.17)  歴史家、磯田道史さんが案内する、先日のBSプレミアム「英雄たちの選択」は、

 信玄と若き家康との三方ヶ原合戦(1572年旧暦12月)

だった。前回のこのブログでもこの合戦の家康の負けっぷりを書いたので、興味深く拝見した。.

 脂の乗り切った合戦巧者の信玄に対し、多勢に無勢の若き31歳の家康は、浜松城に

 籠城して戦うべきか、それとも一か八か、無謀にも迎え撃って決戦すべきか

という選択の議論だった。明らかに戦力不足なのだから、当時の常識でもここは籠城が得策、正解。

 なのにどうして、突如浜松城を出て、家康は三方ヶ原台地に信玄軍を迎え撃ったのか。

 これがテーマだった。

 家康側にもさまざまな思惑があったのだろう。だが、一言でいえば

 家康を籠城させてはならない、おびき出そうと秘策を練った信玄の作戦勝ち

ということだ、と番組は指摘していた(戦国史の小和田哲男氏など)。

 三方ヶ原台地に南下してきた信玄軍は、突如、浜松城に背を向ける。そして、織田信長の三河に向かうそぶりをみせた。

 それを知った家康は、ここで籠城していては末代までの恥、いや家康支持の勢力も、これでは頼りにならないと見切りをつけて離反するかもしれない。いまこそ信玄の背後を突く作戦に出るべきだ。

 Imgp7110 信玄側からすれば、まんまと作戦にはまったとみえただろう。家康の心理状態を十分に見抜いた上での謀略といえる。

 城を出て、三方ヶ原を登ってきた家康軍を待ち受けていたのは、信玄軍の大軍勢待ち伏せだった。家康軍は上から包み囲まれる形で、大敗走するはめになった。

 上の写真は、当時の三方ヶ原合戦布陣の様子を再現した立体ジオラマ=浜松市美術館で公開時。浜松市の犀ヶ崖資料館常設展示)

 ● 28年後、石田三成の大垣城に応用

 番組でおもしろかったのは、九死に一生を得た家康は、このにがい経験を28年後の関ヶ原合戦(1600年)前夜に応用していることだ。家康50代、三方ヶ原合戦のときの信玄53歳と同世代のときである。

 籠城作戦の石田三成軍に対し、城の東の赤坂に陣取った家康軍。突如、家康は夜陰にまぎれて大垣城を迂回し、関ヶ原に近い三成の居城に向けて移動しはじめたかのようにみせかけた。あわてた三成軍は籠城をあきらめ、そうはさせじと急いで城を出て、関ヶ原に陣取った。

 が、しかし、これは家康の作戦にまんまとはまった格好。そのときの家康の心に去来したのは、若き日の三方ヶ原での自分の姿であり、それを三成に重ね合わせたであろう。

 野戦に強い家康。こうした家康のイメージは、三方ヶ原の大失敗から学んでいったからこそ、出来上がったものであろう。

 (写真はいずれも、BSプレミアム「英雄たちの選択」2015年3月12日放送のテレビ画面から)

 

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