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結局、何が問題だったのか           --  幻の「STAP細胞」の起源

(2015.01.27)  騒動からちょうど1年がたつ。

 その存在をめぐり、1年近くにわたり問題となったSTAP細胞について、理化学研究所が外部委員で構成する桂勲調査委員会を設けて調査した結果が年末の先月末にまとまった(注記)。記者会見した桂委員長によると、この報告書によって、もともと「STAP細胞が存在しなかったことはほぼ確実」と最終的に結論付けられた。

 何が問題だったのか- 。

 ● 2つの疑問点

 論文作成者自身による新たな再現実験でも、またそれと同時平行にすすめられた論文作成者を交えないものの論文記載の手順を忠実に守って行なわれた実験のいずれでも再現はできなかった。

 さらに、論文で作成されたとするSTAP細胞そのもののの正体をさかのぼる詳細な追跡結果も公表された。それによると、STAP細胞とされたものは、既存のある特定のES細胞にすぎないことが判明。その結果、追跡からも再現実験と同様の結論にたどりついた。

 幻に終わったSTAP細胞の正体はそもそも何だったのか。存在しないはずの細胞が画期的な成果としてなぜ世界的な論文雑誌にまで掲載される事態にまでなってしまったのか。これらの点について「日経サイエンス」2015年3月号が、独自の取材結果も織り交ぜて、

 事実究明へ科学者たちの360日

と題して検証報道を行なっている。

 その存在が幻に終わったSTAP細胞の起源は何か

 また、STAP騒動の関係者に、結局、何が欠けていたのか。チェックできる立場の複数の研究者が論文作成者の目の前にいたにもかかわらず、彼らをして何が誤りに気づかせる機会をうばってしまったのか。

 この2点について、ブログ子のこの特集を読んだ感想とコメントを以下にまとめておく。

 いずれ、マスメディアもさらに踏み込んで、問題点にメスを入れる検証報道をするだろう。それを、一度地に落ちた日本の先端研究の再生の方向につなげたい。

 ● 内部研究者の執念の追跡

 第一の、刺激に反応し、通常の細胞が再び万能性、多能性を取り戻すとされた論文記載のSTAP細胞の起源は具体的には何だったのかという点について。

 突破口を開いたのは、同じ理研の統合生命医科学研究センターの遠藤高帆上級研究員。論文で、これまでその存在が知られていなかったSTAP細胞だとされたものは、すでによく知られているES細胞(胚性幹細胞)だった。しかもどのES細胞からつくられたのか、その身元のES細胞の株まで特定された。

 その特定株とは遠藤解析によると、具体的には、2005年に理研の若山照彦研究室に在籍していた大田浩研究員が、別の実験(核移植)のためにある特殊なマウス同士を掛け合わせてつくったES細胞株。この株は結局は実験には使われず、10年近く冷凍庫に忘れ去られていた。それが今回、STAP細胞として華々しく世に出たというのが真相だった。

 つまり、残っていたSTAP細胞の遺伝子解析から、論文記載のSTAP細胞の出所まで突き止めた。その過程で、この特定されたES細胞株は、STAP細胞の多能性を示す証拠となるすべての実験で使われていることも判明した。すべての実験には、掲載論文でSTAP細胞からつくられたとされるSTAP幹細胞実験も含まれている。

 STAP細胞の起源は、2005年の大田浩氏作成のES細胞株

だった。

 一方、掲載論文でマウスの特定部位の体細胞を弱酸性の水溶液に浸し、培養すると、これまで知られていなかった刺激に反応する多能性をもったSTAP細胞(と、別の培地でSTAP幹細胞も)ができるとされた。が、1年近くにわたる上記の2系列(論文作成者本人と検証チーム)のいずれの再現実験でもできなかった。

 ● なぜチェックが機能しなかったか

 第二の、チェック機能がなぜ働かなかったのかについて。

 この特集を読んで気づくのは、論文作成者同士が、不都合な、あるいは理屈にあわないことが出てきたとき、なぜか都合よく推測、推論ですませていたことだ。

 その不都合を解決するために、論文の成果を根拠づける原データに基づいた議論をしていなかった。このことが論文を世に送り出し、その後のSTAP騒動を引き起こす原因になった。理研の研究組織に、あるいはその運営に重大な欠陥があったことになる。

 なぜ、共著論文作成者たちがそんなにあわてて論文をまとめる、あるいは発表しなければならない必要性があったのか。これが謎である。たまたますり抜けて論文が世に出てしまったという単純なことではない。

 勘ぐれば、この時期(2014年1月)、画期的な成果が得られた論文を大々的に発表する政治的な必要性が、理研として、つまり理研上層部にあったのではないか。だから、現場の研究者たちは、この論文の発表に前のめりになってしまった。

 そういう事情はなかったか。

 そういうことを考えると、論文の第一著者だけに責任を押し付けて騒動の幕引きを図ろうとするのは公正ではない、はっきりいえば誤りということになる。

 今後は、こうした疑念に注目し、その解明が先端研究のあり方につながるよう見極めていきたい。 

 ● 注記 桂勲調査委員会の最終報告書

 中日新聞2014年12月27日付朝刊に、この報告書に対する委員長記者会見の様子、および報告書要旨が掲載されている。

 この報告書では、故意か不注意かは別にして、ES細胞を混入させたのは誰かという特定については、論文第一著者の小保方晴子氏を強くにじませてはいるものの、任意調査の限界もあり、解明できなかったと断定は避けている。

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