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あれから20年、オウム事件とは何だったか  

Image209819952015.03.20) 表題の「あれから20年」のあれとは、もちろん、地下鉄サリン事件のことである。20年前のきょう3月20日に発生した。死者10人、負傷者は数千人にのぼった戦後最大の社会事件である。

 裁判の結果は、オウム幹部13人が死刑判決を受けた。

 しかし、事件そのものは風化し始めている。果たして事件はこれで一件落着といっていいのだろうか。この事件は、結局何だったのだろうか。何が教訓なのか。宗教的な面だけでなく、科学ジャーナリズムの面からも教訓はあるはずだ。ブログ子は、そんな思いでいた。

 ところが、宗教学者の島田博巳さんが、Eテレ「視点・論点」(3月20日)で

 オウム事件とは何だったのか

という同じテーマで語り掛けていた。さすがは宗教学者だというような結論をきちんと出していたのには感心した。

 そのポイントを以下にまとめておきたい。

  ( 写真は、ブログ子秘蔵のサリン事件直後の生々しいサリン無差別テロの様子をカラー特集した「週刊朝日」4月7日号と、「洗脳」で恐怖を移植すると大見出しを打った「アエラ」4月17日号。アエラでは、この事件では科学とオカルトが同居という分析記事を編集部員が書いている)

 ● 自分勝手な救済を宗教に求めて

 総括の第一。

 今の時点から考えると、

 オウム事件は、「イスラム」国問題の先駆け

という点を指摘していた。その上で、教訓として何だったのかという答えとしての

 総括の第二。

 オウム事件を引き起こしたものは、

 他人や社会をかえりみない自分勝手な救済を宗教に求めようとした安易さと、反省の弁にみられるように、結果に対する自覚と責任の希薄さ

だったと結論付けている(ようにブログ子にはみえた)。

 この安易さと希薄さが、殺人という重大な秘密をもった組織を、修行の場であるはずなのに、組織防衛のため組織犯罪に落ち込ませていった。

 この人間の弱さを克服する対策がとられない限り、また同様な事件が起こるかもしれないというニュアンスの発言を、最後に島田さんはしていたように思う。

 ブログ子も、これこそが、オウム事件の深層のような気がする。

 第三の総括。

 オウムの教団が1990年代前半、急速に成長できたのには、国内バブルの崩壊(1992年前後)と、国際的には旧ソ連の崩壊(1991年)の2つの要因があった。バブルの崩壊で大衆の不安を急速に教団に吸収できた。その資金力で旧ソ連の武器を大量入手できるようになったこと、この二つの条件が大きい。

 こうした条件かそのまま将来そっくり出現することは考えられない。

 が、似たような条件が整えば、たとえば「イスラム」国のようなものも出てくる可能性もあるだろう。そんなことを、島田さんは匂わせていたようにも思う。

 ● 週刊誌読み返し、再検討

 上記写真の「アエラ」号では、高名な科学史家の村上陽一郎氏が

 科学に潜む不合理の誘惑

と題して、科学が持つ本来的な危うさを指摘している。

 宗教的な面だけではなく、科学ジャーナリズムの面からも、この節目に当たって、きちんと総括しておく必要があるだろう。

 その意味で、これらの週刊誌を20年ぶりにじっくり読み返し、再検討してみたい。その結果について、近々、報告してみたい。

 自戒。

 事件をセンセーショナルに取り上げるような一過性ジャーナリズムであってはならない。教訓を汲み取ろう。

 あとは野となれ山となれわしゃ知らんというような無責任な尻切れトンボジャーナリズムから抜け出したい。

 起きてから騒ぐ予見性なきジャーナリズムを乗越えたい。

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