論より証拠 ミジンコの目はいくつ あるか
(2014.10.29) ブログ子は、浜松市の郊外にある佐鳴湖のほとりの高台に暮らしている。だから夏が近づくと、茶色い卵をしっかり抱え込んだ繁殖期のテナガエビを採りに夜出かけることがある。
夜のエビ採りでは、水中に隠れているエビにライトをそっと当てると、二つ並んだ目がチカッと光る。そこに素早く網を入れる。だから知っているのだが、どんなに小さいエビでも目は必ず二つ、と思い込んでいた。
たとえば、池や沼にいるミジンコは1ミリくらいの大きさだが、れっきとした甲殻類、つまりエビの仲間。だから、ミジンコも目は二つのはずだ。
本で読んだりしたものではなく、実際に自分の目でエビ類を身近に確かめているから、この思い込みは信念にまでなっている。
しかし、それは間違いだった。
● 目に見えない、1000分の1の世界
先日土曜日、浜松科学館(浜松市)で、日本微生物生態学会などと協力して
という親子で楽しむ顕微鏡観察
というのが開かれ、ブログ子も参加した。ミジンコの姿をのぞいてみようというのだ。
私たちが生活する世界は、おおざっぱに1メートルぐらいの世界。その1000分の1の世界にミジンコは暮らしている。
果たしてそのミジンコが暮らす世界は私たちの世界と同じであろうか。
ミジンコの目も必ず2つあるに違いないという、さきほどのブログ子の思い込みは、暗黙のうちにこの二つの世界にそう大きな違いはないということを前提にしている。
● ミジンコは1つ目小僧
論より証拠、40倍ぐらいに拡大できる顕微鏡でミジンコを観察すると、おおざっぱに言うと人間と似たような姿、形はしているものの、いくら目をこらしても、目らしいものは一つしかなかった。
くやしいので頭の部分を400倍に拡大。だが、やはり目は1つだった。
ドキドキと忙しく鼓動している心臓も1つ。これは人間と同じ。しかし、その形は平らな葉っぱ状で、真ん中が開いたり、閉じたりしていた。両肩らしいところから2本の腕や、その先に手らしいものが生えてはいる(右の観察スケッチ写真参照)。しかし、指は両方とも2本だけ。いわば、両手で、ピース、ピースしている格好なのだ。その指は盛んに動いている(右写真は、それをスケッチしたブログ子のメモ)。
飛行機の尾翼というべきか、尻尾のようなものはあるが、足のようなものはない。ミジンコの小さな世界では、重力よりもむしろ水力、水流が問題なのだろう。
さらに血管もない。栄養分は管を通さずに体内の細胞に直接届けられているらしい。人間世界の1000分の1の宇宙では血管がなくても、十分に効率的に栄養が行き届くらしい。スケールの違いが、器官などの体制をきめていることに気づいた。
ただ、面白いのは、ブログ子の観察したのはオスだが、なんと丸い卵をたくさん持ったメスもいる。人間同様、有性生殖をしているのだ( この点について、最下段に重大な「注記」)。
ただし、卵は背中に背負われている。言ってみれば、メスは赤ちゃんを背中にオンブしている。ここが、同じエビの仲間でも、テナガエビのように内側の腹の部分に卵を抱え込むのとは違う。
20年ほど前に、ジャズミュージシャンの坂田明さんは
「ミジンコの宇宙」(テレコムスタッフ、1996年、写真)
というおもしろいVHS(カセットテープ型記録媒体)を発行している。その中でも顕微鏡観察(動画)をしているが、
ミジンコに愛は通じないが、脳もある
と講義している。愛こそ通じないが、同じ生物であるといいたかったのであろう。
● 1000分の1の、そのまた1000分の1
このミジンコの世界に対し、さらに100分の1、あるいは1000分の1の世界を顕微鏡で拡大してみる。すると、もうそのカビ(たとえば、麹菌)や細菌(=バクテリア、ヨーグルト菌)の世界では、
言ってみれば、ここは原子や分子という無生物世界(= 10-100オングストローム。10のマイナス9乗ないし8乗メートル)により近い。
つまり、生きものと、生物ではない世界との境目は
おおよそ、1メートルの1000分の1の、そのまた1000分の1の、そのまた10分の1
くらいなのだ。つまり、10のマイナス7乗(つまり、一千万分の一)メートルが境
ということになる。別の言葉でいえば、1000Å(オングストローム)が境目。これは、原子の大きさの1000倍の大きさ。
この境目あたりにいるのが、生物なのかどうかわからないウイルスということになる。
このように、微小世界は10の7乗のスケールで、その風景がガラリと変わるということがわかる。
● 人間より、10の7乗倍大きい宇宙
こう考えてきて、ふと、仮に、人間より大きい世界にこの話を延長したらどうなるか、ちょっと考えてみた。
1メートルより10の7乗倍も大きいのは
何と、おおよそ地球の差しわたし1万キロメートル
ということになる。人間世界が地球から宇宙に飛び出る境目。
ここで、地球重力圏を離れるなど、ガラリと周りの様子が変わる。
そして、その境目よりもまた、10の7乗倍も大きい世界とはどこか。
それはなんと、
太陽系の端
なのだ。これはだいたい太陽の重力勢力圏の広さで、太陽と地球の距離の約1000倍。
ここから先は太陽系とは、まったく別の星々の世界。言い換えれば銀河系の中心が支配する世界である。
いま、その境に向かっている太陽系探査機、米ボイジャー1号もまだこの太陽系の端までの10分の1くらいのところにまでしか至っていない。
さらに、その太陽系の境の10の7乗倍先というのは、
まあ、もうこれはよそう。気が遠くなるばかりだ。
ミジンコの驚くばかりの小宇宙から、壮大な天界の大宇宙までには階層構造があり、それを一望させてくれたり、想像させてくれたりした1日。そんなひとときを過ごさせてくれたことに感謝したい。
生物の世界にも、無生物の世界にも共通した同じスケール倍率で階層構造がある。
その縮小率、あるいは倍率は、一千万分の一、あるいは一千万倍。
これが、今回参加したブログ子の結論である。
● 重大な注記 ミジンコのオスとメス
本文では、オスとメスがいると書いたが、実は、
通常の環境では、ミジンコはすべてメス
ということが、このイベントの後でわかった。メスはメスしか産まない。クローンである。環境が悪化すると、たとえば雌ミジンコが増えすぎたりすると、どういうわけか(これ以上メスを産むとますます環境悪化が加速しマズイというわけか、お義理で)オスを少し産む。ミジンコのオスとは、そんな悲しい存在。
こんなことからしても、人間世界の1メートル世界に比べて、その1000分の一の世界は、人間と似たような姿、形ととはいっても、やはりずいぶんと「変」なのである。
● 補遺 余談の余談 階層構造の行き止まり
結論に出てくるこのスケール倍率や縮小率をさらに、大宇宙に、あるいはミクロ世界に適用したら、どういうことになるか。
面白いので、あえて考察し、計算してみた。
○ まず大宇宙へ。太陽系の大きさ(1000AU)を、一千万倍すると、
だいたい銀河系の大きさ、約10万光年
になる。およそここを境にこれまで銀河系の中心の重力圏だったものが、それより先は、ガラリと変わり、銀河系の勢力圏の支配から離脱する。つまり、宇宙誕生、ビックバンの世界に変わる。
さらに、この10万光年の一千万倍先の境というのは、約1兆光年(1×10の12乗光年)。
つまり、これは現在の宇宙の観測可能な大きさ、450億光年のざっとみて10倍から100倍も大きい。
この境をすぎると、またまた宇宙はガラリと変わる。どう変わるか。
われわれの住む宇宙の外、つまり、
もう一つ別の異次元宇宙という超宇宙
の新たな階層(いわゆるパラレル宇宙)に突入することを意味する。
こうした別の異次元宇宙というのは、無限に続くのかどうか、現在の宇宙論でも確定的なことはなにも分かっていないらしい。
○ 今度は、ミクロの世界へ。
10のマイナス7乗メートル(一千万分の一メートル)が生物と無生物の境と書いたが、この一千万分の一というのは、
陽子(水素原子核、約10のマイナス15乗)の大きさ
である。原子核の世界から、さらにガラリと変わり、それらの構成要素の素粒子の世界に突入する。
そして、さらに3回の階層構造の変化を経る
L = 1×10のマイナス36乗メートル
になると、時間や空間が量子力学的にゆらぎ、不確定になってしまう(このLのことをプランクの長さという)。
超弦理論の世界
である(『大栗先生の超弦理論入門』講談社ブルーバックス2013年)。大栗博司先生のこの本によると、
ここLが階層構造の理論的な終着点
ということになる。
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