身を削った逆境の画家、ゴッホ
(2015.02.12) 以前、このブログで
ゴッホへの返信 『ゴッホの手紙』を読む
というのを書いたこともあり、ブログ子はゴッホの手紙に興味を持つようになった。世の中には同じような人はいるもので、
『書簡で読み解く ゴッホ 逆境を生きぬく力』(坂口哲啓、藤原書店、2014年6月)
というのを、図書館で見つけた。そして早速、読んでみた。
『ゴッホはなぜゴッホになったか』(N.エニック、2005年)
というのも出ている。生前不遇だった画家が、死後異常なまでに評価されるようになったのはなぜか。それも聖人のように崇められるようになったのはなぜか。
これは芸術神話の典型であるとして、社会学的な考察を行なっている鋭い著作。
明確な問題意識をかかげて、社会学的な手法でできるだけ客観的に迫っているのが好感できる。その道のプロの仕事だろう。
これに対し、先ほどの本は、これといった問題意識はない。ただ、『ファン・ゴッホ書簡全集』(全六巻、1969-1970、みすず書房)をもとに、芸術の土台となるゴッホの人間性の魅力を解明、あるいは解説しようとしたゴッホファンらしい本である。
その人間性とは、しいたげられている者たちへの共感と愛だと述べている。そして、その人間性の魅力とは作品に宗教的な要素と創造的な要素とが溶け合ったところだと結論付けている。
なんだか、同語反復的な茫漠とした話であり、いかにも文系人間らしい分析である。核心がつかめていないという印象が否めない。
ゴッホはなぜ自殺したのかという点についても、もう少し、踏み込んで分析してほしかった。生活の面倒を見てもらっていた弟、テオの経済的な窮状を目の当たりにしたのが直接の原因だとするボナフー説(『ゴッホ 燃え上がる色彩』(創元社))や、弟は関係がなく、ゴッホかんしゃく持ち説という新関公子説(『ゴッホ 契約の兄弟』(ブリュッケ、2011)を簡単に解説しているだけというのでは、いかにもさびしい。ゴッホの人間性の魅力に迫りたい意気込みの著者の勝負どころだったように思う。だから、新説は無理としても、少なくともどちらの説がよりいいか、説得力があるかという分析を、根拠を示して展開してほしかった。
● 今、なぜゴッホなのか
そうでないと、サブタイトル
逆境を生き抜く力
というのが、意味がなくなり、おかしなことになる。30代で自殺したゴッホに、逆境を生き抜く力というのは、あまりにも変なのだ。
ここは、この伝記風の絵画論を読んだブログ子なら、
逆境に身を削って(それを)作品に充電した画家
という意味で、サブタイトルは
身を削った逆境の画家
とする。このほうが、著者の言いたいことが、表現できているように思う。単なる逆境ではない。逆境に身を削ったのだ。その削った分の充電があるからこそ、鑑賞者にエネルギーを与えることができているというわけである。
また、この本の最初には、
「はじめに」という形で 見出しで
今、なぜゴッホなのか
と問いかけている。問題意識があり、なるほどと感心した。しかし、はしがきのどこにも、そのこたえはないのは、残念である。
ここは、
逆境の時代、今なぜゴッホなのか
というようにすれば、わかりやすかったかもしれない。逆境の連続だったゴッホ作品の今の人気の秘密はここにあるというわけだ。
● 参考になる文献リストと詳細な年譜
とはいえ、ゴッホに関する文献リストや膨大な書簡を抜き書きする形の詳しい年譜については、とても有用であり、さすがはゴッホファンだけのことはあると感心した。
今後、大いに参考にしたい。
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