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何が歴史を動かすか 文明と大国の興亡

(2015.01.27)  歴史を動かすものが、人間であることは間違いない。その人間として特定の英雄を挙げる歴史家もいれば、いや大衆であるとする革命家もいるであろう。そのいずれにしても、彼らの選択がその後の歴史を変えていくことは間違いない。

 それでは、彼らにその選択をさせたものは何だろうということになる。ある方向をもった選択をし、それを押し進める何か一貫した要因があるはずだ。なぜなら、歴史にはある種のパターンがあり、まったくの予測不可能なランダムの流れにはなっていないからだ。歴史は勝手気ままではない。

 前回、『文明の興亡』という本を紹介した。長期的にながめれば文明の台頭、成長、繁栄、そして衰亡の流れにはある共通したパターンがあるとする分析である。この話を歴史好きな友人に喫茶店でしていたら、

 イギリスの歴史家、A.トインビー『歴史の研究』

においても、決定論的ではないものの、ダイナミックな文明の形成や没落には、一定の法則があると書かれているという。

 そういえば、若いときに読みかじった同じイギリスの18世紀の歴史家、E.ギボンも

 大著『ローマ帝国衰亡史』

で似たようなことを書いている。

 つまり、衰亡にはそれなりの必然的な理由があったというのだ。単に異民族という外圧があったから、外圧で崩壊したというのではない。それはほんの最後の一押しにすぎず、真の原因は、政治的な、たとえば元老院の腐敗などローマ帝国の内部にあったことを具体的に示していた。その意味で、外圧や偶然ではなく

 滅びるべくして崩壊し、滅んだ

というわけだ。

 ● 文明の地理史観

 一般に大国や文明の崩壊や衰亡については、今現にあるという利点から、分析しやすい。これに対し、新しい文明や大国がどのような契機で台頭し始めるのか、つまり無から有がどのようにして登場するのかということを予測することは、パターンがある場合でも大変にむずかしい。手がかりも少ないし直接の文明を観察しにくい。

 喫茶店で話した内容をまとめると、そのパターンをつかむには、どういう観点から分析するかによっていろいろな大著が登場している。

 紹介すると、前回紹介したモリス『人類5万年 文明の興亡』では、

 パターンを支配しているのは地球的な規模で見た地理

という観点。日本で言えば、梅棹忠夫さんの

 『文明の生態史観』(1967年、中央公論社)

もこのカテゴリーである。生物学的な地理史観といえばいいだろう。

 ただ、この生態史観には、大きな欠陥がある。現代文明にとって肝心要の新大陸のアメリカの生態学的な位置づけや生態学的な分析がなされていない点だ。破たんをおそれて意図的かどうか、その点をあいまいに、あるいはなおざりにしている( 注記 )

 川勝平太さんの

 『文明の海洋史観』

も、西洋支配は地中海、大西洋という地の利だというモリス説に近い。つまり、川勝さんはこの本で「近代はアジアの海から始まった」ととなえている。モリス説に通じる見方だろう。

 ● 文明の経済史観

 第二は、

 文明の興亡を支配するのは経済によるもの

というもっとも受け入れやすい経済史観である。

 友人によると、この種の本は多い。現代に限っても、1500年から2000年までを分析した

 『大国の興亡』(米経済学者、P.ケネディ、原著1987年、日本語版1988年)

がある。この大著ではほとんど言及のなかった中国について、ケネディ氏は、15年後の2002年に

 世界経済のグローバル化で中国が台頭、やがて経済面(GDP)でアメリカに追いつき、抜き去ることは必定

と分析している。原著ではむしろ社会主義の崩壊を予測していたふしがある。いかに大国の台頭を予測するのが難しいかがわかる。

 経済史観に基づく最近の大著を、もうひとつ挙げれば、米経済学者の

 C.P.キンドルバーガー『経済大国興亡史 1500-1990』(1996年、日本語版2002年)

 さらに大著ではないが、コンドラチェフ生誕100年の1992年に、この200年間を分析した東京国際大学の篠原三代平教授の

 論考「波動、「大国の興亡」と関連も」

も注目すべきものだろう(1992年3月17付日経新聞「経済教室」)。

 この論考では、経済不均衡を安定的に是正するという市場機構の役割に今の経済学が重きを置きすぎている点を指摘。しかしながら現実はそうではないとして市場機構のみに寄りかかっていては世界経済の長期的なダイナミックスを見誤る可能性があることを指摘している。

 その上で、コンドラチェフ波という約50年周期の経済成長率の長期波動は、技術革新によるものとする単純な認識から抜け出すよう求めている。景気循環よりももっと大きな波、すなわち大国の盛衰とも密接に関連しているという認識に立つ時期にきているという。

 つまり、大国の興亡というもっと根本的で大きな波と、コンドラチェフ波は関連していると分析している。

 注目すべき論考だと、ブログ子も思う。

  ● 科学・技術史観

 第三。

 西洋の支配は科学・技術によるものとするのは、最近のものでは山本義隆さんの

 『十六世紀文化革命』(2007年、みすず書房)

だろう。この分析は、西洋の科学や技術について2000年間にわたり具体的に原典にあたり、また物理学徒らしい緻密な分析を加えた同氏の大著

 『磁力と重力の発見』(みすず書房、2003年)

に基づいている。具体的に根拠を提示しながら論理を展開しているだけに説得力がある。ほかの歴史書にありがちな恣意性やこじ付けがないのが特徴である。

 ● 冷戦後、「文明の衝突」史観

 最後の第四。

 米国際政治学者のS.ハンチントンの大著

 『文明の衝突』(原著1996年、日本語版1998年)

は、冷戦後の文明を支配するものは、文明間の(政治的な、そして最終的には軍事的な)衝突であるとする衝突史観である。

 現在の日本も含めた主な8大文明について分析されているが、中心はイスラム圏分析。冷戦後間もないということもあり、ソ連崩壊後のロシアについての分析は比較的に多い。それに対し、中国や日本は付け足し程度といっていい。

 この大著が話題になったのは、2001年のアメリカで起きた「9.11同時多発テロ」を予測したとみられているせいかもしれない。ほんとうにそうかどうかは別にして、タイミングのいい出版だったことは確かである。

 たまには、平日の昼下がりの晴れた日の午後、ほとんどお客のいない喫茶店で大国の興亡について長々と夕方まで友人と忌憚のない、あるいはとりとめのない話をするのもいいものだ。

 高齢シニアになった余得だろう。

 ただちょっと残念なのが、この話をしていて、世界の歴史の大道にはまったくといっていいほど、日本が登場しないこと。その意味では日本も、現生人類のふるさととはいうもののアフリカ諸国も同じなのだ。

  ● 注記 『文明の生態史観はいま』(梅棹忠夫編、中公叢書、2001年3月)

 『文明の生態史観』のこの欠陥については、

 梅棹忠夫編『文明の生態史観はいま』

のなかで、史観に対する4識者のコメントの章があり、うち二人が次のように書いている。

 ふたつの史観の今日的意義、と題した中で、

 「それにしても、梅棹生態史観も川勝海洋史観も、ともに新大陸とりわけアメリカにほとんど言及していないのは興味深いところである」(佐伯啓思京都大学教養部大学院教授)と指摘し、「まさに現代こそ、確かな文明論を望まれる時代なのである」と結んでいる。

 また、梅棹文明学を再読する、と題して

 全地球をカバーしていないのが「残されている課題」

だとしたのが、杉田繁治国立民族学博物館副館長。

 日本文明のカードを一枚入れて(アメリカも含めた)「世界全体を見据えた文明の生態史観を語られてもよいのではなかろうか。待ち遠しいものである」と、仲間意識のエールを送っている。

 当の梅棹氏は、2010年、その残された課題を完成させることなく、90歳で死去している。

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