« 自分で自分の限界をつくってはいけない | トップページ | 悪文の上手な書き方  »

再論 地震学者の刑事責任は問えるか

(2014.11.12)  自宅近くのレストランで、きのう夕方コーヒーを飲んでいたら、静岡新聞夕刊(11月11日付)の中面に、

 予知失敗 6人に無罪 / 伊ラクイラ地震 (2009年)

という記事が出ていた。2年前の1審判決では、安全宣言を出すなど不適切な情報提供を理由に起訴された科学者ら7人全員に禁固6年の実刑が言い渡された。科学者も行政担当者も全員有罪。この一審に対し、高裁は行政担当者のみを有罪とした。

 この判決は、科学者には刑事責任はなかった認定したと言うべきなのだろうか。そうではないと思う。高裁は、法の厳格な適用に徹し、確実な証拠がないことから、その判断を避けたに過ぎないと思う。完全なシロではない。

 どういうことか。

 はっきり言えば、地震の予知が確実にはできないことと、だから安全だということとは、論理的にはまったく別次元の話だと判示したのだ。

 なのに、行政はこともあろうに安全宣言を出した。この粗雑さが問題なのだと高裁は判示したにすぎない。仮にこの粗雑さに科学者が関与したことが明らかになれば、当然だが、行政担当者同様、有罪であろう。

 ● 伊ラクイラ地震の裁判

 今回の高裁判決では、残りの一人に対しては大幅に減刑はされたものの、安全宣言を出したという過失があったとして執行猶予付きの禁固2年。最高裁でさらに争われる見通しだという。

 その場合の争点は何か。

 1審については、このブログでも、取り上げた。

  不気味な微小地震が頻発していたのだが、分析に当たった地震学者はそれらをもとに大地震を具体的にいつどのくらいの大きさのものが発生するのかということまでは予知することはできなかった。なのに、大地震が起きるとさわぐ人々がいることもあって、行政当局は予知できないことを根拠に安全宣言を出した。それを住民が信じたことで被害の拡大を招いた。

 このブログでも、そのことをもって業務上過失致死傷罪について、かかわった科学者らの刑事責任を問えるかというテーマを取り上げた。詳しくは

  http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-38ee.html 

を参照してほしい。

 問題はどの程度、科学者が安全宣言を出すことに関与したかという点だ。常識的には、そんな宣言など、科学的には出せない。また、科学者が出すはずもない。だが、行政は出した。

 ● 行政の情報提供の適否が争点

 法律論一般で言えば、原因と結果の因果関係に相当性があり、その原因の予見性とそれがもたらした結果の回避性があったかどうかが、業務上過失致死傷罪の成否では焦点になる。

 しかし、高裁は、どうやら、地震発生の予見性については、地震学の問題であり、判断を避けた。つまり、論点を法律論に限定した。このことが、科学者の刑事責任について判断することを避ける結果に直結した。

 予見性があろうが、なかろうが、行政の住民への情報提供の仕方が不適切だったとして、すくなくとも行政担当1人については有罪と判断した。つまり過失があったと認定した。不適切というのは、具体的には、安全宣言を出すのに必要な具体的な根拠がないのに安易に安全だと宣言をだしたこと。

  それだけであって科学者に責任がなかったとまでは判示していない。法律論的に有罪にする根拠がなかったのだ。

 有体に言えば、予見ができる場合はもちろん、たとえ予見ができない場合でも、行政からの情報の提供については、なおざりであってはならないということだ。被害拡大を防ぐ上で業務上当然払うべき注意義務にしたがって慎重に扱うべきだと判示した。なのに安全宣言を出した。これに対し、高裁は言語道断としたものと受け止めたい。

 ● どこまで問える科学者の責任

 わかりやすく言えば、大地震だ、大地震が来ると騒ぎ立てる一部の人々がいるなか、多くの住民の心を鎮めるためだったとはいえ、具体的な根拠もなく安全宣言を出すなど、とんでもないことだと、行政当局をしかりつけた。

  この点で、宣言発表にあたった行政担当者は、しわ寄せ、いわば〝割を食った〟気の毒な立場だったといえるだろう。なぜなら、おこるのか、おこらないのか、科学者のあいまいな態度も問題であったからだ。

 このことが、つまり、予知できないのだから、あるいは大地震が起こるかもしれない。だから安全宣言など出すべきではないと、なぜ科学者たちは言わなかったのか。このことをあいまいにしたことは業務上過失致死傷罪にあたるのではないか。グレーゾーンではあるが、最高裁の場での争点だろう。

 こう考えてくると、今回の判決は、地震の予見性という科学的な問題うんぬんではない。現時点の科学水準では予知できないのに、なぜ安全宣言を出したかという情報提供の仕方の適否の問題だと思う。

 イタリアの最高裁はどうさばくか。地震の予知の不確実性がかなりあるなかで、地震学者の刑事責任はどこまで問えるのか。地震国、日本も無関心ではいられないだろう

|

« 自分で自分の限界をつくってはいけない | トップページ | 悪文の上手な書き方  »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/60639889

この記事へのトラックバック一覧です: 再論 地震学者の刑事責任は問えるか:

« 自分で自分の限界をつくってはいけない | トップページ | 悪文の上手な書き方  »