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現実化した「華氏451」 読書ゼロ半数の時代

(2015.01.24)  年末に、このブログで

 「読書ゼロ」は悪いことか 立花隆の怪気炎

というのを書いた。立花さんは、ネット時代のいまどき、読書なんかは、スループット(素通り)してもいいという趣旨の発言をして、ブログ子もびっくりした。が、一理はあると感心する。言わんとするところは、ネットのその先には、読書なんかより、はるかに広く深い世界があるということだった。そこで、インプットすればいいというわけだ。

 そんな折、偶然だが、BSプレミアムで、情報はテレビ、読書禁止という

未来SF映画「華氏451」(F.トリュフォー監督、英米、1966年)

というのを、先日見た。原作は、同名のレイ・ブラッドリーの小説。紙の本を見つけ次第焼却処分する役目を負わされた消防士の物語である。華氏451(度)というのは、紙の燃え出す温度のこと。

 ● 人が本をまるごと暗記

 映画が公開されたときは、ちょうど白黒テレビあるいはそのカラー化がアメリカや日本でも普及し始めていたときだけに、ヒットした。もはや情報はテレビだけで十分、古臭い本などはいらないという風潮も出始めていたからだ。ワープロが普及しだした1990年代、ペーパーレスということばが流行ったのと同じ現象である。

 焚書の時代ともいうべきこの未来では、小説などの文学を一人一冊、丸暗記して子孫に伝える抵抗運動を続けている。「嵐が丘」という人物もいれば、「源氏物語」という女性もいるのだ。そして、50人の村というのは、50冊の文学書のある図書館というわけだ。今で言えば、紙に代わろうとしている電子書籍だろう。

 上下2巻の本は、兄が上巻を記憶し、下巻は弟が暗記する。そして、それは、親から子へと受け継がれていくというのが、ラストシーンだ。

 こうして脳に記憶しておけば、いくら国家でも、焼却はできない。

 ● 50年前の映画の2つの現代性

 映画は、本を読まなくなった現代に対する皮肉を込めた痛烈な警告となっていた。

 50年近く前のこの映画の今も通用する現代性がここにある。

 忘れてはならないのは、視覚に訴える衝撃性には優れてはいるものの

 テレビ、あるいはラジオは深く考えさせ、心を耕すメディアではない

ということだ。その映像の衝撃性も一過性であり、その背後にあるものを、じっくりと考えるまでには至らないのが普通なのだ。衝撃性がかえってものを考えることをおろそかにさせている。文字を通してはじめて物事を冷静により深く、より論理的に理解できるようになる。

 権力は映像メディアのテレビに、国民をコントロールする上で都合のいいものを嗅ぎ取っている。

 この映画は、そのことを気づかせようとしている。そこでは、映像情報と文字情報とが合体したデジタルネット時代において、ジャーナリズムをもう一度再生するにはどうすればいいのかという課題を突きつけている。

 この映画のもう一つの現代性だろう。 

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