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2014年11月

2030年、火星の旅 最も問題なのは何か 

Nasa (2014.11.30)  日本は、近々、小惑星探査機として、大きな話題を呼んだ初代の「はやぶさ」についで「はやぶさ2」を打ち上げる。

 アメリカも今年中には、将来、有人火星探査にも使われる予定のNASA新型宇宙船、オリオンの試験機(無人)を打ち上げる。有人のスペースシャトルの後継機である( その試験機、オリオンは12月3日にも打ち上げられる。写真左下 = ニュースレター「SPACE.com」2014年12月2日号)

 ● 有人探査か、無人か

 太陽系探査の技術レベルでは、日米にそれほどの差はない、すくなくとも大差はない。アメリカは地球により近いお隣の火星に、日本はより遠い小惑星に狙いをつけている。

 ともに、太陽系の成り立ちの調査だけでなく、地球外生命の存在の探査を、その目的のひとつとして視野に入れている。その証明方法については、アポロ計画で培った有人技術を生かそうとするアメリカ。火星に直接降り立った人間により分析する。

 一方、ロボット技術を得意とする日本はサンプルを地球に持ち帰ることにより分析、目的を成し遂げようとしている。

 有人か無人かという違いはあるものの、いずれも高度な技術であり、優劣はなかなかつけがたいだろう。

 Orionfirsttestflightillustration 高度の安全性が求められるものの、有人技術のほうが生命探査の方法としてはロボットなんかよりは優れているに違いない。ブログ子は、これまでなんとなく、そう思っていた。直接、現地に人間が行くのに越したことはないからだ。

 しかし、探査が成功するかどうかという総合的な観点から言えば、必ずしもそうとはいえないことを知った。

 ● どう保つ正常なコミュニケーション

 というのは、先日、BSプレミアムのアーカイブスの時間で

 サイエンス・シミュレーション 人類、火星に立つ

という一連の番組を見たからだ(初回放送は2008年)。

 11_26_1ok 往復で約2年をかけ、人類が火星に向かう場合、ロボットでは考えられない深刻な問題がたくさんあることを紹介していた。2030年代までに火星有人飛行を実現するというものだ(写真左= 2004年1月15日付「北國新聞」夕刊)。

 最大の問題は、

 地球を遠く離れて2年以上も、閉鎖空間である宇宙船内の複数の宇宙飛行士たちが、緊張の毎日のなか、どのようにして地球上と同様に、正常なコミュニケーションを保つか

ということだ。そんなことは、国際宇宙ステーションで実証済みと思うかもしれない。2年近く滞在した宇宙飛行士もいる。日本の若田光一さんだって半年は滞在した。

 しかし、これは、いざとなれば地上から助けがただちにやってくるという安心のある心理状態のときの話。地球との会話もほぼ同時性が保たれている。

 これに対し、火星の場合は応答は早くても10分、20分遅れる。ましてや、地球からの救助などはあり得ない。地球-月の真ん中で爆発事故(1970年)を起こした「アポロ13号」の救出劇のような具合にはいかないのだ。

 救援が絶対に望めない状況下、なにかトラブルが発生した場合、それをきっかけに絶望と希望のはざまで人間は正常でいられるだろうか。

 いかにして、希望を心に長期にわたっていだきつづけることができるか。そんなことは予測不可能ではないかとブログ子も思う。

 そこには、ロボットには決してない人間の心の奥の深遠な闇が口をあけているからだ。

 ● 人類の新たな進化も

 数百万年にわたって地球上の環境にたくみに適応、進化してきた人類。火星への旅は、これまでとはまったく異なる環境に、これまでとは比較にならないほどの急速さで適応することが求められる事態だといえるだろう。 

 この意味では、アメリカの有人火星探査には、人類進化の想像を絶する実験だともいえる。単なる地球外生命探しなどではない。

 さらには、人類が遠い将来、プロジェクトをきっかけに火星に移住するという流れにでもなれば、こうした実験も的外れではないかもしれない。

 そもそも人間とは何か、生物の進化とは何かという根本に迫るプロジェクトなのだ

( 以下の映画パンフは2000年公開。火星に知的生命がいるのではないかという設定 )

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魚の気持ちになる ウナギ博士の3つの推理

Imgp64652009 (2014.11.30)  ブログ子は自宅近くの佐鳴湖(浜松市)で、かつてたくさんとれたシジミの復活に仲間たちと取り組んでいる。縄文人もたべたのだが、今ではなかなかそううまく復活できない日々が続いている。のだが、そんな中で気づいたのは、復活には

 シジミの気持ちになる

ということがとても大切だということだった。

 今夏、琵琶湖の近くの川にサマースクールに出かけたときも、魚を捕まえるには、

 やはり魚の気持ちになる

Imgp6472 と次第にとれだしたという貴重な体験をした。人間の都合ではなく、魚の都合を考える、というわけだ。

 そんな体験をまとめたものを、先日、知人にメールに添付して届けたら、おどろくべき情報を届けてくれた。

 大回遊するウナギの気持ちになる

ことで、(ニホン)ウナギの産卵場所をピンポイントで特定したという講義が今、

 BSの放送大学「特別講義 ウナギ大回遊の謎を追う」

で発見者自身によって行なわれているというのだ。写真上がそれなのだが、元東大大気海洋研究所教授の塚本勝巳さんである(現在は日大教授)。

 ● 大回遊の謎を追う

 Imgp64501991 繰り返し放送されているというので、早速、聞いてみた。見おわって、まさに塚本さんは、定年直前までの20年、

 ウナギの気持ちになる

ということをモットーに3つの仮説を立て、次第に産卵場所の探索範囲を絞り込み、ついに大発見につなげた(2005、2009、2011年)。

 そのことをはっきりと示すのが、絞込みのための3つの仮説。特に、そのうち最初に立てたひとつで、下の写真。海山仮説を説明するパネルである。

 なぜウナギは日本からまっすぐに南下するのかということを魚の気持ちになって分析している。

 パネルにあるように、

 配偶者との出会いの場までの道しるべ

として海山のつらなりを利用しているに違いないと考えたわけだ。

  ● 産卵場を絞り込んだ仮説

 Imgp6451 この仮説には、ウナギは深海魚の仲間であるというDNAからの新知見も活用されたであろう。また、おそろしく広い海原では精子と卵子のコンタクトはきわめて稀にしか起こらない。だから海山の火口の奥が好都合ということもウナギは知っていたに違いない。

 確実にピンポイントで出会える場所

というのがウナギの気持ちなのだ。

 Imgp6455 それでは受精しやすい出会いの場所をウナギは決めていたとしても、出会う時刻はどうして決めているのだろう。塚本さんは、

 それは新月の夜に、海山の奥深くの狭い場所で出会う約束になっているに違いない

と推理し、仮説化した。第二の新月仮説である(下の「注記」追加パネルの2番目参照)。

 そして最後の仮説、第3象限仮説が登場する( 写真にその説明パネル )。オス、メスの親ウナギが確実に受精卵を海流に乗ってもとの成育場所にたどりつけさせようとするなら、

 潮目の境の海流

Imgp64633 に着目し、受精卵を放流するはずだ、と考えた。とするならば、図にも示したように、潮目の境にある海山の位置から西、つまり、海山からみて第3象限あたりに受精卵は一定の濃度で採取されるはずだと、塚本さんは、魚の気持ちになって〝合理的に〟推理した。

 これらの3つの推理からの仮説で

 滄海の一粟(いちぞく)

と思われたウナギの受精卵探しは、ピンポイントで何回やっても確実に成功したという。2009年のことで、その成果は世界的な科学雑誌「ネイチャー」の表紙を飾った。

 3つの仮説で、どのように壁を乗越えてきたのかということを時系列にまとめたパネルを右下にまとめておく。

 ● 何が成功に導いたか、3つの要因

 塚本さんの成功の要因とはなんだろう、とテレビを見ながら考えた。結論は、それは3つの要因があったからだろうということに落ち着いた。

 1つ目は、ウナギという日本人にとってはなじみの魚が研究対象だったこと。執着力があった。

 2つ目は、ウナギは南海のどこで生まれるのかという、とてもわかりやすい謎に単純で明解な目標を設定したこと。10数年の鳴かず飛ばずの時代にあっても、これがネバーギブアップを支えた。

 第3は、なんと言っても心身のタフさとすぐれたマネジメント力を塚本さんが養っていたことではないか。一言で言えば、有能な人材を集め、それを束ねる魅力のある人間力を磨いていたからだろう。

 ● 擬人化は間違ったことか

 科学の世界では、魚の気持ちになるというような擬人化は慎まなければならないと西欧式には考えられている。人間以外の個体には「意志」などはないと信じられているからだ。

 Imgp6473 魚の気持ちになることは、科学者としては合理的、論理的な科学精神から逸脱した研究方法だと考えるのは、本当に正しいことなのか。

 世界で初めてウナギの産卵場所を突き止めたのが、欧米科学者ではなく、日本人だった。人間は特別な存在などではない。人間とほかの生物との間には画然たる差はないとする自然観を日本人は素直に受け入れている。そう考えると、今回の発見が日本人によって成し遂げられたことは、けっして偶然ではないように思う。

 あまりに面白く、明解な講義だったので、以下に放送で示されたパネルの一部を読者のためにここに紹介しておきたい。

 ● 名講義から学ぶこと。新しい科学観

 20年以上もウナギの気持ちになり続けて、ついに世界的な成果をつかんだ。さすがのウナギもこの塚本さんの執念には根負けし、降参したのだろう。

 もう一度見たい、聞きたい名講義とは、こういう示唆に富む、また読者を興奮させる番組のことだ思う。

 事実、ブログ子もまた、人間の都合ではなく、シジミの気持ちになって、その都合に合わせた復活活動を続けたいと思うようになった。

 ブログ子の佐鳴湖からも産卵のため銀ウナギが、今、次ぎつぎと南の海に南下し始めている。

 塚本講義を聞いて、この湖で自分たちのしていることにあらためて反省をいだいたことを正直に書いておきたい。反省だけではない。新しい科学観をブログ子に具体的に教えてくれたことにも感謝したい。

 ( 写真はいずれもBS放送大学の「ウナギ大回遊の謎を追う」テレビ画面から引用。また、いずれもダブルクリックで拡大可能。)

 ● 注記 追加パネル

 Imgp6446201411  

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大量死のエベレスト悲劇はなぜ起きたか  

Imgp6536_2  (2014.11.28)  ブログ子も愛読しているビジュアルな科学月刊誌に「ナショナル・ジオグラフィク日本版」という美しい雑誌がある。この最新号(2014年11月号)には

 エベレスト 史上最悪の雪崩事故

というのが、特集されている(写真上)。事故は2014年4月18日のまだ明けやらぬ早朝に発生。シェルパ族が隊員の出発に先立ってベースキャンプから次のC1に向かって登高中、まだ若い人たちの命を奪った。シェルパ族13人を含め計16人が死亡する大事故だった。

 ● シェルパ族の事故、隊員の悲劇

 先日のこのブログで取り上げた登山家、實川欣伸さんも、登頂のためベースキャンプ(BC)にいて、BCとC1の中間6000メートルぐらいのところで発生したこの事故の模様を現地で目撃。巻き込まれはしなかったものの、長年あたためてきた登頂を断念せざるを得なくなった。

 特集によると、この数十年、シェルパ族の事故の多くは、標高6000メートル前後か、それ以下の

 クーンブ・アイスフォール

で起きているという特徴がある。

 これに対し、隊員の事故はどうか。

 この事故と同規模の遭難は、1996年5月10日夕方にも起きている。日本人の難波康子さんを含む12人の登山家が命を落としているのがそれだ。各国から顧客を募集し、民間ガイド会社によって組織された商業登山隊、いわゆる国際遠征隊の事故。

 1996年の遭難もそうだが、こうした登山隊員の事故は圧倒的に8000メートル以上のいわゆる山頂近くの「死のゾーン」で発生している。これは、シェルパ族の場合とは異なる特徴である。

 では、雇った多くのガイドやシェルパによって、安全が周到に確保されているはずの隊員による大事故はなぜ起きるのか。彼ら隊員は経験を積んでいる。ガイドも顧客の安全にはことのほか神経を尖らせている。加えて隊員は最先端の装備も整えている。なのに、なぜ事故は起きるのか。

 ● 人間の側に問題がある

 原因の一つは、当然予想されることだが、山頂近くの急激な天候の変化であることは間違いない。低温で低酸素など登山者にとって限界ギリギリの過酷な自然環境にある。

 Imgp6191_2 しかし、経験を積んでいるベテラン隊員が、しかもベテラン隊長も含め、いっぺんに多数が遭難する悲劇はそれだけでは説明がつかないのではないか。あらゆることを想定して周到に準備しているからだ。

 人間系になにか問題がある。商業登山に落とし穴や問題点はないのか。

 このことを検証するため自らも隊員として国際隊に参加、幸か不幸か、偶然にも大事故死に遭遇。かろうじて助かったジャーナリストのジョン・クラカワーはその体験とその後の調査を世界的なドキュメンタリー

 『空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』(文春文庫、2000年)

にまとめている( 写真上 )。1996年5月の大惨事を時間経過を追って克明に分析したものだが、この事故では、2つの商業隊の経験豊かな隊長がともに登頂直後に山頂近くで遭難死するという異常なものだった。

 このドキュメンタリーを読むと、経験や力量の異なる各隊員ごとの登頂成功前後の具体的な行動が詳細にわかる。そこからは国際ガイド隊のおそろしいまでの問題点、欠陥が浮かび上がってくる。これでは事故が起こらないほうがよっぽど不思議だと思うようになった。

 つまり、隊員大量死の悲劇は、自然相手の不測の、いわば不運なシェルパ事故死とは異なり、起こるべくして起こっていたのだ。

 ● 起こるべくして起きた人為事故

  いだいた感想をまとめて結論を言えば、こうだ。

 ガイドの顧客隊員に対するそもそもの役割とは、刻々変化する状況のなかで、あくまで冷静、適切で、しかも具体的なアドバイス、助言をすることだ。なのに、ギリギリの判断が求められる登頂間近になると、ガイドは顧客をなんとか登頂させることを、ビジネスとして優先させてしまう。そうなるとガイドの判断が甘くなる。ばかりか、無理をしてでも顧客全員をなんとか登頂させようとする。

 つまり、ガイドはコンサルティングの立場から逸脱し、ついには加害者になってしまう。

 顧客のほうも自己責任なのに、体調その他を総合してギリギリの判断を自らしなければならないのに、登頂させてくれることがガイドの本来の役割であるかのように思う。登頂したさに自己責任の原則を放棄し、ガイド頼みになってしまう。

 こうして事故は起こるべくして起こる。

 この互いの冷静さの欠如が安全なはずの国際隊の大量死を招いた原因なのである。

 ガイドと顧客とが、低酸素と低温の中で安全のロープを互いに切りあってしまうという問題があったのだ。

  この問題を別の角度から、厳しく言うと、次のようになる。

 シェルパ族のように、生活のためでもない。プロの登山家のように、名声のためでもない。

 つまり、国際隊に参加する隊員というのは、甘美な自己陶酔、あるいは自己満足の世界なのだ。いい意味の純なアマチュアリズムが生きていなければならないはずなのだ。

 なのに、それが崩れてしまっているところに問題があるといえる。はっきり言えば、

 悪い意味の、つまり堕落したアマチュアリズムがそこにはある。これが大量死を招いている。

 ● 不運な失敗はない

 冷静さの堅持を失わせたものを、それいけドンドンの高揚感、

 クライマーズハイ

という高山特有の高所症に押し付けるのは簡単だ。

 しかし、現実に目をそらさず、後ずさりする勇気こそ、アマチュアといえども登山家の真骨頂ではないのか。ここが、生活のために仕方なく無理をするシェルパ族とは異なるはずだ。少なくともそんな矜持が吹き飛んでしまっているのでは事故は、これからもきっと人為的な原因でまた起きるだろう。 

 この本では、大量死の大きな原因として、ガイドが顧客隊員の安全な登頂を助けるためにあらかじめ設置した固定ロープを使った登り降りの〝渋滞〟が挙げられていた。隊員のスムーズな行動を妨げたというわけだ。確かに、それもあるだろう。が、それは主因ではない。

 主因は、繰り返すが、ザイルというロープではなく、隊員とガイドとの役割分担の堅持という冷静さを保つ安全ロープが、8000メートル超えという登頂を目前にして切れてしまったことだ。このことがこのドキュメンタリーを読むとよくわかる。

 幸運な成功はある。

 しかし、不運な失敗はない。失敗には必ず合理的で、人為的な原因がある。

 ● 補遺 エベレスト版「氷壁」

 11_28_0 ナイロンザイルはなぜ切れたのかという実話をもとにした小説に

 『氷壁』(井上靖、1957年)

というのがある。映画にもなったが、エベレスト版とも言うべき映画にも

 「エベレスト 運命の山」(ヨゼフ・フィルスマイアー監督、2009年)

というのがある。ヒマラヤの大氷壁の登攀の話。地上8000メートルの真実というキャッチコピーもついており、当事者の世界的な登山家、ラインホルト・メスナーのメモをもとにした実話の映画化。

 ともに、映画は互いに信頼する二人の登山家同士で登攀中、一人が行方不明、一人だけが下山、何が起こったのかというストーリー。

 いずれも、自然の過酷さを描いている。これに対し、今回のドキュメンタリーは

 登山している人間の側にむしろ問題があった

という点で、優れた問題提起をしていると思う。

 Image2039_2 さらに、日本人で初めてエベレスト登頂に成功した植村直巳さんの

 『エベレストを越えて』(文春文庫、1984年)

も、面白い。隊を組んで、植村さんはエベレスト初登頂に成功した。しかし、この後、1970年代以降、なぜ単独でしか冒険に乗り出さなかったのか、その理由がわかる。人間関係のわずらわしさから逃れたかったのだろう。

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乗鞍の雲 わが青春の自転車行

(2014.11.22)  作家、井上靖さんのエッセイに

 穂高の月

というのがある。

 ずいぶん以前に書かれた随筆だが、

 「親しい友人数人とどこかで月を観ながら酒を飲もうということになって、その観月の酒宴を開く場所を考えた」

という一文で始まる。穂高を舞台にした名作『氷壁』を書くのに大いに役立った。のだが、この観月の酒宴は、その後の井上さんにとって山好きになるきっかけにもなった。

 井上さんの場合は、山というのは穂高岳のことであり、それ以外の山はほとんど登ったとがないと後に何度か語っている。

 ブログ子の場合、山といえば、乗鞍岳のこと。この山以外には、北陸生まれということもあり、そして仕事が金沢で長かったこともあり、立山と白山ぐらいしか知らない。今は静岡県に暮らしいてるのに富士山も登っていない。

 なぜ乗鞍岳か。

 それは今から45年近くも前にサイクリング用の自転車で山頂近くまで〝登った〟からである。平湯峠(1700m)からの急な上り坂を自転車を降り、乗っては押して、ようやく2900mまで登った。

 当時はまだ今のように舗装されておらず、砂利道。だから、バスの砂ぼこりを浴びながらの、半日がかりの自転車行だった。

 それが、右の写真(1969年か1970年の8月下旬撮影)。確か、日本人として初めて登山家の植村直巳さんがエベレスト登頂に成功する直前か、直後だったような気がする。

  11_19_02900m_2 乗鞍岳の最高峰(剣ヶ峰 = 3026m)近くで撮ったものだが、この日は天気がよく、はるか下に雲海がみえる。山頂近くの肩の小屋からつづら折のがれき道を少し登った平坦地。おそらく2900m前後の高さの様子だろう。山頂まであと100mの標高差。

 この撮影の後、すぐにガスがかかってしまった。それでも、ここで自転車から離れて、ひとり山頂の小さな祠にたどり着いたことを思いだす。

 山頂に近い肩の小屋では、近くの雪渓の雪をとかして飲み水として売っていた。

 一杯50円の水。

 これがとてもうまかったのを今も覚えている。その日は若夫婦が経営しているこの小屋でとまったのだが、満天の星が一時ではあったが、見ることができた。

 青春というか、若さというかそのときの勢いで、何気なく登った山ではあった。が、この小屋から星空を眺めたことが、ブログ子がその後の生涯にわたって天文学に強く心ひかれるきっかけになった。

 井上さん流に言えば、

 乗鞍の星

ということだろう。

 下山の途中、縁あって、小屋近くにあった乗鞍コロナ観測所を見学させてもらったのがなつかしい。

 ● マウンテンサイクリング in 乗鞍

 そんな思い出のあるブログ子だが、先日、NHK総合の番組「金とく」で

 2014年の全日本マウンテンサイクリング

という乗鞍岳を舞台にした自転車の競技大会を密着取材していた( 写真左 = NHK総合テレビ画面より )。

 毎年1回開かれるこの過酷な自転車レース、30年近い歴史があり、全国の自転車好きが数千人も参加するというから驚きである。

 Imgp6393in20141121 番組によると、標高差約1200メートル、20キロの通称、エコーラインを、なんと1時間弱で走破してしまうというのだから、びっくり。ゴールは山頂近くの鶴ヶ池(2700m)。大雪渓の近くだ。

 ブログ子のときもそうだったが、今でもこのエコーラインは、マイカー規制があり、バス、タクシー以外の一般車は通行禁止。自転車はOKで、乗鞍岳山頂近くの鶴ヶ池は、自転車で通行できる国内最高の標高らしい。

 優勝したのは、森本誠さんという自転車部品も開発している会社(近藤機械製作所)の30代社員だった。

 この人もまた、ブログ子と同様、自転車を通じて乗鞍岳に魅せられた。このことに、ある種の親しみを覚えた。

 ● 乗鞍の下の雲

 青雲の志という言い方がある。身を立て世に出ようと心に決め、故郷を離れることをさす言葉である。

 私の青春にとって、青雲の志を決めさせ、故郷を出るきっかけになったのは

  乗鞍の下の雲

だったといえる。それは忘れがたい思い出であり、シニアとなった今もブログ子の記憶のなかに静かに浮かんでいる。 

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リニア新幹線の収支 追記 

(2014.11.22)  以前、この欄で

 「リニア」は儲けなくていい 南海トラフ地震対策である

と書いた。詳しくは

 http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-ff2d.html

をみてほしい。

 これに対し、たぶんJR東海関係者なのであろう、ある読者から、

 民間企業が自前でやる事業について儲けなくていい

などということはありえないと指摘された。たとえ、リニアが代替の大地震対策であったとしても、やるからには企業として、どう転んでも行き詰ることのないよう、きちんとソロバンを弾いている。JR東海はそれほど愚かではない、とお叱りを受けた。

 要するに、この読者は、JR東海のリニア計画の資金繰りや経常収支をきちんと点検してみなさいと言っているのである。

 ● 長期債務残高を5兆円以内に

 そこで、いろいろ調べてみたのだか、わざわざそうしなくても、最近の朝日新聞が11月14日付で

 建設がJR東海の経営に与える影響について、1枚のグラフにまとめていた( 写真 = 教えて ! リニア  )。

 JR東海の新幹線は、約40万人/日という超優良資産。現在の売上高はほとんどこの新幹線によるもので、年約2兆円。税引き前の経常利益では年にして約3000億円前後。

 記事によると、総事業費は30年間で約9兆円。これは1年当たりにして約3000億円の投資であり、経常利益との間でバランスをとっている。

 2010年当初の長期債務残高は約3兆円で、今後事業が始まっても、長期債務残高が5兆円をこえないよう経営計画を立案しているという。それでも、今後の30年間にわたる計画期間中の経常利益を常に年500億円以上は確保するとしている。

 唯一の経営的な不安材料は、今の新幹線が今後も安定的に売り上げを生み出すという前提がゆらぐこと。南海トラフ巨大地震により、屋台骨の新幹線が長期にわたるような大きな被害を受けた場合、リニア計画は頓挫する。

 これを回避するには、開業から50年の新幹線の巨大地震対策を万全なものにすることだろう。

 リニア計画と現在の新幹線の防災対策は実は、セットなのだ。

 JR東海が、リニアの本格建設をスタートさせたのと同時並行し、今年から新幹線の補修防災対策にも本腰を入れ始めたのもここに理由がある。

 そして、表立ってはいないが、万一に備えて、リニアを在来新幹線に切り替えることも計画段階で視野に入れるなどリニアと新幹線の相互乗り入れ対策にもJRの内部で検討されていることだろう。

 これが、JR東海のいうリニアと新幹線の相乗効果でさらなる飛躍を図るという考えの真意であり、狙いだろう。

 ● 新幹線の地震対策 = リニア成功の核心

 このように、JR東海のしたたかさは件の読者の指摘どおりだと思う。

 新幹線の利用者の安全確保が企業経営の命である。そうとするならば毎年、毎年、優良企業として巨額の税金を払うのもいいけれど、それだけではあまりに能がなさすぎる。リニアでさらに飛躍するという使命を果すには新幹線という今の屋台骨の安全対策にこそ金を注ぎ込むべきである。このことがJR東海のなによりの経営の核心であり、リニア成功の核心だということになる。

 つまり、経営が安定し、軌道に乗っているときこそ、それに安住せず、実は次の手を打つ好機なのだ。

 その意味で、今のJR東海にとって30年、9兆円は、ポケットマネーとまでは言わないが、〝安い買い物〟なのだ。

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敗れたのは誰か 沖縄県知事選挙

(2014.11.19)  先日の沖縄県知事選挙は、ダブルスコアとまではいかなかったが、

 初挑戦の翁長雄志前那覇市長が、3選を目指した現職知事に圧勝

した。翁長氏は辺野古移設の断固反対派、現職知事は移設推進派。

 Imgp6307bstbs20141116 選挙翌日の各紙朝刊社説(11月17日付)は

 産経 = 政府は粛々と移設の前進を

 朝日 = 辺野古移設は白紙に戻せ

と意見が分かれた。

投票当日の週刊BS-TBS報道部( = 写真右 )でも、スペシャル番組のなかで辺野古移設をめぐって政府と沖縄が激突した( 政府から国家安全保障担当の礒崎陽輔首相補佐官(左端)、沖縄側からは前泊博盛沖縄国際大学教授が出席。森本敏前防衛大臣(中央)も)

 ● 尊厳回復に歴史的意義とは

 一方、地元紙、琉球新報の社説は、

 辺野古移設阻止を/ 尊厳回復に歴史的意義

と主張している。本土から差別されているという表現は避けてはいるものの、

 自己決定権がある

ということを強く打ち出していた。札束でその権利を封じようとする中央政府に対する沖縄県人の尊厳と誇りが、この大勝でようやく回復したという意味だろう。

 回復というのは、明治維新政府の本土編入決定の「琉球処分」以前に、あるいは主席公選制導入(1968年)の当時に、回復したということだと思う。

 こうした沖縄のこころ、いわば屈折した心情とはどのようなもので、どこから生じたものなのであろうか。

 このことを中心にいろいろ翌日17日付の記事を読んだ中で、もっとも正鵠を射たと思ったのは、

 敗れたのは誰なのか

という論説だった(下欄 = 2014年11月17日付「朝日」1面、松川敦志沖縄総局長)。

 とても鋭い論説であるので、あえて全文が読める形で、以下に引用掲載したい。

 ● 沖縄のこころ、本土の心

 「敗れたのは、私たちの政府、そして本土が、敗れたのである。」

と結んでいる。これを読んだとき、ブログ子は、

 沖縄のこころ、本土の心

のずれの大きさに、もっと言えば本土日本人の差別意識の根深さに、あらためて驚いたことを正直にここに書いておきたい。

 今回の知事選挙は、単に辺野古移設に賛成か反対かの選挙ではなかった。それは

 沖縄のこころと、本土日本の心

のズレを、埋めがたいほどに浮き彫りにした選挙だったと思う。

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握手はしても笑顔は見せない 外交交渉のすさまじさ

11_18_0 (2014.11.18)  日中首脳が握手している先日の中日新聞1面カラー写真を見て、ブログ子は

 こりゃダメだ

と直感した( 写真右 = 2014年11月11日付中日新聞。以下の2枚も同じ )。しかし、何がダメなのか、しばらくは理解できなかった。もちろん、握手している両首脳が、目と目を合わせ、にこやかに笑顔をかわしていないことに違和感があったのは事実。しかし、これはたまたまそうなったのであって、それほど重大であるとは考えなかった。カメラマンのミスと思ったりもした。

 ところが、この日のこの新聞には、北京でのAPECとあって、いろいろな国の首脳同士が握手しているのが載っている。

 たとえば、2面には、日露首脳が両国の国旗を背景ににこやかに握手しているカラー写真が掲載されている。

 11_18_2 中面の6面には、白黒写真だが、中韓両首脳がこれまた両国国旗の前で堅い握手をしている。もちろん、にこやかな笑顔である。

 そういえば、1面の日中首脳の背景には両国の国旗はしつらえられていない。正式な首脳会談なら、必ずある。それがない。

 このことを考えあわせると、中国の習近平国家主席がソッポを向いているのは、何も偶然ではない。カメラマンのミスでもない。あえてそうしている。

 ● 共同通信の解説

 どうしてそうなったのか。

 中日新聞だけでは、要領を得ない。ので、11月11日付静岡新聞朝刊を開いたら、共同通信配信記事「表層深層」にその真相が出ていた。

 10日昼に行なわれる日中首脳の会談をどういう形にするかについては、靖国参拝をしないという確約にこだわる中国と、それを断固拒否したい日本との間の外交交渉はギリギリのせめぎあいになっていたらしい。 

 記事によると、会談前日の9日夜になっても、折衝が続いた。日本側がわずかばかりの尖閣譲歩、つまり、意図しない不測の衝突を回避する

 海上連絡メカニズムの構築(いわば尖閣ホットライン)

というささやかな提案で日本側は妥協を図ったらしい。これとて、6年前の合意を再確認したに過ぎない。ホットライン構築というのは、日中に尖閣という領土問題は存在しないという日本側の従来の主張にも抵触しない内容であり、問題はないという計算である。

 11_18_120141111 さらに、その折り合いも不承不承ということもあり、

 「握手はしても、笑顔は見せない」

ということになったらしい。習国家主席は、このことを忠実に守ったに過ぎない。

 こういう経緯で、1面の日中首脳の握手がようやく実現したのである。互いの国旗が握手の場になかったのも、むべなるかななのである。

  安倍首相は、北京に出発直前の7日夜のBSフジ情報番組「プライムニュース」に生出演した。

 その中で、海上連絡メカニズムについて言及した上で、日中の首脳同士が直接話し合う

Imgp6164bs  「環境整備ができた」

と繰り返し、強調していた( 写真左 = 11月7日夜のBSフジの番組テレビ画面から )。

 しかし今回の結果をみると、環境整備ができたとまではとてもいえないのではないか。そんな印象をブログ子はいだいた。

 それにしても、

 握手はしても、笑顔は見せない、互いに目を合わせない、

というのは、なんともすさまじい。

 ● 日中改善の「中日」社説がむなしい

 こういうことがわかってくると、中日新聞が同日11日付の社説で

 3年ぶり首脳会談、日中改善の歩み着実に

という主張をかかげているのが、空々しくもむなしい。

 今はとてもそんな雰囲気ではない。1972年以来の日中国交正常化のなかで、現状はおそらく最悪の状況であろう。

 着実な歩みのための「地ならし」が先決ではないか。

 それについて、正常化の立役者、今は亡き田中角栄元首相の声を、ブログ子ならずとも聞いてみたいと思う人は多いのではないか。

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異様においしい、異様にそれらしい  その異様な真実

Imgp630220141116 (2014.11.18)  ブログ子も参加しているこじんまりとした学習会で、先日の日曜日、

 食品添加物を見極めよう

という話題を取り上げた。今月14日が「世界糖尿病デー」ということもあるのだが、講師は、ベテランの食生活アドバイザーの大村元子さん(写真右上= 左端奥。佐鳴台協働センター、浜松市)。

 テーマがテーマであるだけに、スーパーに並んでいるいろいろな食品の透明包装をそれぞれが持ち寄り、それらをテーブルに広げ、より具体的に話をすすめた。

 さらに、参加者のなかには手作りのティータイム用お菓子を持ち込んできたり、わざわざ甘すぎる、いかにも怪しい食品をみんなで食べみたりした。そしてこの買ってきたミニドーナッツはほんとに大丈夫?とその原材料ラベルを点検しながらワイワイと議論。時には爆笑したりするという会合となった。

 ● おいしい加工品にはトゲがある 結論

 Imgp630020141116 長期にわたって体に取り入れると発がん性が疑われるなど、いろいろと問題になる食品添加物。まず、それでは加工食品の包装のどこにそれが表示されているのか、という初歩から学んだ。

 それは、ラベルのなかの「原材料名」表示欄の最後のほう、具体的には、添加物の中でも使用量の多い

 調味料(アミノ酸等)より後ろの方

なのだ。ほかの添加物はこれに対し比較的に微量なので、その後ろに並ぶ場合が多いという。

 その上で、結論を先に言ってしまえば、

 異様においしい、異様にそれらしい

という食品には、異様にいろいろな添加物が入っているという異様な真実がある

ということだった。

 この結論をわかりやすく言えば、

 おいしすぎるものにはトゲ(不要な添加物)がある

ということだ。ほどほどのおいしさが自然、という自然な結論に至った。

 これをもっと縮めて言えば、昔からよく言うように、

 良薬は口ににがし

ということ。異様においしい食品はやはり不自然であり、危険、毒と心得よ、ということだろう。

 そんなことを学んだ楽しい一日だった。

 ( 写真左上=左端が講師の大村元子さん )。

 ● 原材料名表示のいろいろ

 11_17_9_1 加工食品に添加物を使うのは、おいしくする、見た目をよくする、できるだけ長く食品を安定、安全に保つという効用があるためだ。

 発がん性が疑われるなど、健康に悪影響が出るとしても、それはずっと後のことであるというところに、微量添加物の一層の恐さがある。

 おいしさ、らしさのツケは、今払わなくてもいいという恐さである。 

 具体的には、身近な加工食品の添加物では

 ソルビン酸などの保存料、サッカリンなどの甘味料、コチ二ールなどの着色料、亜硝酸ナトリウムなどの発色剤、リン酸塩など品質改良剤、BHAなどの酸化防止剤、PGなどの品質保持剤、TBZなどの防カビ剤、カラナギンなどの増粘剤

がある。カツオなどの生鮮食料品にはもちろん、添加物はない。こう考えると、なんだか、和食が安全なような気がしてくる。

  11_17_10_1_2 さらに具体的に、加工食品の表示ラベルの「原材料名」を掲載する(写真2点)。たしかに、最後のほうに添加物らしいものが並んでいる。

 右側の写真に示したように、(かっこ)をつけて非常に詳しく表示している加工食品があるかと思えば、逆にまとめて、

 穀物エキス、膨張剤

と記載しているものもある。

 学習会をつうじて、こうした表示の読み方を学んだのは、よかった。

 ● 何が問題なのか 添加物の背景 

 大村さんの話を聞きながら、ふと、かつて読んだ

 『別冊宝島 命を脅かす ! 激安メニューの恐怖』(宝島編集部、2010年)

という本のことを思い出した。

 本物よりおいしくてうまい激安メニューの裏側

を探ったものだ。裏側には添加物がある。そこには、「安くてうまい」世界のリスクの恐ろしさも、具体的なメニューそれぞれについてつづられている。10年、20年後に顕在化するかもしれないリスクを回避するには、

 安いのも、うまいものを求めるのもほどほどに

という警告がなされていた。

 学習会でもその名前が出ていたが、この本には

 添加物の裏側に詳しい安部司さん

のインタビューが載っている。

 たとえば、こうだ。

 「今、食品業界ではコスト削減のため、原料を別のものに置き換えることが日常的に行なわれてます。(中略) 安全性が疑われる無数の添加物が、微量の使用という理由で普通に投入されています」

という。

 「しかも、いったん舌が(添加物に)慣れてしまうと好んで添加物を摂るようになる。添加物の中には味覚を麻痺させるものもあり、(中略) 成人病やメタボリックシンドロームの原因にもなりかねません」

 安部さんには、『食品の裏側』(東洋経済新報社)という著書もあり、この警告はないがしろにはできない。

 ● 点検、具体的な添加物リスト

 最後に、安部さんが監修した添加物リスト(外食メニュー編)を、参考として下欄に掲載しておく(上記の「別冊宝島」より)。

 外食メニューでは、原材料がほとんどの場合、詳しくはわからないことが多い。ので外食派にとっては、このリストを参考により注意が必要だろう。というのは、リストでは、それぞれの添加物について、何が問題なのかを簡単にしかも具体的に解説しているからだ。

 家庭での加工食品やメニューの点検にも、おおいに役立つ(写真はダブルクリックで拡大可能)。ときどき、このリストを眺めてみるのも、食生活を点検したり、健康チェックのためにはいいかもしれない。

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好奇心×面白さ×実用性= 科学技術の文化的な価値

(2014.11.16)  一カ月ほど前、この欄(10月13日付、「注記」参照)で

 もう一つのノーベル物理学賞

というタイトルでブログを書いた。

 ● 再論 もう一つのノーベル物理学賞

 そのブログの「追記」として、後日、ブログで取り上げた北里大学医学部教授の馬渕清資さんが、バナナの皮はなぜあんなによくすべるのかというところから着想を得て、患者が喜ぶ人工関節にたどりつき、今年のイグ・ノーベル物理学賞を受賞したことを書き足した。

 馬渕さんは、その過程をつぶさに考察し、その結果を先日の「視点・論点」(Eテレ)のなかで「科学技術と文化」と題し、話をしていた。

 ブログの追記では、このテレビ番組を途中から偶然拝見した。だから、ブログ子は「やや意味のとりにくい話だったが」と断って「追記」を進めた。

 このことについて、ある読者から、NHKのホームページ「解説委員室」というところに、そのときの話の全容を馬渕さん本人がまとめていると、わざわざメールで教えていただいた。

 早速、読んでみたが、結論、つまり言わんとしていたのが、やはり

 科学技術の文化的な価値とは、なんぞや

ということだったという点については、まちがいはなかった。

 ただ、このまとめを読んで、そこに至る論理がようやく理解できた。そして、日本人にとって重要なことを指摘していることに気づいた。

 ● 研究のための研究でいいか

 それを、ブログ子流に、わかりやすく数学の等式で表すと次のようになる。

 好奇心×面白さ×実用性= 科学技術の文化的な価値

というのが、馬渕さんの言いたかったことではなかったか。

 天文学などのように、不思議や神秘を知りたいという人間の本性から出る好奇心。

 そして医学などのように、役に立つものという社会側の求める強い実用性。

 その間をつなぐのは、

 一見別なもの同士を結びつけるなどの意外性という面白さ。

 この3点セットがそろったとき、科学技術の文化的な価値は最大になるというわけだ。

 研究が実用性一点張りでは、当然ながら文化的な価値はない。さりとて、好奇心とは無縁の無味乾燥な

 「研究のための研究」

では、これまた文化的な価値はない。

 3点セットのうち、ノーベル賞の選考は好奇心と実用性というより人間の本性に重きを置いて評価する。これは西欧式ともいえる。これに対し、イグ・ノーベル賞は、面白さと実用性という、より社会性を尊ぶ。米国式であり、いかにも発明王、エジソンの国らしい。

 しかし、いずれも、単に、実用性ということだけでは評価してはいない。この点では、これらの賞に共通性がある。

 ● 科学・技術は経済の道具か

 ところが、日本はどうか。

 科学や技術の文化的な側面については、日本人は明治期にそれらを手っ取り早く輸入にたよった。取り入れるかどうかの評価は実用性のみだった。そのため日本人は科学や技術を経済の道具としかみなかった。今もその伝統はまだまだ根強い。国民一般もそうだし、専門家もそれをほとんど疑わない。せいぜいが〝飾り〟にすぎないと思っている。

 この科学・技術には文化性などはないという日本人の心性は、科学の発祥の地、欧米の心性とは大きな違いである。

 ● 実用性を超えた何か

 馬渕さんは、この点について本来持つ文化的な側面を自らの受賞体験をもとに

 科学や技術には実用性を超えた何かがある

ということを喝破し、それをバナナという具体的な形で日本人に鋭く指摘したのだと思う。正鵠を射たというべきだろう。 

 ただ、惜しむらくは、そのことを、番組自身でもユーモアと笑いに包んで話を面白く展開してくれていたなら、大きな反響が期待できただろう。 

 ● 注記 もう一つのノーベル物理学賞

 http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c037.html 

 

 

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悪文の上手な書き方 

(2014.11.13)

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再論 地震学者の刑事責任は問えるか

(2014.11.12)  自宅近くのレストランで、きのう夕方コーヒーを飲んでいたら、静岡新聞夕刊(11月11日付)の中面に、

 予知失敗 6人に無罪 / 伊ラクイラ地震 (2009年)

という記事が出ていた。2年前の1審判決では、安全宣言を出すなど不適切な情報提供を理由に起訴された科学者ら7人全員に禁固6年の実刑が言い渡された。科学者も行政担当者も全員有罪。この一審に対し、高裁は行政担当者のみを有罪とした。

 この判決は、科学者には刑事責任はなかった認定したと言うべきなのだろうか。そうではないと思う。高裁は、法の厳格な適用に徹し、確実な証拠がないことから、その判断を避けたに過ぎないと思う。完全なシロではない。

 どういうことか。

 はっきり言えば、地震の予知が確実にはできないことと、だから安全だということとは、論理的にはまったく別次元の話だと判示したのだ。

 なのに、行政はこともあろうに安全宣言を出した。この粗雑さが問題なのだと高裁は判示したにすぎない。仮にこの粗雑さに科学者が関与したことが明らかになれば、当然だが、行政担当者同様、有罪であろう。

 ● 伊ラクイラ地震の裁判

 今回の高裁判決では、残りの一人に対しては大幅に減刑はされたものの、安全宣言を出したという過失があったとして執行猶予付きの禁固2年。最高裁でさらに争われる見通しだという。

 その場合の争点は何か。

 1審については、このブログでも、取り上げた。

  不気味な微小地震が頻発していたのだが、分析に当たった地震学者はそれらをもとに大地震を具体的にいつどのくらいの大きさのものが発生するのかということまでは予知することはできなかった。なのに、大地震が起きるとさわぐ人々がいることもあって、行政当局は予知できないことを根拠に安全宣言を出した。それを住民が信じたことで被害の拡大を招いた。

 このブログでも、そのことをもって業務上過失致死傷罪について、かかわった科学者らの刑事責任を問えるかというテーマを取り上げた。詳しくは

  http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-38ee.html 

を参照してほしい。

 問題はどの程度、科学者が安全宣言を出すことに関与したかという点だ。常識的には、そんな宣言など、科学的には出せない。また、科学者が出すはずもない。だが、行政は出した。

 ● 行政の情報提供の適否が争点

 法律論一般で言えば、原因と結果の因果関係に相当性があり、その原因の予見性とそれがもたらした結果の回避性があったかどうかが、業務上過失致死傷罪の成否では焦点になる。

 しかし、高裁は、どうやら、地震発生の予見性については、地震学の問題であり、判断を避けた。つまり、論点を法律論に限定した。このことが、科学者の刑事責任について判断することを避ける結果に直結した。

 予見性があろうが、なかろうが、行政の住民への情報提供の仕方が不適切だったとして、すくなくとも行政担当1人については有罪と判断した。つまり過失があったと認定した。不適切というのは、具体的には、安全宣言を出すのに必要な具体的な根拠がないのに安易に安全だと宣言をだしたこと。

  それだけであって科学者に責任がなかったとまでは判示していない。法律論的に有罪にする根拠がなかったのだ。

 有体に言えば、予見ができる場合はもちろん、たとえ予見ができない場合でも、行政からの情報の提供については、なおざりであってはならないということだ。被害拡大を防ぐ上で業務上当然払うべき注意義務にしたがって慎重に扱うべきだと判示した。なのに安全宣言を出した。これに対し、高裁は言語道断としたものと受け止めたい。

 ● どこまで問える科学者の責任

 わかりやすく言えば、大地震だ、大地震が来ると騒ぎ立てる一部の人々がいるなか、多くの住民の心を鎮めるためだったとはいえ、具体的な根拠もなく安全宣言を出すなど、とんでもないことだと、行政当局をしかりつけた。

  この点で、宣言発表にあたった行政担当者は、しわ寄せ、いわば〝割を食った〟気の毒な立場だったといえるだろう。なぜなら、おこるのか、おこらないのか、科学者のあいまいな態度も問題であったからだ。

 このことが、つまり、予知できないのだから、あるいは大地震が起こるかもしれない。だから安全宣言など出すべきではないと、なぜ科学者たちは言わなかったのか。このことをあいまいにしたことは業務上過失致死傷罪にあたるのではないか。グレーゾーンではあるが、最高裁の場での争点だろう。

 こう考えてくると、今回の判決は、地震の予見性という科学的な問題うんぬんではない。現時点の科学水準では予知できないのに、なぜ安全宣言を出したかという情報提供の仕方の適否の問題だと思う。

 イタリアの最高裁はどうさばくか。地震の予知の不確実性がかなりあるなかで、地震学者の刑事責任はどこまで問えるのか。地震国、日本も無関心ではいられないだろう

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自分で自分の限界をつくってはいけない

(2014.11.12)  「静岡県の三浦雄一郎さん」と呼んでもいいような鉄人がいる。今夏7月、1673回目の富士山登頂に成功し、回数で日本一となった

 實川欣伸さん、71歳

である(これまでの記録は、強力(ごうりき)の梶房吉さんの持つ1672回)。登山歴30年で達成したのだが、最近では1日に2回も登頂する。年間200回登頂も目標にしていたというから、一度も登頂したことのないブログ子ならずとも驚くのではないか。

 ● 静岡県の三浦雄一郎 

 先日、BS日テレで、その實川さんの登山人生を「にんにく健康物語」というタイトルで放送していた。パワーの元が、ブログ子も好きなにんにくというのも気に入った。

 その登頂に成功した当日の富士山頂での言葉がまぶしかった。

 「きょうからが新たなスタート。自分で(自分の)限界をつくってはいけない」

とにこやかに笑って、話していた。三浦雄一郎さんも80歳で、昨夏(2013年)、3回目のエベレスト登頂成功し、

 「挑んではいけない夢はない」

と話していたが、それに通じる言葉であろう。

 ● エベレストは泣いているが   

 実は、番組によると、實川さんも今春、国際隊ガイドの案内で

 エベレスト初登頂

に挑んだ。しかし、登頂直前の歴史的な大なだれで、頂をまじかにしながら登頂を断念せざるを得ないというにがい経験をしている。下手をすると、命を落とす悲劇が待っていた。

 このブログでも書いたが、押すな、押すなの

 頂上満員でエベレストは泣いている

状態なのだ(=  http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-af9a.html )。夜中は夜中で、シーズン中はラッシュアワー並みの混雑らしい。

 Image2037 そんな現状はいつごろから始まったのか。

 10年前の手元の情報誌「選択」2004年7月号

  「エベレスト登山への招待」( 写真 )

によると、10年前にはもう、山頂は今日と変わらない賑わいだったらしいことがわかる。それに伴い、死亡事故も増えているという。

  ● すべて自己責任で限界に挑む

 この記事によると、イギリス隊の初登頂から50年、いまやエベレスト登山は

 安全確保を他人任せにしている「高所遠足」ツアー

と化しているらしい。

 それでも、登る人の限界への挑戦は、当然だが完全な自己責任の世界。だからこそ、そこに甘美な世界がある。

 あなたは、なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ。ではなく、

 そこに(自己陶酔的な)甘美な世界があるからだ。

 義務の仕事でもないのに、そして苦しい思いをし、それでも、すべて自己責任で限界に挑む。いかにも、人間らしい行ないといえば、いえるであろう。

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牛乳は健康に良い食品ではない ?  

(2014.11.08)  ブログ子も、ご多分にもれず、シニアになってから、便秘で悩むことが多くなった。歳のせいで腸のぜん動運動が弱まっているからだろう。しかし、この便秘を少しも恐いと思ったことはない。

 Image2025 なぜなら、どういうわけか、ある特定の牛乳を飲むと、下痢というほどではないが、おなかがゆるんで、たいてい翌日はすっきり便秘が治るからだ。

 それも、コップに半分なら少しゆるむ。急を要するひどい便秘ならコップに2杯飲むと必ずその日のうちにトイレに行きたくなるのだから、大変に重宝している。

 牛乳は健康に良い食品であるのはもちろん、便秘薬としても優れている

と思っていた。年1回の住民検診でも、診察していただく内科医にこの件を話すと、

 「そういう利用をお勧めはしません。しかし、それで便秘が改善されるのなら、まあ、いいでしょう」

と、どの先生もやや戸惑った返事をする(写真上= あるスーパーの牛乳コーナー)。

 ● 飲みすぎは「健康に悪い」とスエーデン研究

 そんな折、ネットでニュースを見ていたら、なんと

 (大人の)牛乳の飲みすぎは健康に悪い ?

という記事が流れていた。

 Imgp6055_2 このAFP=時事が伝える記事(10月29日配信)を読んでみると、発表したのはスエーデンの研究チームで、発表先は世界的な評価を受けている英医学専門雑誌(写真)。

  要約すると、大人で牛乳摂取量の多い人は、少ない人に比べて寿命が短くなる傾向がある。とくに女性では、むしろ骨折が増える傾向だという。

 さらに研究チームによると、牛乳摂取量が多くなると、むしろ「死亡率の増加と関連する可能性がある」と慎重な言い回しで警告している。

 さまざまな因子が複雑に関与するこの種の調査に共通する欠陥はある。たとえば、カルシウムが多く含まれる牛乳を多く飲んだからといって、それが直ちに骨を太くし、強くするとは限らない。骨ができるには、日光にあたったり、適度な運動も必要だからだ。とりすぎの弊害で、骨がもろくなるということだってあるだろう。

 また、日本人にもただちに当てはまるともいえないだろう。スエーデン人の体質に特有かもしれないからだ。

 しかし、だからといって、この大規模な疫学的な研究の結果がいいかげんであるとまではいえないだろう。

 なぜなら、偶然の可能性も排除はしていないものの、女性については、約6万人を約20年間追跡されており、男性についても、4.5万人を約11年間も追跡しているなど、かなり大掛かりな疫学的な調査であるからだ。

 確定的な結論を得るには、調査サンプルの均一性や、調査で申告された牛乳の摂取量がどの程度正確なのかという点の吟味が必要だろう。

 ● 日本人の多くが乳糖不耐症

 Image2035 この研究で思い出したのだが、かつて10年前に購読していた

 3万人のための情報誌「選択」(2004年7月号)

にも、

 牛乳は良い食品ではない

という記事が出ていた(写真右)。アメリカ国内の事情を中心にわかりやすく解説されている。サブタイトルは「こんなにある危険因子」。

 たとえば、

 「牛乳を飲むと下痢をしてしまうという人は少なくないが、こういう人は、乳糖の消化に必要な酵素(いわゆる乳糖分解酵素、ラクターゼ)を備えていない」

 ブログ子もそうなのだろうが、この酵素を備えていないと、乳糖を分解できないので下痢などになる。これを乳糖不耐症というのだそうだ。大人の日本人にはたいていこの症状があるという。これは牛乳アレルギーとはちょっと違うらしい。

 ではなぜ、人間にしろ、牛にしろ赤ちゃんはあんなに牛乳を飲んでどんどん元気に育つのだろう。

 この疑問に対するこたえは、赤ちゃんは乳児期にはこのラクターゼ分解酵素をたっぷりと持っている。だから下痢などしない。しかし、離乳期になると、この酵素はなくなっていく。大人ではないのが普通らしい。

 つまり、赤ちゃんにとっては牛乳は健康にとても良い。下痢などはしない。だからといって、大人の健康にも無条件に良い、というような短絡的な単純論理は通用しないというわけだ。

 ● 牛乳神話を一度は疑う

 さらには、

 「近年、牛乳の多飲が、骨粗しょう症の予防に効果がないばかりか、骨の脆弱化を助長しているという見方が有力になっている」

とも、縷々データを示し指摘している。

  記事では、

 牛乳は飲めば飲むほど骨が弱まる

との刺激的な見出しになっていたが、今回のスエーデンの結果と軌を一にする話ではないか。

 ともかく、世の常識に反して、

 牛乳は無条件に健康に良い影響を与えるとはいえないようだ。少なくとも証明はされていない。

 このように牛乳神話はアメリカでも、ヨーロッパでもゆらいでいる。

 だから、学校給食で培われた日本の根強い牛乳神話も一度は疑ってみる必要がある。

 これが、便秘に悩むブログ子の今度のニュースを読んだ結論である。 

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「左側のない男」のつぶやき

(2014.11.10)  世の常識を疑おうという意味で、このブログのタイトルを

 左側のない男

とつけているのだが、訪れてくれる人のなかには、ときどき

 お前は右翼か、あるいは右派なのか

というメールが届く。思わず、うれしくなって笑ってしまう。のだが、世の中には、本当に、つまり医学的に左側が存在しないという驚くべき〝患者〟がいる。10数年前、ブログ子が実際に医療機関で会ったのは中年の女性だった。その人のとても信じがたい行動に大変な衝撃を受けたのを今も記憶している。

 Image2031 その行動を拝見し、人には左右があるのは当然も、当然なのだという常識が、いっぺんに吹っ飛んでしまった。そのときのショックを忘れてはなるまいと思い、ブログ名にしている。

 真意は、そうなのだが、このタイトルはいろいろな意味に解釈可能。タイトルをどういうふうに解釈してくれるかによって、訪れてくれた人の性格、あるいは思想信条、あるいは教育の程度までが、推し量られたり、垣間見えたりする。ので、ブログ子は、このタイトルをとても気に入っている。

 ● 「消費税10%引き上げ」各紙世論調査

 お前は右翼ではないかと言われたこともあり、ここでは最近の共産党機関紙

 「しんぶん赤旗」(2014年10・11月号外)

の興味ある記事を紹介してみたい(写真上)。もう一つは、「みなさんからの願いを県政・市政に届けます」という、浜松市を中心に発行されているこれまた共産党「市民しんぶん」(2014年10・11月号、写真下)。

 「聞く耳持たない安倍「暴走」政治として、

 消費税10%引き上げ、原発再稼動について、最近の全国各紙(9月付)の世論調査をまとめて掲載している。

   消費税10%引き上げについては、読売、朝日、毎日、日経のいずれも

   賛成が20%台 なのに対し、反対は70%前後

と大きな開きがある。

 市民を対象にした「市民しんぶんアンケート調査」(回答者約600人)でも、

 消費税増税については、賛成が16%に対し、反対は71%

と、全国紙とおおむね似た傾向にある。

  ● 再稼動の世論調査   

 Image2033 原発再稼動については、

 時事通信、朝日、毎日、日経のいずれも

 賛成が30%台なのに対し、反対は50%台

という結果(朝日の賛成は25%とやや低い)。「市民しんぶん」のアンケートでは

 浜岡原発再稼動に賛成が13%なのに対し、反対は73%

と全国紙の場合よりも賛成反対の開きが大きいのが特長。浜岡原発というのは回答者にとって具体的で、身近な問題であり、迷うことなく本音が素直に出た結果であろう。

 ● 辺野古基地移設

 赤旗では、普天間基地の辺野古(名護市)への基地移設について、最近の琉球新報・沖縄テレビ放送合同世論調査の結果も紹介している(今年8月実施)。

 それによると、移設賛成が約20%なのに対し、反対(中止すべきだ)が約80%

と圧倒的に反対が多い。

 この結果からすると、移設の可否を最大の争点とする11月16日の沖縄県知事選挙では

 圧倒的な差で、中止をかかげている反対派が当選する

ことになるだろう。

 問題はどの程度の差、たとえばダブルスコア以上の差なのかどうかということになる。それによって、今後の沖縄県政の動向は大きく変化するだろう。

 そんなことを教えてくれた共産党の機関紙だった。

 たまには、共産党機関紙をじっくり読むのもいい

と「左側のない男」は思った。

 

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座頭市の目、生物の目

(2014.11.09)  偶然に見たのだが、先日、BS朝日で

 「座頭市」(監督・脚本北野武、原作=子母沢寛。2003年)

という映画をやっていた。そして、驚いたのだが、座頭市というのは、勝新太郎のはまり役だったと思っていたのに、この映画は、

 ビートたけし

だった。異色のヒーローが仕込み杖で、悪をバッタ、バッタと痛快に切りまくるというのは同じ。いわば

 必殺 座頭人

という面白さがあった。

 ● ビートたけしの「座頭市」

 映画の終盤にさしかかるまでには、数十人の「悪」をそれこそ、問答無用のめった切り、根こそぎ血祭りにしていた。それだからか、テロップに、凄惨なシーンがありますという趣旨の注意も出ていたくらいだ。いかにも北野武らしい凄みがあった。

 それぐらいしなければ、とても勝新座頭市にはかなうまいとも思った。

 ところが、最終盤では、様相がガラリと変わった。

 大勢の民衆が祭りだいこにあわせてタップダンスをするのが、ラスト。

 エンターテインメントの演出だが、驚いたのは、そのラストのラスト、盲人座頭市役のビートたけしが、ちょっとこっけいな声色で、こういったのだ。

 (私のような盲人が)「いくら(こうして)目ん玉、ひんむいても、見えねえものは見えねんだがなあ」

と。ものをみるというのは、何も目ん玉だけではないのだといいたかったのだ。耳を澄ますと空気の音が聞こえてくる。空気だけでなく、その場の気配でものがみえてくることもある。目明きは、それに気づいていない。

 そういっているのだ。目明き中心主義批判といってもいいだろう。

 鬼才の面目躍如の映画だったが、ふと思った。

 この座頭市の目、生物にもあてはまるのではないか

と。人間中心主義の愚かさを、この映画はからかっているのだ。

 これは、世の常識を疑うことをテーマにしているこのブログにとって大変に重要な指摘であると思う。

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宇宙に終わりはあるか ダークマターの「家康、秀吉、信長」論

Imgp6120 (2014.11.08)  毎年、文化の日に開かれる

 浜松コンファレンス「新しい文化論」

というのを楽しみにしている(主催は浜松市の光科学技術研究振興財団)。今年も案内が届いたので、出かけた( 写真右)

 文化論はもう30年以上続いているらしい。この企画は科学や技術にかかわる講演会とピアノなどによる音楽コンサートの2部構成というユニークなもの。人間の教養というのは理系と文系の融合によって初めて成り立ち、いずれが欠けても本当の教養とはいえないという考え方なのだろう。

 その通りだと思う。

 ● 見えている物質は宇宙のたった4%

 今年の演奏はイングリッシュホルン×ピアノデュオ。ピアノは浜松市出身の今仁喜美子さんだった(今仁= いまに)。後の講演会のほうは

 11_05_02014 宇宙に終わりはあるか

という壮大なテーマ。講師は、理論的宇宙論研究者の村山斉さん(斉= ひとし。東京大学国際高等研究所)。最近の理論研究と観測によって発見された謎の物質(ダークマター)と謎のエネルギー(ダークエネルギー)についての最新の話は、いかにも文化の日にふさわしく、とてもエキサイティングだった。

 この問いかけに対する結論を言ってしまえば、

 おおいにある

というものだった。最新の宇宙論の成果によると、

 宇宙の最後は、観測的に確かめられている空間の加速膨張により、空間内にある物質も光も急速に薄まって、ついには宇宙空間は〝引き裂かれ〟てしまうという結末を迎えるのではないか

というものだった。

 宇宙のこの不思議な急速な加速膨張が何によって引き起こされているのかという原因については、今のところ謎。そういう意味で、その原因をつくりだしているものを仮に

 ダークエネルギー

と名づけられているらしい。

 Imgp6113 もう一つ、この講演会では

 ダークマター

という言葉も登場していた。

 こちらのほうの謎は何かというと、私たちが現在知りえているすべての宇宙のなかにある物質を考えに入れても、現在の宇宙をつくりだすには、あまりにその量が少なすぎるという謎があるというのだ。

 さまざまな理論研究や観測事実(WMAP、2003年)を総合すると、こんな少ない物質では、銀河団などのような宇宙大規模構造などできるはずがない。つまり、宇宙は生まれたときと同じような一様な顔の「のっぺらぼう」のままのはずなのに、銀河や銀河団が互いにネットワークをつくりだしているのは何故なのか。

 これがダークマターが登場してきた理由だという。

 ではどれくらい少ないのか。

 現在のような宇宙の構造をつくるのに必要な物質の量に対し、これまでに見つかっている宇宙にある重力物質の量は

 たったの15%

だという。こんなに少ないというのは、人工衛星など最近の宇宙観測技術のおそるべき精密さを考えると、単なる観測的な誤差とは、いくらなんでも考えにくい。何かここにはきちんとした原因があるはずである。

 ダークエネルギーは物質ではないが、エネルギーと物質とは等価であり、その交換比率はわかっている。そのことを利用すると、

 ダークエネルギー73%、ダークマター23%、普通の物質4%

だという。

 夜、われわれが美しい星空を見上げて目に見えているのは、全宇宙の物質+エネルギーのうち、たった4%の姿でしかない

というのは、驚くべき事実である。

 ● 地下1000メートルで 

  村山さんによると、宇宙の加速膨張を生み出しているダークエネルギーの発見者に対し3年前にノーベル物理学賞が与えられた。しかし、その正体は何かということになると、現在もまったく見当もついていないという。

 それでは、もう一つの謎のダークマターはどうか。

 これを講演で展開して見せたのが、村山流

 Imgp6145_2 「家康、秀吉、信長」論

である。

 手元に置いたウグイスがなかなか鳴かない。この春告鳥の美しい声を早く聞きたい。その時、辛抱強い家康は

 「鳴くまで待とう」

と言ったという。これにちなんで、

 辛抱強く、ダークマターというウグイスを、2010年以来観測し続けているのが、

 XMASS-I ( 東大の神岡宇宙素粒子研究施設、IPMUの鈴木洋一郎教授らの実験グループ )

だという。地下1000メートルに設置した特殊な観測機器でダークマターの探索を続けている。正体候補についてある程度の絞込みはすすんではいる。ものの、まだ正体をつかんではいない。まだウグイスは鳴いてくれてはいないわけだ。

 そこで、ヨーロッパ共同の素粒子実験研究施設では、

 「鳴かぬなら鳴かしてみよう」

とばかり、待つのではなく、実験でダークマターの存在をもっと積極的に証明してみようという挑戦が始まっているという。ヒッグス粒子の存在を昨年夏に実験的に証明してみせたCERNだが、そこでのアトラス計画である。

 この壮大なプロジェクトもようやく動き出したばかりで、今後数年が正念場だという。

 互いの成果が一致をみたときが、ダークマター正体のばれる日だろう。

 ● 既存の理論の見直しも

  しかし、一致を見なかったときは、どうなるか。

 最後に、鳴かぬなら殺してしまえといった信長流の研究手法。

 これについては、詳しい言及は村山さんからはなかった。

 しかし、こういうことだろう。

 観測では鳴かなかったのだから、その観測の基礎になっている理論を殺してしまえ、というわけだ。理論の再構築である。

 こうした信長的な、はっきり言えば革命的な理論が登場する日が来るかもしれないという予感を感じさせる

 宇宙に終わりはあるか

だったように思う。

 宇宙に終わりは、あるいはあるかもしれない。しかし、そのなかで生きる人間の知的な好奇心は永遠になくならない。そんな強い信念をいだかせてくれた「新しい文化論」講演だったと思う。

 以下の写真は、2011年11月の「新しい文化論」での鈴木洋一郎教授の講演録パンフと、ダークエネルギーの謎に迫った世界的な宇宙論学者、佐藤勝彦氏の著書。

Image20294_2   

 ( 写真下=  上はブログ子がかつて読んだブルーバックス。その下は、宇宙好きのブログ子の仕事場。右手のふすまにビッグバン宇宙の進化の様子を示した模式図がはってある。いずれもダブルクリックで拡大可能 )

 Imgp6153

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 ● 最近の研究成果について 2014年11月9日記

 2014年9月18日発行の米物理学会誌(PRL)に、ダークマターの有力候補の一つだった

 Super-WIMPは候補から外せる

との実験結果を、以下の論文にまとめている。電子の質量くらいの軽いWIMPは候補から排除できるとしている。

 やはり、プロトンの100倍程度の重い素粒子がいまのところ最有力候補なのだろう。

 この成果の話は、村山講演ではまったく言及がなかった。これは同じ研究仲間の業績であるだけに、意外である。

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不思議なインタビュー ? どうした「毎日」

(2014.11.06)  文化の日、11月3日、何か文化的な香りのする記事はないかと、その日の朝刊各紙をめくっていたら、毎日新聞が文化の日特集として、

 村上春樹さん単独インタビュー(11月3日付朝刊)

を掲載していた。

 「孤絶」超え 理想主義へ

という大見出しがある(インタビュー構成は大井浩一)。団塊の世代のブログ子の一つ下で作家の村上氏(65歳)が今何を考えているのか、という点で貴重な記事だと思った。世界的にも高名な作家であり、またなかなかインタビューに応じない作家としても知られているので興味を持った。このブログでも、何回か、批判的に取り上げたこともあり、余計に気になったのかもしれない。

 ところが、大井浩一(肩書きは紙面にはないが、たぶん毎日新聞編集委員)氏が構成したこのインタビューの記事、不思議な記事であることに気づいた( 末尾に「重大な注記」 )

 単独取材なのだから、たいていはこれ見よがしにインタビュー時の写真を掲載する。しかし、紙面にはそれがない。あるのは、「村上春樹事務所提供の<ロンドンで8月>」という写真説明のもとに村上氏が一人ポツンと写っている、いわゆるポーズ写真1枚だけ。しかも、いつ、どこでインタビューしたのかというこの種の記事には必須の項目が紙面にはまったく含まれていない。

 ● 村上春樹に単独インタビューだが

 これでは、まさかとは思うが、そして失礼だとは思うが

 ほんとに単独インタビューしたのかな

という疑問がぬぐいきれない。

 編集委員がまとめたにしてはお粗末すぎるが、内容の論旨は、編集委員が構成しただけに、一応、首尾一貫している。

 それを短くまとめると、こうだ。

 春樹氏の世代(団塊世代)は

 「世界は良くなっていくはずだというある種の理想主義を持っていた」

 同世代のブログ子もこの認識にはまちがいはないと思う。その通り。

 「理想主義は人と人とをつなぐものですが、それ(他人と心を通わせること)に達するには、本当にギリギリのところで一人にならないと難しい」

 「(僕らが1960年代に持っていた)理想主義を、新しい形に変換して引き渡していくことも大事」

 「その作業はステートメントの言葉ではなかなか伝わりません。軸のない世界に、「仮説の軸」を提供していくのが、フィクションの役目だと信じています」

として、インタビューを結んでいる。

 このインタビューを構成したのは大井氏だが、インタビュー取材をしたのが大井氏かどうかは記事でははっきりしない。

 当然ながら、つい最近の話題としてインタビューのなかで話がおよんでいいはずの

 今年もノーベル文学賞〝落選〟

という話題にも、まったく一言も言及されていない。

 ただ、村上氏のこの考え方を最近小説化した孤絶の短編集

 『女のいない男たち』(2014年4月)

は、しっかり紹介されていた。確実なのは、この本が発行された2014年4月前後以降に、このインタビューが行なわれたということだけだ。ひょっとするとインタビューは半年も前というのも妙な話。

 そんなこんなで、この記事はとても不思議なのだ。

 この不思議さの裏に何があるのだろう。

 理想主義うんぬんとはほど遠い違和感がこのインタビューにはある。

  ● 重大な注記

 実は、この特集(8面)には、

 1面に本記

という案内がなかった。これがブログ子の無用の不審を招いた。というのは、1面の本記には、

 8面に特集

と案内があった。しかし、その8面には、本記が1面にあることを知らせていなかった。

 これが不思議な紙面だと、あらぬ疑いをかけられた原因。

 インタビューが載った11月3日付の東京朝刊1面には、大井浩一の署名の入りで、

 「東京都内で本紙(毎日新聞)の単独インタビューに応じ」とある。

 「本紙の取材に応じるのは2009年以来、5年ぶり。(8面に特集) 」

ともあり、写真も掲載されていた。

 ただ、その写真はカラーの顔写真にすぎず、インタビューしている現場写真ではない。クレジットは「村上春樹さん- 村上春樹事務所提供」。この記事は、まだなんか「変」。

  それはともかく、関連記事の表示に、もう一工夫を望みたい。

 なぜなら、読者は新聞を1面から順番に読むとは限らないからだ。

  

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ゴッホへの返信 - 『ゴッホの手紙』を読む

(2014.11.06) 

  ヴィンセント・ヴァン・ゴッホさま。

 お手紙拝見しました。浮世絵の国、日本から、突然、返信をさしあげます。というのも、先月、古九谷のふるさと石川県加賀市の

   硲伊之助美術館

を訪れたときのことを思い出したからです。その折、片隅ではありましたが、あなたの書いた膨大な手紙を日本語に直し、弟、テオドル宛のものなど宛先別にまとめた書簡集

 『ゴッホの手紙』(硲伊之助訳、岩波文庫、1955年、写真)

を見つけたからです(硲= はざま)。あなたがお生まれになってからおよそ100年後、お亡くなりになってからでも60年以上もたってから翻訳されたものです。

 Imgp5353かも翻訳されてから60年近くたつ今の時代、そして国柄のことなる日本では、セピア色にくすんでおり、それほど意味のあるものではないとは思いながら、それでも手にとってみました。

 ところが、その内容にとても驚きました。手紙数の多さもさることながら、その中身が具体的な生活の詳細にわたっていたからです。

 そして、もっとも驚いたのは、その生活の詳細が色で語られ、色彩の鮮やかさで表現されていたことです。理系育ちのわたしですが、芸術とは、こういうものかという衝撃を受けました。

 ● 二つの結論 絵を描くということ

 あなたは、第1信の若き画家、ベルナールに宛てた「このあいだ急に君を振り切って別れたのをあやまりたいと思う。この手紙でまずそれを果して置く」で始まるこの晩年にしたためた書簡集で何を語りたかったのでしょう。そして何と闘っていたのでしょう。一言で言えば、わたしが衝撃を受けた正体はなにか、ということです。

 書簡集にはあなたが投函した膨大な手紙はあります。が、ベルナールあるいは弟、テオドルからどのような返事が届いたのかについては、書簡集には載っていないので、わかりません。

 何度も読み返すうちに、何を語り、何と闘っていたのかについて、100年後に生きているわたしは次のような結論に到達しました。それをお知らせしたくて、ここに、頼まれてもいない返信をさしあげたのです。

 その第1の結論とは、

 絵を描くということは、描く対象を通して描き手の生活を表現することであり、この二つを分離することはできない

ということではなかったでしょうか。しかも、そのことを絵具の色の持つ遠近性で画布に表現しようと闘っていたのではないでしょうか。その着想は、あるいは浮世絵から得ていたのかもしれません。

 すこし大げさに言えば、浮世絵を通じて自然と人間とは一体のものであるという東洋思想の考え方を感じ取り、それを西洋の油絵に取り入れようとしていたともいえましょう。客体と主体の分離を当然だとする西洋思想にはなかなかない考え方です。

 こう考えれば、よく言われるあなたの生涯の悲劇性は理解できます。それはあなたが天才だったからではありません。西洋絵画と闘っていたからです。その唯一の味方だったのが、日本から届いた浮世絵だったのでしょう。

 書簡集の第2信(ベルナール宛。1888年3月)のアルルの空気は

 「澄んでいて、(風景の)明解な色の印象は日本を想わすものがある」

というアルル到着の第一印象を日本の風景にたとえて記述していたのを拝見し、私は大変うれしく思いました。

 先の第1の結論から出てくるもう一つの結論は、あなた自身お気づきになっていなかったと思うのですが、

 お書きになった膨大な色彩に富んだ手紙自身が、弟、テオさまと共同でおつくりになった、そして言葉でつづられた絵画作品だった

という点です。「ゴッホの手紙」というタイトルの絵画作品なのです。

 これを第1の結論との関連で言えば、生活をつづったはずの手紙が、絵画作品となったということです。これが色彩のある手紙に私が衝撃を受けた正体だったのです。

 以上二つの結論に至った理由について、以下、あなたの手紙を中心に、あえてその具体的な細部に立ち入ってお返事をさしあげたいと思います。

  ● 詳細な色見取り図

  お話を始める前に、私があなたの手紙で一番驚いた手紙の中の色について、まず、お話したい。上、中、下巻のいたるところに詳細な色見取り図をしたためている点です。

 たとえば、ほんの一例ですが、いよいよゴーガンがアルルにやってくるという高揚した時期、そして、ひまわりの絵を仕上げた直後の手紙には

 「僕(ゴッホ)は人間の激しい情熱を、赤と緑で表現しようとした。部屋は鮮血のような赤と暗い黄色、中央には緑の玉突き台、オレンジ色と緑の放光に包まれたレモン黄の四つのランプ。紫と青の陰鬱ながらんとした部屋や、眠りこけている若いよた者たちや、到るところに非常に違った赤と緑の対照と衝突がある。例えば鮮血のような赤と玉突き台の黄緑とは、バラの花束のある酒売台のルイ十五世風のやわらかい緑と対照をつくっている。

 この赤熱した雰囲気の片隅で番をしている亭主の白い服は、レモン黄色と明るい淡い緑に変わる。僕はこれを素描して水彩で調子をつけたから、明日君(弟、テオ)に送って、大体どんなものか見てもらおう」(中巻p218、弟、テオ宛ての第533信= 1888年9月)

という調子なのです。こういうのが、全巻の至るところにあり、私をとてもおどかせました。

 これらの色がすべてあなたの頭の中に入っているのですから、驚くばかりです。ここからは、あなたが、いかに色彩の調和というか、その見取り図に真剣に向き合っているのか、その情熱がはっきりと伝わってきました。

 この驚きの正体を知るために、先の二つの結論に向けて、以下のように考えてみたというわけです。

 ● 発見した「太陽の黄色」

  そこで、まず、ほぼ年齢順に並べられた色のある書簡集の全体構成について。

 上巻は、おおむね若き画家、ベルナールに宛てたあなた自身の芸術観、絵画論を述べたものといえましょう。

 そして、弟、テオに宛てた中巻は、

 芸術と生活の実践的関係論の見取り図

を自らのアルルの生活をもとに描いたものであり、これまたテオ宛ての最晩年につづった下巻は

 関係論の見取り図を言葉という絵筆で絵画的にまとめたもの

だったと思います。

 色の言葉、たとえば、黄色という言葉が全巻を通じて頻繁に出てきます。お亡くなりになる2年前に描かれた、かの有名な「ひまわり」もそうです。また、アルル近郊のサンレミ病院に入院したときに描かれた

 「黄色い麦畑と糸杉」(1889年)

もそうですし、書簡集の巻頭を飾っている自画像もそうです。黄色い帽子とやや薄い青のコントラストが遠近感とともに、互いに補色の関係にあるからでしょうか、よく調和しています。

 しかし、その中でも、色の調和をめぐるあなたの芸術観の到達点、あるいはその芸術観がどこから来たのかを知る手がかりとして、私がもっとも注目したのは、アルルからパリに戻った最晩年、亡くなる直前に描かれた

 「カラスのいる麦畑」(1890年)

です。黄色い麦畑が画面の半分以上を占めています。そして、その向こうに黄色と補色の関係にあるやや暗い青の空。

 このように最後まで一貫している色、黄色へのとりこが、どこからきたのか。私は理系出身ですので、その起源がわかりました。

 それは、太陽です。太陽への憧れ、あるいは太陽の色の発見と言ってもいいかもしれません。

 一般に太陽からの光線は白色光といわれています。しかし、このなかに含まれる色のうち、実は、太陽のような中くらいの重さの星では、最もエネルギーの多く含まれている部分が黄色の部分なのです。

 あなたは手紙で、

 「神の如き太陽と並んで」(第520信、中巻p182)

あるいは

 「今まで孤独でいるのを気にしないほど、(アルルの)強烈な太陽が自然に与える効果に興味を持てた」(第508信、中巻p136)

と語っています。

  最晩年になると

 「ここの強烈な太陽の下では、ピサロの言葉や、ゴーガンが僕(ゴッホ)への手紙で言った同じような言葉と壮重さということは、僕もほんとうだと思った」(第555信、1889年10月、アルル)

と書いています。

 これらの言葉は、ベルナール宛の芸術論(たとえば、第5信= 1885年5月下旬、たとえば第21信= 1889年12月初め)の中で盛んに展開される黄色と(補色関係にある)青についての見取り図の延長線上にあると感じられます。あなたの太陽、とりわけ黄色い光に対する発見と感性にもとづくものなくして、こうした手紙は書けなかったと思います。

 人間の網膜で最も感受性が強いのは、太陽の色、黄色の光線なのです。そこにあなたは自身の感性を重ね、苦闘していたのだと思います。

 ● なぜ何点も「ひまわり」を描いたか

 第二に、なぜ、あなたは「ひまわり」を何点も、正確には7点も描いたのでしょう。

 ひまわりについては、2枚のひまわりを並べて、論じている手紙もあります。また、

 「いつも糸杉に心ひかれる。ひまわりを扱ったように描いてみたいのだ」とも書いています(第596信、1889年6月、アルル)。

 どうしてそんなにひかれるのでしょう。そのヒントは、「ゴーガンは健康な姿で(アルルに)到着した」で始まる 

 第557信(1888年10月、アルル。下巻)

にあります。ゴーガンと共同生活ができる喜びを弟、テオに伝えている手紙です。

 この直前の10月に、あなたは、かの有名な

 「ひまわり」(1888年の夏)

を描いています。アルルの強烈な夏の太陽に向かう黄色いひまわりを、待ち望んだパリから来るゴーガンにプレゼントしようとしたのだと思います。それも部屋を飾る共同生活の場の中におこうとしたのです。

 このようにひまわりを何度も描いていたのは、絵画と生活の実践的関係論の証しであり、象徴だったのです。

 ● 最後の手紙

 ゴーガンは、あなたが亡くなってから十数年後にタヒチでなくなります。あなたはお知りにならないでしょうが、ゴーガンはタヒチで過ごす最晩年、

 いすの上のひまわり

という作品を残しています。ゴッホの花を、ゴーガンは、和解のしるしとして描いたのでしょう。

 このように考えてくると、

 絵画の対象と、その描き手との関係は分離できない

ということがよくわかります。こう考えると、描くということは、描き手の生活を、もう少し大きく言えば思想を色で表現することなのだというあなたの主張がとてもよく理解できるように思います。ゴーギャンもそのことについては、あなたと同意見に到達した。だからこそ、それを言葉ではなく、晩年に絵で示したかったのでしょう。

 ゴッホは孤独のうちになくなったと、一般には考えられています。しかし、あなたが、この事実を知れば、もはやそんなたわごとに心をわずらわされることはないでしょう。

 あなたの最後の手紙は、

 「そうだ、自分の仕事のために僕(ゴッホ)は、命を投げ出し、理性を半ば失ってしまい- そうだ -でも僕の知る限り君(弟、テオ)は画商らしくないし、君は仲間だ、僕はそう思う、社会で実際に活動したのだ、だが(そうすることができなかった僕は)どうすればいい。」

と結ばれています(あなた自身が自殺の当日に持っていた手紙のことです)。

 これに対する回答として、この返信の冒頭に挙げた二つの結論をあなたにささげたいと思います。

 あなたの人生をかけた色彩のある手紙というりっぱな絵画があったのです。それはまさに、弟、テオとの共同の作品だったのです。これ以上の作品を、あなたが望むとは、私には思えません。

 なぜなら、一点ものの絵とは違って、この作品はだれでもが、いつでも、そしていつまでも色あせることのなく鑑賞できるからです。私もまた今、それをしているのです。

 この手紙の翻訳者もきっと、このことを信じていたと思います。 

 ● アルルへ、補色の旅

 お手紙が少し、長くなってしまいました。

 Imgp6054 お許しください。

  ここまで書いてきて、ふと私は、あなたのたどった

 パリからアルルへ、そしてサンレミへ。そして再びパリへ

という旅、いってみれば、絵画と生活が互いに引き立てあう、

 補色の旅

にいつしか出かけてみたいという気持ちになりました。アルルを、モンマルトルの丘をそういう目で見た場合、きっと

 これまでのゴッホとは違う出会い

があるように思えるのです。このこともお伝えしたくて、この返信をしたためた次第です。

 蛇足ですが、プロバンス地方のアルルの北、アビニョンには、あなたと同時代を生きたA.ファーブルも生活していました。私の尊敬する「昆虫記」で知られる生物学者です。アルルの近くのセリニャンにお墓もあり、補色の旅の途中にでも出かけたいと思っています。

 その墓石には、ラテン語で

 死は終わりではない。より高貴な生への入り口である

と書かれているそうです。これは、ファーブルの生物学者としての到達点であったのでしょう。

 私もそうでありたいと思っていますが、あなたの死も、また、そうであったと信じています。

 最後になりましたが、弟、テオさまによろしくお伝えください。

    白玉の歯にしみとほる秋の夜の

           酒は静かに飲むべかりけり

        日蘭交流400年、2014年11月

        浮世絵の国の酒好きの一老人より           

 ● 追伸 

 なお、別便にて、硲伊之助美術館が最近発行しました陶芸作品集

 『九谷吸坂窯』(2013年)

をお届けします。

 なぜ、これをお送りしたのか、この返信をお読みいただいたあなたならきっとその理由をおわかりいただけるものと確信しています。

          

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地方のこころ、中央の心 続「沖縄のこころ、日本の心」

(2014.11.02)  1カ月ほど前、このブログで

 沖縄のこころ、日本の心

というのを書いた。それほど反響があったわけではない。

 ● 沖縄、地方に対する差別意識

 ところが、沖縄県知事選挙の告示日(10月30日)の翌日、突然、新潟市に暮らしているという中年女性からメールが届いた。基地問題において沖縄が本土日本から差別されているという指摘に対し、それは何も沖縄だけではない。本土内でも、原発問題において、その建設をめぐり、中央の論理には明白な

 地方差別

が数十年にわたって続いていたと訴えていた。

 11_02_0 どうやらこの女性の地元で1970年代に持ち上がった

 巻原発(新潟県巻町)計画に対する是非論議

のことを言いたいのだということがわかった。賛成の町議会と反対住民の対立など当時の巻町を二分する是非論議は、1990年代に入って住民投票条例が成立。その結果、住民の総意は

 原発誘致反対

に決した。その後、計画した電力会社の用地買収も、いわゆる1坪地主住民の反対で失敗。これらが決め手となり、10年前、計画は白紙に戻った。

 その間、推進派の目先だけの経済的な利益と、大局的な安全優先の利益とがぶつかりあい、町を二分し、中央の論理に振り回され続けたという。

 その地元対立につけ入った中央の論理の底には、終始、

 根強い地方差別

があったと件の女性はいう。この女性の言葉をそのまま引用すると、福島原発事故の中間除染関連施設建設をめぐって、石原伸光環境大臣がつい漏らした本音、

 「最後は金目だ」というあの発言

に通じる差別意識である。

 ● 映画「渡されたバトン」と「東京原発」

 こうした訴えは、件の女性だけの感覚ではない。巻原発計画については

 「渡されたバトン さよなら原発」(池田博穂監督、脚本= ジェームス三木、2013年)

というドキュメンタリー映画が公開されているからだ。

 この映画の鋭いところは、ストーリーが原発賛成派=目先の利益派を中心に描かれている反原発映画だという点。利益派が、大局的な見地から次第に安全優先派に変わっていくその数十年にわたる過程を丁寧に描いている。自分たちの苦渋の選択は、若い世代という未来への貴重な遺産であるという意識が、下から目線ではっきりと描かれている。

 同じ反原発映画でも「東京原発」(山川元監督、役所広司主演、2004年)は、東京都知事が東京に原発を誘致しようという上から目線のパロディ、つまり反語的な映画。原発反対派の原発推進をテーマにした映画である。

 地方がいやなら、むしろ電力の大消費地、東京に誘致すれば送電コストの大幅カットにもつながり、大いに儲かるというわけだ。なにしろ、原発は推進派の言うように

 絶対に安全なのだから

という論理である。この映画の鋭いところは、儲かることがわかっていて、それでもなお、東京に原発を決してつくろうとはしない中央の論理とは何か。それを問う反語的映画になっている点である。

 そこには、原発の安全神話がウソであり、そのリスクを地方に押し付けようとする

 中央の地方に対する差別意識

がある。

 ● 地方創生論のまやかし

 基地は本土にはできるだけつくらず、沖縄だけに押し付ける。このことに反対する沖縄の人々が、

 同じ人間のいのち、みんな平等ではないか

という叫びが、どちらの映画にもある。

 基地問題をめぐる沖縄差別論も、原発問題をめぐる地方差別論も、実は構造は同じ、つまり身勝手な中央の論理に貫かれている。わかりやすく言えば、

 アメとムチの論理

である。

 件の女性は、

 だから、私たちは沖縄のことに無関心ではいられない

と訴えていた。沖縄同様、日本本土の地方も戦後、一貫して、アメとムチで差別されてきたからだろう。

 こう考えると、安倍政権は成長戦略の一環として、突然の如く地方創生を打ち上げている真意がみえてくる。

 中央主導の地方創生論はまやかしである

といえるだろう。

 いくら待っていても、ぼた餅は上の棚からは落ちてはこない。

 これこそ、当時の巻原発計画の闘いを知っているのであろう件の女性の言いたかったことだと思う( 下の注記参照 )。

 こうした観点から、地方に暮らすブログ子も、基地移設問題を最大の争点とする沖縄県知事選挙(11月16日投票)の結果に注目したい。

  ● 注記 2014年11月7日記

 では、どうすればいいのかという点について、ある読者から不満が寄せられた。

 これに対し、ブログ子は、たとえば

 「ローカリストの時代」という下のようなインタビュー記事

 を挙げておきたい( 2014年11月7日付朝日新聞 )。

 地方の再生は税金をばらまけばできるものではないという趣旨で、震災で壁新聞をつくった石巻日日新聞社長を取り上げている。社長は、地方を再生し、日本の姿をも変えていくには何が必要かと問われて

 「本当に必要なのは、その土地その土地で長く伝えられ、伝えていくべきことをきちっと整理し、磨き上げ、理解して未来につなげること」

とこたえている。それには野心を持ってそれをやりぬく覚悟のある若い人材と、仕組みが必要だと語っている。迂遠なようだが、地方再生の近道だと思う。

 Imgp616120141107 

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