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向こう傷を恐れるな 誤報生む原因

 (2014.09.12)  先日、朝日新聞の木村伊重社長が会見し、5月20日付朝刊1面トップで報道した福島原発事故にかかわる「吉田調書」の記事を、あたかも所長の指示を無視しその場から所員が逃げ出したかのような間違った印象を読者と関係者に与えたとして取り消し、同時に読者と東電など関係者に謝罪した( 写真上)。

 Image1997 つまり、記事は、十分な確認作業が行なわれず、事実に反する重大な誤報だったことを認めた。

 別途、社長は、これまで同社が報じてきた一連の従軍慰安婦問題を検証した8月5日付朝刊1面( 写真中 )で、いわゆる吉田証言は虚偽だったとして取り消しはしたものの、検証作業の指揮をとった最高編集責任者が謝罪しなかった点についても

 「事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとしてより謙虚であるべきだと痛感している」

と述べるとともに、会見翌日の紙面でおわびを社長名で掲載した。居直りともとれる検証特集だったが、一転、社長による事実上の謝罪をしたことになる。また、証言取り消し自体についても「遅きに失した」として会見で謝罪した。

 こちらの記事についても、日韓など国際関係にも重大な影響を与えた虚報であったことを社長自らが認めた形である。

 さらに、この検証特集の結果について、ジャーナリストの池上彰氏が同社連載コラム欄で「訂正、遅きに失した」と論評しようとした原稿を、同社が一時掲載を見合わせた点について、言論の自由の封殺にあたるとの厳しい批判( 写真最下段 )が相次いだことを認めた上で、明確な謝罪はなかったものの、社長として責任を痛感しているとも述べた。池上氏に対する事実上の社としての謝罪であろう。

 ● 後ずさりする勇気

 誤報や虚報については、ジャーナリズムにかかわってきたブログ子としても、他人事ではない。身につまされる思いがあるが、今回の会見はおそらく、日本新聞界において前代未聞の事態といえるだろう。

 Image1998 誤報を恐れるあまり、誤報の心配のない

 発表ジャーナリズム

に無気力に甘んじるか。それとも、知る権利に積極的にこたえていくために、あえて、いわゆる「向こう傷を恐れない」突撃精神で取材するのか。

 むずかしい判断である( 向こう傷とは、顔、額に受ける傷のこと)。が、少なくとも独自スクープ記事の場合、はやる功名心をおさえ

 疑わしきは報道せず

という、後ずさりする勇気がほしい。後ずさりとは、正面を向いたままうしろに下がることであり、ひるむという意味はない。一呼吸待つ勇気、余裕と言ってもいいだろう。

 ● なぜメディアは繰り返すのか

 誤報や虚報の原因について、朝日新聞元記者だった後藤文康氏は、著書『誤報 新聞報道の死角』(岩波新書、1996)で次のように書いている。

 Image1993 少し長いが、紙面審査の経験の長い同氏の経験がにじんでいるので、スクープの落とし穴がなぜ起きるのか、その分析結果としてここに引用したい。

 「深刻な誤報の多くは未確認情報を、ほかの情報源によるクロスチェックなしに報道するところに発生する。しかも記者やデスクが、この習慣に身を任せていると、特ダネをめぐる競争心、功名心にはやり、刻々と締め切り時間が近づくという状況の中では、後からみると、「なぜ、こんな不確実な情報が通ってしまったのか」と信じがたいほど、組織全体がノーチェックになったような暴走、大誤報が生まれてくる」

 さらに後藤氏は

 「新聞の歴史上、誤報は繰り返され、今日、(繰り返す誤報により)市民生活を侵し、 世論を誤らせる危険はむしろ高まっている」

とも指摘する。後藤氏の時代よりはるかに進展した今のネット環境の下では、世論を誤らせることによる社会的な悪影響は一層大きいだろう。

 そんなことは百も承知のメディアが相変わらず、あるいは一層、誤報や虚報を繰り返すのはなぜなのだろうか。

 それは、スクープ合戦などの攻めぎあいに勝ち抜くために、あるいは「知る権利」に積極的にこたえるためには、いわゆる

 向こう傷を恐れるな

という勇ましい考え方があるからだと後藤氏は同書で指摘する。確かに新聞社などメディア側に今も昔も公然と存在している。上記の二つの誤報・虚報事件もそうだが、ジャーナリズムのこの時代錯誤的な突撃精神が、人権の無視あるいは軽視を引き起こしている。

 後藤氏は、向こう傷論は、メディア側の独りよがりか、傲慢な論理であると批判している。ブログ子も、古い体質の一つの現れであり、社内に思考停止を生む向こう傷論に対するこの指摘は正鵠を射ていると思う。

 ● 確認、確認、確認

 今後、同社第三者人権委員会の審理に注目したいが、自戒を込めて、次のこともあらためて記しておきたい。

 正確なニュースを生み出すには、三つのことが不可欠である。確認、確認、確認。なんなら、もう一つ確認。

    - 『増補改訂 現代ジャーナリズム入門』(扇谷正造、角川文庫、1984年)

 著者の扇谷(おうぎや)氏はジャーナリストで、元朝日新聞記者、論説委員、評論家。

 もう一つ、米ジャーナリスト、W.リップマンも

 ニュースと真実とは区別しなければならない

とも書いている( 『世論』(岩波文庫、原著=1922年) )。

 ニュース、即真実とは限らない。真実はそのかけらであるニュース同士の関連付けから浮かび上がってくる。誤報や虚報に惑わされないで真実に近づくための読者の新聞ニュースの読み方をいみじくも示唆したものとして、この言葉を受け止めたい。

 ● 注記 虚報と誤報の違い

 虚報とは、記事が取り上げた外形そのものが存在しない報道のこと。いわゆるでっち上げ、ねつ造、作り話のことである。

 「ジミーの世界」(ワシントン・ポスト紙、1980年)記事のように記者自身がでっち上げた場合、今回の吉田慰安婦証言のように取材対象者自身の作り話の場合がある。

 これに対し、誤報というのは、外形は存在するのだが、記事内容が著しく実態と異なる場合である。記者の裏づけ取材の不十分さと社内デスク体制のずさんなチェックが主な原因。思い違い、早合点もある。今回の吉田調書の誤報はまさにこのケース。

( 以下の写真は、JR浜松駅のキオスク店頭で2014年8月30日撮影 )

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