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芭蕉の義仲寺を訪れて

Imgp5174ok (2014.09.04)  ちょっとした機縁で知り合った仲間たちと、念願の

 義仲寺(ぎちゅうじ、大津市馬場1丁目)

を訪れた( 写真 )。琵琶湖畔が目の前の国指定の史跡で、しかも写真の山門の真ん前が旧東海道になっている。

 寺内奥には松尾芭蕉の墓所( 写真左下 )がある。かの有名な辞世の句、

 旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る

という文字が、墓の隣りの大きな句碑にくっきりと刻まれていた( 写真下 )。句碑の大きさは、人の背丈をかなりこえた大きなものだった。

 中学校の教科書に出ていた芭蕉の俳句に出合って50年、ようやくその墓参りができたことがうれしかった。

 Imgp5160 義仲寺でいただいた由緒書によると、元禄7(1694)年10月、芭蕉が大阪でなくなる直前、この句とともに、

 「骸(から)は木曽塚に送るべし」

との遺言を残したことで、ここに葬られた。

 木曽塚というのは、平安末期の

 木曽義仲(源義仲)の墓所

のこと。義仲は平家討伐の挙兵を行ない、朝日将軍となった人物である。

 その墓がもともとからこの寺にあったのを、芭蕉はしきりに句会などでこの寺を利用していたことから知っていたのであろう。

 ブログ子は、義仲がこの寺あたりで敗死したことは、吉川英治の『新平家物語』を読んで知っていた。が、芭蕉と隣り合わせに葬られていたとは知らなかった。

 さらに、この小説にも出てくるが、側室だった巴御前の塚も、なんと、義仲の墓の隣りに寄り添うようにおかれてあったのにはびっくりした。寺の入り口には、巴地蔵堂まで設けられていた。

Imgp5162_1  巴塚の少し後ろには、芭蕉の

 古池や蛙飛こむ水の音

というのもあった。

 現在のこの寺では、芭蕉が句会をしばしば開いていた場所は無名庵と名づけられた。句会や詩吟の集いの場になっており、付近の市民に開放しているらしい。また、史料館まで具わっていたのには感心した。

 1時間足らずの墓参りだったが、古池やの句の横には

 木曽殿と背中合せの寒さかな( 又幻(ゆうげん) ) 

という句もあり、訪れてよかったとの思いを一層強めさせてくれた。

 以下の写真は、上= 巴御前塚、下=義仲の墓(左端に巴塚の一部が写っている)。義仲忌は毎年1月の第3日曜日に営まれる。いずれも義仲寺で撮影( 写真のダブルクリックで拡大できる )

Imgp5157_2 

Imgp5158

 ● 芭蕉翁の座像に扇子を供える「奉扇会」

 寺内の翁堂(写真下)では、毎年5月の第二土曜日に奉扇会が執り行われる。

 Imgp5169

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