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家康の400回忌 立体「しかみ像」お披露目

Imgp698320150220 (2015.02.27) 大坂夏の陣が終わったあとの1616年4月(旧暦、今の5月ごろ)に家康が隠居先の駿府城で亡くなって、今年はその400回忌。東海地方では去年あたりから、さまざまな四百年祭のイベントが行なわれている。

 ブログ子が暮らす浜松市でも、先日、浜松市博物館で、いわゆる

 三方ヶ原合戦で大敗、敗走した家康の実物大の立体「しかみ像」

のお披露目式があった(合戦は旧暦1572年12月の寒い時期)。近所だというので、散歩がてら出かけてみた。その時の様子が、写真右(ウレタン樹脂加工)。ブログの最後( 下段 )に、立体像を真正面から見た写真を掲載しておく。

 スリムな31歳のときの姿であり、背丈は159センチと小柄。今の中学生くらいだろう。像の印象は、歳の割には少し老けて見えるというものだった。のは、やはり敗走の恐怖がまだ乗りうつっているからだろうか。

 家康自身、身近において戒めにしていたという本物の平面画像(A4くらいの大きさ)は、徳川美術館(名古屋市)が所蔵している。

 ● 三方ヶ原合戦、家康の敗走路

 Imgp6962 どのようなルートで家康は三方ヶ原から引間城(浜松城=東照宮)まで逃げ帰ったのかという点については、浜松市に暮らす歴史家の磯田道史さんが、

 ちょっと家康み 第5話 家康公の敗走路

として紹介している( 浜松市「広報はままつ」2015年2月号 =写真左 )。

 それによると、152号線の

 「中沢交差点辺りから台地の山陰を通り、(まっすぐ南下して)引間城の元目口を目指した」

。つまり、「台地の上ではなく、台地の麓を隠れるようにして逃げたのでしょう」。

 中沢交差点(152号線)から住吉を通って和合交差点(257号線)に出ると、近くに、有名な敗走伝説のある地名「銭取」(257号線沿い)、さらに北上するとこれまた伝説の「小豆(あずき)餅」(257号線沿い)に行き当たる。

 これだと最後は、これまでいわれているよりも、1キロぐらいやや東側、中区曳馬の阿弥陀橋などを通って南下、敗走したことになる。

 ● 1572年12月、信玄の遠州侵攻ルート

 今回、博物館を訪れて、一番びっくりしたのは、三方ヶ原合戦での信玄・勝頼の本隊の侵攻ルートが掛川から袋井さらに磐田といった海岸沿いに西進してきたと知ったこと。

 Imgp6989157210 従来は、信玄は信州と遠州の境、北の青崩峠を南下してきたとされていた。しかし、最近の研究では、そうではなく海岸沿いに駿府からやってきた。

 博物館のパネル展示( 写真右と下段写真 )にそのことがはっきり図入りで詳しく解説している。戦国史が専門の小和田哲男さん(静岡大名誉教授)も、支持しているというから確かであろう( 補遺 )。

 そんなこんなで、出かけるということは、いろいろな発見に出会えることを知った一日だった。

 この調子でいくと、おそらく、この1年で家康について、まだまだ知られざる姿が浮かび上がってくるようにも思う。

 ● 補遺 

 侵攻ルートの新説がどういう根拠から提出されたのかについては、古文書学からのアプローチ

 鴨川達夫『武田信玄と勝頼』(岩波新書、2007)

に詳しい(第5章)。説得力のある論考である。

 この本には、このときの信玄の心中は、京に上洛する天下取りの軍事行動などではないとする見方が根拠を挙げて提出されている。将軍からの要請を受け仕方なく織田信長へ一撃を加えたのだという。

 つまり、信玄にとって三方ヶ原合戦はあくまで地域の小競り合い、局地戦のつもりだったということになる。だから、そもそもその配下の家康などははなから眼中にはなく、けちらせば十分と思っていたらしい。

 あたかも天下取りで三方ヶ原へ動いたかのように喧伝されるのは、信玄の死後のことであり、本人のあずかり知らぬことだったということになる。

 Imgp6988157212     (浜松市博物館展示パネル)

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