« 『大西洋漂流76日間』を読む なぜ耐えられたか | トップページ | 「御製」とセットで真実を知る 昭和天皇実録 »

STAP騒動で、科学報道は変わったか

(2014.09.09)  「小保方論文」再現実験の検証委員会中間報告。また理事会中間報告である研究不正に対する行動計画もそれぞれまとまり、理研「STAP」研究不正騒動は峠をこえたような感がしないでもない。

 検証報告では、小保方氏が参加しない形では少なくとも再現は成功していない。改革報告では、当該組織を半減するとした行動計画は改革委員会から求められた「解体に相当」すると自ら評価、結論づけている。

 いずれの場合も、今後、最終報告書がまとめられるという。

 ● 科学報道の現状の検証とけじめ

 Image1985 そこで、論じたいのは、理研の体質うんぬんの話ではない。この半年以上、騒ぎに騒いだ科学ジャーナリズムや科学報道のあり方についてである。

 理研は当事者として、不十分とはいえ、すくなくとも検証や改革についてけじめをつけた、あるいはつけようとしている。

 これに対し、小保方絶賛一色だった科学報道のジャーナリズムでは、その危うさの検証やそれに基づくけじめを行なおうという動きは、ないといっていいくらいに大変ににぶい。

 あいかわらず、発表ジャーナリズムに寄りかかり、ことが起きてから騒ぐ事件待ちジャーナリズムであり、最後はうやむやの尻切れトンボジャーナリズムのままなのだ( 注記を参照 )。

 依然として日本には科学ジャーナリズムは不在であり、自律したジャーナリストはきわめて少ないままなのである。

 一言で言えば、現状は多様なものの見方を封じるセンセーショナルな

 一過性ジャーナリズム

だけが、大手をふって闊歩している。

  今必要なのは、理研を責めることではない。ジャーナリスト自身による科学報道のありかたの検証とけじめ、そしてその実践である。

 ● 科学の欠点や限界を報道する視点

 そんな検証の萌芽というべき雑誌の特集号がようやく登場してきた。

 科学報道はどう変わるべきか

という大特集を雑誌「Journalism (ジャーナリズム)」(2014年8月号、朝日新聞社)が組んでいる( 写真上 )。

 研究者側からは、科学の欠点や限界を報道する、あるいは科学者だけでは対応できない問題に取り組むなどが提案されていた(池内了名古屋大学名誉教授)。社会と科学の関係が強い場合が、それにあたる。

 絶賛一色にそまった今回の騒動を反省するという意味では、科学報道を立て直す有効な報道のあり方だろう。

 このことは、科学ジャーナリストのほとんどが総懺悔した福島原発事故でもいえることなのだ。

 また、科学ジャーナリスト側からは、今のような特ダネニュース競争に明け暮れるのではなく、そのニュースを科学史の座標に落とし考察や論評をする手法や能力の開発を訴えていた(尾関章氏。朝日新聞元科学記者)。

 その通りだろう。つまり、速報主義からの離脱である。自律した科学報道にはこれが欠かせないことは明らかであろう。

 ● 科学者を特集した「現代思想」8月号

 もうひとつ、雑誌「現代思想」8月号も科学者を大特集している(青土社)。主に文系の読者を対象にしているせいか、サブタイトルが

 Imgp5077 科学技術のポリティカルエコノミー

とあいまいなのは、ご愛嬌である。だが、この特集で鋭かったのは

 「小保方」事件を超えて

  STAP細胞があぶりだす科学の歪んだ構造

という論考である(榎木英介氏。科学ジャーナリズムや若手研究者の育成問題に詳しい大学病理学医師)。若手研究者の現場の実態を具体的に述べていた。このことが、なぜこんな事件がおきるのかというその温床をあばくのに説得力を持たせている。

 そして、最後につぎのような文章で結んでいる。

 「STAP細胞の問題が問うのは、科学者コミュニティが、そしてそれを支える国民が、科学研究を行なう環境をどう構築すべきか、ということなのである。また、この問題は科学コミュニティだけの問題ではない。三十五歳のポスドク(博士研究員)が民間企業に職を得られないという硬直した雇用環境は、非正規雇用の労働者の置かれた状況と変わることはない。そして、「ねつ造」が起こるのは科学者だけではない。冤罪が繰り返される警察の捜査や食品の産地偽装をはじめとして、枚挙に暇がない。私たちは、「小保方問題」「理研問題」を超え、自分たちの問題としてこの問題を捉え、行動していかなければならないのだ。」

 そのとおりであると思う。しかし、それだと、この論考のサブタイトルは、より適切には

 STAP細胞があぶりだす社会の歪んだ構造

ということになろう。こうすると視野の広い論考だと読者にわかる。

 ● 問われている「報道の社会的無責任」

 Image1986 それはともかく、こういうことを科学ジャーナリズム自身が指摘してこそ自律した科学報道であり、気楽な発表ジャーナリズムから脱却する道であろう。

 理研騒動は、科学ジャーナリズムも変わらなければならないことを、白日のもとに暴き出した。

  今、問われているのは

 ジャーナリストの社会的な責任

なのだ。

 報道の自由が、報道の無責任さを助長することがあってはなるまい。

  ● 注記 一過性のジャーナリズム

 この問題については、ブログ子は10年ほど前から指摘し続けている。たとえば、

 『科学ジャーナリズムの世界』(日本科学技術ジャーナリスト会議編、化学同人、2004年)

である。

|

« 『大西洋漂流76日間』を読む なぜ耐えられたか | トップページ | 「御製」とセットで真実を知る 昭和天皇実録 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/60175150

この記事へのトラックバック一覧です: STAP騒動で、科学報道は変わったか:

« 『大西洋漂流76日間』を読む なぜ耐えられたか | トップページ | 「御製」とセットで真実を知る 昭和天皇実録 »